月曜日の朝は憂鬱だ。おまけに雨まで降っている。
定例ミーティングの席に着き、部長の激を聞く。
「いいか。良い仕事をするのは当たり前だ。その上でそれを早くこなせ!
ミスはあり得ないが、遅くては何もならない。
素早く正確なデータを積み重ねて、どこにも文句を言わせないようにしろ。」
まだこれ以上、仕事させようって気ね。
そっちがその気なら、こっちだって言ってやるわ。
頼まれ仕事をやっている暇はないんだから、ご自分の書類くらい、ご自分で作りなさいな。
「それから、例のピット&ウィンズ社の神待里氏が、今週から東京オフィスに転勤になったそうだ。
今後はもう少し連絡を密にして、彼のスピードに取り残されないようについて行こう。
あちらの東京オフィスが本籍だが、ここにも机を置いてなるたけ顔を出してもらうつもりだ。
教わることがあれば、どんどん吸収してくれ。
午後に一度来るそうだ。じゃ以上。」
ふえ~、いきなり今日会うの?
何だか逃げ出したい気分。午後、外出の予定とかなかったかしら?
ダメだ、2時にお客が来るじゃない、どうしよう?
ちゃんと顔が見られるだろうか?
あ、見ないようにすればいいのか。
あの後、どんな顔して帰ったのか、よく覚えていない。
朝までずっといて欲しいって引き止められたけど、
眠っちゃったらどうなるか自信がなくて、
無理にタクシーで帰ったんだわ。
再会して二日で、いきなりあすこまで進んでしまうなんて、何だか早すぎるような・・・。
ホテルの彼の部屋までのこのこ行ってるんだから、どうしたってこうなるか。
だって好きなんだもの。
離れたくなかったし・・・
ああ、ダメだ!顔が赤くなってきたわ。
「コーヒー買ってきま~す!」
めざとい孝太郎に顔を見られないうちに、席を立って階段の方に歩いて行った。
午後、まどかが来客に応対して、玄関まで送り届け、席に戻ってくると、
すぐ近くの会議室のミーティングテーブルに全員が移動していた。
奥の方にちらっとダークスーツの彼の姿が見える。
ど、どうしよう!とにかく、落ち着いてなるべく顔を見ないようにしよう。
ミーティングテーブルの周りでは、隆の隣と、部長と課長の席の間が空いている。
もう挨拶は終わって話が進んでいるようだったので、部長と課長の間に強引に割り込む。
「おお、まどか、戻って来たか!」安川部長がこっちを見て、
「神待里さんが今日から東京勤務だそうだ。
うちの栗原です。改めてよろしくお願いしますよ。」
「こちらこそ」
彼がこちらを向き、軽く微笑んで会釈したので、
わたしも一度だけ彼の目を見て挨拶する。
が、その後席に座った彼は、相変わらずスーパークールな雰囲気で、
見ているだけで、びりびりする。
いけない!余計な感情はフリーズして、とにかく仕事に集中しないと・・・。
プロジェクトの目下の進行状況を中心に、銀行サイドに対する詰め方までざっと協議し、
なるたけ具体的に戦略を練る。
わたしも意見を述べたが、彼の方を一度も見ないようにしていた。
ミーティングが終わると、さっさとテーブルを離れて自分の席に戻る。
孝太郎はまだ隆と話をしているようだ。
何となくこっちに加わってほしそうな顔をしているが、
気づかないフリをしてPCに向かう。
「お~い、まどか、ちょっとこっちへ来てくれ。」
部長に呼ばれて、仕方なくミーティングテーブルに戻る。
「ちょっと今後のスケジュールの確認な。
神待里さん、ああ、舌をかみそうだ、だが今後しばらく、
火、金はここに来てもらって、一緒に仕事を詰めることにした。
まどか、お前の仕事は何だかわかってるな?」
「えっと、顧客のライフスタイル、金融、証券等に関する意識の変化をつかんで、
このソフトウェアがもたらすものの必要性を、銀行側にフィードバックするんですよね?」
「その通りだ。神待里さんの方から頂くのは?」
「僕の方は数字、その他の具体的データ分析で、他社の実績を見せながら、
同じく、このソフト等のもたらす必要性を実証し、未来図を描いてみせます。
他にも、何か応援できることがあったら、何でもしていくつもりですよ。」
「そりゃ、力強い言葉ですな。
他にも何か、ポイントはありますか?」
部長が隆に尋ねた。
「そうですね。あちらのクライアントはプライドが高いようなので、
こちらが提案しているというより一般的事実をさりげなくお伝えしている、
という姿勢で行った方が呑み込みやすいでしょうね。」
「なるほど、確かにそんな様子ですね。」
部長はこちらに向き直り、
「いいか、頭の固い連中ほどソレを指摘されるのを嫌がるから、
くれぐれも『教えてやる』的な発言は一切禁句だ。
そちらの考えの正しい事が、こんな風に実証できますよ、と攻めよう。
うん、うまく行きそうだな。孝太郎も松野課長もよろしく頼む。
おーし、それじゃ、全員そろったところで一緒に昼飯でも食いに行くか?」
「あっと、すみません。わたし、今日同期と先約を入れてしまったもので。
どうぞ、皆さんでいらして下さい。」
と、取りあえず逃げる。自分の顔色に自信が無い場合は、避けるに限るわ。
「そうか、じゃ、また今度な。神待里さん、行きましょうか?」
「ええ」
わたしは席にもどりつつあったけど、
彼がにっこりと部長に笑顔を向けたのが目の端に見えた。
「いやあ、君は笑うとさらにハンサムだねえ。
モテてモテてしょうがないだろう?
そのコツを少しでも教えてもらいたいもんだなあ・・・」
部長の声を聞きながら、隆さんがちらっとこっちを見たので、
ほんの少し顔を動かして会釈した。
そのまま、男性陣は塊になってエレベーターの方へ歩いていく。
はああ・・・。隆さん、毎週、火、金にこっちに出社?
嬉しいけど、すごく嬉しいんだけど、わたしの心臓が耐えられるだろうか?
今週もじりじりと過ぎて行く。
資料をかき集めたり、システムのメンバーと打ち合わせをしたり、
仕事は幾らでも湧いてくるようで余計な事を考えている暇はなかった。
でも、今日は金曜日。つまり、あすこの席に彼が来ているって言うこと。
どこかの打ち合わせに加わっているらしく、朝一番に挨拶した後は、ずっと席にいない。
「栗原君、今、時間あるかな?」
部長が声をかけてきた。
ぬぁにが「栗原君」よ。こういう時はろくな話じゃないんだから!
「ええ、少しなら・・・」
席を立って、部長のそばの椅子に座った。
「あのな、すみれ銀行の副社長が、こちらのスタッフも含めて一度、
一席設けてくれないか、と言ってきたんだ。
もちろん願ったり適ったりで、喜んでお受けしたんだが、お前も是非、と言う事なんだよ。
で、急で悪いんだが、今夜、外せない予定があるかな?」
実は、仕事が終わったら隆と会おうと、こっそり連絡を取り合っていたのだ。
彼は受けたのだろうか?
「ええ、ちょっと先約があったんですが。
でも、抜けるとマズいんですよね?」
部長は、ちろっとまどかの顔を見て、お前先約なんてあるのか、と口に出しかけたが、
なんとかとどめて、
「ああ、悪いんだが、こっちを優先してくれるとすごく助かるんだ。
何でも女性のスタッフと仕事した経験が意外と無いらしくって、
お前みたいなキャリアウーマンと是非、話をしてみたいらしい。」
どこが、キャリアウーマンなのよ!雑用こき使われ係じゃないの。
「わかりました。都合をつけるようにしてみます。まだお約束できませんけど。」
「頼む、な。恩に着るから」と大げさに拝むフリをして見せた。
そのまま部屋を出て、非常階段の方へ向かいながら、携帯電話を取り出す。
”部長が、今夜、すみれ銀行の接待に加われって。どうしよう?”
「送信」ボタンを押す。歩き出すと間もなく、隆から返信が来た。
”僕も言われた。出よう。1次会で引き上げて、その後飲み直そうよ。”
”了解、そう返事する。”
携帯を畳むと部長の席に戻ったが、部長は席を外していて、松野課長が一人座っていた。
「都合ついたのか?」
「ええ、ですから同席させていただきます。」
「そうか・・・」
課長はほっとしたような、ちょっと心配なような顔でまどかに向き直った。
「あのな、まどか。
銀行の接待に行ったからって、ホステスする必要は全くないからな。
お前みたいなのが無理に接待しようとすると、ロクな事にならないから、
いつもよりちょっとだけ愛想良くして、場を壊さないでくれればいい。
接待の方は、部長と俺と孝太郎の方がずっとマシだ。
2次会も付き合わなくていいぞ。
あちらの銀行さんは物堅いから、女性の幹部なんてのもほとんど居ないらしい。
口では、女性の優秀なスタッフなんて言ってるが、
対等に仕事できると思ってるかどうか怪しいもんだ。
それでも、逆上して、テーブルをひっくり返すようなマネはするなよ。」
「わかってますよ。その位。」
言わずもがな、の事を言われて、まどかも少しむっとしたが、課長の心配も分かる気がした。
「じゃ、頼むな。」
課長はそれきり、PCの画面に戻って行った。
はああ、早く無事に終わりますように・・・・。