AnnaMaria

 

続・裸でごめんなさい  30-3. 小さな訪問者 3

 

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まどかが、冒険物語をやっとの事で読み終わると、
ケビンが目をこすっている。


「眠くなった・・・?」


まどかが尋ねると、う~ん、というように首をかしげる。


「ケビン、歯を磨いてもう寝よう・・・。
 明日、天気になったら外で遊べるよ。
 夕方にはママも帰ってくる、ね?」


隆が声をかけて、ケビンをバスルームに連れて行き、
小さな歯ブラシで磨くのを見守った。


もどってくると、隆と手をつないだまま、まどかに向かって、


「来て。まどかも一緒に来て・・・」


掌を上にして、くいくいと手招きする。

隆がケビンを抱き上げて、3人で寝室に入った。

両脇を大人2人に挟まれると、安心したように、
まどかの子守唄で、あっと言う間に眠ってしまう。




2人で階下に降りてきてから、


「やれやれ、今日の分のベビーシッターはおしまいかな。」


隆がほっと息をついた。


「そうみたいね。
 でも文句ひとつ言わなくて、健気な子だわ・・・・」

「そうだな。少し僕らにも慣れてきたみたいだけど、
 結局のところ、初対面だから・・・」




リビングにしとしとと雨音が響く。
何だか、とても静かな夜だ。

2階に小さな寝息をたてるお客がいると思うだけで、
つい、ひっそりと声を潜める気持ちがあった。


2人でお茶を飲みながら、
2時間ちょっと経った頃。


ああ~~ん、あ~~ん、あ~ん・・・・

最初は何の音だろうと訝ったが、
すぐにケビンの泣き声だと気付き、大急ぎで上がって行った。


ベッドの中で、ケビンが大声をあげて泣いている。
バラ色の頬に涙の筋が何本もついて、痕になっている。


「ああ、ケビン、大丈夫よ。もう来たわよ、
 寂しかった?」


まどかがケビンのおでこを撫でて、
くるくるした巻き毛をかきあげてやると、
掌に熱い感触が伝わった。


そのままの姿勢で隆を振り向く。


「隆・・・」


隆もすぐに了解して、細い首筋に手をあてる。

熱い・・・。


「どうしよう。冴子さん、お薬置いて行った?」

「お腹の薬はもらってあるけど、熱の薬はなかったと思う。
 ちょっと下まで連れて行こう・・・」


体にかけていた綿毛布ごと、
隆がケビンを腕の中に抱き上げた。

ケビンはまだ泣き止まずにしゃくりあげている・・・。


「苦しい・・・?ケビン・・」

「あたまが・・いたい・・・」


抱かれている隆の肩越しに話しかけると、ぐったりと返事をする。


ソファに寝かせて、まどかが熱を測っている間に、
隆がいくつか、夜間診療の病院に電話をした。


11時を過ぎると、診てくれる場所は本当に限られて来るらしい。

幾つ目かの病院に電話したあと、


「取りあえず、行こう。
 このまま、熱が下がらないと大変だ・・」


病院へ向かう車の後部座席で、毛布にくるまったケビンを膝に抱きながら、
まどかは何度も頭を撫でた。


「あたまいたいの、飛んでいけ、飛んでいけ・・・」


どうか、この子が治りますように。
せめて、明日、ママに元気な笑顔を見せられますように・・・。


短い呼吸を繰り返す、ケビンに
湧き起こる不安を押さえながら、何とか微笑み続ける。





夜中にケビンを診た若い医者の態度には驚かされた。

子供に何の声もかけずに、いきなりシャツをめくりあげ、
冷たい聴診器をぶつけるように当てたものだから、
驚いてケビンが泣き声をあげると


「こら!このくらいで泣くんじゃない!」


怖い顔でしかりつける。
脇にいる隆の表情が、冷たく抑えたものに変わっていく。


その後、容態に関する質問が一切ないので、
まどかの方から、


「熱が38度7分あるんです。」


と告げたが、返事もない。


「お腹も少しゆるいようですが・・・」


と言い足すと、いきなり


「この子、あんた達の子?」


急に聞かれた質問の意図がわからずにいると、隆が


「いえ、違います。」

「外人のハーフみたいだね。あんたの子?
 ホントの母親はどうしたの?」


「今日は、抜けられない仕事があるので、預かっています。」


「ふうん、『仕事』ね」


鼻先で笑うと、「ま、ちゃんと面倒みてやるんだね」と呟き、

今、薬出すから待ってろ、と言う。

何となくすまなそうな顔の看護婦が、
奥へ入る医者の後ろ姿をみて、隆たちに力なく微笑んだ。


どたどたと小太りの医者がもどってくると、


「今夜はこんな薬しかない。
 朝になったら、小児科に行くんだな。」


ばらばらと錠剤を見せて、袋に押し込もうとする。


「あの、この位の年齢の子が錠剤を飲むのは難しいでしょう。
 もう少し飲みやすい薬とかないんですか?」


まどかが言うと、


「ないんだよ。仕方ないだろう。」


ぶっきら棒に答えると、看護婦が


「熱冷ましの座薬と咳止めシロップはありましたよね。
 持ってきましょうか?」


医者に声をかけたので、


「余計なこと、言うな」


看護婦をにらみつける。

まどかはにっこり笑って、


「すみませんが、それを頂きます。
 朝になったら、もっとまともな医者に連れて行きますから、
 ご心配なく。
 では、それまで用に・・・・」


ぱらぱらとまばらに伸びた無精髭に、白くむくんだような顔の医者は、
更に仏頂面をしてにらみつけてきたが、
まどかも隆も全然気にならなかった。

看護婦が持ってきてくれた座薬とシロップをもらい、
椅子を立ち上がる。


「39度過ぎてから、座薬を入れた方が良いですよ。
 それまでは無理に熱を下げない方がいいです。
 水分だけは、何とか飲ませてあげて下さいね。
 スポーツドリンクとかがいいかな。」


看護婦が説明する脇で、医者はじろじろとまどか達を見ている。

隆がケビンを抱き上げるのを見て、
にやにやと笑うと、


「う~ん、どうもおたくの子みたいだね。母親は何人なの?」

「夜間診療の医者って思ったより暇なんだな。」


振り向いた隆の目が冷たく光った。


「子供の病状よりそっちに興味があるとはね。
 失礼するよ・・」

「ちゃんと金払って帰ってよ。払わない外人多いからさあ。」


出ていくこちらに叫ぶように言うと、くるりと背を向ける。
まどかは、この医者についている看護婦に心から同情した。

看護婦にだけ、


「ありがとうございました。お世話になりまして・・」


笑顔を向け、さっさと診察室を出る。




帰りの車の中でハンドルを握りながら、隆は終始無言だった。

まどかはケビンがさっきより熱くなったように感じて、
心配のあまり、ひたすら膝の上で抱きしめていた。


「ケビン、大丈夫よ。もうじきおうちに着くからね。」


何度も何度も繰り返して、背中を撫でていた。

途中のコンビニに寄って、スポーツドリンクと熱冷ましシート、
氷などを買って家に戻る。



スポーツドリンクを飲ませ、首や脇の下にタオルでくるんだ冷却ジェルを当て、
朝まで様子を見ることにした。

ケビンが心細そうに時々泣き声を上げるので、
結局、隆もまどかも、ベッドにいるケビンの両脇に分かれて、
背中を撫でたり、手を握ったりしながら横になる。

ケビンが苦しそうにうめいて何度も寝返りをうつのと、
こんな状態でも、一度も母親を呼ばない我慢が哀れで
2人にとっても、思わぬ長い夜となった。



気がつくと、部屋の中が明るくなっており、
ケビンは、赤い頬をしたまま眠っている。

ケビンの反対にいた筈の隆が、まどかの背中側にいて、
まどかを見るとふっと笑った。


「おはよう・・・目が醒めたんだね。」


声を潜めて言うと、


「ずっと起きてたの?」

「そうでもない。少し眠ったよ。
 こっち側に来て、まどかを抱いてからだけど・・・
 気が付かなかった?」


まどかを引き寄せて、首筋にキスをした。

そっとケビンの首筋に触れると、


「ケビンはまだ熱いな・・・」

「そうね・・・。呼吸はおだやかになったみたいだけど」


ケビンの長い茶色のまつ毛はふるっとも動かず、
深い眠りの中にいるようだ。

まぶたと頬と唇がばら色で、すこしカサカサしている。



昨夜、冴子から電話はかかってこなかった。

もし、かかって来たら、何と告げようかと
2人で考えあぐんでいた処だったから、
電話がないのは有り難い。

どうにも帰って来られない状況で、ケビンの病状を聞かされても
仕事に身が入らなくなるだけだろう。

余計な心配をかけたくなかった。




隆と2人、そっと階下に降りて、
コーヒーを煎れ、軽い朝食の用意をする。

2人とも、あまり食欲はなかったが、パンを温め、
まどかが買っておいた、桃と無花果、キウイの皮を剥いて
ガラスの皿に盛りつけると、彩りの美しさに隆も手を伸ばす。


「ケビンも少し食べられるといいのに・・・」


アメリカ育ちの子供が病気の時は、
一体何を食べさせればいいのだろう。

うどんやおかゆには馴染みがあるのだろうか。
その辺りは、本人に聞いてみるしかない。




雨はあがって、庭全体がしっとりと潤ったように、
朝の陽を浴びて輝いている。

開いたばかりの純白の百合の横顔が新鮮だ。


ポーチにころんと転がっているボールを見ると、
遊んでくれる人を待っているようで、胸が痛む。

今日は天気がよくても、ケビンはボール遊びはできないだろう。




しばらくして寝室に様子を見に行った隆に抱かれて、
ケビンが階下に降りて来た。

熱で赤い顔をし、すっかり元気がない。

取りあえず、水分を取らせ、体中にはりつけていた
冷却シートを新しいものに張り替えると、
毛布ごとソファに寝かせた。


まどかが腕や背中を撫でてやると、
気持ち良さそうに目を閉じる。


「まどか・・・・」

「何?」

「抱っこして・・・」


毛布ごとケビンを膝の上に抱え上げ、
小さい頭を胸にもたせかけて、きゅっと抱きしめる。

首筋も手もまだ熱いが、昨夜ほどではない。


隆がだまって体温計を持って来たので、
抱いたまま、熱を測った。

とにかく、ずっと背中を撫でてやるとじっとしている。


ママじゃなくて、ごめんね・・・


病気でどんなに母親が恋しいだろうかと思うと、
ケビンの健気さに涙がこぼれる思いだった。


熱は38度から下がらない。



午前中、休日診療の当番に当たっている小児科医に連れて行き、
昨夜の状況を説明して、もらった薬も見せる。

40代半ばと見える医者は、ちらっと薬を見ると
黙ってケビンを診察し、シロップと粉薬を調薬してくれた。

ケビンは、その場で一服目を飲むと、帰りの車の中で、
まどかにもたれながら眠ってしまう。





目が覚めると、少し顔色が良くなり、


「シリアルが食べたい」と言ったので、
シリアルを小さなボウルに開けてやる。


ボウルの底に溜まっている、レーズンやクランベリーのドライフルーツを
小さな手で一生懸命拾っている。

ミルクをかけて残りのシリアルを食べ終わると、
ケビンも少し落ち着いたようだった。


熱がある時、こんなものが欲しくなるのかしら・・・


まどかは意外な気持ちがしたが、
日頃食べ慣れている物が欲しいのかもしれない。


その後はソファに横になったまま、DVDを見たり、
まどかと隆が交代で本を読んでやったりして過ごした。

昨日と変わったことと言えば、
2人の膝の上に自分から乗ってくるようになったこと。


「まどか・・・」


名前を呼んで、顔を見つめ、指先をきゅっと握ってくる。
握り返してやると、膝の上に乗ってきて、
そのまま絵本を読み始める。

軽いと思っていた子供も、長時間乗っていると
足がしびれる程重いのだと、まどかは身をもって知った。

どうにも重くなったり、用事をする時に隆を見上げると、
隆の方へ手を伸ばし、そのまま膝から膝へと移動する。


2人とも、段々この重さに慣れてきて、
1日中、ケビンの熱い躯を代わりばんこに抱いて過ごした。




冴子が迎えに来たのは、夜も8時を回った頃だった。

どんな人かと色々予想していたのだが、
玄関を開けた細身の姿は、まとめ髪を乱したまま、息せき切っていて、
どんなに急いで来たのかが伝わって来た。


黒いスーツで、どことなく全身に疲れがにじみ出ていたが、
100%母親の顔で立っている。

出迎えた隆に笑顔で


「今日は、本当にどうもありがとう。
 あの・・・」


家の中に目をやった時点で、ケビンが飛び出してきた。


「Mom!」


一声だけ叫んで、母親の胸に飛び込んで行き、
冴子がしっかり受け止めると、ぎゅうっと抱きしめた。


「ケビン、ただいま。
 元気だった?いい子にしてた?」


冴子の話しかけるのに、うんうんとうなずいて、
ぱあっと晴れたような笑顔を見せる。

その顔にくっきりと現れた、あまりの安心と喜びに、
見ているこちらの胸が突かれた。

どんなに我慢していたことだろう・・・。


「あがって、お茶でもどう?」


隆の誘いに、ケビンを胸に抱いたまま首を振ると、


「ありがとう。
 でも、このまま帰るわ。明日も仕事だもの。

 ケビンは大丈夫だった?
 お世話をかけたりしなかった?」


いや、全然手がかかったりはしなかったんだが、その・・


昨夜、熱を出してからの状況を簡単に話した。

冴子は立ったまま黙って聞いていたが、ぽろっと涙をこぼした。


「ホントにずいぶん迷惑をかけてしまってごめんなさい・・・。
 でも、ケビンも頑張ったのね。エラい!エラいわ!」


腕の中のケビンの頬に何度も頬ずりをした。

一度、ママに飛びついたケビンは、どうしても離れようとしない。

冴子親子を玄関に残し、ざっとまとめておいた
ケビンの荷物とおもちゃ類を2人で車に積み込んだ。

冴子のマンションまで隆が送って行き、
まどかは部屋にのこって後片付けをすることになった。

別れ際に


「まどかさん、こんな時に初めまして。
 あなたにまで、こんなご迷惑をかけてしまって、
 本当にごめんなさいね。」


「とんでもない。
 可愛い子と一緒ですごく楽しかったです。
 また、会えるといいな。」


「ありがとう・・・そう言ってくれて。
 あなたの事は、隆から聞いてるわ。
 本当におめでとう」


そう言って微笑むと、冴子が腕の中の子供を揺すり上げた。


「ありがとうございます。」


まどかが、母親にぴったり貼り付いたままのケビンの頬をつつくと、
甘えん坊はくすぐったそうに身をよじって、
ますます母親の胸に逃げ込む。


「ケビン・・・じゃあね。
 元気でいてね。」


今度はケビンの頬をそっとなでると、


「まどか、バイバイ」


ケビンがやっとまどかの顔を見上げて、指先をきゅっと握った。


「うん。バイバイ・・・」


冴子が小さく、会釈をした。




車に乗り込む母子を見送って、部屋に戻り
ちらばっていたものを整え、キッチンを片付けた。

何か忘れ物はないかと、部屋を見回ったが何も残っていない。
さっきまで居た、小さな存在のエネルギーを失って、
部屋は急に空っぽに、静かになったように見えた。


はあ・・・

まどかはため息をついた。


こんなに空っぽになったところへ、隆を一人置いては帰れないわね。


隆が帰って来たら、2人でワインでも飲み直そうと、
冷蔵庫を開けて、つまむものを探し始めた。

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