AnnaMaria

 

続・裸でごめんなさい  17. 信じること

 

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「もしもし、まどか?」

「わたしよ。おはよう、もう行くのね。今どこ?」

「まだ家だ。これから出る、11時のフライトなんだ。
 よかった、寝ぼけて起きてくれないんじゃないかと心配したよ。
 出発する前に君の声が聞きたかったから。
 空港からだと仕事中になるだろうし・・・」

「そんな、もう起きてるわよ。わたしも声が聞きたかったの。」

「嬉しいことを言ってくれるね。
 本当は昨夜、ちらっとでも顔が見たかったんだが・・・どうにもならなかった。
 じゃあ、行って来るよ。」

「いってらっしゃい・・・気をつけてね。」

「早く、その科白を直接聞けるようになりたいな。」

「・・・・・・」

「黙るなよ。ねえ、僕を信じてくれてるよね?」

「え、どういうこと?」

「信じてくれる?君を愛してるってこと。」

「信じてるわ・・・」

「よかった。ほんとに君を愛してるよ。10日程で戻るから、僕を待ってて・・」

「ええ、待ってるわ。」

「ありがとう、じゃ、連絡をいれるからね。」


携帯を閉じると6時15分だった。

隆の言葉がどことなくいつもと違って響いたけど、これから出張するせいかしら。
10日なんてあっと言う間よね、きっと。
日本にいたって10日会えない事なんて・・・
あ、最近は無かったな。

どうしよう・・・寂しい。





英会話スクールのサンプルレッスンは三つ受けたところで、疲れて止めてしまった。
結局は、一番最初に行った、会社からほど近いスクールに決めた。

週2回、うち1回は他の曜日に振替えが可能だ。

隆がいない間に始めるのは、いいタイミングだと思う。

プロポーズに返事もしていないうちに、英語の勉強を始めるなんて、
考えてみれば変な話だもん。
彼にはあんまり、知られたくない・・・。





最初のレッスンの日、恐る恐る教室に入ってみると、
12人のクラスで、男性が7名と多かった。

普通、英会話スクールは女性が多いって聞いてたけど、ここは反対ね。
場所柄かしら。

女性は、20〜30代の会社勤め風の人ばかりだったが、
男性は、20代から50代(?)まで、年齢層が様々で、
ひとりはラフなシャツにジーンズ姿の20代と思われる若者だった。

彼は何の仕事だろう。学生には見えないけど、Sエンジニア?
あのメガネを光らせているスーツの人は、企業派遣かな。
隣の席のワイシャツの男性は体格がいいわね、椅子が窮屈そう。
こういう人って案外筋肉質なのよね。

と、ふと隆のひきしまった体を思い浮かべる。

ああ、ダメダメ、こんなこと思い出してる場合じゃないわ!
人を見ると、いつものクセで、つい年齢、職業、服装なんかを分類しちゃうし・・・!
ここへは英会話を習いに来たんだから、本気で頑張らないと。


先生は長身で髭を生やし、茶色の優しそうな目をした、カナダ人。

しかし、いきなり英語で自己紹介をしろ、と言われても、
まともに英語を口にする機会など滅多にないので、
名前と仕事の内容をちょこっと言うと、あとは何も出て来ない。

“Why do you come to this school?”

ええっと、どうして、と聞かれたって・・・

まどかは口をぱくぱくさせて、周りを見回すと、
隣の男性がこちらをじっと見て、何か小声で言っているような、

い、いこーず??あ、びこーず、

“B,Because・・・I want to walk around in New York by myself.”(一人でNYを歩きたいので)

先生がにっこり笑って、”Nice dream !” と言うと、次の人に移った。

助かった・・・・

まわりに気付かれない程度に、そっと隣の男性に頭を下げる。
見えたのか、見えないのか、彼は表情を変えなかった。

こんな調子で、とつとつと授業が進んでいく。
指名される度に頭の中が真っ白になり、何回か隣の男性に助けてもらった。
休憩をはさんで1時間20分が終わると、まどかはぐったり疲れてしまった。

終わると皆さっさと教室を出て行く。
まどかはやっとの事で机から立ち上がり、一番最後に教室を出て、
受付のカウンターで、次回の予約を確認すると、
カウンターの前の椅子にどっと座り込んでしまった。

ふと目を上げると、先ほど教室で隣に座っていた男性が、
カウンターで何かサインをしていた。
まどかを見ると、小さく会釈をしてくる。
慌てて、立ち上がって会釈を返す。


「先ほどはどうも・・・」

「お疲れのようですね」


大柄な男性は軽くまどかに微笑みかけてきた。隆よりも長身かもしれない。
脱いだままのスーツのジャケットを片手で肩にひっかけている。


「正直、仕事より疲れました。
 この先続けていけるか、全く自信がなくなりました。」


まどかが弱音を吐くと、男性は楽しそうに笑って、


「いやあ、僕も今さらこんな思いをまたするとは思いませんでした。
 でも何だか新鮮ですねえ。」


何となく、男性と連れ立って受付を出る。
やはり、隆よりほんの少し背が高い。


「英会話は初めてですか?」

「ええ、ほんとに初めてなんです。ずっと避けてきたんですが・・・」


まどかが口ごもると、男性もうなずいて、


「僕も英語だけはカンベンして欲しいと、随分抵抗したんですが、
 結局逃げられずにここに来る羽目になりました。
 他の所も幾つか行ってみたんですが・・・」

「わたしも何カ所か、行ってみました。」

「そうですか?」


二人はビルの入り口まで来ていた。


「じゃ、これで失礼します。また次回に・・・」


まどかが足を踏み出しかけると、
男性がまどかに向き直った。


「あの、失礼ですが、お急ぎですか?」

「は?いえ・・・」

「では、不躾で申し訳ありませんが、ちょっとお話していきませんか。
 他の英会話スクールの様子も伺いたいし・・・」

「はあ、でもそれほど沢山行ってみたわけでもありませんし。」

「お互いの情報を交換すれば倍になるでしょう。
 ここから会社が近いと、さっき自己紹介で言っておられましたね。
 どこか適当なところをご存知ないですか」


まどかはちょっと混乱していた。
会社は近いかって、ええ、ちょっと近過ぎるくらいだわ。


「では、そこに『ドトールコーヒー』と『スタバ』があるんですが、
 どっちがいいですか。タバコは吸われます?」


男性はちょっとニヤリ、とした笑みを浮かべて、髪をかきあげながら、


「タバコは止めました、が、酒は止めていません。
 コーヒーは、8時以降に飲むと眠れなくなるんで、夜は止めてるんです。

 ほんの少し、ビールを付き合っていただくのはどうでしょう?」
 そちらも水分を補給した方がいいようなお顔つきですよ。
 あ、あそこなんかどうかな・・・」


男性が指差したのは、まどかがよく知っている、ビヤホール風のドイツ料理店だった。


「あ、あそこですか・・・」

う〜ん、うちの部長がここ好きなのよね、でももうこの時間なら大丈夫かも。


結局連れ立ってその店に入り、混んでいたので入り口で少し待たされた後、
奥のテーブルに案内されて向かい合った。

と、途端に、


「お!こりゃ、偶然だ。
 ま〜た、現場を押さえたぞ!・・・!」


聞き慣れただみ声が後ろのテーブルから響いて来て、まどかは飛び上がった。
立ち上がって振り向いてみると、


「副社長!」


よく見ると、すみれ銀行の副社長だけではなく、
銀行の若手行員数名に、まどかの上司の安川部長、孝太郎、
あの気取りやの北林までが勢揃いして、ビールのジョッキがずらっと並んでいる。

う、ど、どうしよう!逃げようかしら・・・


「どうも。こ、こんな処で失礼致しました。」


取りあえず会釈だけして、思わず出口の方へ体を浮かせかけると、
英会話スクールの男性が


「お知り合いですか?」

「は、その・・・仕事の取引先の方と、同じ部のメンバーです。
 す、すみません。」


まどかがそわそわと、腰を下ろすと、後ろからまた、


「こら〜!俺の目はごまかせんぞ!
 お前らはみんな、仕事が残業続きで忙しいとか何とかって、
 デートにうつつを抜かしておるじゃないかっ!」


う、大分酔ってるみたい・・・。


「まあまあ、副社長、栗原も一応女性ですから・・・」

「そんな事はわかっとる!
 わしが都合はどうかって連絡しても、忙しいだの何だのつべこべ言うくせに。
 安川、お前、わしの伝言伝えてんのか?」

「はあ、もちろんです。」


部長、一度も聞いていませんけど・・・。
わたしの接待が不安だったのね。
でも、握りつぶしてくれていて、心から感謝します。


「この前は、田代さんのとこの若いコと、
 あの神待里の息子がイチャイチャしとるのを見かけたぞ!」

「そんな、嘘です!」


向かいにいた北林が真っ青になって、叫んだ。


「嘘じゃない。何だ、お前、あの子に気があったのか?
 フラレたな。あっちの方が男前だ、ま、俺には適わんがな・・・がはははは・・」


背中ごしに、北林が固まっているのを感じる。


「彼女の方がぼうっとあいつを見とったぞ!
 わははは・・・玉砕したな、まあ、飲め飲め!」


まどかの心もピクッと震えたが、今はそんな気分に浸っている場合じゃない。


「悪いところへ、付き合わせてしまったみたいですね。
 今日は、僕は失礼しましょう・・・」


まどかの向かいに座った男性(余裕がなくて、他の人の自己紹介を全然聞いていなかったのだ)は、
半分、腰を浮かしかけた。


「あの・・・大丈夫です。うるさくてすみません。」


後ろのテーブルがすったもんだと揉めているのがわかったが、
もう敢えて、後ろを見ないことにした。


「じゃ、まどかさん、こっちは失礼しますから・・・」


頭の上から、いつもより20度位温度の低い孝太郎の声が聞こえた。
思わず見上げると、顔つきはもっと冷たい。

副社長は若い銀行マンと安川部長に脇から支えられて、何とか出口に向かっている。


「お、邪魔したら!そんじゃ、そのうちこんろは・・・」


呂律が回らなくなって来ている副社長に、まどかが立って会釈を返すと
北林がぼうっと後をついて行くのを最後に、うるさい集団は店からいなくなった。


まどかが何となく、小さなため息をつくと、


「このままで大丈夫ですか、栗原さん。」


向かいの男性が心配そうに声をかけてきた。


「ええ、御心配なく。こちらこそ、失礼なことをお耳に入れてすみません。

 あの、さっきは初めての英会話で緊張して、お名前がうまく頭に入りませんでした。
 もう一度伺ってもよろしいですか?」

「もちろんです。僕は甲斐と申します。」
 

ちょっと微笑んで、上着から素早く名刺を取り出し、まどかに渡す。

○○○○ 販売事業部 海外渉外担当 甲斐圭祐


「まあ、電子機器メーカーにお勤めですか。わたしも電子メ−カーの関連会社におります。」


まどかも名刺を渡した。
甲斐が大きな手でまどかの名刺を手の中でひっくり返した。


「そうだ、まどかさんと、さっき自己紹介されていましたね。
 仕事で英語が必要なのですか?」

「いえ、わかればそれに越した事はないんですが、特には必要ないんです。
 それより、海外に行った経験もほとんどないので、
 いつか、一人で街を歩けるくらいになれたらなあ、と。」

「そうですか」


甲斐は組んでいた長い足をほどいて、ふっと笑うと、
やってきたビールのジョッキをつかむと、まどかに向かって軽く掲げた。


「じゃ、我々の上達を祈って乾杯しましょう。
 ああ、うまい!」


実においしそうにビールを飲むので、何だかおかしくなって笑ってしまった。


「ん、何か変ですか?」

「いえ、おいしそうに飲まれるなあ・・・と。」

「なんだ、僕だって緊張していたんですよ。
 息を詰めた授業から解放された後、こうしてビールが飲めるなんてうれしいな。」


とても気軽な調子で言われたので、嫌な気分にはならなかった。
隆と同じような大きな手、だが、もう少し指が太くて、やや不器用そうな手だ。

まどかも自分の前のこぶりなグラスから、ちょこっと飲んだ。

はあ、おいしい!
ビール飲んで元気になるなんて、オヤジみたいかしら。
初対面の人と一緒にビール飲んでるって、ちょっと不思議だけど、
さっき何度も助けてもらったし、いい人よね、きっと。

ふと、先ほどの副社長の言葉、「田代さんとこの若い子とイチャイチャしてた」が浮かんだ。

初対面のわたしたち二人をデートと思い込むくらいだから、
大分割り引きして考えなくちゃならないわ・・・でも。


「気になることがあるんですか?」


ふと気付くと、甲斐がまどかの顔を見ていた。


「は、いえ、別に。甲斐さんこそ、お仕事で英語が必要なのですか?」

「いやあ、今さらで恥ずかしいんですがね。
 何度も海外出張に行ってるんですが、いつも仕事の場では、
 向こうの支社のメンバーが通訳してくれていたので、大して不自由はなかったんです。
 唯、だんだん親しくなって、夕飯を付き合うようになると途端に困りましてねえ。」


甲斐は額にかかるさらさらの髪を大きな手で掻きあげ、屈託なく答えた。
ほんの少し、あごに無精髭が浮いている。


「英語でお食事ですか?」

「そう、いわゆる横メシが苦手で・・・。
 支社の人間も仕事の時ほど、マメに面倒見てくれませんから。
 でも、そんな僕でもNY や LAの空港からタクシーに乗って、
 ホテルのチェックインくらいはできますから、栗原さんも全然大丈夫ですよ。」

「そうでしょうか?」


甲斐は、自分が出張した時の失敗談を幾つか、まどかに話してくれた。
笑って聞いているうちに、ずい分とまどかの気分もほぐれてきたが、
同時に何だか眠くなってきた。

まどかが目をとろんとさせて、甲斐の話を聞いていたに違いない。
甲斐が急に話を止めて、まどかを覗き込み、


「や、すみません。今日は特別お疲れの筈なのに、長話に付き合わせてしまって。
 そろそろ帰りましょう。」


そう言って立ち上がると、そのままさっさと支払いを済ませてしまい、
後から立ち上がったまどかが財布を取り出す隙もなかった。


「すみません、ごちそうになってしまって・・・」

「とんでもない。僕がお誘いしたんですから。お陰ですっかり緊張が解けましたよ。
 ありがとう。」


店の外でまどかに向き直ると、またにやり、とやや不敵なようにも見える笑顔を浮かべ、


「じゃ、僕は酔いざましに、ひとつ先の駅まで歩いていきます。
 また次回!」


小さく手を挙げると、たちまち舗道を遠ざかって行った。


まどかは後ろ姿を見送りながら、

なんだか、飄々とした感じの人ね。
でも、あの人のお陰で、嫌なニュースを平気で受け止められたわ。

ルナと隆が一緒にいるところを想像すると、少し胸が苦しくなるのを感じたが、
今朝、電話から聞こえた隆の言葉がよみがえった。


僕を信じてくれてる?

信じてるわ。

わたしはあなたを信じてるんだから、これ位の事で動揺なんかしない。


「負けないわよ!」


まどかは、小さな声でつぶやいて自分に言い聞かせると、
地下鉄の階段を降りていった。

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