ボニボニ

 

My hotelier 1 - My hotelier -

 




その午後、シン・ドンヒョクはのんびりとホテルで時間をつぶしていた。

彼の姿はソウルホテルに働くホテリアー達の温かい微笑みを誘い、やがて密やかな笑いと共に、彼の噂がバックヤードに拡がっていった。


「さあジニョン、仕事に戻って。僕は君の勤務時間が終わるまで待っているから。」
「ドンヒョクssi‥」

「待っている。だから明日からの休暇をホテルからのコールで邪魔されないように、
仕事をちゃんと片付けておいで。 今日はいいよ、遅くなっても。
でも、明日から仕事の話はなしだ。OK、ソ支配人?」
「ええ、そうする。‥じゃあ、あの、7時くらいにはサファイアヴィラに行けると思うから。」

「7時? ずいぶん大きく出たね。いいよ、期待しないで待っていよう。」


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14:00

愛するジニョンを手に入れた彼は、上機嫌だった。
久しぶりのソウルホテルは相変わらず居心地が良い。
シン・ドンヒョクは 自分を見守るスタッフの間を悠々と歩きまわっていた。


実際、ドンヒョクほど見事にホテルを使いこなす者は、なかなかいない。

ホテル専門のM&Aハンターとして 世界中のホテルを知る彼は、
ホテルという商業施設の利用方法を、完璧にマスターしている。
ジニョンがプロのホテリアーだとしたら、ドンヒョクはプロのゲストと言って良かった。

「ねえ、ソ支配人。今日は早く仕事を片付けたほうがいいですよ。」
早番で上がってきたヘルスセンターの受付スタッフが、笑いながら言う。

「そのつもりだけど、どうして?」
「フライトで身体がなまったとおっしゃって、シン理事がプールにお見えになったんですけど。」
「ああ、泳ぎに?」

「ショートカットのブロンド美人にナンパされて、その、今スカッシュのお相手をしていますよ。」
「!」

ドンヒョクは、楽しくも長い午後を、ジニョンを待ちながら過ごしている様だった。
しかしとびっきりのハンサムが一人、暇つぶしをしている。
それも旅先での素敵な出会いを夢見る人でいっぱいのホテルで・・。

ドンヒョクがそこかしこで女性に声をかけられるのも、無理はなかった。
その後も、忙しく働くジニョンのもとへ、様々な「ご注進」が届く。

「プレイルームで女子大生らしいグループに囲まれて、エイトボールを教えてくれとせがまれていましたよ。」
「シン理事がビジネスセンターで株式市況をチェックしていたら、秘書をしているという女性が、自分を使ってくれって。もう大変なアタックぶりでしたよ。
それがすごいグラマーなの‥ソ支配人?大丈夫?」


次々に聞こえてくるドンヒョクの行状にスタッフ達は盛り上り、インカムを持ってホテルを駆けまわるジニョンは、行く先ざきで、さんざんからかわれる羽目になった。

-もう、ドンヒョクssi! 何なの? これは!-

私の傍に永遠にいると言った貴方が、こともあろうに「私」のホテルで、
見知らぬ女性達とお楽しみですって?
思いもかけない事の成りゆきに、ジニョンは呆然とした。


「やっと、僕の元へ来てくれるんだね?ジニョン」

「ああ ジニョン、とうとう君を手に入れた。」


ーさっき そういったばかりの貴方なのにー
-私を待つのに飽きたの? 今日も遅刻したら「よそ見をするよ」と脅かしているつもり?

スタッフ達のクスクス笑いを聞きながら、ジニョンは段々にふくれっ面になっていく。
そしてガーデンテラスで、イギリスから来たと言う「老婦人」に誘われて、
ドンヒョクが遅い午後のティータイムを楽しんでいるという報告がオフィスに届くに及んで、社長のハン・テジュンまでが笑い出した。

「大したもんだなあいつの人気は。至る所で、ディズニ-ランドのミッキーマウスみたいだ。」
「お!ジニョン。こういうのはどうだ?
シン・ドンヒョクをいつも我がホテルのロビーに放しておくってのは?
女性の来客率アップは間違いないぞ。」

「ヤ!ハン・テジュン!」
ジニョンが怒りに燃える目でテジュンを振り返る。

「‥冗談だよ。コホン、仕事は時間内で終わりそうなのか?」


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18:30

「ご期待通り、無理ね!休暇中の段取りが終わらないわ!」

ドンヒョクに約束した7時に、サファイアヴィラへたどりつく事は絶望的だ。
これからまだ、どれくらい馬鹿げた「ドンヒョク報告」が上がってくるのかしら。

情けない気分で、上唇を噛みつつPCのキーボードを叩くジニョン。
そのジニョンを盗み見て、ハン・テジュンが、うつむいたまま一つ咳をした。

「さっき、ドンヒョクを見たんだけどさ‥。」
「聞きたくない。」
「聞けよ。何であいつが、モテてるか知っているか?」
「ふん!ハンサムだからでしょ?!」

(まあ、ぬけぬけと言い切る奴だな。)

「あのな。」
「聞きたくないってば!」

「・・笑っているんだよ、あいつ。それは幸せそうに、な。」
「・・・・?・・・・」

「その、よっぽど嬉しかったんだろう。コホン、お前に会えてさ。」
「テジュンssi」

「あんなに幸せそうにしてる人間を見たら、女じゃなくても幸せを分けてもらいたがる。」
「テジュンssi・・・」

「女といちゃつく話ばっかり聞いて、お前はカリカリしているけど。
あいつ、カフェの爺さんバリスタにもトロケそうな笑顔で話しかけてるんだぜ。」
「・・・・・」

キーボードを打つジニョンの手がいつか止まっている。

「お前が今、幸せかどうかは知らないけれど。
この午後、シン・ドンヒョクは間違いなく、自分を世界一幸せだと思っているみたいだよ。」
「・・・・・」

「まあ、仕事は思いきって切上げて。早めに行ってやれ。」

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19:30

RRRR‥
「はい。ソウルホテルのソ・ジニョンです。」
「こちら『カサブランカ』です。ソ支配人、やっぱりまだ事務所ですか?」

「・・ドンヒョクssiのこと?」
「ええ、先ほどまでおられました。」
「・・・・・」

ジニョンはカサブランカのカウンターに立つ女性バーテンダーの声を黙って聞いていた。
バーテンダーは全てを見て、何も語らない。
彼女はまさにその言葉通り、お客さまの事を決して他人に語らないプロ中のプロだった。

「これは・・・、あの、守秘義務違反なんですけれど・・・。」
「・・・何?・・」

「ミスター・シンの今夜のご注文は、オリジナルカクテルでした。」
コトン、と、ジニョンの胸が小さな音をたてた気がした。
「・・・どんな?」

「ストレートで、強くて、明るく陽気な香りがするカクテルを、と。そして・・」
「・・・そ、して?」

「オーダーしてもなかなか出てこないカクテルを、くださいと。」
ジニョンの頬を、つっと温かいものがすべり落ちた。

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「ごめんなさいドンヒョクシ、私、貴方と一緒にはいけないわ。」
「・・・・・」
あの晩、満開の桜の下でドンヒョクssiは、私を見つめて黙っていた。
精一杯微笑もうとして、ゆがんでしまった笑顔で。


「・・笑っているんだよ、あいつ。それは幸せそうに、な。」
ハン・テジュンの言葉がどこかで聞こえた。

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「ヨボセヨ?聞いておられますか、ソ支配人?」

「・・・ええ、聞いています。」
「ミスター・シンは、それは幸せそうに私のカクテルをお飲みになって帰られました。」

「・・・・ありがとう。教えてくれて。」
バーテンダーの思いやりが胸に溢れて、ジニョンは泣き出しそうだった。

「どうぞ出来るだけ早くご退社ください。」
「・・・・・・そうするわ。」

「ソ支配人?」
「ええ・・・」

「カクテルの名前は、理事がつけました。『My hotelier』です。」

ツー。
電話が切れた。
女性バーテンダーはそっと受話器を置くと、カウンターへ戻っていった。

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19:48

冷たい汗をかいたワインクーラーに、キリキリに冷えたシャンパンが入っている。

「ソ支配人は、このボトルがぬるくなる前に来てくれそうかな?」
「そうですねえ。」
フルーツを並べながら、ヒョンチョルが申し訳なさそうに相槌を打った。

「だめだろうな、明日から休暇なら、やることは山ほどあるだろうし。」
ドンヒョクの声は、それでも明るい。

「ホテリアーと結婚するということは、幸せと不幸を両方手に入れること、か。」


かつて氷の様な目でシャンパンを壁に投げつけた男、
全財産と命を賭けてソウルホテルを守った男が、
今夜は子どもの様な笑顔を見せている。

(ソ支配人もいい加減で仕事を切上げたらいいのに)

テーブルをセッティングするとヒョンチョルは一礼して言った。
「ご注文はこちらで・・」

バタン!
ドアが乱暴に開き、髪を乱したジニョンが転がる様に走り込んできた。
「ジニョン・・・?」
あっけにとられた様にドンヒョクが椅子を立つ。

はあはあと息を切らせたソ支配人を横目で見ながら、
ヒョンチョルが笑いをこらえて言う。

「では『こちら』で・・、ご注文は全部でございます。間違いはございませんか?」

ヒョンチョルの言葉に、クスリと笑ったドンヒョクが
小さな咳払いをして応じた。

「さすがは、ソウルホテル。こんなに素敵なルームサービスは初めてだ。」

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