AnnaMaria

 

琥珀色のアルバム  22.プレス発表

 

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現役メークアップアーティストで、KAtiE社長でもあるかつえは、
NYコレクション、ミラノコレクションの前半をこなすと、
慌ただしく帰国した。


2月末日のプレス発表、3月初旬の新作披露パーティに向けて、
KAtiEチームは追い上げにかかっている。

美奈はデスクワークの山がどんどん積み上がっていくのを横目に、
雑誌、新聞、美容ジャーナリスト、売り場担当者などからの
問い合わせの応対に忙殺されていた。

ここで間違った情報を与えてはと、
手持ちの資料を元に、長田と2人で相手の求める情報を渡す。

プレス発表まで伏せておく情報と、
発表前に渡してしまったほうが良い情報の取捨選択に気を使い、
会社としての公式なコメント等は、前田部長か倉橋常務に戻した。



あああ、もうボロボロ・・・


電話の前でついぺこぺこと応対するのに疲れて、
企画室を抜け出し、じんじんする耳を抱え、
会議室のフロアまで上がって来た。

本格ライン展開を前に、来客が増えてきたので、
フロアの空いた部分に打ち合わせテーブルと椅子が、
二組ほど追加されているのを知っていたのだ。


誰かいるかな?


最後の階段をゆっくり上がりながら、フロアの方を伺うと、
紺ストライプのトラウザーズの裾と、
ダークブラウンの靴をはいた足が見えた。

踊り場から踏み出すと、丸テーブルに綿貫が一人座って、
足を組んだまま、端末を操作している。

思いがけない出会いに嬉しくなって足を速めたが、
近くに来てみて、綿貫の緊迫した雰囲気に声をかけかね、
そのまま、足を止めた。

しばらく佇んでいると、綿貫が画面から顔もあげないまま、


「どうした?
 芳賀さんに言われてた分は終わったのか。」

「う〜ん、あともう少しなんですけど、
 下にいると電話ばかりかかって来ちゃって手がつけられないの。
 耳がじんじんしてきちゃって・・・・」


はあ、とため息をつくと、
綿貫の方に少し腰を屈め


「ここ、座っていい?」


綿貫が初めて画面から顔を上げて、
美奈をちらりと見ると片手で前髪をかきあげた。


「どうぞ。そちらの会社のお席ですから・・・」


皮肉っぽい調子に少し気をそがれたが、
そのまま、隣の椅子に座る。


「疲れた、耳鳴りがする、
 問い合わせが多くて仕事が進まない、
 言っていいことと悪い事の仕分けがめんどくさい・・・
 どこまでやっても減らなくて、落ち込む」


美奈の立て続けの文句に、綿貫が一瞬顔をあげ、


「さすがだな・・・」

「え、何が?」

「今朝もかつえ社長にメイクしてもらったんだろ。
 仕事で消耗してボロボロになっているようには、とても見えない。」


何よ、大したことないって言うの?


「かつえさんにメイク教えてもらって本当によかったわ。
 美容ジャーナリストさんが、今使ってる口紅の番号とか聞いて来るの。

 わたしが選んだんじゃなくて、かつえさんのメイクだから、
 メイクカルテ見て、自信持って答えちゃう・・・」

「そのまま、かつえさんの受け売りをしてるんだろ?」

「そう、きっちりそのまま。
 例えば、仕事で疲れ気味のときは、コンシーラーを使い、
 ファンデーションは薄く載せた方が、
 結果として顔が明るくなりますよ、とか・・」


また一瞬顔をあげ、美奈の顔を見ると


「まあ、本当みたいだな。」


またすぐ画面に戻ってしまう・・・。


「でも、電話って疲れる。口が回らない。
 すぐに資料が出ない。
 あ〜〜〜・・・」


美奈が隣でぐい〜〜んと伸びをすると、


「今からそんな事言っててどうする。
 美奈の仕事は、プレス発表後の方が絶対に忙しくなるだろ。
 
 気合いを入れ直せ。
 芳賀さんが、さっきからリストを待ってたぞ。」


ちぇ・・・美奈の口がとがってくる。


「鯛焼き半分くらいじゃ足りなかったな」

「何の話だ?」


顔も上げずに聞く。


「少しは甘くなるかと思ったけど、
 ぜ〜んぜん相変わらずだわ。」

「・・・当然だ」


カシャカシャとキーボード操作の音がする。

よ〜〜くわかってますよ。
美奈はぶつくさと立ち上がった。


「お邪魔しました〜!」


この手の奴に、慰めを求めたのが間違いだったと痛感しつつ、
また階段に向かう。

途中、振り返ったが、綿貫の視線はディスプレイから動かない。

あきらめて階段へ進む美奈の背中を、
綿貫がちらっと見たが、もちろん気付く筈もなかった。





昨日の打ち合わせでは、かつえも倉橋も同席し、
プレス発表で渡すキットと資料、上映するビデオの内容を確認した。

写真も使うが、特定のモデルをブランドイメージに固定せず、
むしろ、Qのイラストをイメージに打ち出していくことになった。

キットの内容は、新しいラインの商品説明と見本色と共に、
そこから想起されるカラフルなフルーツや野菜の切り口を見せ、
サンプルカラー紹介も、四角いパレットをただ並べるのではなく、
有機的なシェイプを見せて、形からもイメージを広げてもらおうとしている。

同席していたQの意見は役に立った。

様々なブランドと仕事をしてきた経験とグラフィックな視点から、
提案が具体的で取り入れやすい。

気に入ると、かつえが即アイディアを採用してしまうので、
真也の顔がほんの少し険しい。

真也がQのイラストやアイディアを認めていない訳ではないが、
あまりに出すタイミングが良過ぎて、面白くないのかもしれない。

デスクの電話が鳴りっぱなしなので、
美奈は途中から打ち合わせを退席した。

その後の経過はわからないが、あれこれ言っている段階でないことは
誰もがわかっている。





綿貫に出会って、ますます疲れたように感じたので、
外のコーヒーショップまで足を伸ばし、
長田の分も含めて、大きいサイズのカプチーノを買う。

外の空気を吸い、いくらか気分を替えてフロアに戻って来ると、
入り口の手前で大きなポートフォリオを抱えたQに出くわした。


「お疲れさまです。」


美奈が声をかけると、
相変わらず、短い髭をたくわえた顔にさざなみのように微笑が広がった。

向かい合うと、彼の背が高いことを感じる。

革のブルゾンに焦げ茶のニットを合わせ、
レンガ色のコーデュロイのパンツに革のスニーカーのいでたち。


「Qさんは、センス良いですね」


色遣いに感心した美奈が言うと、


「いや、全然。そこらの物を適当に拾って着ているだけです。
 小林さんは、忙しそうですね。」

「電話が多くて、仕事が片付かないんです。
 ちょっと逃げ出してました。
 段取り悪いみたい・・・。」


美奈がちょろっと舌を出すと、
そんなことは・・・と言いながら、
美奈の顔と手に持ったコーヒーショップの紙袋を見て、また微笑む。


「何か?」

「いえ、何でもないですよ。
 そうだ。丁度いいものがあるかも・・・」


Qがバッグを下ろして、中身をがさがさと暫く探り、
ほら・・・と手の上に乗せて差し出した。

プラスチックの透明ケースの中に、
小さな白いクリームサンドクッキーと、
ハートの形をした、ローズ色や水色のゼリーが詰め合わされて、
細くて白いリボンが結んであった。

表に小さくて可愛いカードが付いている。


「わあ、可愛い!きれい!
 これ、どうしたんですか?」

「ホワイトデーのお返しパックに添えるカードの仕事をしたら、
 見本に幾つか貰ったんですよ。
 コーヒーに合うかもしれない。
 良かったら、どうぞ」


美奈は手の上に乗せられたクリアパッケージを見ながら、


「でもわたし、Qさんにチョコレートあげたわけではありませんし・・
 それどころか、あれこれ頂いてばかりで・・・」

「あはは、これは単なる仕事上のオマケです。
 さっき、倉橋常務にもお渡しました。
 プレス発表の時、こんな可愛いお菓子をお土産にどうか、とも思ってね。

 だから、気にしないで。
 これで10分くらい元気を出して下さい。」


ありがとうございます・・・・


やっと出た笑顔をQに振りまいて、
美奈がうれしそうにパッケージを胸に抱いた。


「Qさんは、今日は?」


Qは、美奈がさっき自分とすれ違ったことにまるで気が付いていないのに、
軽い失望を抑えながら言った。


「ああ、イラストを渡しついでに、少し打ち合わせをして、
 このお菓子をサンプルに持ってきたんです。
 さっき、ここで美奈さんとすれ違ったんですよ。
 気が付きませんでした?」

「いえ、全然・・・失礼しました。」


美奈が答えると、Qが微笑んだ。


「忙しくて大変みたいですね。
 大丈夫ですか?」


Qの優しい眼差しは美奈の気分をほぐした。


「ありがとうございます。
 ちょっとくたびれて、凹んでいたんですけど、
 もう直りました。
 Qさんのおかげです。」


美奈が感謝の笑顔を向けると、Qも嬉しそうに微笑んだ。


「あの・・・」


Qが何か言いかけたところへ、
真也、長田、綿貫、加澤の4人が通りかかった。


Qが認めて、小さく会釈する。


「Qさん、お疲れさまでした」と真也が声をかけ、

「美奈、もう出来上がったのか?」


と資料の完成を問いかけた。


「いえ、まだ、もうちょっと・・・。」


サボっているところを見つけられたようで、きまり悪くなり、
美奈が小さな声で答えた。


「頼む、アレだけは早めにお願いするよ。」

「はい、頑張ります。では・・・」


Qにちらっと挨拶し、真也たち一行を振り向かずに、
フロアを小走りに抜けていった。

Qはその後ろ姿を見送っていたが、真也の視線に気付くと
荷物を持ち直し、

「それでは・・」と去って行く。


今度はQの後ろ姿を真也が見送った。
長田が何か言いたそうだったが、真也はすぐに歩き出した。





BA(ビューティアドバイザー)、つまり販売員の研修は
倉橋が一手に管理している。

今ではとてもそうは見えないが、彼女自身、
最高売り上げを何度も叩き出した、やり手の販売員だったので、
お客の心をつかむ秘訣と、
販売員がどんな風に考えているかは、よく知っている。


「皆さん、いつもKAtiEブランドでお仕事して下さって、
 ありがとうございます。
 ついに今回、スキンケアラインと新しいコスメラインを打ち出し、
 本格的な総合ブランドメーカーとして出発致します。

 これまでの評判は上々ですよ。
 お店に出た途端、お客様が殺到するんじゃないかしら。
 どうか、慌てずに、お客様をキレイにする事を一番に考えて、
 お仕事して下さいね。」


会議室に集結したBA達の顔も心無しか、紅潮している。


「お客様をきれいにするには、まず皆さんもきれいでなくちゃ・・。
 かつえ社長直伝のポイントを幾つか聞きましょう。
 では、メークアップアーティストの瀬尾さん、お願いします。」


光沢のある黒いジャケットとパンツ姿の、細身の男性が登場した。


「皆さん、こんにちは!

 お目にかかったことがある方もいますね。
 僕はかつえさんの直弟子だと自分で思っています。
 KAtiEの新たな門出に一緒に仕事ができて最高に嬉しいです。

 このブランドの売りは、最高にきれいになれる高品質な製品と、
 最高にメーク上手になれる、アドバイザーの存在です。

 その他に、僕たちプロのメークアップアーティストが
 予約を入れて、各店舗を回って行きますよ。
 
 僕たちを最大限に利用して下さい。
 ですが、メーク以外のセールスに時間をかけるより、
 一人でも多くのお客さまのメークを作りたいと考えています。
 
 皆さんと協力して、そのフロアで
 一番にぎやかな売り場作りをしていきましょう。
 では、どなたかお客様になって頂けますか。」


瀬尾は何本か上がった手のうちの一人を指名し、
全員から見えるように、高い段の上に上げ、


「どうぞ、見えにくければ、近くに寄って下さい」


BA達が席を立って、ぞろぞろと瀬尾の回りに集まる。


「始めますよ。(モデルに)こんにちは。
 まず、KAtiE売り上げNo.1のファンデーションを使っての
 ベースメークから始めましょう・・・」


ごく、と輪の中で喉が鳴り、瀬尾の手元に注意が集中する。


瀬尾のメークデモンストレーションが終わると、
テーブル毎に何人かのグループに分かれる。
テーブルの上には新製品、鏡、
おすすめメークスタイルが描かれた美しいキットがある。


「では、皆さん、実際にやってみましょうか・・・」


BA達は嬉しそうに、カラフルで新しい小瓶を手に取ると、
向かいのパートナーのメイクを始めた。

会議室の中が、華やいだ嬌声に満ちて来る。


「可愛い瓶!」
「これ、お客様によくリクエストされてたのよね。
 新色が二つも入ってお得な感じ・・・」
「ああ〜、これ欲しい!」


倉橋は、にっこり笑ってテーブルを回り始めた。
瀬尾は各テーブルに座り込んで、熱心にアドバイスをしている。

この分なら、上手く行きそうだわ・・・。


倉橋はBA達の熱を感じ取っていた。





「あと少しで本格スタートだな。何か問題はあるか?」


KAtiEのビルを出て、綿貫と加澤、
それに上司の中原部長がカフェに立ち寄っていた。


「売り場取りで少しあったようです。

 一番店の予定だったA百貨店ですが、
 売り場に合わせて什器まで作ってあったのに、
 急に先方から断ってきたとか・・・。
 
 お陰で初年度の売り上げ目標が、ぐっと下方修正になりました。」


綿貫が答えた。


「もしかすると・・・?」


綿貫の疑問に中原も同意見のようだった。


「ああ、きっとそうだろう。
 S社の担当が焦って、百貨店の上に何か横やりを入れたんだろう。
 うちのS社担当の森が、しつこく探りを入れて来てたからな。

 そうだろ、加澤?」


加澤が照れたような顔で頷いた。


「綿貫さんに聞いても埒あかないってわかってますから、
 僕は何度もひっぱってかれてますよ。

 あそこの部長まで同席して、
 根掘り葉掘り聞いてくるから汗掻きました」


「広通社内で、同業を担当してるモラルはないんですかね。」


綿貫の言葉に、中原が


「モラルってのは、仕事を取るためにあるんだよ。
 自分のクライアントの売り上げを伸ばして、仕事を取ることは
 何だってモラルに反してないんだ。広告業界ではな。」

「S社の上層部は、KAtiEが儲かれば嬉しい筈ですがね。」

「そりゃそうだろう。
 自分たちが動かなくても、会社の黒字に貢献してもらえる、
 可能性があるからな。
 連結決算だし・・・自分のところで全部やるより効率がいい。
 
 ただ、現場の担当者はそんな風に考えない。
 関連会社だろうが何だろうが、コンペティターに違いない。」

「僕自身は、森さんともめたことはないんですが、
 向こうはライバル意識むき出しでね。
 その事がKAtiEにマイナスに働かないといいんですが・・」


中原がふふっと笑った。


「お前を負かしたいのは奴だけじゃないさ。
 奴が負かしたいのも、お前だけじゃない。

 気にしないで思いっきりやってやれ・・・
 ごたごたは引き受けるぞ。」


自分の唯一信頼する上司の陽に焼けた顔を見ながら、
綿貫は、自分もまた絶対に負けるつもりはないことを
意識していた。





ついにプレス発表の日が来た。

会場のSホールでは、エレベーターを降りてすぐのホワイエに
三々五々人が集まっている。

受付は美奈と長田、応援に来てくれた女性と3人がかり、
すぐ傍に、前田部長と倉橋常務が立ち、
VIPクラスの応対を引き受けてもらう。

プロジェクトチーフの真也は、緊張しながらも、
笑顔で来場者にあいさつをしている。

綿貫と加澤も真也の傍で、人の動きに気を配っている。
すでに、会場内の長テーブルの各々の席に、プレスキットが置いてあり、
着席して目を通す者も多かった。

業界紙、ファッション誌と言った記者の他に、
美容ジャーナリスト、業界関係者などが詰めかけ、
売り場を統括するビューティ・アドバイザーが数名。

メークアップアーティストの瀬尾も何人かを連れて、控えている。



「芳賀さん、おめでとうございます。」


KMプランニングの金子がすっと寄って来て、真也と握手を交わし、
綿貫に軽い会釈をした。

Qも軽く挨拶をして、後ろの方で成り行きを見守っている。

ホワイエにいた、美容ジャーナリストのリエが
素早く綿貫の傍に寄って来て、


「しばらくご無沙汰ね。
 最近、広通に行っても全然顔を見ないんだもん。
 行くの止めちゃおうかと思うくらい。
 KAtiEの社員になっちゃったの?」

「まさか。仕事をさせていただいているだけですよ。
 今回リエさんの書く記事、
 必ず読ませてもらいますから、よろしく。」


綿貫が丁重に頭を下げると、


「やあね。こんなところで牽制しないで・・・」


綿貫の調子に気圧されて、リエが早々に席の方へ下がって行った。



親会社のS社の副社長も来ていた。

KAtiEの副社長も兼任しているはずだが、
発表側ではなく、発表を受ける側に座っている。

副社長の隣には、S社の部長、担当者が数名。

綿貫の先輩で広通S社担当の森も並んで座っており、
綿貫を見ると、軽くあごを引いてみせた。

綿貫のすぐ傍に広通の中原部長がやって来て、

「おお、ついに、ここまでこぎ着けましたね。」

真也に向かって握手を求める。

真也は笑顔で「おかげさまで」と返事をしたものの、
会場の方へと視線がさまよいがちで、落ち着かない様子だ。




入り口の観音開きの扉が閉められ、会場が暗くなる。

壇上にスクリーンが白く見え、
その下のマイクに前田部長が立ち、スポットライトが当たる。


「では、時間ですので、始めさせて頂きます。」


開会を告げた。


「本日はお忙しい中、KAtiE ブランドのプレス発表会にお越しいただき、
 誠にありがとうございました。

 では、当社社長で、メークアップアーティストの田畑かつえより、
 ご挨拶を述べさせて頂きます。」


かつえは、黒の細身のパンツスーツ。

大きく開いた胸元に、一面に細かいガラスのついたネックレスを煌めかせ、
スポットライトを浴びて真っ直ぐに立った。


「皆様、お忙しい中おいで頂き、ありがとうございます。

 長い間温めていた新ラインを
 やっとお客様に届けられる日が近づいております。

 今まで、メイクアップブランドとしてご愛用頂いて来ましたが、
 この度スキンケアラインを加え、化粧品総合ブランドとして
 本格的に歩み出します。

 わたしの考える「美」とは、
 自分らしくあること、自然であることです。

 女性が本来持っている美が、心のときめきや、喜び、
 誰かを愛する気持ちなどで、何倍にも輝いて欲しい。

 昨日より、もっと生き生きと、
 今日に喜びを見いだせる女性に贈りたいのです。


 わたし自身、現役メークアップアーティストとして、
 どんな瞬間に女性が輝くか、沢山見てまいりました。

 自分に自信が出ると、笑顔が何倍にも輝く、
 そしてもっときれいに、幸せになれる。

 そんなプラスの連鎖を経験していただきたい。
 
 すべてはその為のお手伝いです。

 皆様のお力を借りて、お客様にKAtiEブランドを届けたいと思い。

 ご協力を心より、お願い致します。」


かつえの挨拶が済んで拍手が鳴り止むと、会場が暗くなり、
販促のためのイメージビデオが披露された。




朝のエンジン。


真っ白い皿の上に、ラズベリー、ぶどう、キウイ、アプリコットなど、
色鮮やかなフルーツが少しずつ盛られていく。

まるで美しいパレットのようだ。

白いカーテンがゆらめき、朝の光が室内に挿し込む。

黒っぽいフローリングの床を歩くと、
白いシーツのベッドが映り、投げ出されたきれいな腕が見える。


- - 起きて・・・朝だよ・・・。


男の声が呼びかけると、きゃしゃな腕はシーツを離れ、
向こうを向いてしまう。


- - 目をさまして・・。

- - 君の目が見たいんだ。


会場に恋人の甘い声が流れてきた時、美奈の肌がざわっと粟立って、
思わず目を見開いてしまった。

暗い中、綿貫の姿を探すと、
スクリーンの光の反射を受け、微動だにしない横顔が浮かんでいる。

初めてスタジオで、自分の声を聞いた時のような照れた様子もなく、
内面の動きを伺わせる表情も態度もない。


- - 君の好きなものを用意したのに。

- - まだ起きてくれないの?

- - ほら、顔を見せてよ。


朝の光に白く飛んだような女の横顔が映り、
耳たぶの下の柔らかそうな肌がみえる。


男の手が、彼女の首筋をくすぐるように動くと、
彼女の顔がぱっと崩れて、
紅い唇から白い歯がこぼれる・・・


布のすれあう音が響いて、男が彼女の方に
体を傾けるのが画面で見え、
つい、目を背けてしまった。


目を閉じて聞いていると、恋人の声に似ているような、
全然違う人のような・・・。

でも・・・。
わたしに言ってるんじゃないことは確かだわ。



- - おいで・・・。僕につかまって。


彼女の腕が男の方に伸ばされる。


あまりに甘い、優しい、とろけるような声。


聞いているうちに、綿貫が優しく低い声でささやいて起こしている
知らない恋人の顔が不意に浮かんで来る。

どこかかおりに似た顔・・


誰ともわからないものに、嫉妬している自分に気付き
落ち着いた気持ちで、最後まで聞いていられなくなってしまった。


朝日が溢れるテーブル、
みずみずしいフルーツの載った皿、
その脇で朝のキスを交わす二人の映像でビデオは終わった。


ほうっと言うため息がプレス席からも聞こえる。





その後、ボードを使って、
新ラインのカラーパレットと商品構成を説明し、
モデルを使って、かつえが手早くメークアップを施して見せる。


最後に、売り場関係の説明役として倉橋が登場した。

かつえがシャープな黒のパンツスーツなのに対し、
倉橋は、淡いローズ色のスーツで、
胸元から、柔らかそうなシフォンのブラウスをたっぷりと覗かせている。


「KAtiEブランドの特徴は、自然で自分らしい肌つくりと
 最先端のメークアップカラー、
 そして、それをお客様ひとりひとりに合う形で
 マスターして頂くためのスキルを
 店頭で提供することです。

 お買い上げ頂いた方は、
 KAtiE専属のメークアップアーティストによる、
 メークをご予約いただき、
 そこで、新しい自分を見つけて頂く。
 
 店頭のビューティ・アドバイザーも、特別な研修を受けて、
 お客様の疑問やリクエストにお答えできるようトレーニングしております。

 最高の品質と、最先端のカラーと、最強のスキルで、
 みずみずしい美しさを提供して参ります。」


倉橋から、KAtiE専属メークアップアーティストの瀬尾と、
ビューティ・アドバイザーのチーフを紹介し、
店頭、その他で実地メークに力を入れる事を強調した。


ひと通りの説明が済むと、質疑応答の時間となった。

社長のかつえ、倉橋、前田部長、
そしてプロジェクトチーフとして、
真也が舞台上の席に座って、質問を待つ。



Q:さっきのビデオ映像、かなりセクシーでしたね。
  店頭で大丈夫ですか?


かつえがマイクを持つ。


 あの映像がセクシーに感じられるのは、声のせいかもしれません。
 写真やイメージだけなら、海外ブランドはもっと直接的に
 官能的なシーンを使っています。

 でも外国映画を見ているようで、自分がヒロインだと想像しにくい。

 さっきのプロモに映っていた女性の肌、きれいでしたでしょ?
 あの肌に魅入らせたいんです。


Q:化粧品会社各社は、現在、海外戦略に目が向いていますね。

  先行して、海外販売比率を思い切って増やしたメーカーほど、
  高い利益率をたたきだしている現在、
  KAtiEブランドは海外進出の戦略を考えていますか?


かつえがにっこりと笑った。

 もちろんです。

 わたしが主に活動してきたのが、NYを始めとする海外ですし、
 去年、中国の上海、北京を仕事で訪れて、
 現地の女性たちの美容に対する関心の高さと
 強い購買意欲に、熱く刺激されました。

 いつかかならず、アジアを含めた世界の女性にも
 愛用して頂きたいという夢を持っています。

 しかし、足元を忘れる気は全くありません。
 日本女性はきれいで、お洒落です。

 わたしはもっとキレイになって欲しい。
 表情が生き生きと開放されたように輝いて欲しい。

 先ほどのビデオにもありましたが、
 女性を美しくするのは、心。

 恋する気持ち、どきどきする気持ち、
 恋人にきれいな自分を見せたい気持ち。

 もっと情熱的に、もっと自然に、もっとセクシーになって欲しい。

 すれ違った男性が、ドキッとするくらいにね。

 わたしはKAtiEのお客さまに、そんな風に魅力的になって頂ければ、
 と思っています。



Q:素敵な声の声優さんですね。どなたでしょう?
  彼女がうらやましくなりました。


かつえがくすっと笑った。

 それはかなりトップシークレットです。
 声だけじゃなくて、他もとても素敵な男性がやってくれました。
 わたしも、彼の恋人がうらやましいです。



美奈は聞いていて、ひそかに汗が出た。

恋人?わたしが恋人なんだろうか・・・

あんな声聞いたことあったかな。
う〜〜ん、あったような、全然なかったような・・・

少なくともあんなせりふは絶対ない!



Q:若い会社ですね。
  社員の方も若い方が多いのですか?


 若いです。年齢が若いのも、心の年齢が若いのも色々ですけど。
 肌年齢は若いですよ。絶対。

 このみずみずしい若さで頑張ります。


かつえのユーモラスな調子に、会場から笑いが湧き、
質疑応答の時間は終わった。



その後は、飲み物だけの簡単な懇親会となった。



真也は売り場関係の人間と挨拶を交わし、
率直な質問に、熱心に答えている。

綿貫と加澤はKAtiEの社員から一歩下がっているものの、
真也から離れずに、会場の知り合いに挨拶をしている。

加澤を含めて、ダークスーツに身を包んだ長身の若い男性4人は、
会場でもかなり目を引いた。

クールな綿貫、人当たりがよく、テキパキした印象の真也、
のっぽの加澤、あっさりしょうゆ顔ながら優しそうな長田と共に、
KAtiEの関係者って、みんな若くてイケテルわね、
という女性記者の視線も浴びる。




「倉橋常務・・・おめでとう」


親会社のS社副社長と、販売部長が倉橋に近づいてきた。


「ありがとうございます。
 でも副社長だって一緒にお祝いを受けてもらう身ですよ。」


振り向いた倉橋はあでやかに笑って、たしなめた。


「そうかもしれないが、そっちで一緒に苦労して作ってないからな。
 詳しいことはあまりわからない。

 紙に書いた戦略説明と、
 かつえさんの熱弁だけ、いつも聞かされてるよ。」

「それが一番の武器ですもの・・・
 まだ当分ご支援を頂かなくてはなりませんし。」


柔らかくウェーブした栗色の髪を揺らしながら、
倉橋が答える。


「ところで君は最近、こっちに全然顔を見せないじゃないか。
 かつえさんばかり乗り込んでくるよ。」

「わたしより、かつえさんが行く方が話の通りが早いんですもの。
 副社長は、ちゃんとKAtiEの味方して下さっていますか?」

もちろんだよ。


親会社の販売部長はいつのまにか、その場から消えている。


「君とはあまり、ゆっくり話をしたことがないな。
 今度一度、サシでどうだね?」

「いつもお忙しいのは、副社長の方でしょう。
 わたしの方はいつでも・・・・」


副社長の落ち着いた表情の中で、
一瞬、きらりと目が光った。


「本当かね?じゃ、具体的に連絡させるよ。
 では近いうちに。」


淡いローズ色に包まれた倉橋の肩をポンと叩くと、
ダークスーツの取締役は背中を向けて歩いていった。

飲み物を持ったまま、背中を見送っている倉橋の視線と
記者の質問を受けていた真也の視線が、一瞬絡まった。

倉橋は少しため息をつくと、人垣越しに、
真也に向かって柔らかく笑って見せた。

その笑顔に、また別のVIPが吸い寄せられる。


「やあ、倉橋常務。この度はおめでとうございます。」

「まあ、○○百貨店さんにはお世話になっております。
 来月から、売り場を広げていただくので、
 こちらも人を増やして、売り上げアップもねらって参りますので・・」


倉橋の笑顔はますます華やかに、
唇も艶を増していくようだ。




「綿貫、お疲れ。ここまで大変だったろう。」


広通のS社担当、森がやって来た。


「そうですね。でもまだ、一つ目ですから・・・。
 これから新作披露パーティを経て、売り場展開になります。
 当分、気が抜けません。」

「パーティは誰を呼んだんだ?
 もう決まってるんだろ・・」


綿貫はすっと目を上げたが、


「ぎりぎりまで、向こうの予定にはぐらかされてますよ。
 来て欲しいタレントや女優からは、
 なかなか良い返事が貰えなくて・・」


S社の販売担当者も声をかけて来る。


「綿貫さん、久々です。
 いやあ、KAtiE担当になられて、
 正直こちらはびくびくしていますよ。
 もろにターゲットがぶつかりそうですしねえ・・・」


「そうでしょうか。

 S社さんが怖がられるようなブランドではないですが、
 女性は好奇心旺盛ですから、
 新しいものにちょっと気を惹かれることはある・・・でしょうか。」
 
「こら、怖いこと言うなよ。
 ただでさえ激戦業界なのに。

 KAtiEの一番の売りはドレなんだ?」


ふふ、と口元だけ緩めると


「それを答えるのは、僕じゃなく、芳賀さんか、
 プレス担当に聞いた方が良さそうですね。
 または・・・?」


綿貫が言葉を切ると、かつえの大きな声が響いて来た。


「・・・肌です。肌をきれいにしたい。見せたい。

 ファンデーションだけじゃなくて、その前のステップでも
 肌を整えて、うちの肌色をぜひ試して欲しいんです。・・・」


この会場に居る限り、かつえのよく通る声が常にどこかで響いていて、
それがKAtiEに関わるメンバーに、安心と勇気をもたらしていた。


「かつえ社長、相変わらずエネルギッシュだな。」


広通の森が聞いて苦笑いをする。

真也も綿貫の視線を感じて、挨拶をしにやって来た。




美奈と長田の方は、

「やあ、プレス担当ってそちらですか?
 月刊『コスメ』の森本です。」

「雑誌『国際潮流』の田中です。
 是非、一度取材に伺いたいので、かつえ社長のアポをお願いします。」

「月刊『シャーリー』の牧です。
 今月号に特集したいので、御社に取材に行きたいのですが、
 窓口はあなた?」

「月刊『CLAY』です。
 プレス特集ってことで、小林さんのメイク法、
 紹介してもらいたいんですが?」


次々と来る取材依頼に、名刺交換し、メモを取って
アポの日付を間違えないようにするだけで、美奈は汗をかいていた。



美奈はかつえメイクをしてもらい、
ややフォーマルなスーツで緊張していた。

若くて足の綺麗な美人プレス、ということで、
業界紙のジャーナリスト、関係者、
その他の男性から、名刺をもらいまくり、
女性誌担当者からは、鋭い突っ込みを受けていた。

美奈は、KAtiEにこれほど熱い関心を寄せてもらえたのが嬉しく、
笑顔で愛想と名刺を振りまき、
緊張しながらも、成功の手応えを感じていた。


最後に、美奈は出口近くで、長田や応援の女性と共に、
土産のサンプルキットを来場者一人一人に手渡した。

Qのイラストカードのついた、ラズベリー色のポーチ。
外の紙袋もラズベリー色だ。

そのうち、かつえもやって来て、手渡してくれる列に加わる。


45分ほどの発表、その後の簡単な懇親会で、
受付を開始してから、実質2時間弱で終わった。



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