AnnaMaria

 

ふたりの距離(DISTANCE) 4 - 大地の芸術祭に寄せて -(最終話)

 

hutari1_title.jpg




十日町と言えば、日本有数の豪雪地帯だ。
駅から続く商店街には、すべて「がんぎ」という屋根がついて、
雪でも歩けるようになっている。

商店街の歩道の前に白いのぼりが沢山立ち、それぞれに言葉が書いてあった。

「じょんのび」「なじらね」「ちっとばか」「しょうしい」「のめしこき」「たらかす」・・・

むむ、じぇんじぇんわからん!

今朝会ったおじいさんたちが、何かこんな風なこと言ってたような・・・。

たぶん、新潟の方言を集めたものなんだろうけど、
毎年スノボで新潟に来てても、単語でこうしてずらっと並べられると
ほとんど意味がわからないぞ。

助手席の薫は、お腹がいっぱいになったせいか、ちょっとぽうっとしている。




道路脇に広くひらけた緑の場所があり、正面が高い崖、
その下に澄んだ川が速い流れを見せている。
ここ一帯が水辺の公園になっており、その中心にモダンに輝く能舞台が作られていた。

道の向いの駐車場に何台も車が停まり、その『能舞台』の下を人がぱらぱらと歩いていて、
みんな一様に上を見上げている。


薫と一緒に、その下に佇んでみて理由がわかった。
下向きに全面に鏡が張られ、見上げる場所によって、少しずつずれて映像が映る。
屋根が幾つものパートに分かれて可動式で、
雪の季節には巻き上げられたり、角度を変えたりできるらしい。

ここで「能舞台」が演じられれば、外の風景も演目も共に、この鏡に映るだろう。
舞台のすぐ脇には池の水が迫っていて、ここもまた空を映しこんでいる。


「きゃあ!わたしがいっちばんん!」

「わたし、わたし!」


嬌声と共に、小学生の女の子が4人程ばらばらっと走り上ってきて、
舞台の下に立つと、4人でむかでのように揺れながら、上に映る自分たちを見上げて、
きゃらきゃら笑っている。

そうか。子供たちには面白い遊び場が増えたかもしれないな・・・。

飽きずにむかで遊びを繰り返している様子を見ながら、
ちょっと微笑ましいような気分だった。



手をつないで公園を散歩する。
薫はもう、ためらわず手をつないでくれるようになった。


「ここってこの辺りのデートスポットになるの?」

「どうかな。なるかもしれない。
 道路からの見晴らしが、ちょっと良過ぎるような気もするけど。」

「悪いことばかり考える人にはそうかもね。」

「悪いことって何だよ。言ってみろよ。」


薫は笑って応えない。

「悪いこと」なんか考えてないぞ。「いいこと」ばっかり考えているんだ!
ん、そうでもないかな。





少し午後の日が陰ってきた。
先を急いだ方がいいかもしれない。

十日町の中心部から、山の方へまた上っていく。
細い山道をうねるというよりは、高原にむかっていくようで、空が広い。

途中は見渡す限り、ぎっしりカーペットを敷き詰めたように、田んぼ、田んぼ、田んぼの緑。
豊かな米どころなのだ。
見れば、稲穂はかすかに黄色く色づき始め、刈り入れが近い事を思わせる。



そう思って注意すると、田んぼの脇に何本かまっすぐな木が植えられていて、
その木にパイプを渡すような作業をしている処を何カ所か見かけた。

はあ、刈り取った稲を干す場所を作ってるんだな。

ますます、急激に秋が近づいて来ていることを感じる。





アート表示のある近くに車を停め、道路から少し奥まった展示場所までの
丈の高い草がトンネルのようになった小道を歩いていくと、
奥に不思議な家が建っていた。


近づいていくと、薫と手をつないだ自分の姿が、
家の表全面に張られた、フライパン大から洗面器大の丸い鏡の中に
ランダムに映し出される。


うわ、ちょっと恥ずかしいな。


さらに近づくと、自分たちの姿ばかりでなく、まわりの草深い景色も
風にゆれている月見草も、みんな幾つかに分離して映り込んでいる。


「わあ、なんだかきれいなお家だね。
 周りを映してるから、ここになじんじゃってるよ。」


薫が感嘆した声を上げた。

近くにある、案内人の座るらしい椅子にはもう誰も姿がなく、
入り口のドアから、30〜40代のカップルが出てきた。

入れ替わりに入ってドアを閉めると、中は、てのひら大の鏡で一面に埋め尽くされていた。
鏡は真円でなく、水たまりのようなゆがんだ円形で、小屋の天井にまで張られ、
目の錯覚で、もっともっと上まで、遥かにこの空間が広がっているように見える。


「面白いね」

「うん」


予想していたよりも、ずっと面白い感覚だった。
足場が悪いので、薫の手を取って進み、開口部の方へ通じる階段を下りる。

細長い踊り場のようになった処に、2人で並んで立つと、
後ろの壁に張られた鏡は固定されているが、側面、上面、下面にぎっしりと貼付けられた鏡が
わずかに揺れるのがわかった。

あたり一面、水の面の世界に来たみたいだ。
小さな水たまりがかすかに揺れる。


ボンッ!

僕が小さくジャンプしてみると、無数の鏡が振動でふるふる揺れる。


「やめてよ。壊れたらどうするの」

「壊れないよ」


僕は薫の肩を抱いて、もう一度軽くジャンプした。


「もうっ!」


僕の顔の傍でにらんだ顔があまりにも可愛かったので、
そのまま、もう片方の肩を引き寄せて、唇を重ねようとした。

柔らかい、少し開いた唇に、ほんのかすかに触れた途端、


「あら、こっちから見るのも面白いわよ!」


開口部から、いきなり声が聞こえてきた。
びっくりして離れると、開口部に、さっき入れ違いに出て行った二人連れが顔をのぞかせている。


「きれい〜!睡蓮の池みたいよ。あ、ごめんなさいね。」


僕たちが固まっているのに気づくと、そう声を掛けてきた。


「ちょっと飛び込んでみたくなっちゃうな・・」

「頼むから、飛び込まないでくれよ・・・」


男性の方が、慌てて女性の腕を掴んだようだ。


「大丈夫、壊したりしないわよ。じゃ、戻りましょうか。
 どうもお邪魔しました。」


そう言ってくるりと振り向くと、2人で手をつないで行ってしまった。



う〜ん、どうしてこう邪魔が入るんだろう!

折角唇に触れられたのに、ほんの少し柔らかい感触を味わっただけで、
すぐ離れなくちゃならないなんて。

ぶりぶりした気分で薫の方を見ると、薫は何だかふくんだような笑い顔のまま、
だまって引き返し始めている。


「何がおかしいんだよ。」


思わず、聞いてしまった。


「ぷぷっ!だって、省吾の顔ったら・・・!」


大声で噴き出して、あははは・・・と体をよじって笑い始めた。

ひどいぞ!笑うところかよ!君だって目を閉じた癖に。

あれ、閉じてなかったかな。




家の外に出てから、外側をぐるっと回り、さっきの開口部からもう一度覗いてみた。

確かに不思議な美しさに満ちている。
それもこの造形単独の美というより、あたりの光や風景を映しこんだものなんだな。

きれいなところに置けば、鏡はきれいなものを映す。



辺りはきれいな所だった。
草深い小道の十字路で、右手の小道には天然の木のアーチが出来ていて、
幹のところに「サイクリングロード」という看板が小さくかかっている。

十字路の正面にも小道が続き、
両側には月見草や、名も知らない背の高い草が、初秋の風に一面に揺れている。
草のてっぺんの方に、緑のバッタが止まっていた。


薫の手を取って、少しだけ散歩してみる。

黄色い月見草が、少し翳った陽射しを浴びてきれいだ。
なかなかロマンチックな場所なんじゃないかな、うん。


ふと見ると、薫が足を手でしきりにこすっている。


「どうした?どこか怪我したのか?」

「違うの。蚊に刺されたの。ああ、かゆい!」


そうか、せっかく邪魔がいないと思ったら、蚊が沢山いて、
僕より先に、彼女の柔らかくてまっしろい足に吸いつこうとしているんだ。

許せん!


手を掴み直して、回れ右をすると、元来た道を引き返し始めた。
途中、男性の二人連れともすれちがった。
意外に人通りの多い場所らしい。
僕の認識不足だった。

薫は車に戻ってからも、しきりに足をこすっては、こっそりぼりぼり掻いている。


「ぼりぼり掻くなよ、色気ないなあ。」

「だってすごくかゆいんだもん。ヤブ蚊だから、東京の蚊よりでっかいに違いないわ。
 ああ、かゆい!」

「僕が蚊だったら、こんなおいしそうな足は絶対見逃さないよ。
 かならず吸い付いてやる!」

「やあねえ。変な言い方しないで。もう沢山、血吸われちゃったみたい。
 結構上の方も刺されちゃった。」


情けない声で薫が足をさする。

上の方?上の方ってどのあたりなんだろう?





夕闇がかすかにあたりに漂い始めた。
新潟に着いてからずいぶん走った気がする。

考えてみると、ずいぶんガソリンを喰うアート鑑賞だよな。

また車を元来た方向に戻し、ほのかに青みを帯びてきた風景の中を走る。


「まだ見たいものが残っているの?」

「うん、あとひとつだけ。見たいと思ってたのがあるんだ。
 どっちにせよ、高速へ戻る方角なんだよ。
 帰りついでにちょっと寄って行こう。」

「ふ〜ん」


薫は何やら、ごそごそとバッグの中を掻き回していたが、


「ちょっと口を開けて」

「え?」


僕の唇に柔らかい指先が触れると、口の中に何かがふいに押し込まれた。


「ん?何?チョコレート?」

「そうよ。嫌い?
 少しくたびれたかも知れないから、甘いのもいいと思ったんだけど」

「嫌いじゃない、うっ、けど、これ、アーモンドが入ってるな。
 アーモンドってそんなに好きじゃないよ。
 これだけ薫に返す。」


舌先からチョコの剥げたアーモンドをちょろっと出して、薫の方を見た。


「やあよ!そんなアーモンドだけなんて返さないで。」

「取って・・・」

「いやよ!ちゃんと最後まで食べなさいよ。」

「口の中に入れちゃうぞ。」

「はいはい、運転中は前を見て下さい〜!」


薫の手が僕の頭をつかんで、ぐいっと前に向けさせた。
なおも口の先から、アーモンドをちょろちょろさせて見たが、
薫がこっちを見てくれないので、仕方なくバリバリ噛み砕いた。


「あ〜あ、食っちゃった・・・」

「そんなに哀しそうに言わないでよ。もっと要る?」

「薫がチョコからアーモンドを抜いてくれるんなら、食べる。」

「そんなこと、できるわけないでしょ!」


結局、何も貰えなかった。なんだか、喉が渇くなあ。





最後に見ようと思っていたアートの場所に着いたときは、幾分辺りが暗くなりかけていた。

河原のところに車を停め、すぐにそれとわかる造形物の方に歩いていく。


「これ、人が手をつないだ形でできてるのね?」

「そう、この辺りの集落の人、全部をつないだらしいよ。
 幾つか名前も入ってる。これはその意味かな。」


手を引いて内部に入る。

中から、人型の隙間を通して、周囲の緑や空が透けて見える。
アートの一部を椅子状にして、座ったままゆっくり鑑賞できるようにしてあった。


薫と並んで座り、何となく2人で天井を見上げた。

色んな形に切り取られた空は、もう先ほどまでの真っ青な空ではなく、
もっと青味を帯びた暗い色になっていた。



上を見上げる薫の横顔が、ほの暗い空間に白く浮かんでいる。

僕が見つめているのを知っているくせに、わざとこっちを見ない。
今度はすまして外の景色を眺めている。

いいさ。

薫の肩を抱いて、右手で髪を探り、うなじを掴む。
はっと薫が息を吐いたようだが、かまうものか。

左手で白くてなめらかな頬を包んで、そうっと顔を寄せる。
薫の長い睫毛がふわんふわんと揺れるのが見える。

完全に睫毛が下の方に落ち着くのを待ってから、
ふっくらした唇を奪い取った。

薫が身じろぎしたようだが、今度は離さない。
誰が来ようと離れない。

何度か息継ぎをするのに、少しだけ唇を離すのを許したが、
きゃしゃな体はしっかり抱きしめたままだ。
抱きしめる僕の腕に力が加わって、薫の体から段々力が抜けていく。



柔らかくて、微かに震えていて、舌でそっと唇を割ると、
滑らかな歯の奥に、熱い舌がある。
追いかけて、追いかけて捕まえて、思い切り吸い上げる。

薫がうめき声を漏らした。
それでも離さない。絶対に引かない。


僕の手が知らずに薫の柔らかい胸の辺りをさまよっていたようだ。
薫が体を固くして抵抗するので、僕も力を抜いて、
もう一度、すっかりなじんだ唇をふさぐ。


薫がまた動かなくなった。
僕は目を閉じて、薫の唇、息、舌を思い切り味わうと
そっと唇を離して、薫を胸の中に抱きしめた。

僕の腕に柔らかな長い髪がこぼれかかる。


「薫、好きだよ」


そう言って、またきつく抱きしめる。

少し力をゆるめて、薫の顔をのぞき込み、


「薫は・・・?」


薫は一瞬、うるんだような目で僕を見つめ、また下を向いてしまうと


「わたしも・・」


小さなつぶやきだった。


「わたしも何?」

「・・・」


そうか、では・・・。

薫を抱きしめている腕にぐっと力を込めて、ぎゅうっと締め上げる。


「聞こえない・・・」

「う、く、苦しいわ・・・」


少し力をゆるめると、薫はほっと息をつき、また大きな目で僕を見つめると


「いじわるね。」

「どっちが?」

「省吾よ」

「よく聞こえなかったから、もう一度聞きたかっただけ。」


僕はそうっと自分の耳を、薫の唇のすぐそばに持って行ったが、
温かい息づかいだけで何も聞こえない。


は〜ん、では、もう一回だ。


薫をまたぎゅっと腕で包み込んで、ぎりぎり力を入れようとすると


「待って」


観念したかな?

彼女の顔をもう一度のぞき込む。
もう、ずいぶん暗くて、ほんのり白い顔の中に濡れた瞳が黒々と光っている。


「省吾が・・・好き」


僕は満足してにっと笑うと、愛しい言葉を吐いた唇にまた、そうっと口づけた。
あまりに柔らかくて、僕の一部になってしまったみたいだ。


「可愛い・・・薫。
 薫が大好きだ・・・」


薫を今度は柔らかく抱きしめながら、つぶやいた。
薫の手がそっと僕の背中に回って、すこし力がこもった。



ずいぶん経ってから、手をつないで外に出てみると、すっかり薄暗くなっていた。


しかし、どことなく視線を感じるなあ。
そんなはずないんだが・・・。

すると薫が山の方を指差して、


「あれ・・・」と言った。


見ると何十人もの人が山の裾野にわらわらと広がって、
こっちをゆっくり見物しているのだった。


ん、何だあれは?

2人でもっと近くに寄ってみると、それはかなりリアルに作られた案山子だった。

傍にある説明書きを読むと、この集落の人全部の案山子がここにいるらしい。
本人の服を着ているんじゃないだろうか?


さっき感じた、妙な視線はここから来ていたのか。

はあ、しかし、最後の邪魔が案山子で良かった。
いや、たとえ、生きた人間があのアートに入って来ようとしても、
絶対に遠慮してもらうつもりではいたが・・・。



薫の肩を抱いて、沢山の案山子を見上げる。

これだって、立派なアートだよなあ・・・。

見てくれよ、こんなに彼女との距離が縮まった。
もう誰も入れないぐらい、僕らの間には隙間なんかない。


いやあ、最高のアート展だった。
心の底からお礼を言います。
アーティストの皆さん、有り難う!!






      <終わり>





「方言解説」(方言指導 by 新潟在住者)

 「じょんのび」・・・ゆったり、のんびり
 「なじらね」・・・・いかがですか?
 「ちっとばか」・・・少しばかり
 「しょうしい」・・・恥ずかしい
 「のめしこき」・・・怠け者
 「たらかす」・・・・だます

happykentaさん、丁寧なご指導有り難うございました。



このお話は、2006年7/23〜9/10まで新潟で開かれた
「大地の芸術祭 - 越後妻有アートトリエンナーレ2006 - 」から題材を得ています。



<作品紹介>
 
・ 能舞台(十日町エリア)
作家:ドミニク・ペロー
作品名:バタフライパビリオン


・ 鏡の家(十日町エリア)
作家:行武治美
作品名:再構築


・ 人型が手をつないだオブジェ(十日町エリア)
作家:小川次郎/日本工業大学小川研究室
作品名:マッドメン

 ←読んだらクリックしてください。
このページのトップへ