AnnaMaria

 

続・春のきざし 3

 

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あっさりと土曜日はやってきた。

恵子はさんざん考えた挙げ句、ゆるやかに体に沿う、
やわらかなワンピースにした。
濃いえんじ色で、胸の前に打ち合わせがあり、
ぼかしたような大きな花柄が全体に散っている。

いつもの自分のスタイルよりは、少し派手かもしれないが、
上からニットのジャケットを羽織れば、それほど目立たないはず。


弁当屋のバイトが休めず、昼間一緒に花見に行く時間は取れなかったが、
夕方の待ち合わせ前に、大急ぎで一度家に帰って着替えることができた。

待ち合わせの場所に急ぐと、
速水が近くの階段に座って、本を読んでいた。
長い脚を邪魔そうに前に投げ出している。

夕方近くの柔らかい光が速水の後ろにそびえる木から降り注ぎ、
少し長めの髪やダンガリーシャツの肩先に
まだら模様を作っている。

まるで静かな絵のようだ。

このまま切り取ってしまいたいと、恵子が見とれていると、
立っている恵子に気づいた速水は、一息で身軽に立ち上がった。

ワンピース姿を見て、一瞬、目を細めるようにしたが何も言わない。
すぐ恵子に並ぶと、

「行こう・・」

一言投げて、人ごみの方へと歩き出す。

相変わらず大股で、ついて行くのに少し頑張らなければならないが、
恵子はわくわくしていた。

飛んでいきそうな心を何とか押さえて、
急ぎ足でついていった。





二つの川に挟まれた中州地区にあって、そのライブハウスはかなり伝説の店だ。
アメリカン・オールディーズや生演奏を愛する、
幅広い年齢層の客から深く愛されているらしい。


「お店って何時までやってるの?」

「土曜日は深夜2時まで・・。
 平日は1時かな。」

「へえ・・すごい。」


恵子は感心して聞いていた。

エレベータの扉が開くや、すぐにガンガンと威勢のいい音が飛び込んでくる。

音にひるまず、速水について中へ進むと、
あめ色の板をはった壁に、古いギターや、カウボーイハットなど、
古き良き時代のアメリカ小物が飾られている。

ステージはライトが落とされ、誰もいなかったが、
フロアの客席はすでに、かなり人が入っている。

ジーンズ姿で金髪の、がっしりした男性が近づいて来る。
日本人か外国人が、ちょっと迷う顔立ちだ。

「オフタリさま?」

と声をかけたところで、速水に気がつき、

「なんだ、コーヘイか!」

肩をたたかれて、笑い声が広がった。
後ろをふりむいて、恵子を見ると

「コーヘイのGF?」

と聞いた。

「ああ・・。」

速水が面倒そうに答えると、

「そっか、僕はマイケル、よろしく!」

打って変わって流暢な日本語で言うと手を差し出した。

「岡崎恵子です。よろしく・・」

恵子が手をにぎって自己紹介すると、マイケルがそのまま手をひっぱって、

「オーケイ、ケイコ!
 可愛い子は大歓迎だから、こっちで一緒に飲まない?」

マイケルが陽気に言って、恵子をカウンターへ引っ張って行こうとすると、
カウンターの後ろからもやんやと歓声が上がったが、
速水がうしろからさっと恵子の手を奪い返し、
肩をかかえて引き戻した。

「悪いね、マイケル。今日の俺は客なんだ。」

すぱり言う速水に、チッとマイケルが舌打ちして笑い、

「ほんのジョークだ、怒るなよ」

カウンター脇のテーブルに案内してくれた。

恵子が座ると、カウンターの隅にもたれていた浅黒い男性が、
すかさずこちらにやって来る。
紺色の渋いアロハシャツを着ていた。


「やあ、浩平。今日は仕事じゃないのか。」

「ジョージさん。ええ、今日は客で来ました。」


ジョージと呼ばれた男性は、髪を軽くリーゼント風にあげていて、
笑うと頬に大きなしわが刻まれる。
一体いくつくらいなのか、恵子には見当もつかない。

立ったまま恵子に笑いかけると、促すようにまた速水を見る。
速水がしぶしぶと言った感じで、恵子へちらっと手をかざし、


「岡崎恵子さん。大学の後輩です。」

「岡崎です。初めまして。」

恵子があいさつすると、ジョージの笑顔がしわに埋まった。

「よろしく!ジョージと呼ばれています。今日は楽しんでってね」

テーブル越しに大きな手を差し出されたので、
立ち上がって握手をし、お辞儀までしてしまった。

ジョージは軽く手を振りながら、カウンターに戻って行く。

「オーナー?」

恵子が声をひそめてそっと聞くと、速水が苦笑した。

「いや、常連。時々シンガー・・・。
 結構うまいよ」

ジョージの背中から目を離さずに答えた。

ジョージの様子を見るとそれもうなずける。
どんなナンバーがお得意なのだろうか。

カウンターからは、なおも幾つか首が伸びたり、手を振ったりしてくる。
速水はほんの少し首を傾けて挨拶を済ませると、
それきりカウンターを見ない。

むすっとした顔つきを見ていると却っておかしくて
笑いそうになるのを、恵子は懸命にこらえていた。

「いらっしゃい。何飲む?」

注文を聞きに現れたのは、長身、スレンダーな浅黒い美女で、
ぴったりしたジーンズにウェスタンブーツを履いている。

「ビールと、チキン、ポテト。
 あとはサラダかな。
 ビールだいじょうぶ?」

速水が恵子に聞くと、

「うん、1杯くらい大丈夫だと思う。」


美女が微笑んで、すっとカウンターに引っ込むと、何やらまた笑い声が漏れる。
その声を聞きながら、速水にささやいた。

「速水さん、かわいがってもらってるのね。」

「べつに。重宝にこきつかわれているだけだよ。」

落ち着かなげに速水が店内を見回すと、また見知った顔から手をふられたり、
笑顔を向けられたりする。

やや面倒くさそうにそれぞれあいさつを返すと、速水は首を振って、

「別のライブハウスにすれば良かったな。
 落ち着かないことおびただしい。
 ここは曲もオールディーズが多いから、
 岡崎の一番好きなジャンルってわけでもないだろう。」

「そんなこといいのよ。
 生演奏が聞きたかったんだもん。
 できれば速水さんのベースも聞きたいけど・・」


小声でそう付け加えてから速水の顔を見ると、
聞こえたのか聞こえなかったのか、だまってステージを見ている。

しばらくするとステージに照明が入り、バンドが現れた。
オープニングがヒューイ・ルイスの「パワー・オブ・ラブ」だったので、
恵子はびっくりした。


「オールディーズ中心なんじゃないの?」

「それは次のバンドから。他にポップスやロックもやるよ」


速水はステージから目をそらさずに答え、
食い入るように、若手バンドを凝視している。

演奏は普通だが、ヴォーカルは力強かった。

冷えたビールを飲みながら聞いていると
ナンバーは、ここ数年のアメリカン・ポップス中心に3曲ほど歌って
バンドは引き下がった。

しばらくして客席がまた明るくなると、いつの間にかテーブルは満席で、
カウンターに立って飲んでいる客も目につく。
客が増えると、店全体が熱気を帯びてくるようだ。

マイケルが急ぎ足でテーブルのところにやってきた。


「コーヘイ。お客がいるのに悪いが、ビールが足りなくなりそうなんだ。
 裏から1ケース持ってきてくれないかな。」


速水が恵子を見たので、恵子は笑顔でゆっくりうなずいた。


「どうぞ。大丈夫よ。」

「すぐ戻る」


速水は席を立ってカウンターの奥に吸い込まれて行った。

ステージの照明は絞られたままだが、新しいバンドが
楽器を用意しているのが暗い中、うごめいて見える。

黒い衿のついた銀のスーツをそろって着こんでいるのが見え、
お客の間からも、期待した声が漏れて来た。

テーブルに一人残っていた恵子のところへ、
ジョージと先ほど名乗った男性がやって来て床にしゃがみこむと、
恵子の顔を面白そうに見上げた。


「浩平の後輩だって?」

「はい。」

「浩平のベース聞いたことある?」

「いえ、ありません。」

「そっか。これからメインバンドが登場するよ。」


ジョージは日に焼けた顔に人なつこい微笑をうかべて、ステージを見た。
その途端にスポットライトが輝き、ステージが明るく照らし出された。

観客席から早くも拍手が聞こえる。
お待ちかねだったのだろう。

ワン、ツー・・・
カウントの声が聞こえると、いきなり大音響が響き渡った。


♪you ain’t nothing’ but a hound dog
cryin’ all the time♪


プレスリーのナンバーが響き渡ると、客席から歓声が沸き、
きゃ〜っと声が上がる。

立ち上がって早くも踊り始める客もいた。
店内が揺れ動いて、熱い波がうねり始める。

2曲ほどプレスリーのナンバーを演奏すると、
ヴォーカルのあいさつが入った。

顔をかすかに浅黒く塗っているのか、
口元からこぼれる歯の白さが目につく。

やや小柄なヴォーカルだが、すっきり引き締まって、
エネルギッシュな動きを見せている。


「こんばんは。ようこそお越し下さいました。
 今夜も思いっきり、歌って踊って楽しんで頂きたいと思います。
 では、モータウンナンバーから幾つか・・」

バックコーラスが指でスナップを始めた。

♪You got a sunshine on a cloudy day・・・


「お、『My Girl』だ。お嬢さん、踊れるかな?」

え?あの・・・


聞き返しているうちに、あれよあれよとジョージに手を引っ張られ、
フロアに連れて行かれてしまった。
すでに沢山のカップルが踊っている。

「右足からステップを踏むんだよ。」

恵子がまごまごしているうちにジョージはダンスの手ほどきを始めた。

「ほら、こうやって両手でスナップ・・・」

ぱちん!

「いい音ですね。」

恵子は感心して、ジョージがする通りにステップを踏む。
気づくと回りにも2、3人、同じステップを踏んでいる者がいる。

ジョージのステップは正確でゆるぎなく、
ついて行くだけで、恵子もリズムに乗れた。

曲が終わって「ありがとうございました」と恵子がお辞儀をすると
ジョージがいや、と言ってウィンクをよこす。

わざとらしさが却ってユーモラスで、つり込まれて笑わずにいられない。
すぐ元の席に戻ろうとすると、ジョージがつついた。

「ほら、あっち見てごらんよ」

恵子が指差されたステージをみると、いつのまにか速水が肩からベースをさげて
バンドの後ろに立っている。

「あ・・・」

大きな声を出しそうになって、あわてて手を口にあてた。

ゆっくりとバンドが演奏を始める。
曲はレイ・チャールズの「Georgia on My Mind 」

恵子はフロアから少し外れた暗がりに立って、
速水の演奏する姿をじっとながめた。

体を横切る真っ白なベルトに釣られて、黒く光るベースを
速水の大きくて長い指が撫でていく。

コーラスには加わらず、ひたすら演奏をしているようだが、
スポットライトが当たると、髪がキラキラと白く反射し、
うつむきがちの顔半分にライトがあたる。
彫りの深い顔立ちや背の高さもあって、うっとりするようなシルエットだ。

速水だけが飛び抜けてステージで輝いているように見えるが、
これは自分の欲目に違いない。

ややうつむきがちに、一心に演奏している速水を見ていると、
思いが胸からあふれ出しそうなるのを、
ぐっと手のひらで押さえていると視界がわずかにぼやけてくる。

あれ、困ったわ、どうしよう・・

何とか平静を保とうと唇をかみしめ、目のあたりを拭って、
ステージを見つめ続けた


曲が変わり、アップテンポになる。
「Pretty Woman」。

速水のベースがリズムを刻む。
フロアの外れでリズムに乗り、恵子がゆっくり身体を動かしていると、
ジョージがまた近づいてきて、

「こっちへおいで。そこじゃ、浩平からあなたが見えないよ」

と手を引っぱる。

さっきと違い、向かい合ってお互いの手をとり、音楽に合わせて揺れる。
適当なところで、ジョージは恵子をくるりと回した。

恵子は驚いたが、隣の中年婦人も黒いスカートを膨らませて回っている。

それでも視線は、ステージの速水から離さないようにした。
速水が演奏の合間に、ちらっとフロア全体を見回すようにして、
ダンスフロアにいる恵子に目を留めると、
ほんの少し視線がするどくなったように思えた。

ジョージのリードはうまい。
こっちは全然踊れないのに、踊れるようになった気分にしてくれる。

へえ、気持ちいいわ・・・。

リードに任せて何度目かのターンをしながら、恵子はくすくす笑い出した。

曲がまた変わり、代わって女性ボーカルが進み出る。

60年代風の、後ろを膨らませたヘアスタイルに、
大きなボタンのついたスカートを穿いている。

少し鼻にかかったような声で「Be My Baby」を歌い始めると
ジョージは恵子のウェストに手をやって、

「ほら、少し反りながら踊ってごらん・・」と、ささやいた。

反りながらって言われても、と恵子がためらっていると、
ジョージが右手で恵子の腰をささえ、左手で恵子の手をつかむと、
一気に動き始めた。

恵子は少し困って、ステージ上の速水を探したが、
なぜかどこにも見あたらない。


あら、どこに行ったのかしら?


恵子がジョージの腕の中から、あちこちと見回すと、
いきなりぐいっと身体が引きはがされた。


な、何?


よろめきながら、すぐ後ろを見ると速水だった。

ジョージは一瞬あっけに取られたような顔をしたが、
すぐ面白そうに目をきらめかせて速水を見あげる。
速水は無表情だった。


「なんだ、お前、ステージをおっぽりだして来ちゃったのか?」

「今夜は客だって言ったでしょう・・・。」


恵子の肩に腕を回して、自分の後ろに引っぱり寄せながら
無愛想に答えた。

周りにも気づいた客がいて、くすくすこちらを見ている。

「ジョージさん・・・」

速水が言いかけるとジョージは両手を挙げて、顔の前でふった。

「わかってるって!
 お前がいなくて気の毒だから、ちょっとステップを教えて、
 楽しんでもらおうと思っただけだよ。じゃあな」

ジョージがカウンターの方に戻って行くのを
速水が無言でにらみつけていたが、恵子のことは一度も見ない。

踊る人波の中で二人がじっと立っているので、
何人かが面白そうにこっちを見る。

本気で怒ってるのかしら?

恵子は少し不安になって「席にもどる?」と訊いてみたが
音が大きすぎて、速水に聞こえないようだ。

もっと耳のそばで言おうと体を近づけると、
速水の手が恵子の腰に回り、ステップを踏み出したので驚いた。

「速水さん、踊れるの?」

恵子の声が聞こえなくても、言ったことはわかったらしい。
速水がやっと、かすかに笑顔を浮かべた。

「すこしね。無理矢理、ここで覚えさせられたんだ」

恵子の耳元で答えると、さらに体を近づけ、遠慮がちに恵子を胸元に引き寄せた。
速水の熱が伝わってくる。



それからは夢の時間になった。

ステージは、また男性ヴォーカルに替わり、
ぐっと甘いメロディを聞かせている。


♪Oh, my love my darling I’ve hungered for your touch
a long lonely time・・・♪


聞いたことはあるが、何という曲名かわからない。

低くころがすようなヴォーカルにうっとりと聞き惚れながら、
ゆっくりと速水に寄り添って揺れていると、
他のことは見えなくなってしまった。

照明がぐっと絞られる。

大勢の中で、男性とこんなにも接近しているのに、
速水とだと、まるで違和感を感じないのが不思議だ。

触れ合っている腕や腰、背中の部分が、
熱を持ち、溶け合っていくようにすら感じられる。

背中に回された腕がさらに強く締まってきたので、
そうっと速水の肩にあごをのせる。

首筋から速水の匂いがする。
目を閉じて、それに浸っていると
一瞬、恵子と速水の頬がそっとこすれ合った。

目を開けたら、すぐ目の前に速水の顔がある。
まなざしの熱さに、ずうんとしびれるような気がして、
膝から力が抜けてしまいそうだ。

ますます速水の顔が近づいてくるように思えたが、
彼の腕に抱かれているのだから、逃げることはできない。

目をそらしたくとも、何かに縛り付けられたようでそれもできない。

何ミリかずつ近づいて、彼の息の熱さまで感じられるようになったとき、
ちょうど音楽が止み、しばらく真っ暗になった後、
少しずつフロアの照明が明るくなり始める。


恵子ははっと我に返ると、自分たちがあまりに接近しているのに気づいて赤面し、
後ろに飛び退こうとして、他のカップルにぶつかりそうになった。
そちらはまだ熱いキスを交わしたままだ。

どぎまぎして反対の方を向くと、こちらのカップルは、
貝が合わさったようにぴったりくっついて、抱き合っている。

恵子は恥ずかしくなって、また目をそらすと、速水の表情に気づいた。

まだじっと恵子を見ている。
ほんのわずか辛そうな、迷っているような
憑かれたようなまなざし。

その真剣さに狼狽して、つい目をそらしてしまうと、
速水がふっと息を吐いた。


「戻ろうか・・・。
 喉が渇いたよ。」


また見上げると小さく微笑んでいる。

恵子の背中へ小さく手を当てると、テーブル席まで
他のお客たちから守るように歩いてくれた。



席に戻って速水はビールを、恵子はジンフィズを頼んだが、
喉がカラカラだったのですぐ飲み干してしまった。

ライブハウス内の興奮はますます高まり、
ステージも客席もどんどんヒートアップして来る。

バンドがアップテンポなロックンロールを奏で始めると、
我慢できない客の多くがフロアになだれ込んで踊り始めた。

途中、テンガロンハットをかぶった男性が、腰をくねらせながら、
フロア中央で見事なツイストを踊ってみせると、
周りに輪ができて、囃しながら拍手喝采となったり、
フィフティーズ風のドレスを着た女性と革ジャンのカップルが、
元気なジルバを披露してみせてくれたりして、
恵子は周りの客と一緒に、歓声をあげて拍手を送り続けた。

輪が崩れるとまた速水と踊った。

人が多過ぎてステップを踏むどころではなく、
寄り添って体を揺らしているのがせいぜいだが、
陽気なムードにつられて大声で笑い、ステージやフロアの達者なダンサーに拍手したり、
声援を送ったりで、熱くてしょうがない。
速水の額にも汗が光るのが見えた。

2度目のスローバラードのときには、速水に腕を回されるのも
それほど抵抗感がなくなっていた。


♪Only you can make this world seem right,
 Only you can make the darkness bright・・・


速水の体は、この夜が始まった時よりもっと近しくなっていた。
ジンフィズのせいか頭が少しぼうっとして、周りの喧噪もほとんど気にならない。
腕や肩に感じる速水の熱と、自分を見つめてくれているだろう瞳が
顔をあげなくても頭のどこかに感じられて、皮膚がちりちりする。

こうして寄り添っているのが、限りなく自然に感じられるのがうれしかった。

その気持ちを伝えようと顔を上げて微笑むと、
速水もそれに応えてほんの少し微笑んでくれたが、すぐに真顔になり、
痛いほどの視線を浴びせて来る。

しばらくは、その強い視線を受け止めていたのだが、
そのうちに耐えられなくなり、
速水の胸にそっと頭をもたせかけると、うつむいた。

速水の手が迷うように恵子の背中と肩をゆっくり行き来している。

♪When you hold my hand,
I understand the magic that you do・・・


そろそろ・・・。

低いささやきが聞こえて、恵子はまた顔をあげた。


「そろそろ時間だろう?」


時間、という言葉が恵子を包んでいた魔法の壁を破ったようだ。
左手を掲げて時計を見ようとしたけれど、こんな時にとはばかられて、
上げようとした手をまた速水の腕に戻す。

照明がまた一瞬落ちたが、返事ができなかった。
さっきより速水の腕がきつく回されて来て、こんなにぴったりくっついていたら、
心臓の音が速水に聞こえてしまうと恵子は焦ったが、
この温もりが愛しくて、大切で、この瞬間を壊すような言葉を発したくなかった。

徐々に辺りが明るくなり、お互いの輪郭と表情が戻って来る。
今の今まで、触感とぬくもりだけで相手を感じていたのに。

魔法の時間は終わったのか、続いているのか・・・。

ふわふわとした足取りで、速水に背中を守られながら、
店の人たちに軽く挨拶をすると、そっとドアを滑り出た。

店の喧噪はまだまだ上り調子。
週末の夜は頂点を目指して、さらに盛り上がって行くのだろう。






music list:

“Power of Love" Huey Lewis & The News
"Hound Dog" Elvis Presley
"My Girl" The Temptations
"Georgia On My Mind" Ray Charles
"Pretty Woman" Roy Orbison
“Be My Baby" The Ronettes
"Unchained Melody" The Righteous Brothers
"Only You" The Platters


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