AnnaMaria

 

琥珀色のアルバム  29 さざなみ

 

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「コントロールカラーがあれば、ファンデーションは、
 それほど重要じゃないってことですか?」

「いえ、そうではなく、KAtiEは顔全部にべったりとファンデーションを
 塗り込める必要はないと思っています。
 顔色の補正をきちんとやれば、うちのファンデはごくうす付きでも
 カバー力がありますし、かつ肌を自然に見せます。
 コンシーラーや、色を足すのはその後ですね。
 ほら・・・」

ふうん・・。

あれこれ試しながら、瀬尾を質問攻めにしているのは、
雑誌で活躍中の美容エディターである。
数も種類も多すぎるほどの化粧品の中から、おすすめをセレクトして、
その理由や、ブランドを超えた製品ごとの情報を読み手に供給する。

信頼のある美容エディターが「イチ押し」に指定すると、
そのアイテムの売り上げが何倍にも何十倍にもなり、売り切れることさえある。

そう言うわけで、影響力のある美容エディターに対しては、瀬尾を呼んで、
出来る限りの説明を行ってもらっている。

むろん希望する人には、瀬尾がメイクする場合もある。。

今日の美容エディターは、瀬尾のメイクで、来たときより10才くらい若返ったようだ。
しかも実に自然な仕上がりである。


「わあ、瀬尾さんってすごいわ。」

「気に入ってもらえましたか?外の光で見るともっと自然に見えますよ。
 素肌みたいにね・・・」

「まさか、そんな・・・」


化粧品の効果を熟知している美容エディターでさえ、瀬尾のマジックには
感嘆の声をあげる。
「メイクをほめられるのではなく、お客様がほめられるように」
瀬尾のモットーだ。「メイクが上手ね」はほめ言葉ではない。

そんな事情もあって、プレスルームに取材が来る際、
「瀬尾さんはおられるの?」との指名が増える。
もちろん売り場でも大人気で予約が引きも切らず、ブランドデビュー以来、
一日も休みを取っていないらしい。

KAtiE専属のマジックハンドとして、確かなテクニックと
彼の一途なカリスマ性がさらに女性ファンを増やしていた。



「ありがとうございました。今後もKAtiEをよろしくお願い致します。」

美奈は美容エディターにサンプルを渡すと、ていねいに玄関から送り出した。
絶対に機嫌を損ねてはならない。

プレスルームに戻ると、瀬尾がいらいらと待っていた。

「すみません、遅くなって」

「お客さまの都合だから仕方ないですよ。」

無言で体験ブース内の椅子を指され、美奈があわてて腰を下ろした。

「僕ばっかりに頼らないで、美奈さんの説明でも
『なるほど』と納得してもらえるようになって下さい。
 美容エディターは製品を研究しぬいているプロです。
 それぞれの長所短所を比べながら、情報を伝えるのが仕事なんだから、
 そりゃあもう、あちこち調べて回ってる。

 でも、美奈さんはその上を行かなくちゃダメです。
 KAtiEの製品がいかにすばらしく、使いやすく、
 買う人に支持されているかをアピールしなくちゃ。」

言いながら、美奈のメイクを直し始める。
かつえの不在中、時間のゆるす限り、瀬尾が美奈のメイクをしてくれたが、
かつえよりも熱心にやり方やポイントを教授し、
顔半分は自分で仕上げるように、何度も練習させられた。

「どうせ後で直されるから適当に、というやり方ではダメ。
 僕の仕事なんかないくらい完璧にやって、
 こういうのもアリか、と言う驚きを与えて下さい。
 素人仕事はダメだ、という見本ばかりじゃなくて・・」

うわ、きつぅ・・・。
美奈は首をすくめたくなったが、メイク中に動くと怒られるので、
じっと我慢した。

「このあたり、塗り込み過ぎね」

瀬尾の指が頬をなで、あと少しでメイクが終わる頃に、
副社長が誰かを従えて、プレスルームに入ってきた。


「いらっしゃいませ。」

美奈が立ち上がろうとすると、瀬尾に押さえ付けられた。

メイクの途中で挨拶したら、余計不気味でしょ。
ここはブースの中なんだから。

そうですね。

美奈が座り直すと「こっちは気にしなくていい。勝手に見て行くから」
と副社長がちらっと見えた鏡越しに手を振り、連れて来た30代とおぼしき男性に、
あちこちを案内し、自ら説明をしている。

一体、誰だろう?S社の人よね。

せめてメイク直しが終わっていれば、挨拶を交わして、名刺交換ができるのだが。

「美奈さん、集中して。67番の口紅の時は、少しつやを足して下さい。」

「はい」

瀬尾のレッスンが終わる頃には、副社長一行の姿も消えていた。


「ありがとうございました。」

「自分でももういちど思い出して、ポイントをメモしておいてね。」

「はい。」

瀬尾が大きなバッグをかつぎ、慌ただしく出て行ってしまうと、
思わず安堵のため息が出た。

このスキに資料を返してこなくちゃ。


TV収録の日から一週間、美奈の足はめきめき快復し、
杖はもちろん、手すりにすがって階段を上り下りすることもなくなった。

整形外科の医師から、無理は禁物だがリハビリは積極的に行っていい、
と助言を受け、時間のある時にストレッチや、
軽い足の運動を始めている。

倉橋の部屋まで階段を上るのは、ちょうどいい運動だ。

途中の4階で立ち止まり、窓から外を眺めるとすっかり春だ。

桜の季節は売り場オープンに駆けずり回って、
満開の時期を逃してしまったけれど、
わずかに咲き残る薄紅色と共に、みずみずしい若葉があちこちの枝から萌え出て、
淡い春のパステル画のようだ。

いい天気だな。

手にしていた資料を近くの小テーブルに置き、背すじを伸ばして、
窓枠に身体を預け、つま先からほんの少し伸び上がってみる。

懐かしい感覚。
『頭のてっぺんと背中に糸を通すように、まっすぐよ・・・。』

昔、さんざんバレエの先生に言われたことを思い出し、
窓枠につかまりながら、そろそろと足を床から上げて行くと


「もう、大丈夫なんですか?」


後ろから不意に声がかけられ、びくりと振り向いた。

ほんの5メートルほど先に、Qがポートフォリオを抱えて立っている。
子どもみたいにバレエのポーズを取ったところを見られてしまい、
恥ずかしくて顔が赤くなるのを感じた。


「ええ、もうほとんど。
 あ、とんでもないところを見せてしまって、すみません。」

「あやまることなんかないですよ。
 美奈さんは、バレエをやっていたんですか?」

「はい、昔・・・」

「どおりで。
 スタイルだけじゃなく姿勢がいいのもうなずけます。」


Qが微笑みながら近づいて来て、窓辺に並んだ。
今日は誰もこのフロアを使っていないらしい。

いい季節ですね・・・。

美奈と同じように、窓外の景色に目を細めた。
イラストレーターの彼の目には、美奈よりもっと的確に
季節の色が捕らえられていることだろう。


「美奈さんは、買い物とか、どこでするの?」

買い物?

予想外の質問に少し戸惑ったが、

「デパートが多いでしょうか。一度に買い物ができるので・・」


美奈の答えに、Qが横を向いてこちらを見た。
この間から鼻下のひげがなくなり、あごのあたりだけ
うっすらと伸ばしたヒゲで覆われている。

触るとちくちくするのか、それとも案外柔らかい感触なのか、
見ているだけではわからない。
ちょっと触ってみたい気もする。


「デパートは難しいですね。外の街並がある方がいい。
 どこかお気に入りの場所がありますか?」


お気に入り?
最近、ゆっくり街を歩いたのっていつだろう?

絵画館前の並木。あそこには当分行きたくない。
幡ヶ谷の商店街・・・は、街並に入らないんだろうな。


「ここのところ仕事が忙しいので、休みになると
 家でゴロゴロしていることが多くて、特に思いつかないです。」


そうですか・・・。

Qがまた窓の外に視線を戻した。
珍しく少し緊張しているように見えて、美奈はQの横顔を見つめた。


「どうしてですか?」

いえ・・・。

Qは美奈に向き直ると


「美奈さん、今週末の予定は、もう決まっていますか?
 予報では、どちらの天気も良さそうなので、
 もし美奈さんの足が治ったのなら、ぜひ撮影をさせて欲しいのですが。」

あ・・・。

急に切り出されて、美奈の顔がまた赤くなった。
足の快復具合が読めなかったので、今週末は何も入れていない。
出店先を週末に回るのも、足が治るまで美奈は免除されている。


「今週は何もありません。」

「では土曜日ではどうです?
 春の天気は気まぐれなので、くずれないうちに撮影したいのです。」

「わかりました。大丈夫です。」

「場所は僕が決めてしまっていいのかな。」

「はい。」

「都心になると思いますが、何時頃なら出て来られますか?」


何時頃?聞かれた美奈は混乱した。
このところ、午前様続きというわけでもないから、
起きられないこともないだろう。


「何時でも行けます。すごく朝早くなくちゃダメですか?」

「デパート以外のお店は、11時か11時半に開くところが多いでしょう?
 その頃になるとどこも混んでくる。
 もちろん人がいても、撮影する場所は沢山あるから構わないんですが、
 人が来る前の静かな街並にも立って欲しいので
 ちょっと頑張って早起きしてくれると嬉しいですね・・・」

「具体的に、どこに何時頃行けばいいのか決めて下されば、
 その時間に行きます。」

そうですか。

「では少し調べて、のちほどメールでお知らせしましょう。」

あの・・・。

美奈は一歩踏み出した。

「何を着て行けばいいんですか?」

「何でもいいですよ。美奈さんの好きな服で。」

「何でもいいって言われると、余計に迷ってしまうんです。
 何かテーマとかヒントをくれると決めやすいんですが・・・」

「そうか、それはそうかもしれませんね。」


Qはあごを撫でながら考え込んだ。


「途中で服を替えたりするのは嫌ですか?」

「え?別に構いません。それって何だか本物の撮影っぽくて面白そう。」

「本物の撮影ですよ」


美奈の答えにQは笑った。
笑うと目尻から頬にかけて、柔らかなしわができる。

この人って一体、幾つなんだろう?
綿貫さんよりは年上みたいだけど・・・。


「面白がってもらえるのが一番です。
 では、途中で少しイメージチェンジをお願いするかもしれません。
 だったら、最初はそうだな。」


表情は柔らかいままに、Qの目が光って美奈の全身を俯瞰した。
カメラに舐められたようで、なぜだか、ぞくぞくする。


「元気で生き生きした感じをお願いしたいので、
『ノーティ・ガール』つまり、いたずら娘がテーマではどうですか?」

いたずら娘??

まるで予期していなかった要求に、美奈は驚いて目をくるくるさせた。

「あはは、もっと違うイメージを期待してました?」

「いえ、そんな・・・あ、でもそうかしら。」

百合とかバラのように、とは言われないと思ってたけど、
「ひまわり」のイメージとか、「可愛い女の子」位かと思っていたんだけど
『いたずら娘』かあ。

美奈の戸惑う表情が面白いらしく、Qはますます笑顔を深くした。

「そんな顔もいいですね。ここで撮れないのが惜しいな。」

そんなって、どんなカオしてるんだろう?といぶかりつつ、

「じゃあ、わたしはこれで行きます。メール待ってます!」

美奈が資料を胸に抱え込むと、Qもうなずいて、

「必ず連絡します。楽しみにしていますよ。」

穏やかな笑顔のまま、階段を駆け上がる美奈を見送ってくれた。





『土曜日は仕事? 美奈』

めずらしく直ぐに、綿貫から返信メールが来た。

『仕事だ。都内だから夕方終わるだろう。』

『ふ〜〜ん、了解。』

先週末は、足が不自由だったせいでどこへも出られず、
もちろん綿貫にも会えなかった。
今週は定例ミーティングにも出て来てない。

本当は今週末にちょっと会いたいところだったんだけど、
忙しそうだしなあ・・・。

広告屋は、クライアントのスケジュールに合わせて仕事をするので、
自分では休みがなかなか決められない。

綿貫には、Qの撮影を受けたことを伝えてあるし、元々自分で決めろ、
と言っていたくらいだから構わないとは思うのだが、
土曜日に撮影になったことを言っておいた方がいいのか、悪いのか。

いっか、もう今さら・・・。

美奈はポン、と音を立てて携帯をしまうと、綿貫のことは考えない事にした。
そうでなくてもやることは山積みなのだ。





「芳賀さん、ついに来ましたよ。」

営業部長がうれしそうにもみ手をしながら、真也のところに寄って来た。

「ついにって何がですか?」

真也は相変わらず、仕事に忙殺されていた。
あらゆるトラブルや、問い合わせがすべて真也に持ち込まれる様相で、
それらを的確に対応できる担当者に振り分けるのが、彼の仕事のようになっていた。


「A百貨店ですよ。
 売り場担当者から、一度プレスルームを見学したい、と言ってきました。
 かつえ社長はいつお戻りでしたっけ?」

「明後日、帰国ですが、そのまま九州へ飛ぶそうです。
 ここへ戻ってくるのは週明けですね。」

「では、週半ばのセッティングでどうでしょう?」

「すぐにマーシャから、かつえさんに連絡を取ってもらいましょう。」

「副社長が、かつえ社長の帰国が遅いようなら、
 ご自分と倉橋常務で、一度会っておこうと言っておられるんですが。」

「副社長が約束めいたことつぶやいたら、あとでひっくり返すことができなくなる。
 これまでの経緯もあるから、どうあっても最初はかつえさんと会ってもらおう。 
 何とか副社長を押さえて下さい。」

「はい・・・」


折しもフロアを横切った、見るからに上質のスーツ姿に、
眉をひそめないようにするのが精一杯だ。

このところ、副社長は三日にあげず、KAtiEにやって来る。
それも一人ではなく、S社の部長や担当者までも連れてくるので、気が気ではない。
KAtiEの有望性を売り込んでいるのか、KAtiEの情報をもらすためなのか、
意図が読めない。

その度に自分が呼ばれ、必ず倉橋も同席しているが、
前田部長は外されることが多い。

真也は、嫌な予感を覚えていた。

前田部長はブランド立ち上げまで共に戦って来て、
100%KAtiEの味方をしてくれると信頼できる上司だが、
親会社の取締役である副社長の権限には適わない。

売り場を歩いても妙な変化を感じる。
以前はライバル然と冷たい視線を送ってきていた、
S社の担当がにこやかに会釈をして来たり、
S社のBAの態度までもが変わって見える。

KAtiEの1部長より、巨大企業S社の役員の方が店との交渉が
有利に進むのは当然だ。
会社の規模も、持っている権限も違う。

加えて、倉橋へのあからさまな執心。
KAtiEの売り場を回るときは必ずと言っていいほど、倉橋を同行させ、
その後、KAtiEに戻って来ると倉橋の部屋で長時間を過ごしている。

KAtiEに副社長の部屋がないのが一因なのだが、その点については、
かつえが帰国しないことには、勝手に決められない。
すでにC応接室が、半ば副社長の個人用と化していて、
来客に応対したり、自分の荷物置き場に使ったりとほぼ占拠状態である。

ここまで一つにまとまっていたチーム編成が横から強引に崩されるようで、
真也はいらだちを感じた。


「まあ、副社長、ネクタイが曲がっていますよ。」

「あれ、さっき鏡を見たつもりだったんだがな。」


倉橋はにっこり笑ったものの、自ら副社長へは歩み寄らず、
連れていた売り場の若いBA(ビューティ・アドバイザー)に小さくうなずくと、
BAは一瞬きょとんとしたが、あわてて副社長に歩み寄り、
曲がっていたネクタイを直した。


「ありがとう・・・」


深いバリトンで礼を言って微笑みかけると「いえ」と小柄なBAが赤面するのを、
倉橋が微笑んで見守っている。


あの二人はいったいどういうつもりなんだろう。

遠くからやりとりを見ていた真也は、またも胸がつかえる思いがした。

自分にはあのような駆け引きはできない。
あの二人からなるべく距離を置こうとしているのだが、
当の本人たちが呼び出してくるのを断れない。

それにあのイラストレーター。

倉橋がQを副社長に紹介しているが、副社長はまるで気がない様子だ。
興味がないのだろう。
彼のイラストやビジュアルセンスは抜群だが、美奈への目つきが気に入らない。
美奈もまんざらでもないような顔をして、Qに笑いかける。

美奈だけでなく、マーシャやかつえ社長まで、Qがお気に入りのようだ。

ああ、下らない!

真也は頭を振って、混沌とした思いを振り払った。

こんなことをいちいち気にしている自分が一番情けない。
仕事に対しては、もっと超然とすべきだ。

エレベーターから綿貫が、私服のスポーツ選手みたいになった加澤を連れて
降りてきた。
あの若さで、氷のごとく冷静な雰囲気とゆらがない態度に感心する。

そうだ。あんな風にあるべきだ。

真也は大きく息を吸うと、仕事の山に取りかかった。




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