AnnaMaria

 

セピアの宝石  16-1

 

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春の天気は気まぐれだ。

うららかな陽射しを見せたかと思うと、
冬のような冷たい雨を運んで来たりする。

今日の空は灰色で重たく、天気の変わり目を先触れするように、
正午を過ぎると、肌寒い風が吹き始めた。


土曜の午後、佳代子は久しぶりにひとりで買い物を楽しんでいた。
追い込み中の仁は、今日も会社で仕事をしている筈である。

何とか、目的の買い物を果たし、
ちょっと香り高いチョコレートでも頂こうかな、
と足を向けると、携帯が震えた。


「もしもし・・・」

「佳代子・・今、どこにいるんだ?」

「銀座よ。お買い物してたの。
 仁は仕事終わった?」

「終わらない。終わらないから今日はもうやめだ。
 昼飯を食ってないんだ。飯を付き合ってくれよ。」


佳代子はすぐ近くまで来ていた、P・マル○リーニの
チョコレートカフェを横目で見た。

道路に短い行列ができていて、店員が客に何人連れかを聞いている。

う~~ん。
チョコレートエクレアは、あきらめねばなるまい・・・。


「ええ、いいわ。
 何が食べたいの?」

「何だっていい・・・。
 佳代子は何なら付き合える?」


そこまで聞いたところで、パタパタ・・という音がした。

回りを見ると、黒い水玉がアスファルトの面に散っている。
手のひらにも、大粒の雨が感じられた。


「ああ、仁!
 雨が降って来ちゃった。
 冷たい・・・」

「傘、持ってないのか。
 俺は二本あるぞ。
 どこまで迎えに行けばいい?」


佳代子はあたりを見回した。
大通りに戻って、二つくらい先の角にスタバがある筈だ。

仁にスタバの場所を説明すると、
見る見る雨足の強くなる空の下、急ぎ足で店に向かった。




店に落ち着いて外を見ると、ガラス窓に叩きつける雨が景色を歪ませている。
人の動きが慌ただしく、落ち着いて傘を開く人もいたが、
多くは近くのビルやデパートを目指して、急ぎ足になっている。


こんなところで、仁を待っている自分が妙に不思議だった。

銀座と言えば、買い物をして、
お楽しみに色んなチョコを仕入れて帰るところで、
友だちと待ち合わせはしても、
恋人と待ち合わせたことなど、なかった気がする。

仁のことを考えると急に、雨で乱れた髪や、
ショッピングバッグをかついで、崩れたジャケットが気になってきた。

あわてて化粧室に飛び込み、
何とか、身づくろいを直し終えて椅子にもどると、
間もなく、扉に大きなシルエットが見えた。

黒っぽいチェックのシャツに黒のジャケットを羽織った、
ひときわ広い肩幅で、すぐに仁だとわかる。

土曜日だからか、ボトムはグレーの綿パンツで、
雨というのに、黒革のスニーカーに真っ白なひもがまぶしい。
銀座のカフェでも目立つ風貌だった。

ほんの数歩で、佳代子のテーブルにたどり着くと、



「行こう・・・」



いきなり言う。



え?



「朝からコーヒーばっか、飲んでたんだ。
 もう一杯も飲みたくない。
 このまま飯を食いに行こう・・・」



佳代子の隣の椅子に積んであった紙袋ふたつを、
大きな手でつかみあげ、



「荷物はこれだけか?」

「あ、ええ・・」



半分も飲んでいないカフェオレだけど、いいや。

佳代子に予備の傘を渡して、
さっさと店を出ていく広い背中を追いながら、
佳代子は会えたうれしさに胸が弾んできた。






連れて来られたのは、ビニール張りのクロスがかかっている、
古ぼけた中華料理店だ。

ランチタイムから外れた中途半端な時間とあって、
店内には3分の1ほどの客が居るばかり。

フロアが広く、テーブルも大きいが、どことなく薄暗い。

だが、並べられた料理はどれもおいしそうだった。

佳代子は、仁が選んでくれた点心、
翡翠餃子と湯葉巻をつまんでいるうちに、
テーブルで湯気をあげている皿やせいろが次々と空になるのを
感心しながら見ていた。

仁はきれいに箸を使って、気持ち良いほど見事に平らげた。

会話をしながらゆっくり、というより、
食べることに、一気に集中しているみたいだ。


「ああ、生き返った・・・」


3杯目のビールを、お茶でも飲むようにざあっと流し込むと
椅子の背にもたれた。

佳代子が微笑んで、ちょっぴり皮肉をこめ、


「すっごく、おいしそうに食べてたわ・・・」

「うそつけ。
 ガツガツ食ってる、と思って呆れてたんだろ。

 今日は特別、腹が減ってたんだよ。
 昼飯に行かないで、その分、詰めて仕事してたから。」


佳代子が手を挙げてお茶のお代わりを頼むと、
中国茶の急須に熱いお湯が注がれる。

仁が椅子から体をずらし、暗くなってきた外を見た。

本降りだ。
ビルも路面も車も黒く濡れ、
行き交う人は皆、傘をさしている。


「けっこう、降ってきたな・・・」

「ええ、今晩から明日の夕方まで降るって、天気予報で言ってた」


こぶりの茶碗に入れた熱いお茶を、
両方の手のひらで包むようにして頂く。

プーアール茶のいぶったような味が舌を焼く。

外を眺めている仁の目が、黒くきらめいているようだ、と思ったら、
口元に笑みが浮かんだ。


「どうしたの?何だかうれしそうね。」

「いや・・うれしい、と言ってしまうと、
 怠け心を認めることになるけど。
 これだけ降ると明日の練習はないな、と思ってね。」

「そうなの・・・?
 ラグビーって雨でも雪でもやるんでしょ?」

「試合はそうだが、トップリーグでも室内練習に切り替える時もあるし、
 アマチュアクラブで、ここまで降ると練習はない。
 家族持ちは、ほっとしているかもしれないな・・・」


仁の黒い瞳に街の様子が映っている。



彼の横顔が好きだ。
鼻から厚めのくちびる、あごへかけての線がきれい。
その下の、よく動くのどぼとけも・・・。


そんなことを考えて見つめていると、
不意に仁がこちらを向いて、唇の両端をきゅっと引きあげた。
佳代子はどきりとした。


「今、俺にみとれてたろ・・・?」

「べ、別に、みとれてなんかいないわよ。」

「照れなくていいさ・・・」


テーブル越しに長い腕がぬうっと伸びて、佳代子のあごを
とん、と叩いた。

また自信満々の顔だ。憎たらしい・・・。


「行こうか・・・」

「ええ。
 でもどこへ?」


伝票をつかみ取りながら、仁はもう立ち上がっていた。


「明日は練習がないんだ。
 会社もない。」



佳代子の顔を真っ正面から見て、



「泊まりに来いよ。
 例のコラムで、相談したいこともあるし・・・。」


冗談のような口調でさらりと言ってのけ、レジに向かう。


「ええ~~っ?
 無理よ、何の用意もしてないわ。」


自分の答えが、いち早く店を出た仁に聞こえないのでは、と
佳代子は急いで自動ドアを抜けた。

すっかり暗くなり、雨の細い柱が暗い路面に突き立っている。


「デパートがあるだろ。
 俺も少し買いたいものがあるから、付き合うよ・・」


そう言われたって・・・・。

仁は、佳代子のためらいなど、何の問題にもしていないようだ。




一番近いデパートに着くと、さっさとエスカレーターに乗り込み、
紳士フロアで降りようとする前に、


「俺は何色でもいいからな。」


佳代子の耳元にささやくと、返事も聞かずに大股で行ってしまう。

んんもう!!

女には色々、準備があるのに。
佳代子はでかい背中をにらみながら、唇を引き結んでいた。

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