AnnaMaria

 

琥珀色のアルバム 30-2 撮影の日2

 

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午後の撮影は午前中とは、かなり雰囲気が違っていた。

Qはあまりしゃべらなくなり、人気のない住宅街、坂道、
小さな公園などで、集中して撮影を続けていく。

午前中かけてカメラの存在を意識しなくなったのに、
午後になるとQ自身がカメラのように感じられて来た。

どこを歩いていても、カメラ越しにQの視線を感じ、
それがまた快感というか、どこか身体の奥を熱くさせる。

モデルさんってこういう気持ちなのかな・・・。

Qから少し離れて歩きながら、美奈は考えた。

でも・・・。
Qさんの見ているのは、わたしなんだろうか?
わたしを通して、別の何かを見ているような。

だが振り返ってQの視線を捕らえると、自信がなくなった。

違うかな?



歩いているうちに、しゃれた邸宅や低層のマンションが目につく、
住宅街の奥へと入り込み、子供が遊ぶ姿も見かけるようになった。

「ここらへんは、高級住宅街って感じですね。」

「そうですね。大使館関係者も多いみたいだし・・。」

外国人の姿もひんぱんに目にする。
大使館は幾つ通り過ぎたかわからないくらい。


公園から、ころころとボールが転がって来て、美奈の足元で止まった。
続いて、くりくりカールの男の子が出て来て、
美奈が投げ返してくれるのを待っている。

「行くわよ」

男の子が一つ手を打って、飛び跳ねながら待っている。
美奈が投げ返すと、きちんと胸の前でキャッチした。

「ナイス・キャッチ!」

美奈がほめると、男の子は小さな手を振って公園に戻って行く。
Qのレンズが連射するのを、どこかで感じていた。

また、二人でゆっくり歩き始めると、

「ひとつ注文していいかな」

「はい?」

「一度だけ、そのカーディガンを脱いで欲しい・・・」

「え、でも」

コレ脱いじゃうと、腕も肩もむき出しになっちゃう。

「ずっとじゃなくていいから・・・ね?」

初めて注文をつけられると、嫌とは言えなかった。
Qにバッグや荷物を持ってもらい、希望通りにカーディガンを脱ぐ。

「それでね、あそこにライムが生っているのが見える?
 あれに手を伸ばして・・・」

「え、そんな、人のおうちの庭のものを・・・」

「本当に取らなくていいんだよ。手を伸ばしてあの実に触れて欲しいだけ。
 いい?」

Qが指さす方を見ると、確かに家の塀からライムの枝が大きくはみ出して、
道にこぼれでているのがわかった。
葉影に緑色の果実が幾つも実っている。

言われるままにそばへ行き、見つからないかと少しドキドキしながら、
一番下のライムの実に届くよう腕をいっぱいにのばして、
ようやっと実に届いた。

「これでいいですか?」

元の姿勢に戻ってQに尋ねると、カメラ越しにVサインをしてくる。
ほっとして笑顔が出た。

Qは少し先へ進み、公園の白いブロック塀にもたれて、手招きしている。

見ると、さっきQが買ったライムが塀の上に二つ並べられていた。

少し斜めになった白い午後の光の中で、
ブロック塀が淡いクリーム色に反射し、緑色の実がつやつやと輝いている。

「きれいでしょう?」

「ええ、そうですね。」

「ゆっくり、手に取ってみて。」

言われるままに、美奈がライムに手を伸ばして、
塀から持ち上げようとすると、Qが空の方を向いて何か言った。

あら?今、何て言ったのかしら?

美奈がいぶかって、手を引っ込めようとすると

「待って、そのまま」

カメラ越しにQが言う。
そのまま、そのまま、と言いながら、
もう一つのライムに自分が触れ、
手の中のライムが二つ並んだところを、アングルを低くして撮影した。

美奈がやっと手にライムを収めると、Qが顔を上げ、

「それ、美奈さんにすごく似合ってる。アクセサリーみたいに・・」

そうかしら・・?

手の中のライムを見つめ、転がしたり、
顔を近づけて香りを嗅いだりしている様子を
Qがじっと見つめていた。


「それ、僕がもらってもいい?」

「ええ、もちろん。
 だって、Qさんが買ったのでしょ?」

「君には僕が持っていたほうをあげる・・・」

Qの手の中で温めていた緑の実を差し出してきた。
一瞬、二人の手が交錯する。

「こっちの方がいい香りだ・・・」

美奈から受け取ったライムの実に、目を閉じてそっと頬をすり寄せると、
また目を開いて美奈を見た。

こ、こんなんでドキドキするって、おかしいわよね。
でも・・・

Qはライムをポケットにしまうと、うろたえ気味の美奈に近寄って、
ていねいにカーディガンを着せかけてくれた。

「つまらないおみやげだけど。
 撮影のお礼は、別にするから・・・。」

「そんな、わたし、プロじゃありませんから、お礼なんて要りません。
 できあがった写真をぜひ見せて下さい。
 ちょっと怖いですけどね。
 わたし、昔から写真って苦手で、いつも変な顔して写ってるから。」

「そう?じゃ、出来上がったら、美奈さんに最初に見せる。
 もし気に入ったらアルバムにして、もらって貰うよ。
 君が嫌な写真は絶対に表に出さないから。
 僕を信じて下さい。」

「Qさんを信頼しています。
 今日は楽しかった、ありがとうございました。
 何だか、撮影って言うともっと大変で、疲れるのかと思ってました。
 沢山ごちそうになっちゃった上に、お土産まで頂いて・・」

いや、まだ何もあげてないよ。

ううん、スミレのカードや、こんな可愛いライム・・・。

美奈がライムをかざしながら、Qに視線を戻した。


「そういえば、さっき撮影中、ちょっと空を見て何か言いましたよね。
 何て言ったの?」

「ああ、あれ?よく見てたね。」

「なんか、とても厳粛な感じだったから。」


美奈は首をかしげて答えを待ったが、Qはすぐに答えなかった。


「笑わない?」

「え?」

「バカみたいなこと。
 美奈さんの髪を少し揺らしてみたかった。
 そうしたら風が吹いて、僕の望みを叶えてくれた。
 だからお礼を言ったんです。
 『ありがとう』って。」

「風に?」

「風に。それから美奈さんを照らしてくれた太陽に。
 もうちょっとだけ、光が欲しかったから・・・。

 本当、バカみたいだね。やっぱり笑っていいですよ。」

Qは照れ臭そうに横を向いた。

わあ・・Qさんて、ロマンチストなんだ。

美奈は背の高いQの姿を見つめ直した。

Qさんってどんな人か、今まで考えたことなかったけど、
今日ですこ〜し、わかったような・・・。


はっくしゅん!

ひやりとした風が肩先をかすめ、美奈がくしゃみをした。
Qがさっと自分のパーカを脱ぐと、カーディガンの上から美奈に着せかける。


「僕の選んだのは、ちょっと薄着だったね。
 ごめん。風邪を引かせてしまったら大変だ。」

いえ、大丈夫です。
ちょっとひやっとしただけですし・・・。

着せかけてくれたパーカはQの体温が残っていて、暖かい。


「そのドレス、そのまま着て帰らない?」

「いえ、着てきた服に着替えて帰ります。」

美奈の言葉に、Qは少し残念そうにうなずいた。

「そう。では、さっきの場所に戻ろうか。」


先ほど服を着替えた店に行くと、店主らしい女性は、
別の客と商談中だった。

Qと美奈を見るとさっと立ち上がり、美奈の背中に手をあてて、
先ほどのドレッシングルームに案内してくれた。

朝の服に着替え終わると、ようやく自分にもどったような、
なのに少し違和感を覚えるような、ちぐはぐな感じだった。

水色のドレスを持って出ると、Qが待っていた。

「美奈さん、そのドレス、自分でも着てくれる?」

「え?」

「それ、美奈さんにとても似合う・・・。
 モデル料の一部として、僕からプレゼントさせてもらっていい?」

「ダメです。
 わたしは素人だし、モデルらしいことは何もしていませんから。」

「大事な休日に、一日僕に付き合ってくれたじゃないですか。
 その気持ちに対して、何かお礼をさせてもらいたいから。
 それにそのドレス、本当にぜひ着て欲しいんだ」

「Qさんが以前、撮影された女性にも
 お礼とか、プレゼントとかしたんですか?」


一瞬、Qが答えに詰まった。


「どうだったかな。
 あの頃は本当に金がなかったからね。
 大したことは出来なかったけど・・・。」


美奈に向き直ると、少しまぶしそうに、


「そういうボーイッシュな服だと、会社にいる美奈さんとは、
 また別のイメージが湧くね。」

「へえ、どんなイメージですか?」

「そうだな。
 僕は言葉で表現するのがあまり上手くないんだけど。
 ふわふわしてて・・」

美奈をじっと見つめた。

「大人になりかけの仔猫みたいかな」

「猫??」

驚いたような美奈の声に、Qが笑った。

「気に触ったらすみません。
 そんな感じがしただけ。
 疲れたでしょう?
 夕食を一緒にいかがですか。」


見上げると空は赤く染まり始めている。
いつの間にか、影が薄く長くなっていた。


「夕食のときはカメラをしまいますよ。
 表通りを少し入って曲がった小径に、うまいレストランがあります。
 小さな店だけどきれいだし、中々いいワインを置いてる。
 どう?」

美奈は一瞬迷ったが、気がつくとこう答えていた。

「ありがとうございます。でも今日は帰ります。
 面白かったけど、慣れないことをやったので、
 かなり気疲れしてしまったみたい。」

ごめんなさい・・・。

美奈が言うとQは残念そうにほほ笑んだ。

「う〜ん、残念ですが仕方がない。
 早くから叩き起こしてしまったしね。
 夕食はまたの機会を待つことにします。
 いつか付き合ってくれますか?」

「はい。喜んで・・・」


暮れかけた通りを、二人でゆっくり歩いていった。
疲れてはいたけれど、もうじきこの一日が終わってしまうのが残念な気もする。
あたりの人通りは相変わらずだが、足取りが速まって、
みんなどこかへ向かっているようだ。

途中、朝立ち寄ったオープンカフェの向かいで、
可愛らしいプチフールのセットを買ってもらい、お土産にもらった。
ドレスも、もう手に入れてしまったものだから・・・と、結局頂くことになった。

Qはもうあまり美奈にレンズを向けず、夕暮れの街や景色を撮っている。
その背中のシルエットにも親しみが湧いていた。

どんなにゆっくり歩いても、ついには駅へ着く。
改札の前で立ち止まり、向かい合った。


「だいぶ、疲れさせてしまったみたいだね。
 お家まで送らせてくれますか。」

「ごめんなさい。できれば一人で帰りたい。
 ぼうっと気が抜けちゃって、ちゃんとお話できそうもないんです。」

「そうですか・・・。
 無理なお願いを引き受けてくれて、本当にありがとう。」

とても楽しかった・・・全体の仕上がりが楽しみです。

Qがほほ笑むと、またあのしわが現れた。

優しそうな笑顔・・・。

「わたしは少し怖いけど、でもやっぱり楽しみです。
 じゃ、さよなら」

「さよなら」


Qに見送られて、美奈が改札を通った。
一度振り返るとQが手を振ってくれ、美奈は軽く会釈すると、
急ぎ足でホームに向かった。

ホームから街を見ると、夕暮れの中へ影のように沈み、
駅前のイルミネーションが輝きだしている。
長い一日がようやく幕を引いた安堵からか、ほうっとため息が出る。

ホームはそれほど混み合ってはいなかった。

Qは四六時中カメラを向けていたのでも、じっと見つめていたわけでもないが、
気が付くと視線が自分に向けられていた。

それでも、美奈をリラックスさせようと話をしてくれたり、
花の名前にも詳しくて、カフェのプランターに咲いている花や、
豪華なフラワーショップのショーウィンドウ越しに見える、
さまざまな花の名前を教えてくれたりした。

雑貨や、家具にも詳しかったし、
女性の服についてもよく知っている。

実際、何軒かの店のオーナーや、出入りのスタイリストがQを認めて
声をかけてきたり、挨拶してきたりすることもあった。

美奈が店でいろいろ眺めている時も、
退屈するでも、じろじろ見るでもなく、さり気なく話しかけたり、
手にしているものへの感想を述べたりと、とても物慣れた態度だ。

それに「きれい」と、言ってくれた。

あんな目で言われると、ホントなのかと思いたくなってしまう。

だが、半日以上、自分を見つめていたQの視線を
これ以上浴びたくなくて、夕食を断ってしまった。



ようやくやってきた電車に、一駅乗って渋谷に着き、山手線に乗換えようとして、
ふと綿貫のことを思い出した。

今日は仕事って言ってたよね。

代官山とは打って変わり、人であふれている渋谷駅ホームの端に寄り、
綿貫にメールする。


『今どこ? 美奈』

『新宿。やっと終わった。』


ぼうっとしかけていた意識が急にざわざわと目覚め出す。


『今、渋谷なの。待ってて。』

『着いたら電話くれ』




新宿西口の改札を出てしばらく行ったところで、懐かしい姿を見つける。
美奈は思わず小走りに、綿貫の胸に飛びついた。

わっ!

予想外の美奈の行動に驚いて、綿貫は後ろに倒れそうになった。

「ごめん!でも、どうしても綿貫さんに会いたくなっちゃった。」

美奈がしがみついてくるので、動転しながらも、
何とか倒れないように支えながら、「落ち着けよ」と
左腕で背中をぽんぽん、と叩いてくれた。

きゃん、気持ちいい!

ますます美奈が綿貫の胸にしがみつくと、
綿貫が体を引き気味にして、覗き込み、

「何だ、どうしたんだ、
 何かあったのか?・・・」

心配そうな声をかけた。

「ないよ、何も。
 でも、会えてすご〜く感激しちゃった!」

顔をくしゃくしゃにしながら、大きな瞳で綿貫の顔をまっすぐ射る。
一瞬、綿貫がまぶしそうに目を細めたが、

「感激してくれたのは結構だが・・・
 その・・・この態勢は、ちょっと・・」

自分の胸に抱きついたままの美奈から、腕を放しながら、
当惑した声を出した。

「ああ、ごめんなさい。
 あやうくこんな場所で、押し倒すところだった・・・。」

改札前の最高に人通りの多い場所で、くっついている二人を
邪魔そうによけて人波が通っていく。

ふふっと笑って、美奈がやっと体を離すと、
綿貫が息を吐いてネクタイを直し、

「急におどかすなよ。
 こっちに向かって来る美奈の顔が怖くて、
 一瞬、走って逃げようかと思った・・・」

「何よ、それ!」

ぷうっと美奈がふくれる。

「冗談抜きでスゴかった・・・」

「へえ、綿貫さんでも怖いものがあるのね。
 そんなに喜んでもらえるなら、また飛びついてあげるわ。」


美奈が反抗的に微笑んで、綿貫の顔を見る。
綿貫が呆れたように口を結んで、眉をあげた時、
くるっと前を向き、綿貫の左腕を取って胸の中に抱き込んだ。

「・・・!」

そのまま、左腕をたぐって綿貫の手に自分の手をこじ入れると、
無理矢理、恋人つなぎにぎゅっと握ってそのままずんずん歩き出す。

2、3分歩いたところで、


「おい、美奈、どこまで行くんだ?」

「別にどこも。歩いているだけ・・・。まずい?」

「マズいわけじゃないが・・・。
 このまま歩くのか?」

「うん!」

「・・・・」

「どうしたの、イヤなの?」

「う〜〜ん、歩きにくい・・・。」


綿貫の掌がどことなく湿っぽい。


「綿貫さん、手に汗かいてる。」

「そうかな。」

「もしかして、女の子と手をつないで歩いたことがないとか?」

「・・・・」

「ひえ〜〜ん、変なの!立派な30男なのに。」

「関係ないだろう・・・」


急にむすっとして、手を振りほどこうとするのを、
またぎゅっと握りしめる。


「だめだよ。
 わたしと手をつなぎたい人が大勢いるのに、
 離すなんてもったいない・・・」

「それって何の話だ・・・」


綿貫がいかにも居心地悪そうにしているのを無視して、
そのままブンブンと腕を振りながら歩いていった。

「あ・・・!」

綿貫が言う。

「どうしたの?」

「あそこの蕎麦はうまいんだ。
 急に蕎麦が食いたくなった。
 付き合え・・・」


さっと美奈の手をふりほどくと、
大きな提灯のあるそば屋へ、自分から先にさっさと入っていく。

んもう!

仕方なく美奈もあとに続いた。





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