AnnaMaria

 

セピアの宝石  21-2

 

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一緒に入ったカフェのサンドイッチはかなり分厚くて、
どこからかぶりつこうか迷っているうちに、
仁のサンドイッチは半分になっていた。



「要らないんなら、俺が食ってやろうか?」



佳代子はあわてて手を振った。



「要らないんじゃないの。どこから食べようか考えてるのよ。」


口を盛大に動かしながら、仁がおどけて目を丸くして見せた。



「ぐずぐずしてると俺が見えなくしちゃうぞ。
 ああ、腹が減った。
 もう一回、サラダをもらって来よう・・・」


また皿を取り上げた太い指を見ながら、
取られては大変と、佳代子がサンドイッチにかぶりついた。

アボガドとベーコンがずるずるとひっぱり出てきて、
噛み切れずにおたおたしていると、向かいで仁が笑った。


「お嬢さん、食べるの上手ですね。」


口がいっぱいで言い返せず、思い切りにらみつけたが、
口の回りがマヨネーズだらけで、なんともしまらない。


仁が何皿目からのサラダをお代わりして戻って来た頃には、
やっと佳代子も口が利けるようになった。


「中国はどうだったの?」



サラダをたべるフォークが一瞬止まり、
仁が顔をしかめた。



「ひどかった。
 ほとんど眠れなくて、一時はどうなることかと3人で真っ青になった。」




田並執行役員と仁で、あの夜のうちに上海入りし、
大熊上海支店長と打ち合わせ、
翌朝、車で1時間ほどの工場に行った。

事前に話し合いの内容は伝えておいたにも関わらず、
工場側の用意していた契約書は工場の「売買契約書」だった。

中国語に堪能な大熊がおだやかに間違いを指摘すると、
工場側はいっせいに反発し、中国語でまくしたてた。


「英語で交渉できると聞いてきました。」


田並が落ち着いて割り込むと、口々に叫んでいた3人が黙り、
真ん中に座っていた30代前半とおぼしき男性が
おもむろに口を開いた。

素晴らしい仕立てのスーツを着こなし、金の指輪をはめている。


「我々はこの工場の設備投資に多額の資金を投入している。
 それが払えないと、工場の運転にも差し支える。
 せめてその資金の一部を肩代わりして欲しい。」



かなり流暢な英語だ。

彼がこの工場の社長だったのだ。


「我々は貴工場を買い取るつもりではなく、
 製品の注文に来ている。
 現在、これほどまとまった発注を出す企業はあるまい。
 応じるか否かの問題だ。ダメなら他をあたる。」

「そんな注文に応じられる工場はうちしかない。
 そちらも我々と交渉するしかないはずだ。」


平行線のまま、話し合いが2時間ほど続き、その後、いったん、
工場の生産ラインを見学すると、再び交渉の席についた。

工場へ来てから4時間ほど経ったが、お茶と水が何度も出ただけで、
10時から始まった交渉は昼食抜きのぶっ通しで行われた。

厳密に言うと工場サイドは何回か担当が代わったので、
その者たちは食事をとっていたのかもしれないが、
中央の若い社長は、仁たち同様、ずっと交渉のテーブルに座り続けた。

双方とも、あらゆる落としどころを探して、
夕方まで話し合った挙げ句、
社長の言葉で、突然、打ち切られた。


「もういい。これ以上は時間の無駄だ。
 終わりにしましょう。」


仁たちは、内心ひやりとしたが、気振りにも見せず立ち上がった。



「残念です。ではホテルまで車を手配してもらえますか?」

「うちの車でお送りしましょう。」



やってきた車に乗り込む際も工場側の反応は冷たく、無礼にさえ見えた。



では、さよなら・・。



3人が車に乗り込み、上海のホテルを告げた。




運転手がいるので、車内ではうっかり話ができなかった。
日本語が堪能な者がいるから、一人でも相手方がいれば油断大敵だと、
前夜のうちに、大熊支局長から教えられている。

無言のまま、3人で敗北感を味わいながら乗っていると、
車は指示したホテルとは全く違う建物に着いた。



「おい!ここじゃないぞ!」



大熊が抗議すると、運転手は黙って車を降り、
ドアを開いて、



「社長から、ぜひ、こちらにご案内するよう言われています。」



と日本語で告げた。



田並と仁は、大熊に無言で問うと、



「わかった。そちらがそういうお気持ちなら、少しだけ伺おう」



大熊が運転手と共にビルに入ったので、
仁と田並も続いた。




豪華なレストランとも、クラブともとれる場所だった。

黒々と壁の光った広い個室に案内され、チャイナドレスの若い女性が、
おしぼりやら、何やらで次々と世話を焼いてくれる。

奥からうまそうな料理の匂いもして来た。

朝食以来、何も食べていなかった3人は正直、
腹の鳴るのをおさえるのに苦労した。



間もなく、先ほどは敵対的な雰囲気で別れた、工場側の社長と
その他の役員たちが現れ、打って変わった和やかさでもてなしを始めた。

具体的な交渉の話は一言も出ないまま、いつどうなるのかわからないと
飲み過ぎないようにだけ、気を配っていたが、
いつの間にか、杯を過ごしていたらしい。

仁がトイレに立った帰りに、はたち前後の女性がすっと体を寄せて来て、

「少しあちらで楽しく過ごしましょう」

目が丸くて肌がきれいで、すらっと脚が長い女性だった。





話がそこまで行ったところで、佳代子が



「ちょっと待って!で、ついて行ったの?」

「まさか!交渉の糸口さえ見えない状態だぞ。」

「じゃ、交渉がまとまってたら、ご接待に応じたの?」

「だったら、俺が佳代子に話してるわけないだろ。
 続きを聞きたくないのか?」


「聞きたい・・・」佳代子が再び、黙っていすに座り直した





3人が一人になった時に、それぞれ誘いを掛けられていたが、
もちろん断り、適当なところで、どうにか席を立って
大熊支店長が自分の携帯から直接、ホテルに帰るタクシーを呼んだ。


接待の間中、にこやかだった若い社長は、最後に手を差し出し、



「明日、10時にお待ちしています。
 もう一度、話し合いましょう・・・」



内心ほっとした3人だったが、できるだけ表情を変えず挨拶を済ませて、
ホテルに帰り着いたのは、11時を回っていた。

死ぬほど疲れていたが、
「明日に備えて、ちょっと打ち合わせをしときましょう」
と大熊が提案し、田並も仁もしぶしぶ従って、
大熊の部屋で作戦を練り始めた。


30分もしないうちに、フロントから電話があり、

「お客様が来ています」

3人で顔を見合わせ、コールガールか何かなら追い返してもらおうと
フロントに問うと、客は男性の二人連れだと言う。

しぶしぶながら降りて行くと、今日打ち合わせに同席していた役員と
見知らぬ連れだった。

ロビーの椅子で話を始めてみると、
なんと彼は別の工場の経営者を連れて来たのだ。

激しい売り込みと、交渉中の工場の中傷と、あけすけな条件が示された。
1時間聞いたが、12時半になったのをしおに帰ってもらった。





「結局、ずっと、そんな感じさ。
 次の夜は、別の工場主が2組来たよ。一人は女性だった。

 正直、誰がどこと、どうつながっているのかわからなくってね。
 最後の月曜日に、今日夕方の飛行機に乗る、と通告して、
 やっとのことで合意だ。」


ふうん・・。



佳代子には想像もつかない世界だ。
詩織なら少しはわかるんだろうなあ。


「田並さんはどうだった?」

「タフで冷静で、数字に強かった。
 だけど、最後の二日は胃痛に悩んでたよ。
 急性の胃潰瘍とかになってないといいけどなあ。」


結局のところ、執行役員である田並と若い社長のにらみ合いなのだ。
体力のない方が負けてしまう。

胃薬をのみのみ、田並はよく頑張っていたと思う。
帰りの飛行機では口を開けて眠っていた。



「俺でも3kg近く体重が落ちた。
 田並さんは俺より小柄だから、もっとこたえただろうな。」



はあ・・・。本当に大変だったのね。



「仁は上海に行くの?」


佳代子がまっすぐ問いかけた。
一瞬仁はだまり、佳代子にまじめな視線を向けた。


「可能性がないとは言えない。
 現に、大熊さんから強力な引っ張りをかけられている。
『借りを返せ』と言うわけだ。」



佳代子の視線は動かない。じっと答えを待っている。



「そうなったとしても、上海は近い。すぐ帰ってこられるさ。」



佳代子の視線はまだ動かなかった。



「でも、もしそうなら、佳代子はどうする?」


ずっと固まっていた視線が初めてゆらいだ。
泳いだ視線が、となりにある観葉植物の鉢に向けられる。



「俺と・・・一緒に来る?」



佳代子の視線は、テラコッタの鉢の上にとどまっている。



「おい、聞こえているんだろう?」



まったく返事がないのに焦れて、仁が繰り返した。



「聞こえているわ・・・」

「そうか。」


それならいい。

すぐに答えの出る質問じゃないことは分かっていたから、
今ここで佳代子を追いつめたくなかった。


「そろそろ出ようか?」

「ん・・・・」





二人で手をつないだまま、ぶらぶらと駐車場まで歩き、
それぞれの席に乗り込む。

シフトレバーの上に乗った佳代子の手に、
仁の大きな手のひらが重なった。

佳代子はエンジンをかけたまま、スタートできずにいる。
仁が何か言うのかと思ったが、無言のまま。

仁の方を向くと、仁が佳代子の手を持ちあげ、
手の甲にそっと唇を押し当てた。


「・・・・!」


背中からぞくぞくっと衝撃のようなものが走り、
佳代子はハンドルに体を伏せてしまった。

仁はその様子を見て、満足そうに手を放すと



「いつ出発してもいいぞ。」






仁は優しかった。
ひたすら優しくて、もどかしいほどだ。

ラグビーの試合や練習の後は、荒っぽくなるのが普通なのに、
この日は、じりじりと撫でるように佳代子を押し上げた。

仁の指、仁の息、仁の熱・・・。
直接ふれあう喜びに、涙がこぼれてくるほどだ。

さきほど交わした会話が、二人の距離をさらに縮め、
お互いに求め合っているのが痛いほどわかった。

唇を合わせ、お互いのぬくもりを確かめ、
熱い肌をこすりつけて、刺激を繰り返し、
何度も佳代子をあえがせる。

まだつながってもいないのに、佳代子の息があがり、
体中に震えが走って、乗っている仁を押しのけそうになった。


仁ったら・・・。
もうやめて。


仁は満足そうに微笑んで、佳代子のわき腹にキスをする。


ほんとにやめていいのか?

やめて・・・いいわ。

うそつけ!


ずぶりと刺激がはいってくると、あっと佳代子はのけぞった。
そのまま、容赦なく突き上げられる。

震える腿を肩にかけさせると、佳代子を押さえ込み、
仁はゆっくり体重をかけて押し入っていく。

佳代子の震えが、焼けそうな熱とともに直接仁に伝わって来て、
理性が吹き飛び、優しさをかなぐり捨てた。






仁の肩に佳代子の頭が乗り、柔らかい髪がこぼれかかる。
白い肩がかすかに上下するのさえ、愛しくてならなかった。

なめらかな背中をそうっと撫でていくと、
まだぴくり、と反応する箇所がある。


まだまだ、みたいだな。


低い声で仁がささやくと、
佳代子は恥ずかしそうに仁の胸に顔を埋めてしまう。

とても離せない。離すことはできない。


「もう離さない。」


佳代子の瞳が大きく開いて、こちらを見る。

くろぐろと濡れて、吸い込まれそうだ。
その目を見つめながら、ゆっくり告げる。


「聞こえたか?
 もう離さない、と言ったんだ。
 俺といっしょに来いよ。」


甘く誘うような声だったが、真剣な思いがこめられている。
その思いが佳代子の全身に染み渡ったとき、
すぐに答えを告げていた。


「一緒に行きます。どこにでも・・・・」

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