AnnaMaria

 

青いプロフィール 2

 

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仕事がらみの本を、普段ゆっくり選んでいる暇がないので、
目指すコーナーにたどり着くと、貪るように本を探し始める。


「しばらくかかりそうだから、好きなコーナーに行っててくれよ。
 適当な時間に戻ってきてくれるか。」


かおりにそう告げると、少しためらう様子を見せたが、


「わかったわ、20分くらいしたら戻ってくる・・・」


言いおいて、綿貫のそばを離れた。

日頃から気になっている本を片っ端からチェックしていると、


「あれ、綿貫くんじゃないの?」


横から声がかかった。

振り向くと、広通で同期入社の江田という女性が
大きな目をくりくりさせながら、こっちを見ていた。


「やあ・・・」

「やった、ラッキー!
 この暑いのに、久しぶりのお休みをこんな本屋で過ごすなんて、
 ついてないなあ、て思ってたのに、超ラッキーやん!」

ね、どっかお茶飲みに行こうよ、と、こだわりなく誘ってくる。



広通の新入社員200人近くいる中で、女性の総合職はやはり数が少ない。

見るからに成績優秀そうな女性が多い中、関西出身の彼女は威勢がよく、
取っ付きの悪い綿貫を遠巻きに伺うようなこともせず、
どんどん声を掛けてきていた。

社内研修でも遠慮のない発言をずばずば言って、面白がられてもいたが、
その態度が新人ながら傍若無人だと反感を持つ者もいるようだ。

本人は何度か注意を受けたようだが、一向に改まる気配がない。



「モテモテの綿貫くんでも、たまの休日、
 本屋にしけこむしかないのかあ。
 いや、これは運命かもよ。
 折角の運命の出逢い、無駄にせんようにしようよ。」

「運命とは大げさだな。
 滅多に休みがないんだから、
 休日に仕事関連の本棚の前で行き会ったって不思議じゃないだろう。
 それに、モテた記憶は全くない。」


江田は、屈託なさそうに大声で笑った。


「まったああ、そんなこと言って。
 私が何人の女性から、綿貫くんのこと聞かれてるか知らんからよ。
 彼女はいるのか、好きな女性のタイプは、何が好物か、
 って、私かて知らんっていうのに。」


うんざりした口調の割に楽しんでいるようだ。


「いっそ、そのへんのハンカチ、くしゃくしゃにして、
『これ、綿貫くんのハンカチやで』言うて、売ったろかな、と思うくらいよ。」

「まさか、やってないだろうな。」


綿貫は横目で睨んだが、目は笑っていた。


「いやあ、ピンチの時は、マジで考えたけどな。
 ほんまのとこ、私と組んで商売せえへん?
『綿貫グッズ』ちょっと目えあると思うけどなあ。
 ハンカチで1500円、パンツやったら、8000円から万札行くよ。
 総務の○○さんやったら、絶対出す思うけどなあ・・・」


大きな目をぐりぐりさせながら、しゃあしゃあと答える口調に


「お前なあ・・・」


綿貫は呆れた声を出したが、江田の言いようがおかしくて笑ってしまった。


こいつには適わない・・・。


江田を見ていると、そのすらりとした体つきとはっきりした物言いが
綿貫の記憶にある何かを呼び覚ました。


そうだ、小林に似ている・・・。


大学の2年後輩の小林美奈は、新入生の頃から、
恐いもの知らずか、天真爛漫かどちらかわからないが、
自分に、かおりへの態度が悪いと説教をしたことさえある。

こんな風に直接ぶつかってくる後輩は珍しかったので、
綿貫の中では新鮮な印象を残していた。

美奈が綿貫のゼミを敬遠したので、広告について直接意見を聞いたり、
指導したりすることはなかったが、言葉を交わす度、
その明るさと自分に対して余計なバリアーを張らない態度に、
好感を抱いていた。


あいつと話していると笑わされることが多くて、緊張がほぐれた・・・。


しかし・・と目の前の江田を見直すと、
こっちはもっと強烈だぞ。


「何?ぼうっとしちゃって・・・。
 私の美脚にみとれたとか?
 いやあ、恥ずかしいなあ」

「いや、美脚もだが、昔知っていた後輩を思い出した・・・」


え?という顔をすると、いきなりバンっと綿貫の肩を叩いてくる。


「いややわあ、昔の彼女に似てるなんてせりふ、
 男の口説き文句の定番やん!

 そんな回りくどいこと言わんでも、
 ちゃんと心の準備できてるから・・
 ほら、いつでも正直に言って」


ぱんぱんと自分の胸を叩きながら、頷いてみせる。


「そんなこと全然言ってないだろう。」


二人で笑いながら、本棚の前で騒いでいると、
本棚の陰からおずおずとかおりの顔がのぞいた。


「直人・・・?」


江田の掛け合い漫才に付き合うのを止めて、振り返ると
かおりが戻っていて、ためらいがちにこちらを見ている。


「ああ、大丈夫だ。来いよ。」


綿貫たちの声に、しばらく声をかけるのを迷っていたらしい。
かおりが側に戻ってきた。


「同期の江田さんだ。」


綿貫が紹介すると、


「初めまして。幸田です。」


かおりがきちんと挨拶をした。

いきなりあでやかな女性が現れたので、江田は驚いたらしい。


「いっやあ、すみません。
 綿貫くんが一人かと思ってつい、
 余計なことをべらべらしゃべってしまいました。
 会社で同期の江田といいます。
 
 そら、こんなきれいな人がいてたら、
 会社の中の誰にも目が行かないわけだわあ。」


納得、納得と言って、かおりの遠慮していたらしい態度をなごませた後、


「彼女?」


ずばっと核心をついた質問をしてきた。

かおりがためらうように、綿貫の顔を見たが、
綿貫はほんのかすか、首を傾げたように見えた。


「あ、ごめんごめん!
 余計な質問だったね。じゃ、私これで失礼するから・・・。
 また会社でね。どうも!」


江田は二人に手を振って、
ショートパンツから思い切りよく伸びた脚をくるりと反対に向け、
現れた時と同じようにいきなり去っていった。


「楽しそうな人ね。」


かおりの言葉に、


「まいるよ、全く。」


直人が苦笑して、本棚を見返すと、


「これだけ買ってくる。ここで待っててくれ。」


手元に積み上がった本を取り上げ、レジに向かっていった。





買った本はまとめて配送を頼み、冷房の効いた店内から出る前に、
綿貫がたずねた。


「何が食いたい?」


上の階にある涼しい店内から見ると、
窓に広がる新宿の夕焼けがさわやかに見える。

だが、下をうごめく人波に目をやれば、
一歩外へ出た途端、むっとした空気がまとわりつくのはわかっていた。



「お好み焼きがいいわ・・・」

「お好み焼き?この暑いのに?」

「うん、こういう暑い日にすごく食べたいの。
 直人、作るの上手だし・・久しぶりに食べてみたい。
 ダメかしら?」


かおりの甘えるような言葉を拒む理由はなかったが、
かおりがお好み焼き屋にふさわしい服装をしているとは思えなかった。


ソースや油がきれいな服に飛び跳ねてもいいのだろうか・・。


男の身で、直人は余計な気まで回したが、
結局、二人で歌舞伎町の手前にある、お好み焼き屋に行き、
直人がへらを使って、器用に二人分を作った。


「直人、上手よね。私、どうしても上手くできないのよ。」

「家でもお好み焼きは俺が作っていたからな。
 上手いと言えるかどうかわからないが、
 他のものよりは慣れていることは確かだ。
 母親が留守だと、お好み焼きになることが多かった・・・」

「そうなの。初めて聞いたわ。」


かおりは、なるたけこだわりない笑顔を向けようと努めていた。


かおりの脳裏に、さっきの書店で見た、
笑い合っている二人の光景が浮かんでいる。

直人は自分といる時より、ずいぶんリラックスして見えた。


   会社ではあんな調子で仕事をしているのかしら?


かおりは心の中で静かに首を振る。


   そんな筈ないわ。仕事には特別厳しい筈の人だもの。

   私と居ると、どこかイライラして見える時がある・・・。
   それはきっと私のせいね


直人が自分を大切に思ってくれているのはわかっていたが、
あんな風に気楽に笑いながら言葉を交わしていた女性が、心底うらやましい。



「どうした?食べないのか?」


へらを持ったままの直人が、かおりを覗き込むようにしている。


「ううん、食べるわ、すごく食べたかったんだもの。
 でも何だか、ビールが回って少しぼうっとするの。」


うす赤く上気した顔を直人に向け、
長い髪をかきあげるとかおりは静かに微笑んだ。

鉄板からあがる熱気のせいで、あまり冷房の利かない店内では、
ストールを外し、かおりはすっきりと腕を出したドレス姿になっていた。

髪をあげる時に見えた、白いうなじのラインが目を射る。

隣の男性4人組のグループがちらちらと、
かおりに目をやっているのがわかる。

かおりにうるんだような目を向けられると、
また綿貫の奥でずきんと疼くものがある。


   やっぱり、女っぽくなった


その言葉を胸にしまったまま、お好み焼きのジュウジュウ焼ける音に紛れて
自分の中に芽生えたものを、彼女に気づかれないようにと願った。




食べ終わってから何となく、夜の雑踏の中を歩いた。

けばけばしいネオンと
客引きのかしましい歌舞伎町のメインから外れているものの、
相変わらずの人の群れ。

強い陽射しこそ無くなったが、蒸し暑い空気はあるかないかの風に揺れて
肌にまとわりつく。

その中を泳ぐように歩いていると、
不意にかおりが直人の手にきゃしゃな指を絡ませてきた。

いつもに似合わない汗ばんだ手。

その意味するところははっきりしているように思ったが、
あえて、その意図を無視して言った。


「また遅くなるといけない。
 かおりの家まで送っていくよ。」

「そうね」


小さくうなずくと、ひっそり手をつないだまま、
しばらく人の中を漂っていたが、


「直人・・・」

「・・?」


むっとするような夏の宵の騒がしい雑踏の中で、
かおりの呟きを聞き取ろうと直人は体を屈めた。


「やっぱり・・・どうしても、まだ一緒にいたい。」


今日、別れたらまたしばらくは会えない、だから・・・。


その気持ちは直人も同じで、
彼とてかおりと同じ焦燥を持っていた。

直人はしばらくかおりの顔をじっと見ていたが、もうそれ以上、何も言わず、
もと来た歌舞伎町の方向へと引き返し、
夜の闇の中に白々とネオンに輝く建物が林立する方へと足を向けて行った。






「かおり・・・?」

「ん・・・平気。」


青いシーツの上にくったりと沈み込んだ、
かおりのなめらかな白い背中に触れる度に、
こんな部屋に引っ張り込むには似合わない女だと、思わずにいられない。




二十歳で付き合い始めてから、二人にとってお互いが初めての相手だった。

二人とも自宅通学だったので、そういった時間を共有するには、
どこかの部屋に行くしか方法がない。

直人はその度に、その行為よりもその場所に対して、
彼女のような整った存在を連れ込むということに、
常に後ろめたさを感じていた。

それでも、若い情熱は傍らの美しい肉体を欲して、
時に焦れるような思いを運んでくる。



二人きりの時のかおりは、普段の慎ましく、美しい恋人の姿より、
さらにあでやかな姿を見せた。

直人の腕の中で花が開いたように、艶やかな表情をして
触れる指先のひとつひとつに反応し、刻々と変わっていく。

自分の抱いているこの美しい生き物が、
切ない目で見つめ、眉をひそめたまま、
力いっぱいその白い指を巻きつかせて来たりすると、
残酷な喜びが芽生えてきて、思わず我を忘れてしまうほどだった。

時には、かおりには受け止めきれない程の情熱を露にして
つらい思いをさせているのではないか、と恐れながらも、
欲望には勝てなかったし、自分たち二人にとって、
その時間を共有することが必要なのもわかっていた。


だから、できる限り優しく抱いた。


服を脱いでしまえば、照れくささも人目もない。
二人の間の微妙な距離もない。
目の前の美しい女体を欲しがるのをためらうことも必要ない。

この狭い空間の中では、自分の気持ちに正直になれる。

かおりに対する愛しさを、言葉でうまく表せない分、
手で唇で吐息で示してやりたかった。

自分のかおりに対する熱が彼女を汚してしまうのではないか、と
考えたこともあったが、どんな時でもかおりは美しかった。

ただ、こんな場所に連れ来んでいる後ろめたさだけは、
どうしても拭うことができない。

もっと他のタイプのホテルの部屋を使うことは可能だったが、
かおりの家が滅多に外泊を許さない厳格な家庭だったこともあって、
朝まで二人で過ごすことが殆どない以上、
途中でチェックアウトする気まずさは同じだった。




ホテルを出た後は、かならずかおりの家の近くまで送っていった。

深夜の電車は、暑熱に疲れた人々に弛緩した空気が漂い、
誰もが疲れ、酔い、他人に対する礼儀を少し失いかけている。

かおりのように若くて目立つ女性を、終電に近い電車で、
酔漢の無礼に合わさずに無事に帰すことは、
こんなことに付き合わせている自分の責任だとも思っていた。


抱かれた後のかおりは、白い肌に赤い血の色を上らせ、
潤んだような表情を隠せずに、
いつもより少しだけ大胆に、直人に寄りかかっている。


「あ、ごめんなさい・・」


しなやかな恋人の体に漂う気怠さと、こんな時でさえ、
必要以上に自分にもたれかからないようにと、はっと律する態度。

こちらへ熱く絡まってくる視線を意識しながら、これほど美しい女性が、
何故、自分のような男をこんなにも求めてくれるのかと不思議に思う。

それを誇らしく嬉しく思う気持ちと、
自分に向けられる視線を重たく感じ、
それに見合うことをしてやっているだろうかという罪悪感が湧いてくる。


かおりの肩をいつもより強く抱きしめる。


「直人・・・?」


小さく呟いて、やや不思議そうに自分を見上げながらも、
幸せそうに微笑むかおりの表情を見るのがやる瀬なくて、
直人はまた思わず目を逸らしてしまう。

真夜中を走る電車の暗い窓に、
寄り添った自分たちの姿が映っているのを、
ぼんやり見つめていた。

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