AnnaMaria

 

続・春のきざし 1

 

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晴れて春休みになった、恵子と速水。
二人でやって来た映画館には、ふたつの映画がかかっていた。

「ロッキー4」と「バック・トゥ・ザ・フューチャー」。

恵子にとって、「ロッキー4」の看板は大きくてもあまり目に入らなかったが、
速水はしげしげとロッキーのぶあつい胸の筋肉を見つめ、
物欲しそうに左のチケット売り場に目をやる。

「速水さん、『ロッキー』が好きなんですか?」

恵子に言われて、ぎょっとした顔をしたが、

「う〜ん、『ロッキー1』は好きだったんだけど、その先はそれほどでも・・」

と言いつつも、看板から目が離れない。

「『ロッキー4』にします?」

恵子が首を傾げたまま、速水の方を見ると、

「いや、今日はあっちにしよう。」

右側の「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のチケット売り場に向かって
振り切るように歩き出す。

平日にもかかわらず、話題の映画とあって、中はけっこう混み合っている。
なんとか二人並んだ席を見つけると、すぐに暗くなり、
たちまち物語に吸い込まれて行った。





「面白かったですねえ・・・。
 友だちが面白かったって騒いでたけど、
 こんなに面白いと思ってなかったわ。」


恵子は興奮気味に語ったが、
速水にはあまり聞こえなかったようで、視線が宙に浮いている。
よく見ると、指が弦をつまびくように動き、
唇がこきざみにハミングしている。

「速水さん?」

恵子が速水の腕に手をかけると、
あっ!と声をあげて、恵子の方を振り向き

「ごめん、何か言った?」

申し訳なさそうな、照れ臭そうな顔で言ったが、
その表情が子どものように可愛くて、恵子は思わず笑ってしまった。

「だめ、もう教えてあげない・・。すっごくいいこと言ったのに」

恵子がつんと前を向くと、

「ちょっとぼうっとしてた。あやまるからもう一度言ってくれよ。」

速水が後ろをついてくる。

「ううん、言わない。誰かさんは夢でベースを弾いてたみたいだから・・」

「岡崎・・・」

速水の困ったような顔に、恵子は声をあげて笑ってしまった。

「ヒューイ・ルイス?」

「ああ、『ベストヒットUSA』でやってたのって、このテーマだったんだなって。
 カッコ良かったな。」

速水の指がまた、小刻みにうごく。

「ロックも好き?」

「もちろん!フュージョンも好きだけど、ロックも。
 ビートルズもストーンズも好きだ。
 映画にでてきたみたいな、R&Bも最近好きになった。
 実を言うと・・」

恵子の顔を見た。

「例のライブハウスで、ちょっとバイトしているんだ。」

「例のライブハウスって、中州の店?
 このあいだ、出演したってところですか。」

ああ。


「何のバイト?」

「ウェイターだけど、バンドの手伝いで楽器を運んだり、
 ステージ作ったりしてる。
 たま〜に、頼まれてベースの助っ人とかね。
 あの店はアメリカンR&Bが主流だから、だんだんなじんで来ちゃったよ。」

「そうなんだ・・・」

「来週、行った時に見たらわかる。
 みんなノリノリのロックンロールで踊ってるよ。」

「へえ、すごい!面白そう!
 速水さんも踊るの?」

まさか・・・

「俺は踊って汗みずくのお客さんに、飲み物を運ぶ役だよ。」

そうかあ・・・。

「でも楽しみだわ。ああ、早く行きたいな。」

恵子の脳裏に、今見た映画のダンスパーティのシーンが広がっている。
あんな風に音楽に乗って踊れたらいいだろうなあ。

「速水さんは、LPとか、けっこう持ってるの?」

にやり、と笑った顔が得意そうだった。

「俺の部屋は、本よりLPが多いって言われる。
 最近はCD買うことが多い。
 場所取らないし、扱いが簡単だし、音質が下がらないし・・・」


音楽の話になると、速水は止まらなかった。
恵子よりもはるかに多くの曲を聴いており、
部屋にいる大半の時間を音楽につかって過ごしているらしい。

「バンドの練習はしてるんですか?」

「ああ、試験の間ちょっと休んでたけど、いちおう再開した。
 もうじき4年だから、バンドばっかやってられないけどね。」

速水の声に苦さが混じる。
恵子は速水の姿を見た。

顔立ちはクラシックに整っているが、髪型や服装はラフだ。
彼が髪を短く切って、紺のスーツを着たところがちょっと想像できない。

「その髪だと就職活動、できないですね。」

速水の髪はやや長めで、衿にかかるかかからないか、のギリギリ。
かすかに茶色を帯びており、速水の整った容貌にとてもよく似合っていた。

「染めてるんですか?」

う〜〜ん。

「去年、ライブをやった時に、もうすこし髪が茶っぽくてもいいかな、
 と思って、染めたんだよね。
 とっくに落ちているはずなんだけど、
 それから何か髪の色が変わっちゃったみたいで・・・」


恵子の視線にとまどったように、髪をかきあげる。
彼が髪を乱すと、外国のミュージシャンみたいだ。

ほんとに、きれいな人。

隣にならんだ、速水の横顔にひそかに見とれた。
こめかみあたりの髪が特に茶色くて、速水の耳を見え隠れさせている。

首筋がきれい。
あごの線がきれい。
まくったシャツから見える、小麦色の腕がきれい。

不意に恵子は自分が少し恥ずかしくなった。

こんな背が高くてハンサムな人の隣に並ぶには、地味すぎるわよね。

どんなにブローしても、すぐまっすぐに戻ってしまう
頑固な直毛と、大きなお尻と太目の足と・・・。
特にスタイルが良いわけでも美人でもない。

急におとなしくなってしまった恵子に、速水は不審の目を向けた。

「どうしたの?」

「ううん、別に何でもないです。映画のこと、考えてたの。」

恵子はうつむいたまま、歩いた。





映画館のある繁華街から、地下鉄に乗らずに
桜の名所として有名な大きな公園へと歩いていった。

日差しはやや陰ってきたものの、日暮れにはまだ間がある。

二人でぶらぶら公園へ入っていくと、
ひとつ、ふたつ、と桜の花が開いているのが目に留まった。


「わあ、もう咲いてる!」


恵子は大きな桜の枝の下にいくと、わずかにほころんだ花に顔を寄せて、
かすかに匂いをかいだ。


「桜は匂いがないだろう?」


速水が不思議そうに恵子を見て言った。
恵子は顔をあげて、微笑んだ。


「そうね。梅はあんなに香るのに、桜は香りがない。
 でも香る桜もあるって聞いたの。
 だけど、このソメイヨシノじゃないですね。」

ああ、たぶんな。

「ここはこんなに桜があるし、いろんな種類の桜もあるから、
 きっと匂いのする桜もあるんじゃないかと思っちゃったの。
 でも楽しみ。もうじき枝じゅうが真っ白になる。」


そうだ、晴れた日の雪のように。

速水と歩いた雪の夜、桜の木々にも雪が積もって、
まさに花が咲いたようだった。

恵子の脳裏に、雪持ちの桜の情景と、来週満開になるであろう桜が
二重にだぶって見えた。
速水も黙って枝を見上げる。


「来週まで保つかなあ。」

「どうだろう。途中のお天気次第ですね。」

じゃあ・・・。

速水が恵子の方に振り向いた。

「もし、来週ライブに行く日にまだ桜が咲いていたら、
 一緒にお花見をしないか・・・」

恵子も速水に向き直って、微笑んだ。

「はい!」

じゃ、約束・・・

速水が恵子の手をとると、軽く小指をからませた。

速水の手が触れると、恵子の頬が爆発したように熱くなり、
指切りしていない方の手がさっと頬にあがる。


「岡崎・・・」

「あ、はい」

何とか喉の奥から声を押し出す。

「岡崎が照れると俺も照れるから、照れないでくれ・・。」

うつむいていた恵子が指切り越しに速水の顔を見上げると、
困ったような笑顔が見えた。

その顔を見ると、恵子もおかしくなって笑ってしまう。
それをきっかけに二人で手をつなぎ、大きな池にかかった観月橋を渡った。




天気がいいので、ぶらぶらしているカップルや家族連れに混じって、
池のまわりをジョギングしている人も目につく。

池の面はまだ青い。が、空はすでに薄暮の気配が見える。
池をわたる風はさわやかで、桜が咲く前というのに、初夏を思わせた。

速水も恵子も、一言もしゃべらなかった。
つないでいる手はまだ少しぎこちないが、離したくない。
意識すると、よけい、手のひらに汗がでてくるような気がする。

背の高い速水だが、恵子の歩調に合わせ
ゆっくり歩いてくれているのがうれしい。

それほど幅の広い橋ではないので、対面の人とすれ違う時に
少し速水に体を寄せる形になる。

その瞬間がどきどきして、向かいから人がやってくるのが見えると
恵子の心臓がはねあがってしまう。

池に張り出したあずまやまで歩いて行くと、
二人ならんで、池をながめた。

白いカモメが池の面をさっとかすめる。
海が近いのだ。


「岡崎は、何時に帰ればいい?」

速水が前を向いたまま、恵子にきいた。

「今日は、夕食には帰るって言ったの。
 だから7時前くらい・・。
 来週、ライブハウスに行く日まで、少しおとなしくして
 点数を稼いでおかなくちゃ。」


恵子の髪がなびいて、速水の方へ流れた。

あ、ごめんなさい・・・。

恵子が髪をおさえて言うと、

「いや。
 きれいな髪だな。」

速水がこちらを見ているのはわかったが、
恵子は速水の目を見返す勇気がなかった。

口のなかで、ありがとう・・とつぶやいて黙ってしまう。
ふたたび黙ってしまった二人に、さやさや、と
木々を揺らす音が聞こえてくる。

池にもあずまやにも夕闇が降り始めると、ものの輪郭がすこし曖昧になる。
隣の速水の顔がぼうっと白く浮いてみえた。

「春休みに、親のところに行ってこようと思う。」

恵子は速水の方を向いてうなずいた。

「速水さんのご両親は、どちらに?」

「親父はもともとこっちの出身だけど、今は東京。
 転勤族でね。俺は広島で生まれたらしい。」

「だから、なまりがないのね。」

「ああ。こっちに来たのが高校の時。
 最初、みんなの言ってることが全然わからなかった。」


この土地の男は少々荒っぽくて、熱い気風だ。
速水の雰囲気とはまるで違う。

土地っ子じゃないせいなのか・・・。


「速水さん、東京で就職するの?」


不意に湧いてきた疑問が抑える暇もなく、口から出てしまった。
速水が答えるまでに、また一瞬の間があく。

「まだ、決めてない。
 親はあと2年くらいでこっちに帰ってくるらしい。」

「そうなんだ・・」

何だか急に寒気がしたように、思わず自分の腕で体を抱くと、
「さむいの?」と速水が聞き、すぐに首にまいていたマフラーを外そうとする。

あ、だいじょうぶです。

恵子の言葉にかまわず、ふわっと首に温かさが回った。

ありがとう。

速水の体温がまだ残っているようだ。

体温だけでなく、匂いや気持ちまで・・・。
考えると胸がいっぱいになりそうで、妙に早口になる。

「速水さん、マフラー好きですね。
 何本持ってるんですか?」

「数えたことない。
 でも、そんなにないと思うよ。」

速水の返事はどこかぶっきらぼうだ。
照れくさいのかもしれない。

「行こう、冷えて来た。
 まだ、コーヒー飲むくらいの時間はあるだろう。」

速水が一瞬だけ、恵子の肩に腕を回して、
あずまやを出るように促した。

「こんどは桜が見られますように。」

隣の肩に向かってつぶやく。

「ついでに、人もたっぷり見られるよ。」

柔らかい声で返事が聞こえた。


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