AnnaMaria

 

琥珀色のアルバム 44 誘いの風

 

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定例ミーティングの翌日より、綿貫は日に何度も森チームから呼び出された。

電話一本で呼びつけては、聞きたい情報が得られると綿貫を無視したまま、
打ち合わせを続けて行く。
ある時点で、急に存在に気づいたように、

「あ、もういいよ。ここからはこっちでやるから。」

手を振って退席を促されたりする。

無礼でも、これが「引き継ぎ」だと言われれば拒めない。
森のやり方に今さら驚かないつもりだったが、度重なると席を蹴りたくなる。
だが、出て行ける自分はまだマシで、預けっぱなしで
隅に座らされたままの加澤は、もっと辛いだろうと推察された。

あじさい製菓は、跡継ぎ専務が相変わらず愚痴っぽいものの、
仕事ぶりは気に入ってもらえたようで、
こちらの提案をかなり受け入れてくれるようになった。

「なんだか、お二人に頼っちゃってる感じだけどさ。
 若いのにしっかりしてるねえ。前の人よりいい位だよ。」

金髪の岡本が如才なく話をつなげて、クライアントをいい気分にしている。
頭痛の種はもう一つの担当だ。

江田と共に担当するクライアントは、現代医薬と漢方半々の企業で、
元は置き薬の薬種問屋から発展した会社らしい。
競争の激しい医薬品部門では押され気味でも、漢方の市場では
多くの顧客の信頼を得て、売上も右肩上がりだ。

ただ、跡取りの若い専務はプロモーションに積極的なのに、
漢方調剤の中心である医学博士が、広告そのものに懐疑的なのだ。
伝統のお灸に女性向けの「香り」を付けた自社の新製品にも
甚だご不満のようで、「あんなものはいずれ廃れる」と否定的。


「ですが、お灸は試したいけど、あの匂いが苦手というお客様に、
 この製品はとても喜ばれると思いますよ。」

江田のとりなしにも苦い顔を崩さない。

「香りで薬効があがるならともかく、何の意味もないものを・・」

「でも先生、まずは使って頂かないと良さをわかって頂けないですし」

「良い薬は自然とちゃんと広まっていく。気取った宣伝は要らん。」

あかんわ。

江田がこめかみを抑えながら降参した。

「『口コミ』以外の広告を信じてないわね。
 もっと広くお灸の良さを伝えたい、とか、まるっきり思ってない。」

「広告で嫌な目にあったことがあるんだろう。
 あの製品の開発者や発売を決めた専務から、話をすすめてはどうなんだ?」

「あのじいさんが邪魔してきそうだけど、それしか無いわねえ。」




社に戻ると例によって森からの呼び出しだ。
小一時間ほど拘束された後、デスクに戻ると内線が回ってきた。
受話器を取ると懐かしい声。


「綿貫・・・」「小松か?」


新米時代、密かにタッグを組んでいたアートディレクターの小松だ。
今は大阪支社にいて、着実にキャリアを広げている。


「綿貫って、ぜんぜん連絡して来ないなあ。冷たいよ。」

「悪い。大阪出張の際、世話になったきりだな。
 でもなんで、携帯に掛けて来ない?」

「いやあ、お前、いろいろ忙しいから繋がらないだろうと思ってさ。
 内線なら誰かが伝言とか残してくれるかもしれないし。」

その口調で、すでに事情を知っていることが窺われた。

「何の用だ?」

「まあ、そうとがるなよ。
 ずっと会いたかったんだが、動きが取れなかった。
 明日、日帰りで東京に行く。15分でいいから会えないかな?」

「わかった、そっちに合わせるよ。」

「助かった。」


翌日、現れた小松は相変わらず青白くて、ひょろひょろした身体に
迷彩柄のポロシャツと真っ白なカーゴパンツを履いているのは、
冗談のようにも見えた。

「おお、やっと会えた!」

満面の笑みをたたえて、廊下を勢いよく近づいて来る小松に

「男と抱き合う趣味は無いぞ」と釘をさしたのに
「ふふ、まずは二人っきりになろうぜ。」

嬉しそうに背中を叩いてくる小松を躱しながら、
本当にこいつと二人きりになっていいものか、自問した。

打ち合わせルームのドアを閉めると、小松がにやりとした。

「これで邪魔が入らないな。」

「怖いコトを言うな。」

不審気な視線を向ける綿貫を小松は笑って、
それから、まっすぐ目を据えた。

「綿貫、本当に15分しかないから単刀直入に言う。
 大阪に来て、一緒にやらないか?」

「・・・・」

「くわしい状況は知らない、おおよそしか聞こえてこない。
 でも、これは綿貫を引き抜く絶好のチャンスだと思った。
 大阪のクライアント、いろいろクセはあるけど面白いよ。
 お前と組んだら、もっと行けると思う。」

狭い打ち合わせルームで、ぐっと顔を寄せて来た。

「こっちに来いよ。いやぜひ来て欲しい。
 こんなところでくすぶってないで、一緒にひとあばれしようぜ。」

「別にくすぶってなんかいないぞ。」

「言い方が悪かった。俺はお前と組みたい。
 俺が会った中で、お前ほど優秀な奴はいなかった。」

言うだけ言うと、小松はぐっと胸を押さえて椅子にもたれた。

「はあ、とにかく告白したぞ。あとはお前次第だ。
 正直、プロポーズより緊張した。」

持って来たペットボトルを一気に空けて、大きなため息をついた。

「あいかわらず変な奴だな、お前は」

綿貫が言うと、二人でどちらからともなく笑い出した。
わははは・・・、ふふふ。

きっと外にまで聞こえているに違いない。


「いい返事を待ってるよ。
 あ、それからお前の先輩、木下さんはすっかり毒が抜けて、
 細かい仕事ぶりで信頼を得ているよ。
 もう、毒を吐きかけることもないと思う。」

大阪支社にいる木下は、大学の広告研究会の先輩で、
当時綿貫が付き合っていたかおりをめぐって、
不愉快なやり取りがあったが、ずいぶん前のことだ。
かおりとも別れて久しい。
もめ事になるとは、綿貫も思っていない。

「ああ、そんなことは心配していない。」

「わかった。じゃ、俺は行くけど、考えておいてくれ。」

ひょろひょろした身体が意外に機敏に立ち上がり、
「じゃ!」と手を振って、見る間に去って行った。

思わぬ風が西から吹いて来た。

もし、仮に、自分がいなくなったとしたら・・・。
どの仕事を誰に振り分けるのがいいか、ひとわたり考えて、
最後に美奈を思い出した。

仕方がない。

連れて行けるわけでも、行きたがるとも思えない。
考えるべきことが山積みの今は、とりあえずリストから除けた。




「美奈、この週末は空いている?」


綿貫からの電話はめずらしい。
KAtiEで会う機会がなくなったのだから、
お互い連絡を取らないと顔も見られないのに。


「う〜ん、日曜日は空いてる。
 金土は名古屋に出張が入っちゃったの。
 かつえさんがびっちりで回れない分、
 瀬尾さんがメイクショーをやるお手伝い。」

「そうか・・・」

綿貫の返事が少し遅れた。もしや、日曜は都合が悪いのかしら?

「綿貫さんは?」

「大丈夫だ。じゃあ、日曜の午後からでも会わないか?」

うっわ〜、もっと珍しい!
綿貫の方からデートのお誘い。

「うん、午後だと助かる。名古屋からの戻りが遅そうだから。」

「どこか行きたいところはある?」

え〜と。

「銀座のギャラリーで『ファッション写真における顔』とかいう展示があって、
 瀬尾さんに観ておけ、って言われてる。一緒に行ってくれる?」

「いや。俺はやめておく。観終わるのにどのくらいかかる?」

自分が担当を外れた関連イベントへの、顔出しを遠慮しているのだろう。
もしかして、森一派に会わないとも限らない。

観る時間を考えて、4時ごろ待ち合わせた。
その後どこへ行くのかわからないが、何かプランがあるらしい。
それもまた珍しいことだった。

何着て行こうかな。




「美奈さん!」

やや駆け足で展示を見終え、さて出ようか、
と思ったところで呼び止められた。
この展示を奨めてくれた瀬尾が、白シャツに黒パンツ装束のまま立っている。

「あ、瀬尾さんも今日、見に来たんですね。」

おざなり鑑賞を見られたかと、少々バツが悪いまま、返事をすると、

「僕のスケジュール、把握してるはずでしょ?
 2時のメイクショーが終わって、すっ飛んで来たんだよ。」

「そ、そうでしたね。」

昨日、一昨日ずっと一緒に行動し、今日はすっかりオフの気分だったから、
正直、瀬尾のスケジュールのことなど、頭になかった。


「おしゃれしてるね。」

瀬尾が美奈の頭からつま先まで、つうっと撫でるように見たので、
恥ずかしくなった。

「ええまあ、たまにはこんな感じで・・・」

「でもメイクは今イチ!ちょっとこっちへ来て。」

隣のギャラリーとのはざまにある、引っ込んだ場所に連れ込まれた。

「全身黒の小悪魔ちゃんでしょ?
 だったらメイクも合わせないと・・」

手早くポーチからパレットを出し、スポンジをすべらせていく。

今日の美奈は、細かくプリーツをたたんだアメリカンスリーブのブラウスに
サテン地のショートパンツとヒールサンダルで、思い切って脚を出した。
ストッキングは左足首に小さな蛇が巻き付いた柄だ。


「そんな服着てるのに、自信ない顔しちゃダメだよ。
 世界中の男を誘惑してやる、って意気込みで行かなくちゃ。」

「そう言われたって・・・」

「いい?媚びない、すねない、焦らない。
 それさえできれば、今日のあなたはどんな男だって落とせる。」

至近距離で唇に色をのせながら言われると、そんな気にもなってくる。

「・・・ありがとうございます。でも、落とすのはひとりでいいんです。」

「そう。」

瀬尾は少し離れて美奈の顔を確かめながら、にっこり笑った。

「鏡で今のメイクを確めてから行ってね。
 走っちゃダメだよ、ゆっくり余裕を持って。」

瀬尾に肩をそっと叩かれると、ひるむ一歩を恐る恐る踏み出した。
むずかしい男が、むずかしい状態なのだ。
たまには大人のムードで主導権を握ってみたいじゃない。




待ち合わせした店のドアを開ける。
つい、きょろきょろ見回したくなるが、
瀬尾に言われたことを思い出し、ゆったりバーコーナーを眺める。

「いらっしゃいませ」

カウンターの男がグラスを拭く手を止めて、美奈を見た。
一番手前に立っている中年男性も、ちらりと視線を寄越す。

焦らない、焦らない・・と唱えながら、2歩ほど足を進めると、
壁の手前に、軽く腕を組んだ長身の男が見えた。

整った横顔、ペンシルストライプのスーツ、メガネ。
長い指にグラスを持ち上げ、伏し目がちに中身を見ている姿は、
ほれぼれするほど絵になっていた。
不覚にも一瞬、見とれてしまう。

男も視線を感じたのか、うつむけた横顔をゆっくりこちらに向け、
美奈を認めると、かすかに目を細めた、ように見えた。

立ち止まっていた美奈は、一歩を踏み出した。
歩くにつれ、周りの視線を感じたが、もう正面の男しか見えない。

2、3・・・10歩で傍まで行き着き、
1歩の距離を残して立ち止まる。

綿貫は何も言わなかった。
今夜は気取ってるな、とか、脚出し過ぎだ、とか、
もちろん、きれいだ、とも言わない。
でも、さっきの瀬尾よりほんの少し短い間、美奈の全身を目で撫でた。

その視線がぞくぞくと体中を貫いていき、つい口元がほころぶけれど、
瀬尾の言葉を思い出し、黙って隣に並んだ。
綿貫の視線がまだ自分に向けられているのを感じると、
飛びつきたいほどうれしい。


「何か飲む?
 それとも向こうで食事する?」

耳元を撫でる音は、かつて憧れた甘く低い声。
目を閉じて、もう一度と言いたくなったが、ガマンする。

「食事にするわ。」

返事を聞くと綿貫が一歩先に踏み出し、振り返って美奈を待つ。
カウンターから離れるとき、偶然を装ってスーツの腕に手を置く。
振り放したりはしなかったので、手を置いたまま、席へと向かう。

そう、始まりは上場だわ。




「先日は大変、ご迷惑をお掛けしました。」

インフルエンザ以来、初めて顔を合わせたので、こんな挨拶となった。

「あれから、大丈夫だったのか?」

「うん、ぜんぜん。綿貫さんは症状が出たりしなかった?」

「いや、まったく。」

KAtiEでうがいをしていた事など、もちろん言う必要はない。

「今日はネクタイしてるのね。」

「何でも『正式』が好きなクライアントでね。
 スーツを着てネクタイを締めていると、ご満悦なんだ。」

ふうん・・・

KAtiE以外のどんなクライアントと仕事をしているのか、
聞きたくなったが、それもガマンした。
そんなことより、この後、どこへ行くのだろう?


「美奈はジャズの生演奏を聞いたことがある?」

「ないわ。
 だってジャズ自体、あまり聞かなかったんだもの。
 綿貫さんに会ってから、CDを2、3枚買ったくらいで・・・」

そうか。

「俺がたまに行くジャズバーで、昨日、今日とライブが入っている。
 美奈がよければ・・・」

「行ってみたい!」

しまった。焦らない、だったわね。

「ぜひ一度、ライブを聞いてみたかったの。
 連れてって下さい。」

綿貫はわずかに微笑んだ。

「昨夜のプレーヤーは俺の好きなサックス奏者だったんだが、
 今夜のプレーヤーは聞いたことがない。
 ヴォーカルが入るらしいけど。」

ああ、電話でわずかに間があったのは、そのせいだったのか。

「うわあ、いいな。
 男声?女声?」

「男声ヴォーカル。」

「ますますいいわ。男声ヴォーカルのほうが断然好き。」

「俺は女声ヴォーカルでも良かったがな。」

綿貫は皿に残っていたポテトを刺しながら、つぶやいた。

「ちょっと色っぽい感じの・・・」

ふうん。

思わず頬がふくれそうになるが、瀬尾が「すねない」
と言ったのも思い出し、軽く受け流す。

「じゃあ、そろそろ行ってみよう。」

美奈が食べ終わっているのを確かめて、綿貫が声をかけた。




そこは下町、というか、学生街と言うか、
聞いたことはあっても、実際に降りたことはないところで、
さっき待ち合わせたエリアとは、まるで雰囲気の違う場所だ。

駅前の細い入り口から、両側に累々と飲み屋が並ぶ一本道。
中が覗ける店が半分ほどで、立ち飲み、カウンターだけ、
女性客の多いテーブルの店など、実にさまざまのようだ。

日曜の夜というのに店はほとんど開いていて、お客もいっぱい。
人通りも少なくない。


「綿貫さん、しょっちゅうココへ来るの?」

高いヒールで酔っぱらいを避けながら、否応なく綿貫の腕につかまる。

「いや。せいぜい一年に2〜3度も来るかな。」


飲み屋小路はゆるやかにうねっていて、奥までは見通せない。
小さな店の角を何度か曲がると、そこにも色んな看板の店、店。
さらに、店のすき間の狭い路地としか思えない場所へ切れ込んでから、
美奈は自分の場所がわからなくなった。

どっちが駅だったかしら?

つらなる軒でさえぎられた、細長い夜空を眺めて不安になる。
ここで迷ったら、帰れるだろうか。

ゆっくり歩んでいた綿貫が不意に足を止め、
小さな扉に手を掛けた。

『jazz bar Night Bird』

中へ入ると、こぢんまりした空間に温かなオレンジ色の照明。
飴色のどっしりしたカウンターに、テーブルが幾つか。
黄ばんだ壁には古い映画のポスターや、ジャズマンの写真が掛けられている。

「いらっしゃい。ようこそ。」

一目で綿貫の好きな店だとわかった。
時に磨かれた懐かしいものが満ちている店。
奥から、今夜のジャズマンがセッションしている音が聞こえて来た。





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