AnnaMaria

 

セピアの宝石  4

 

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その場で流れ解散となったが、
いくつかの駅の間のような場所なので
帰る方角によって、目指す駅も違う。
あちこちで別れの挨拶を交わし、
三々五々、それぞれの方向を目指す。

佳代子が駅の方向にぼんやり歩いていると、
いつの間にか隣を仁が歩いている。


「あら、仁は今日の主役じゃない。
 2次会行かないの?」



「出張明けなんだ。
 寝不足だからって勘弁してもらった。」



「そうなの?
 早く帰っても、することないでしょうに。」


佳代子がちょっと意地悪を言ったのに、
仁は笑わなかった。


「なあ、お佳代。
 厄落とししていかないか。」



「厄落とし?」



「一杯だけ、飲み直そうってことさ。
 付き合えよ。でないと、ビール浴びた気分のままだろ。」


そう言うと、仁は佳代子の返事も聞かずに、
すたすたと歩き出した。




サラリーマンであふれかえる、新橋を通り過ぎ、
銀座の方角へ少し歩くと、狭い路地の小さなビルの2階に、
細長いバーがあった。

入り口を入ると、奥は少し広くなっていて、
横長の窓沿いにカウンターがぐるっと回してあり、
そこから外が見えた。

もっとも外の景色といっても、夜のネオンが瞬く、
ゴミゴミした路地裏の風景だが・・・。




佳代子がジントニックを頼むと、
仁はウィスキーのダブルを注文し、
カウンターの隣同士に座って乾杯し直した。


「今日は、あんまり楽しくなかったろ。」


仁が切り出した。


「そんなこと、仁のせいじゃないわ。
 あの開発部ってところの成り立ちのせいよ。
 仁、あそこで大丈夫なの?」


ウィスキーの氷がかたん、と音を立てる。


「全然、大丈夫だよ。

 マレーシアに行った時だって、
 最初、みんな俺を歓迎してないような雰囲気だったんだ。
 本社から、何が技術指導だって・・・。

 でも、そのうち、わかってもらえた。
 今度だってうまく行くだろう。」


「そうね・・・。
 仁なら大丈夫かも。」


しばらく、黙って酒をすすっていたが、


「ねえ。嫌なら答えなくていいんだけど・・。

 あの娘、あなたの奥さんだった人だけど、
 なんで、別れることになっちゃったの?」


佳代子はどうしても聞きたかった問いを
ついそのまま、ぶつけてしまった。



仁は窓の方を見たまま、あっさり答えた。


「直接的にはとても簡単だ。

 マレーシアに赴任して、一ヶ月ちょっと経った頃のある日、

 彼女が

『もうここに居たくない。帰りたい。我慢できない。』

 って言いだし、荷物もそのままに帰ってしまった。
 以来、電話しても出ない。メールも返事がない。
 
 親の方に連絡をしてみたが、
『そっとしてやって欲しい』と言うだけ。

 さらに一ヶ月後に、離婚届が送られてきた。

 何の説明もないから、送らないでいると、
 さらに2週間後、彼女の両親がやってきて、
 娘の持ち物を処分させて欲しい、と言って
 送り返したり、捨てたりしたんだよ。
 
 その時に、彼女が『もう戻る気はない』というのを
 ご両親から聞いたので、離婚に同意した。

 それだけだ。
 それっきり、二度と会っていない。」


佳代子は驚いた。


「そんなひどい話だったの?
 あまりに一方的で勝手だわ。
 仁の気持ちどころか、立場にも何の配慮もないのね。」


「そんな余裕がなかったのか、
 そんな気分になれなかったのか、どっちかわからない。

 手続きその他は、少し面倒だったし、
 こっちの親はカンカンに怒っていたから、
 それをなだめるのにも、ちょっと苦労した。

 でもそれだけだ。
 却ってすっきりした。

 あの結婚は失敗だ。
 何の未練もない。

 また、お互い、一人になれて良かったんだろう。」


淡々とひとごとのように言う、仁の言葉が痛くて、
佳代子は唇を噛みしめた。



あんなに他人をかき分けるようにして、
仁をさらって行ったくせに。

幸せになるための努力もしないで、
こんな優しい男を傷つけて、ひどい女だ。


くっと涙を呑み込んだ。



でも・・・そうだ。
仁のためには、これで良かったんだ。



「ひどい目に・・・遭ったね。」


佳代子がやっと言えたのは、それだけだった。


ありがとう・・・。



仁は微笑んで佳代子を見ると、グラスを傾けた。


「たぶん・・・ラガーマンの俺には興味があっても、
 海外赴任した会社員の俺には
 何の興味もわかなかったんだろう。


 仕方がないさ。
 思い当たるとすれば、その位だ。」


「もう・・いいよ。
 まったく仁のせいじゃない。」



「ありがとう・・・・そう言ってもらえると、気は楽になる。
 でも、向こうだって、傷ついだんだろうけどな・・・」


仁がまた微笑んだ。



優しい顔だ。
男のこんな顔って、ちょっといいな・・。


「お佳代はこの2年、どうしてたんだ?
 その・・・熱愛の彼とは、いつから付き合ってたんだ?」


ぶっ・・・。



佳代子は思わず、むせてしまった。

ごほごほと咳き込んだ背中を、仁が叩いてくれた。



「そんなにうろたえる程、惚れてるのか?」



まだ、咳き込みながら、佳代子は首を強く振っていた。

そ、そうじゃなくて・・。


「国際結婚になるとか・・・?
 あれはアレで、上手くやっているのを何組も見たぞ。
 そんなことでためらってるなら・・・」


まだ、むせて涙がたまった目のまま、体を起こして
仁を見返した。

仁は、佳代子の表情を見ると誤解したようで、
急に話を止め、


「立ち入ったことを、すまなかった・・・。
 もう止めるよ。」


違うのよ、仁。



と、口の端まで出かかったが、やっぱり
チョコが恋人だなんて言えなくて、そのまま黙ってしまった。

佳代子が隣を見ると、さっきシャツから感じた香りが、
隣にいる仁の肩のあたりから直接香ってきた。


「仁って何のコロンつけてるの?」



「え?」



「あ、いえ、いいの。バカなこと聞いたわ。ゴメン。」


佳代子は慌てて、自分の問いを打ち消した。

仁は面白そうに笑った。


「お佳代って意外にウブだな。
 そのシャツ、俺の匂いがするだろ。」



「え、ビ、ビール臭くて、あんまりわかんなかったけど・・。
 どうなのかしら・・・。」


うろたえる佳代子を見て、仁はますます面白そうに笑った。


「男のシャツ着たくらいで、そんなにあせるなよ。」


きえ~、なんで仁のペースなんかにはまってんのかしら。
さっきの緊急事態のショックから抜けてないのね。

ど、どうせ、チョコばっかりで、男性経験が浅いですよ。


顔がなんとなく赤くなるのが、自分ながら悔しかった。




その後は、仁のマレーシア時代の話や、
仁がいなかった時の会社の話題やらを交わして、
あっと言う間に時間が経った。


「あ、いけない!
 もうこんな時間じゃない。電車がなくなっちゃう・・・」


佳代子の言葉に、仁も時計を見るとレシートに手を伸ばした。



「ねえ、緊急事態を救ってくれたんだから、
 わたしにおごらせて・・」



佳代子は仁の手からレシートを取戻そうとしながら言った。



「いや、誘ったのは俺だから・・・。
 付き合ってくれて助かった。
 あのまま、帰りたくなかったんだ。」



「でも・・・」



「じゃ、今度、飯でもおごってくれよ。」



そういうと、さっさとレジで精算を済ませてしまい、
コートを羽織って、二人で店の外に出た。


さっき、まばらだった呼び込みのお兄さん達が、3倍くらいに増えて、
通り過ぎる男性にかたっぱしから声をかけている。


「なんだか・・・こういう光景も、懐かしいな」


仁の言葉を聞きとらえて、すぐに呼び込みが


「お客さん、今の時間からならお安くしておきますよ。
 フルコース、8千円でどうでしょ?
 明日はお休み!
 スッキリして、元気にならなくちゃ・・・ちょっと、ね、ちょっと!」


佳代子が体を縮めるのを見て、
仁がさっと背中を押してくれた。

かしましい声の飛び交う路地裏を、二人で歩いて行く。



「佳代子。
 そのシャツ、ホントに似合ってるよ。」



「え?」


そうかしら・・とあわてながら、
ちゃんとクリーニングして、お返しするから・・・と、つぶやいた。



「そのまま、返してくれてもいいぞ。」



え、何でよ?



「今度は、俺が着て、お佳代の匂いを嗅いでやろうかな・・」



ちょっ、何てこと言うのよ!



冗談だよ。


佳代子は、持っていたバッグで、仁の頭を叩こうとしたが、
さっと躱されて、腕をつかまれた。

そのまま、仁のシャツが目前に迫って来たので、
佳代子はあわてた。

仁は佳代子を、一瞬、分厚い胸の中に抱き込むと、
佳代子の髪に頬を寄せた。


佳代子の方はパニック状態だった。



酔っぱらってる、酔っぱらってるのよ。
酔っぱらいのハグは、翌日には覚えてないんだから・・・確か。



必死に自分に言い聞かせていた。



自分の胸の中で、佳代子がぎゅっと目をつぶり、
体をこわばらせているのを見て、仁は微笑んだ。


「悪い・・・。
 急にお佳代の匂いを嗅ぎたくなった。
 いい匂いだ。」


笑って、呆然としている佳代子の体を放すと、先に立って、
ぶらぶらと歩いて行った。

佳代子は一瞬ぽかんとしていたが、
こんな路地裏に置いて行かれては、と、
怪しげな呼び込みのお兄さんの脇をすり抜け、
あわてて、仁の後ろ姿を追いかけた。

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