AnnaMaria

 

琥珀色のアルバム 46 見えない行き先

 

kohaku1_title.jpg







KAtiE社内は、妙にガランとしていた。

あれほど毎日に近く通って来ていた曽根副社長が、
秋冬プロモーション担当が森チームと決まったとたん、
ぴたりと姿を見せなくなった。

かつえはハリウッド女優付きの仕事が終わっても、
地方のメイクショーや雑誌の仕事などで外回りが続き、
めったにKAtiEに帰って来られない。
ただでさえ忙しいメークアップアーティスト活動の合間に、
KAtiE社長としての雑誌やTVのインタビューが次々入り、
売れっ子タレント並みのスケジュールらしい。

しかし、そのおかげかKAtiE製品の売上は絶好調だ。
春夏の展開店舗が当初予想より少なくなったものの、
坪当たりの販売実績は常にそれぞれの店舗のトップ3にランクインし、
ナンバー1を出すことも少なくない。

それに伴い、KAtiEを展開していない店からの出店要請が加速度的に増え、
営業課長だけではとても足りず、真也まで条件の整備等で
店側との交渉にかり出されていた。

倉橋常務も忙しさを極めていた。
ビューティ・アドバイザー(BA)などへの研修では、
製品の使い方、メイク法などはメークアップアーティストの瀬尾が受け持ったが、
接客の仕方、販売のコツ、実績の作り方などの話は、
元凄腕BAである倉橋の実践的アドバイスが有効で、
カリスマ性と艶のある美しさもBAたちの憧れを呼び、
各所で引っぱりだこの人気だ。

プレスルームの美奈は、製品の使用感や仕上がりに敏感な美容ライターが、
1時間近く掛けて、ほぼ全ての製品を試用、使い勝手を調べ、
細かな疑問点を訊いてくるのに辛抱強く対応していた。

ようやく満足した顔で、お土産と伴に玄関から帰って行くのを見送ると、
ほっとして座り込みたくなった。


「ははは、美奈さん、お疲れさまです。」


後ろから声を掛けて来たのは長田で、隣の真也も微笑んでいる。
玄関ロビーに下りても尚、しつこく質問されていたのを見ていたらしい。

「はあ、実際、疲れたわ。
『気になることがあったら、また午後に戻って来て聞くわね』って、
 どうしよう。
 いい加減、逃げ出したくなるかも。」

ロビーには他に人影が見当たらないせいか、つい本音が出る。

「このまま、昼ご飯に行きませんか。
 このところ、なかなかそろわなかったでしょう?」

長田の提案に、真也が美奈を気にするようにちらりと視線を投げてきたが
今日はこだわる気持ちが湧いてこなかった。

「いいわね、行きましょう!
 あのライターさん、この近くのマクロビ食堂がお気に入りなのよ。
 だから反対方向の・・・」

「がっつり焼き肉と冷麺が売りの韓国料理屋に行こう。
 あそこなら、ベジタリアンは絶対寄り付かない。」

ははは・・・

「待ってて、すぐ戻るから。」


笑い声を尻目に、大急ぎでプレスルームに戻ってざっと片付けると、
後輩に留守を頼んで玄関から飛び出す。

少し先の舗道で、長田と真也が待っていた。
外の空気を吸うと、体内の細胞が生き返る気がする。

昼時までわずかに間がある時刻、地下にある韓国食堂に下りるにつれ、
壁にしみついた煙とカルビの匂いが鼻を打つ。


「うわあ、何だか焼き肉食べたくなってきたわ。」

「ようし、僕はカルビ盛り合わせ、プラス、冷麺セットにします。」

「僕も」「わたしも」


韓国人オンマは、にっこり笑うと、冷えたとうもろこし茶を置いていった。


「秋冬プロモーションはどの程度進んでるの?」

「わからないんだ。」

「わからない?うちのプロジェクトリーダーが?」


真也の言葉に驚いて聞き返した。


「すごい話なんだけど、あのプレゼンの日から副社長と森さんは
 一度も姿を見せないし、連絡もしてこない。」

「確かに見ないな、と思ってはいたけど、一度もってどういうこと?
 だってうちのプロモーションでしょ?」

「KAtiEのプロモーション担当は、かつえさんや僕じゃなく、
 今や曽根副社長なんだよ。
 彼がS社から引き出した金だから、彼が使い道を決める。
 彼がKAtiE代表として森さんと打ち合わせれば、それで済むわけ。」

「うへえ。
 でもKAtiEプロモーションの打ち合わせを、ここ以外のどこでしてるの?」

「知らないけど、たぶんS社本社かな?
 曽根副社長はS社の副社長でもあるから、立派な部屋もあるだろうし。
 S社内では逆風にあおられてる、という話だから、
 なおさらKAtiEに熱が入るのかもしれない。
 森さんさえ呼べば、二人で話は進められちゃうし、
 S社ならKAtiEに居るときと違って、横からあれこれ言う者もいないから。」

僕みたいにね。

真也が皮肉な調子で笑った。

「真也は呼ばれないの?」

「呼ばれない。ぜんぜん。」

「だってKAtiEのねらいとか、客層とか、プロモーションの方向性とか、
 全然知らない二人じゃない。」

「知らないっていうか、曽根副社長はそんなの興味ないみたいだ。
 しばらくS社にもいないから、どこ行ったかと思えば、
 カルドロッシの別荘に招かれてるらしい。」

「へえ、なんだか楽しそうなお仕事ね。」

「そりゃ、楽しいだろう。
 世界的カメラマンの自宅別荘に招かれて、
 いろいろ接待されてるんだろうから。」

「いろいろって?」

「いろいろだよ。
 彼の別荘には、ファッションモデルや女優の卵も滞在してるそうだから、
 セレブな気分を味わってるんじゃないかな。」

「ワールドクラスのカメラマンは曽根副社長を接待すれば、
 S社から広告費が下りる事をようくご存知なのね。」

「カルドロッシ氏は、世界中の企業と仕事をしている。
 お金の引き出し方は心得てるだろうよ。」

「なんだか、ゴシップ雑誌みたいな話になってきたわ。
 元は我々KAtiEのプロモーションなのに。
 真也はどうして、こんな状態に黙ってるの?」

「黙ってたわけじゃないよ。
 何度も連絡を入れたけど、まるで返事がないから、
 たまりかねてS社に乗り込んでいったら、『イタリア出張中』だったんだ。

 それに副社長とカルドロッシ、森の打ち合わせに僕は入れてもらえない。
 呼ばれない以上、どんな風に話が進んでいるのかわからないよ。」
 ね、すごい話だろう?」

「ふ〜ん・・・」「うむむ。」


真也の説明に美奈と長田はため息をついた。
たった1週間ですっかり空気が替わってしまった。


「かつえさんは、どうしてこんな事を許しているのかしら?
 今までだったら、副社長が自分勝手にプロモーションを進めるなんて、
 絶対に許さなかったはずよ。
 とっくに乗り込んで、直談判しているはずなのに。」

「僕にもわからないよ。
 S社からプロモーションの金を引っ張ったのが曽根副社長だから、
 何も言えないのかな。」

「あ〜あ、あんなに一体感のあるチームだったのに。」


美奈がため息をつくと、真也が微笑んだ。


「まあね。
 でも僕は、いくらなんでもこのままで済むはずないって思ってるよ。」

「だといいですけどね。
 加澤くんは森チームに行ってるはずなのに、
 全く顔を見せてくれないし、Qさんまで会社に来ないんだから。」


長田がちらっと美奈の顔を見てつぶやいた。

カルビの焼ける煙ごしに、ため息を交えながらの話だが、
こうして3人そろうのさえ、久しぶりだった。
かつては、綿貫や加澤まで一緒の機会が多かったのに。


「KAtiEの売上が絶好調なのが救いですね。」

「それはそうなんだが、この時期に勝手な店舗展開を約束してくれると、
 今後の販売戦略がめちゃくちゃになる。
 安請け合いだけは絶対しないで下さいと、若造の僕が
 天下の副社長にメールを入れるのも勇気が要るもんだよ。」

真也がげっそりした顔で言った。




ランチを終えた美奈が、急いでプレスルームに戻ると、
午後から美容ライターのリエが来ていて、熱心にサンプルを検討していた。

「リエさん、すみません、留守しちゃっていて。」

「いいのよ。アポなしで突然来たんだから・・・アラ?」

サンプルを放して、急に美奈の側に寄ると鼻を近づけ、

「何だかカルビの匂いがする。」

「うわっ!すごい嗅覚。匂いますか?」

美奈は自分の服の袖を鼻に近づけて、くんくん嗅いだ。
リエはにやっと笑い、

「焼き肉ランチか、いいなあ。楽しそう・・・」

「けっこうおいしいんですよ。今後ご一緒にいかがですか?」

「そうねえ、それもいいかもね。
 だってここへ来るのは、かつえさんと綿貫さんが目当てだったのに、
 最近は2人ともさっぱり会えないじゃない。
 つまんないわ。」

「はあ、お忙しいみたいです。」

「かつえさんはTVや雑誌でよく見かけるけど。」
「そうなんです。」

「綿貫さんは、ここの担当外れたんだって?」
「ええまあ。」

「もったいない!
 彼ほど優秀でKAtiEのこと、よく知ってる人はいなかったのに。」
「ええまあ。そうですね。」

「すっごくクールだけど、仕事熱心だし、美奈ちゃんもTV局で
 ニューハーフから助けてもらったじゃない。」
「ええまあ、そうなんですけど。」

「あんまり東京本社にいないみたいね。」
「え?」

「広通に打ち合わせに行ったとき、ついでに綿貫さんに会えるかと思って
 聞いてみたら、大阪行ってるって。」
「ふうん。」

「けっこう、詰めてるみたい。
 あっちから引っ張られているって話も小耳にはさんだし。」

「あっちって?」

「だから、大阪よ。もちろん、はっきりしたことはわからないけど。」

そうなったら寂しいわねえ。

リエのうつろな顔に、自分の表情を見た気がして、美奈はうろたえた。

「あ、リエさん、お茶は何がよろしいでしょう?
 いつものハーブティ?緑茶?」
「そうね。緑茶をいただこうかな。」

視線をカラーサンプルに戻しながら、リエが答えた。

バックヤードでお茶の用意をしながら、落ち着け、落ち着け
と美奈は自分に言い聞かせた。
先日、ばくぜんと感じた不安が形になってしまったようで、
何とも言えない気持ちだ。

お茶をふたつ用意し、来客用のお菓子箱から、
小ぶりのきんつばを取り出して添える。

「どうぞ」「ありがとう。」
「わたしもお茶だけ、お相伴させてもらいます。」

美奈がそう言ってリエの前に座り込むと、
珍しそうにしげしげと眺められた。

「ココもいろいろ大変みたいね。」

「ええまあ。どう言ったらいいのか、わかりませんけど。」

リエはお茶を飲みながら、すうっとプレスルームを眺めた。

「プレスの勉強はやってる?」

「はい、セミナーに通ったり、本を読んだりくらいですが。」

「あたりが揺れている時は、自分の足下を固めるといいわよ。
 今やっている仕事に、とにかく集中するの。
 結局、それが救いになることもあるから。」

リエの顔を見ると、慈母のような微笑みを浮かべている。

「ありがとうございます、リエさん。
 お顔が観音さまみたいに見えます。」

「ちょっとそれってほめ言葉なの?」

微妙に眉を寄せて難しい顔をしたが、湯のみを置いて立ち上がった。

「じゃ、また来るね。」
う〜、重たい、重たい・・・

大きな黒いバッグを抱え上げ、ゆっくりと部屋を出て行った。
美奈の心に小さな爆弾を投げ込んだまま。




「綿貫が女性向けのお灸担当とは、面白いやないか。」

「いやいや、こいつは固そうな顔してて、結構やりますからね。
 案外ぴったりだと思いますよ。」

広通の大阪本社、ミーティングルームで、綿貫と小松を含めた
男4人が顔を付き合わせている。
江田と一緒に担当する事になった、漢方薬局のプロモーションで
関西スタッフとも打ち合わせが必要になったのだ。

「自分でも試してみたんか?」

「いえ、まだ。」

綿貫が否定すると、ひとりが面白そうに

「彼女にでも試してみたらええやん。
 体調が良くなるとか、美容にええとか何とか言うて、
 モニターになってもうたらええのに。」

苦笑したまま、黙っている綿貫の顔を見て、

「え、綿貫って今、彼女いるのか?」

小松が真面目な顔で訊いた。

「そら、いるに決まってるやろ。
 女がこんなイケメン、ほっとくワケないやんか。」

「タレント使ってヒーリング旅行とかの番組組んだらどうやろな。
 昼間はパワースポットの探索。
 夜はマッサージとアロマお灸体験。
 回った先からもスポンサー料、ごっつ取れるし。」

「ありきたりやなあ。」

「いや、お灸て抵抗を感じてる女性が多いから、
 まずは、ありきたりから攻めた方がええんちゃう?
 たとえば・・・」

綿貫は胸ポケットの携帯がブルブル震えるのを感じた。
気を使いながら発信者を見ると、中原部長だ。

「失礼します。」

メンバーに軽く断って席を立ち、壁際近くへ移動した。

「もしもし」

「綿貫か?今どこだ?」

「大阪本社で、打ち合わせ中です。」

「わかった。では緊急事態だから、即刻帰って来い。」

「緊急事態?」

「そうだ。とにかく一番早い方法ですぐ帰って来い。
 東京に着いたら、何時でもいいから俺に連絡しろ。」

時計を見た。夜の9時15分。

「小松、新幹線の最終は?」

綿貫の声の調子に、他の3人はぴたりと話をやめ、こちらを見た。

「21時20分が最終だ。ちょっともう間に合わないな。
 これから帰るのか?」

綿貫はうなずいて電話に戻った。

「新幹線は間に合いません。
 今夜中には戻れませんが、明日の早朝に着けるようにします。」

「わかった。
 いいか、着いたらまず俺に電話。
 それから部屋から着替えを持って、本社に来い。
 明日は帰れないかもしれない。」

「何があったんですか?」

「詳しく説明しているヒマはない。とにかく一刻も早く戻って来い。
 それから、戻る車中で何とか眠っておけ。
 一応訊くが、お前、PCのバックアップはぜんぶ取ってあるな?」

先日、言われたばかりだ。

「はい。」

「プライベートのPCでも仕事ができるな?」

「もちろん。」

「よし。着くまでニュースは見るな。たぶん、お前が戻る方が早いだろう。」

「あの・・・?」

電話は切れた。
ミーティングルームの3人は黙ってこちらを見ている。
緊急事態、と返したのを聞いていたのだろう。

「申し訳ありませんが、今から東京に戻ります。」

3人に向かって頭を下げると、小松が返事をした。

「わかった。この時間なら夜行バスが早い。
 寝台車だと楽だが、朝7時着だ。バスならもっと早く着ける。」

「名古屋で快速に乗り換えるのは?」

「う〜ん、アレはつらい。
 最近のバスは座席がいいのもあるから、その方が眠れるよ。」

綿貫が頭を下げて部屋を出ると、急ぎ足で小松もついて来た。

「俺が座席を予約する間に、ホテルの荷物を取って来いよ。
 バスの発着所まで送るから。」

「助かる。恩に着るよ。」

綿貫が小さく頭を下げると、小松は頭を振って笑った。

「何だか厄介事が起こったみたいだが、
 俺の気持ちは変わらない。
 お前と一緒に仕事ができる日を待ってるよ。」

ビルの玄関を出たところで、待っていたタクシーに乗り込むと
二人はもうしゃべらなかった。







 ←読んだらクリックしてください。
このページのトップへ