AnnaMaria

 

琥珀色のアルバム 47 発表

 

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東京、大阪間の移動に手慣れた小松が手配してくれたおかげで、
綿貫は大阪発21時40分の高速バスに飛び乗ることができた。

予定では東京に午前5時着。
この時刻、これより早い移動手段は、タクシーを借り上げるしかない。

小松が携帯での夜行便手配にかかりきりだったので、
移動のタクシー内では、ほとんど話ができず、
綿貫自身、いまだ状況が見えない。

バス車内は3列シートで前後もゆったりしており、
学生時代に乗った夜行高速バスのイメージとは違っていた。
平日の夜にも関わらず、席は7割がた埋まっている。

座席に落ち着くとさっそく中原部長に、明朝5時、
東京に着くことをメール。
少し考えて美奈には知らせないことにした。
どうせ会えまい。急に戻る理由も説明できない。

中原部長からニュースは見るな、と言われたものの、
気になって一応、主要ネットを検索したが、
目新しいニュースはなかった。

窓の外を見る。
まだ、大阪のどまん中を走っているので、イルミネーションが鮮やかだ。
PC端末を開き、中途半端に終わった仕事の現況をまとめ、
ざっとメールチェックを済ませる。別段、気になるメールもない。
気がつくと京都に止まっており、女性客がひとり乗り込んで来た。

以後は目的地まで直行となる。
東京に着くまで、自分にできることは何もない。
他の乗客同様、早々にシートをリクライニングすると、
乗車直前に小松がねじこんでくれたアイマスクを掛け、
綿貫は何とか眠ろうと努力した。




喉の乾きで目を覚ます。
アイマスクをむしり取ると、向かいの乗客が小さくカーテンをめくった処から、
赤い筋が細く漏れていた。4時40分。
ペットボトルのぬるい水を飲む。
もう一度、主要ネットのトップニュースを検索するが特になし。
何が起こったのか、相変わらずわからない。

4時50分になると、間もなく到着予定との車内アナウンスがあり、
それを合図に次々と窓のカーテンが開けられた。

汐留の高層ビル群が夜明けの空を映してオレンジ色に輝いている。
中原はあの中で夜を明かしたのかと思うと気がせくが、
いったんは荷物を置きに部屋に戻らなければならない。

到着予定時刻ぴったりに東京八重洲口に着くと、直ちにタクシーに乗る。
汐留直行なら10分とかからないが仕方ない。

この時間帯なら40分前後で幡ヶ谷まで往復できると計算、
車内から中原部長に、無事到着したことと、
6時前後に出社予定とのメールをした。
折り返し、すぐに電話が鳴る。

『着いたか?』
『はい、おはようございます。』
『では社員通用ゲートでカードを通す前に、ビルに入ったら、
 直接、地下駐車場に下りろ。
 B区画の白いワゴン、アペンシスの中にいる。』
『はい。』


疑問はすべて飲み込んだ。
まるでスパイ映画のような指示だが、中原は大げさな人間ではない。
それが必要な措置なのだろうと思うと、ますます緊張してくる。

タクシーを下りて部屋に駈け戻り、5分でシャワーを浴びてひげをそり、
最低限の着替えを詰めると、再び飛び出す。
電車か車かで迷ったが、道路状況を見てタクシーにする。
早朝の都心をすいすい走る車内で、再度ニュースを検索。

今度はヒットした。

『化粧品会社大手S社副社長、曽根氏が役員降格人事。
 昨夜、急遽行われた、S社臨時取締役会の席で曽根氏の副社長更迭が決定。
 いったんは、すべての取締役から外れる決定が下された様子。
 S社は、今日午前9時に本社で記者会見を行うと発表した。』

綿貫は大きく息を吐いて、シートに背中をもたせた。
どういう一日になるのか、ようやく見えて来た。




駐車場に着いても走らないよう、ゆっくり歩く。
すでに車の出入りは始まっているが、24時間営業の広告代理店なら、
いつものことだ。

B地区の白いワゴンを探すと後部座席に、上司の姿を見つけた。
黙ってドアを開け、隣の席に滑り込む。

「ニュースを見たのか?」
「はい、ネットでですが。」
「まだTVでは流れていないらしいが、7時のニュースで流れるだろう。
 新聞には抜かれなかった。」
「はい。」

「曽根副社長の降格理由は、業務上の資金流用容疑らしい。
 業務上の資金というのは、S社が広告宣伝費に振り出した金を
 広通の担当、つまり森が受領して制作にあてる。
 その一部が曽根副社長にバックされていたと言う疑惑だ。」

「それを記者会見で発表しますか?」

「わからないが、恐らくしないだろう。
 もっと穏当な理由にする筈だ。」

「・・・・」

金髪の岡本からすでに聞いていた話ではあったが、
副社長更迭までの処分に発展するとは、全く考えていなかった。

「森さんは?」

「社内調査の対象となるだろう。
 内規から逸脱した取引をしていなかったか、徹底的に調べられる。
 とは言え、うちは警察ではない。
 本音を言えば、うちで大切なのは、顧客に迷惑を掛けないことと、
 広通に損害を与えないことだ。」

「・・・・」

「こうなったことで、既に得意先であるS社に迷惑を掛けた。
 当然、今後の取引にも影響するだろうから、
 広通にも損害を与える。社内的に森は有罪だ。
 そして、曽根さんはKAtiEの副社長でもあった。」

中原部長は初めて、綿貫の方へ向き直った。

「おそらくお前も調査の対象になる。」

「はい。」

ニュースを見たときから、半ば覚悟を決めていた。

「曽根副社長に流した金は、ほとんどがS社本体の広告宣伝費用だろうが、
 カルドロッシの作品がKAtiEに採用されたことで、
 その経費はKAtiEにもかかってくる。
 担当はお前だ。いや、お前だったと言うべきだな。」

「はい。」

「調べる方もお前が黒だとは考えていないだろうが、
 得意先に対する責任からも公平で徹底した調査を行う必要がある。
 経費、その他の書類はきちんとしてきただろうな?」

「そのつもりです。」

「よし。手始めに、昨夜から俺に出したメールを全部消せ。
 今だ。
 で、社内ゲートを通ってデスクに出社し、仕事をしていろ。
 どの時点で呼び出しがかかるか、俺にはわからん。
 できるだけ短く済むことを祈っている。」

綿貫は携帯を取り出すと、中原宛のメールを削除し、
ざっと送受信ボックスを確認する。

「社内調査で、個人の携帯まで調べるでしょうか?」
「わからん。
 以前、社内で使い込みが発覚した時は押収されたようだが、
 今回はどうなるかな。」

綿貫は携帯を閉じると、中原と向かい合った。

「いろいろとご配慮、本当に感謝します。」

「感謝される結果に終わることを期待する。
 もう行け。連絡方法はこちらで考えよう。」
「はい。」

綿貫は一礼すると、ドアを開けて車をすべり出る。
出てからは一度も振り返らなかった。

まっすぐ遠ざかる後ろ姿を見送りながら、
中原は大きなため息をついた。




「それでは定刻となりましたので、会見を始めさせていただきます。」

午前9時、S社の本社会議室において、広報室主催の会見が開かれた。
社長および取締役はひとりも同席せず、広報室長、秘書室長ほか数名と
演壇ひとつによる簡素なしつらえだ。

広報室長の女性が原稿を読み上げる。

「既に一部の報道機関において報じられたました通り、
 昨日付けをもって、当社副社長、曽根充弘の、副社長および、
 すべての取締役からの退任を決定いたしました。

 後任といたしまして、当社専務取締役、尾上忠が副社長に昇格し、
 経営の指揮に当たります。
 引き続き、当社に対する皆様のご理解、ご支援を
 賜りますようお願い申し上げます。」

述べた後、並んでいる報道陣に向かって
深々と礼をし、読み上げた原稿を封筒にしまい、
壇上から立ち去ろうとしたところで、質問が飛んだ。

「これほど突然、取締役を解任される理由は何ですか?」

広報室長の近くに立っていた秘書室長が、
太い眉の下から記者をにらんだが、
記者は一向にこたえる気配もなく、立ち上がって質問の答を待っている。

「こちらの化粧品を愛用されている消費者の方々に向けて、
 理由を説明して下さい。」
「単なるお家騒動ですか?」
「使い込みをしたとかの噂もありますが。」
「答えて下さい。
 紙を読むだけなら、各社に会見文を送れば済むでしょうに、
 我々にここまで足を運ばせたのですから。」
「答える気がないなら、何のための記者会見ですか。」

一人の記者の問いにかぶせるように、いくつもの質問が飛んだ。
いきなりの紋切り型会見終了に、記者の間で不満が湧いてきたらしい。

広報室長と秘書課長は、入り口近くでごそごそ話をしていたが、
しばらくして、広報室長が壇上に戻った。

「今回の副社長解任理由は、国内ブランドの販売不振にあります。
 曽根は国内市場の総責任者であり、抜本的な改革を断行すべく
 着任以来勤めてまいりましたが、思うように業績が上がらず、
 これ以上は別の人間にバトンを渡し、戦略を立て直した方がいいと、
 取締役会が判断致しました。」

「使い込みという噂に関しての真偽は?」

「そのような事実はありません。」

「お家騒動との噂に関しては?」

新副社長の尾上は創業者の家系につらなる者だ。
現社長は創業者一族以外から出た、初めての経営トップである。

「根も葉もない話です。現に社長が交代したわけでもありません。
 それでは、これで会見を終了させて頂きます。
 お集まりいただきまして、ありがとうございました。」

関連会社の取締役はどうなんです?
KAtiEの副社長も辞めるんですか?

後ろの方から声が聞こえたが、広報室長は足を止めず壇上から下りて行く。
それをしおに、席についていた報道陣もばらばらと腰を上げる。
開始から15分とかからなかった。




KAtiE企画フロアの打ち合わせスペースで、真也と長田は額を寄せ合って
動画配信サービスで報じられた会見の様子を覗いていたが、
終わってからため息をついた。
向かいに美奈や他の企画スタッフが座っている。


「何で俺たちって、何にも知らされてないんだろう?」

真也が両手で頭を支えながら、ため息をついた。

「僕たちだけじゃありませんよ。
 営業課長だって何だって、さっきまで全然知らなかったんですから。」

「少なくとも、倉橋常務は知ってた筈だろうに。」

真也は悔しそうに唇を噛み締めた。

「これでどうなるのか、ますます全然わからなくなりましたね。」

「いや、確実なことがひとつあるぞ。
 あのVIPはもう、ここへ出入りしない。」

真也がうれしそうに笑うと、長田がたしなめた。

「そんな笑っている場合じゃないですよ。
 次のVIPがどんな人かもわからないのに。」

「顔も出さずに、勝手に暴走するVIPよりはマシだろう。」


美奈は無言だった。
この会見がどういう事態を引き起こすのか、よくわからない。

どうして、とつぜん曽根が退任させられたのか。
曽根と組んで、というより、曽根にぴったりへばりついて、
KAtiE秋冬プロモーションの権利をもぎとった森はどうなるのだろう?
曽根の退任は、森と何か関係があるのだろうか。

階段の方から威勢のいい物音が聞こえて来て、
フロアの者の注意が一斉に飛んだ。


「おはようございます。」


久しぶりの大音声は、かつえのものだった。
かつえと倉橋、そして意外にも前田部長の姿が階段から現れた。

「先に営業フロアに行ったら、人がいないじゃない。
 肩すかしを食っちゃったわ。」

「営業課長といっしょに、B百貨店の催事に詰めているんですよ。
 会見を聞いた課長が、さっき、びっくりして、
 出先から電話を掛けてきました。」

真也が立ち上がって、かつえに答えた。

「そう。無理ないわ。
 あれだけ聞いたって、何が何だかわからないわよね。」

かつえの口調はあくまで軽やかだ。

「はい、全然。」

「とにかく、曽根さんはもう、うちの会社の副社長じゃなくなったの。
 S社の副社長がKAtiEの副社長を兼任する体制は変わらないから、
 新しい尾上副社長がそのうち、来ることになるでしょう。」

「はあ。」

「忙しいから、しばらくはおいでにならないかもだけど・」

「かつえさん、副社長はなぜ、退任させられたんですか?」


長田のまっすぐな質問に、かつえはかすかに微笑んだ。


「国内市場不振の責任を取ってってことらしいけど、よくわからない。
 いろいろ憶測はできるけれど、あくまで憶測だから。

 とにかく、今後2度と勝手な真似はさせない。
 KAtiEのことはKAtiEで決める。
 KAtiEだけでできないことで、応援を依頼することはあっても、
 最終判断はKAtiE、つまり私が下す。」


歯切れのよいかつえの言葉を聞いていると、
ここ数週間のもやもやが吹き飛んで行くようだ。


「ところで、みんなに新人を紹介しに来たのよ。
 今日付けでKAtiEに入社した新人。
 前田部長、こちらへ来てご挨拶をお願いするわ。」

ええ〜〜?

フロアに居た者たちから、驚きの声が上がった。
かつえが得意そうに、前田部長の背中を押す。


「皆さん、こんにちは。
 今日付けでKAtiEに入社した前田と申します。
 どうか、よろしくお願い致します。」


進み出た前田部長の挨拶に、ヒューッとヤジが飛んだ。
同時に、え、どういうことですか?という疑問の声もあがる。


「昨日付けで前職、総務部長職を返し、S社を円満退社しました。
 今日から、一新人として、KAtiE専属の社員として採用された、
 と言うことです。」

ええ〜〜?辞めた?S社を?

「ええ、会社辞めて、また採用されました、今度はKAtiEに。」


前田部長の顔はつやつやと健康そうだ。
穏やかな表情を保っているけれど、昂奮の色は隠せない。


「どうしても前田さんに来て欲しかったのよ。
 小夜子と二人、直談判にも出向いたのに、
 S社に籍を置いたままじゃ、返してもらえないから、
 うちで最初の、生え抜き新入社員になってもらったというわけ。

 肩書きは『統括部長』にさせてもらうわ。
 KAtiEの役員になってもらいたいんだけど、うちの役員になるには、
 まだS社の了解が要るの。だから部長が精一杯だけど・・・」

「構いませんよ。S社でも総務部長だったんですから。」

「S社の総務部長の方が、うちの『統括部長』より待遇がいいかもね。」

「でもKAtiEの仕事はできませんからね。
 わたしはここでKAtiEが前に進むお手伝いをしたいんです。
 皆さん、よろしくお願いします。」

パチパチパチ・・と、フロア全体から拍手が起きた。

曽根副社長の代わりに前田部長が戻って来るなんて、
なんて素晴らしい!
歓迎を受けてうれしそうな前田部長の隣から、
倉橋がにっこり顔をのぞかせた。

「かつえさんが海外に行っちゃって、わたしの地方出張が続くと
 管理職がいなくなっちゃうでしょ?
 連絡事項も伝わらないし、みんなの問題点も吸い上げられない。
 芳賀さんひとり、ますます大変になっちゃうし・・。」

倉橋常務が艶っぽい視線を、芳賀真也に向けると、
あろうことか、真也はほんの少し頬を赤くした。
美奈はつい、と視線を反らせた。
どうしてもまだ、自分には生々し過ぎる光景だ。


「秋冬プロモーションも仕切り直しですか?
 それとも、このままカルドロッシ路線で進みます?」

「まさか。
 KAtiEサイド全員が別の案を支持したのよ。
 カルドロッシなんか、うちのブランドに合わないし、
 あっちが合わせる気もないんだから、すぐ止めたいわ。」

「しかし、もう契約も結んでしまいましたし、今更
 破棄はできないんじゃないかと・・・」


長田が心配そうに言うと、かつえが手を振った。


「それについては、これから交渉が必要でしょうね。
 違約金を払うか、どこかのブランドが使うか。
 でもとにかく、それはうちじゃないわ。
 デビュー2シーズン目の大事なプロモーションだもの。
 こちらの支持した案に戻させていただく。」


ぱちぱちぱち、と、また拍手が起こった。
美奈の胸の中に、希望がふくらんできた。

「じゃあ、また中原部長と綿貫さんのチームが担当に戻るんですか?
 いやあ、うれしいなあ。」

長田が大きく笑顔を見せると、

「わたしは担当の指名をするつもりはないの。
 前回見せてもらった、あのアイディアを気に入ってるのよ。
 誰とだろうが、あのアイディアを進めて行く人と、やるつもり。」

そうなんですか・・・
また、綿貫さんや加澤くんと仕事ができると思ったんだけど。

長田のつぶやきに

「同じ面子かどうか、わからないわよ。
 あちらもずいぶん、揺れているでしょうし。」

「森さんってことは、ないですよね?」

「それはないわ。」

かつえが大きな口を開けて、笑い出した。

そうか、広通内部も揺れているんだ。

かつえの言葉に、美奈の希望はまた、ぺしゃんと小さくなった。
あのアイディアを一緒に進めるのが綿貫とは限らない、と。




『どこにいますか?連絡をください。』
『携帯がつながらないけど、どうしてるの?』
『相変わらず連絡ないね。生きてるなら、知らせて。』
『監禁でもされてるの?連絡せよ!』

綿貫の携帯に宛て、だんだん脅し文に近くなるメールを送信し続けているが、
まるで返信がない。
途中で思いついて、会社のPCアドに入れてみた。


『綿貫さま、KAtiEの小林です。お忙しいところ恐縮ですが、
 至急連絡をいただきたいです。』

こちらには返信があった。

『広通の岡本です。
 KAtiEさまには大変ご迷惑をお掛けしております。
 綿貫はただいま、少々連絡が取りにくくなっております。 
 お急ぎの件があれば、わたくしが取り次ぎますので、
 何なりとおっしゃって下さい。』

はあ・・・・。

『寂しくて不安だから、電話よこせ』って、
こんなこと、伝えられないじゃない。

美奈はPCに向かって、深いため息をついた。







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