AnnaMaria

 

琥珀色のアルバム 33 ラッキーカラー

 

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もらった鍵でドアを開けると、綿貫の姿が見えない。

ベッドに倒れているのかしら?

コートを着たまま、傍に寄ってみたがベッドは乱れていない。

どこにいるのかな。シャワーの音はしてないみたいだけど。

美奈が奥の浴室に行くと、綿貫が裸のまま、タオルで体を拭いていた。


「わあああ、なんだ!
 シャワーなんて浴びて平気なんですか?」


美奈はびっくりして飛び退いた。
裸の綿貫を見たことはあったが、シャワー直後の裸は見たことがない。


「入りたいのか?ちょっと待ってろ。今服を着るから・・」

「いや、いい!いいです、いい。」

「裸でいろと?」

そうじゃなくて・・・あの。


「ここまで来たんだから遠慮するな。コートはあっちに置いた方がいい。」

あ、はい。


美奈が後ろを向いて退散し、玄関でコートをかけていると、
いつものTシャツとコットンパンツに着替えた綿貫がキッチンへ歩いて来た。

ひょい、と美奈の作ったすきやき鍋のふたを開ける。


「何だ、これは?地獄鍋か?」

「なんで地獄鍋なのよ!」


美奈がかっとふくれて聞き返すと、


「だって、真っ赤な血の池にぷかぷか白い骨が浮いて・・」

もうっ!

怒って綿貫の腕をたたいた。


「骨じゃなくて、手羽先とイカですっ!ひどっ、本当に帰るっ!」

「まあ、せっかく来たんだから待てよ。」


綿貫は落ち着きはらって、美奈の肩に腕を回した。
真っ正面から綿貫を見ても特に体調が悪いことも無さそうだ。


「綿貫さん、調子悪いんじゃないの?」

「悪い?どこが?」

「どこがって、体がくたくたで歩くのもやっととか、熱があるとか・・」


そのまま、引き寄せられた。
しばらくじっと抱かれている。


「熱ある?」

耳元で低い声が訊く。

「ない・・・みたい。なんだ・・・」


拍子ぬけしたら、体からも力が抜けた。
正面の顔も、くすりとゆるむ。
回されていた腕がほんの少し締まり、ゆっくりと顔が近づいてくる。

目を閉じると同時にキス。

この人って、どうしてこんなに甘いんだろう。

ゆっくり重なる唇の柔らかさに誘い込まれるように体を寄せ、
そっと唇の感触を味わう。

ごちゃごちゃと考えていた言い訳が、たちまち頭から抜け落ちて行く。

何度も重ねられた唇がようやく離れたときは、
美奈から綿貫にしがみついていた。


「会いたかった・・・」


正直なつぶやきにかすかに微笑んだ気配があったが、
抱きしめられているので顔は見えない。

綿貫の使っている石鹸の匂いがする。
綿貫の肌の匂いもかすかにする。
綿貫の体温も感じる。

自分はこれに会いたかったのだ、とうれしくなり、
笑顔を向けると綿貫は髪をなでてくれた。


「今日はどうした?」

それはね、え〜っと・・・そうだわ。

「出張サービス!」

「出張サービス?何の?」

それはもちろん・・・

「トマトすき焼きの宅配サービス!」

「そうなのか?」

「ホントよ。ミネストローネスープとすき焼きのピリ辛ハーモニー。
 すっごく美味しくて、男性はコレを食べると・・・む!」


ぎゅっと首を引き寄せられて声が詰まる。


「いや、出張サービスの中身はそれかと訊いたんだ。
 もっと別のに機種変更しろよ。」

「別のって言われても、もう作っちゃったもの。
 ちゃんとできたよ。
 友だちの旦那さまはコレを食べる度に、
 おいしくて泣けてくる、って言うんだって。
 だからいいかな、と思ったんだけど。
 食べる?」

「今はいい。腹が空いてない。」


ニットの裾から長い指が入り込み、しばらく
ぬめぬめと温かい肌の上をさまよっていたが、
勢い良くめくり上げるとさっと首から抜かれた。

ひっ!

あせった美奈が、ブラだけになった上半身を腕でかばおうとしたが、
一瞬、綿貫が目を剥いた。
あわてて離れようとするのを、後ろから抱きとめられる。
背中に走った深紅の肩ひもの上をじわじわと指が降りて行く。


「これは、見たことあったかな・・・」

「ない、と思う・・けど」


後ろから真っ赤なレースのカップに沿って綿貫の指が動き、
柔らかな肉をなぶりながら、反対の手で器用にスカートを落としていく。

ストッキング越しに深紅のショーツが透けて見えた。


「あの時着ていたのは、コレだったのか。」

「だって、マーシャが事前に占ってくれて、
 あの日『ラッキーカラー』は赤だから、
 なるべく肌に近いところにつける・・ようにって・・・う!」


指先にきゅっとつままれて、声が出る。
綿貫の言う『あの時』とは、TV収録中、美奈が階段から落ちて、
でんぐり返りをし、スカートの中まで披露してしまった時のことだ。


「綿貫さんにも見えたの?」

「だから止めた。
 あやうくコレがオンエアされるところだったんだぞ。」


ストッキング越しに浮きあがった赤い丸みをしばらくさすってから、
ゆっくりと剥がしにかかる。


「今日のラッキーカラーも赤なのか?」

「今日はたまたま。
 ちょっとトマトすき焼きを届けて帰ろうと」

「うそつけ。
 で、どうして戻ってきた?」

「何だかぼうっとしてたから、体調悪いのかな、って急に心配になって・・」


剥がし終わったストッキングをぽい、と放ると、
美奈のウェストをつかんで床から垂直に抱き上げた。

美奈は愛しい顔を見下ろして、腕を広い肩にまわす。

かすかに茶色の瞳がまっすぐこちらを向いているのがまぶしくて、
上からぎゅっとしがみつき耳元でささやいた。


「高くつくから」

「何が?」

「だから出張サービス。」

「まだ利用してないな。」


ベッドの上に軽く投げるように美奈を下ろすと、Tシャツを脱ぎ始める。

美奈の体に巻き付いている赤が、白いシーツに浮き上がる。
そうっと起き上がりながら、綿貫を見上げていると、
見る間にベッドに上がって来て美奈を組み敷いた。


「・・・・」


美奈の腕を押さえてベッドに肘をつき、
ぎりぎりで胸が触れ合う場所で止まると、
とっくりと視線をあちこちに這わせる。


「いや」


美奈が手で隠そうとするのをゆっくりと払いのけ、
横を向いた耳たぶの下に口づけた。


「トクトク言ってる。速いな。」

「え・・・」


ごく浅く唇を押し付けたまま、ささやかれると、背中がぞくりとした。
その間にも指は、赤いレースのふちをたどって入り込み、
まるい肉をぐっとこぼれさせる。


「!」


温かく濡れた感触をを胸に感じて、美奈は声を上げた。
赤い布に包まれていた肉は、血の色をのぼらせて色づき、
震えている。

反対の胸をつかまれるとさらに声が出て、美奈は体をよじった。

綿貫は急ぐ気配もなく、ゆっくりと赤いレースにそって谷間をあがり、
のどをたどり、反り返った美奈の顎に親指をあてると、
まだ喉へ戻して、軽く親指を置く。


「ほんとに帰るつもりだったのか?」

「うん・・・ああ、ううん!」


耳元の低い声に、待っているうちに虚しくなったから、
などときちんと説明できそうにない。

のどに置かれた指に少し力が加わり、かすかに不安になる。


「わたぬきさん・・?」


答えはなかったが、動いていた指が止まり、
あごの周りを包んで、すっとなであげられると
ぞくぞくと身震いする。

ショーツに手がかかった時には、すでに美奈はどうしようもなく、
綿貫を求めていた。





みっしりと綿貫に包まれ、丸い繭みたいになって眠っていた。
どこからが自分でどこからが彼なのか、わからないくらいくっついて、
溶け合っている。

愛しい人の胸許深くもぐっていると、規則正しい寝息が聞こえる。
深く眠り込んでいるのだろう。

自分が来たことを喜んでくれているのか、
顔を合わせたのに、一度は帰ろうとしたことに気を悪くしたのか、
美奈にはよくわからなかった。

自分を抱く綿貫から両方を感じたから。

責める言葉は何もなかったけれど、
昨夜の綿貫は少し怖かった。

決して乱暴ではなく、ひたすら優しかったのだが、じわじわと責め続け、
美奈の目から涙がこぼれても止めない。

これ以上は狂ってしまう、と思うほどなのに、
綿貫の体は熱くても表情は波がなく、延々と美奈を貪りつづけるので、
大声で叫ばないようにするのが精いっぱいだった。

ときどき、何考えてるのかわかんなくなる。

美奈はつぶやいたが、よく考えれば、わかっている時の方が少ない。
ほんの少しのびあがり、肩口に顔をすりつけると、
眠ったままの温かい腕が、無意識に美奈を抱き寄せた。

いい匂い。あなたの匂い。
あなたの味。

美奈は小さく舌を出して、すぐそばの喉をちょろりと舐め、
満足げにまた腕の中深くもぐり直した。






「意外とおいしいでしょ?」

「ああ。」


前夜のトマトすき焼きに水を足し、具の多いスープのようにして、
寝起きで気だるげな綿貫に差し出した。

体があったまって来るのを感じながら、
ふうふうと二人でスープを食べていると


「美奈」

「ん?」

「この間の『湯豆腐うんぬん』は冗談だ。
 今後は気を遣わなくていい。」

「お料理するなってこと?」

「作ってくれても食べられるとは限らないからな。」

ふうん・・・

わかってはいたけど作ってみたかったのだ。
結構、うまく行ったではないか。
今度はもう少し難度の高いものに挑戦してみようと思っていたのに。


「しばらくは本当に遅くなる。」

「そうなの。」

「いつ来てもいいのは同じだが、帰ってくるのが朝、ということもあり得るから。」

いいか?


綿貫が目を上げて美奈を見た。


「うん、わかった。会えるって当てにしないし、勝手にするから。」


綿貫はかすかにうなずくとスープの入っていたカップを空にした。


「ごちそうさま」

「ん・・」

美奈は笑顔で受け取って「いつか」と言いかける。

「・・・・?」

立ち上がりかけていた綿貫が動きを止めて、美奈の言葉を待った。


「いつか、あなたの料理も食べてみたいな。」


ふっと苦笑すると「約束はできない」と言いきり、立ち上がった。

「今日は少し早く出る。美奈はどっちでもいいぞ。」


少し考えたが、綿貫を送って出ても余裕で間に合う時間だ。


「わかった。先に出ていいよ。」


美奈がカップをもってキッチンに立つと、綿貫がクローゼットに向かうのが見えた。
カップを洗い終わる頃には、スーツを着て、すっかり戦闘モードに入っている。

コートを腕にかけている綿貫を玄関まで送って出た。


「いってらっしゃい。」

「ああ・・・」


靴を履いている間、顔を上げなかったが


「行って来る」


美奈をみつめて、少しためらっていたが、背を向けてドアに手をかけた。


「ちょっと待ったぁ!」


美奈が反対の腕を引っ張り寄せ、
ぎゅっと抱きつくと強引に頬へキスをした。


「う!」


頬のあたりを嫌そうに手で拭い、一瞬美奈をにらむと、
綿貫は足早に出て行った。

はああ・・わたしも照れるんだよ。

美奈は玄関にぺたりと座り込んで、ため息をついた。






それは、かなりはっきりとした形を取ってやってきた。

「綿貫、ひとつ頼まれてくれないか?」

「はい?」


加澤とKAtiEのプロモーションスケジュールを確認しているところへ、
前のプロジェクトで一緒だった先輩が顔を出した。


「うちのプランナーがひとり倒れて入院してね、スケジュールに穴が開きそうなんだ。
 急だが、助けてもらえないかな?」

「スケジュールの具合によりますが・・・どこです?」

「あじさい製菓だ。」


返事をしながら綿貫は、これは断れない、と直感した。

仕事を常に幾つか掛け持ちするのは、広告マンの常識だが、
普通なら自分に持ち込まれる話ではない。
周到に狙って来ているのだ。

KAtiE専属、という担当は変わっていないものの、
綿貫が他の仕事を全くやらなかったわけではない。
同時にいくつもの仕事を片付けてきていたが、これはきっと違う。

先輩に仔細を聞く時間を決めてから、急いで江田に連絡を取る。


「時間がかなり厳しくなりそうだ。
 一番早いタイミングでセッティングしてくれないか。」

「了解。伝えておく。
 話をしていたら、すごく乗り気だったよ。楽しみだね。」

楽しみ?

これが新たな罠にならないことを願うしかない。

中原部長にも連絡して、こんなオファーがあったことを伝えると
すぐに顔を出してくれた。


「確かに先週ひとり入院してる。
 だが業界違いだから、普通は食品の経験があるものを指名するんだがな。
 確かめて来たんだが、上が噛んでるんで俺からも断れないんだ。
 おそらく森の差し金だろうが・・・。」

「ええ」

「加澤は連れていくなよ。二人抜けるとKAtiEがストップしかねない。
 俺も加澤に気をつけるから。」

いいな?

中原が日焼けした顔からぎょろりと目をむくと、
加澤が「お願いします」と不安そうに言う。


「代わりに誰を連れて行く?」

「いっそ、江田と組もうかと思ったんですが。」

「江田は加澤に付ける。お前は誰か別の奴を連れて行け。」

「わかりました。」


綿貫は頭の中のリストをざっとめくった。
どいつがいいか、と考えた時に、
最近髪を刈り上げて白っぽい金髪にした若手のプランナーを思い出した。


「岡本に声をかけてみます。森さんとつながりありましたっけ?」

「あるな。いっとき森のところで色々とやっていたんだが、
 ある時を境にぷつっと別れて移動してる。
 何があったかは知らないが森の味方はせんだろう。」

「はい。」


ぜったい岡本に声をかけてみようと綿貫は決めた。






「では、これより15分ほど懇談の時間を設けます。
 なるべく片寄らずに、いろんな方とお知り合いになって下さい。」


リエお薦めの広報・プレス向け研修セミナーは、週一で3回コース。

3回も一体何を教わるのか、この忙しいのに、と美奈は考えていたのだが、
出席してみて、その盛況ぶりに驚いた。

30〜40名ほどがびっしり会場に座り、熱心にノートを取っている。
プレス関係者ってこんなにいるのかと、あらためて美奈は自分の不明を恥じた。

聴講者の半数以上は若い女性である。
それもどちらかと言うと華やかで、かなり目立つ女性が多い。
服装にも気を遣っている。
プレスは女性に人気の職種だと知ってはいたが、これほどとは思わなかった。

他に50がらみの男性や、もう少し年配の女性たちもいるにはいた。

会社名と氏名が入っている胸の名札を覗き見ると
A百貨店、K出版社などと得意先ばかりで、S社で見かけた顔もいたが
向こうは美奈を見ても、まるで知らない様子であった。


「○○ちゃん、久しぶり。元気だった?」
「元気よ!この間、△△さんに会ったの。」
「ホント?今度、一緒にごはん食べない?いいとこ見つけたの。」


休憩時間になると、その華やかな女性たちが固まって、
一斉に親しげなおしゃべりを始めたのだ。
同じ会社から大量に来ているのかと考えたが、漏れ聞いた話ではそうでもない。
どうも元々知り合いのようである。


「曽根さん、秋なんですって?」

「ええ。色々済んでやっと決まったところなの。
 でも彼が今、ものすごく忙しいから中々会えなくて・・・」

え?


かすかに引っかかった名前に振り向くと、すぐ近くに
真珠色の光沢のあるジャケットを着た、柔らかな茶髪の女性が見えた。

どこかで見たような・・・。

美奈は渡されたウーロン茶のコップを持ったまま、
しばらく考えていたが、偶然その女性がこちらを向いたので
まともに顔を合わせてしまった。


「こんにちは、はじめまして・・・」


反射的にあいさつが口から飛び出ると、相手も驚いたように


「こちらこそ、はじめまして」


にこやかに挨拶を返された。


「あら・・もしかして「KAtiE」の方ですか?」

「はい。そうです。」


美奈は答えながら、あっと思った。
女性の面差しは、あの副社長にそっくりではないか。


「あの・・・間違っていたら申し訳ありません。
 もしかして曽根副社長の・・」

「はい」


にっこりと笑った拍子に、両頬に可愛らしいえくぼが浮いた。
胸の名札に『TV○○、曽根』とある。

そうか。曽根副社長のお嬢さんは、TV局にお勤めなんだ。




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