AnnaMaria

 

This Very Night 第45章 -扉の向こう側-

 

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ジニョンには今日、あることを計画していた。
色々と気がかりで、こんなにも心臓が締め付けられる気分を味わうのは、
初めての事だった。
心臓の上を無数のアリが這い回っているようで、
なんだかじりじりして我慢ができない感じ。

彼女はいつもよりずっと早起きして、フランクの戸惑ったような目を見つめた。
居間でバイオリンの練習をしながら、静かにゆっくりと頭の中で数を数えて、
彼が仕事に出かけるのを待っていた。

この頃フランクの出かける時間はずいぶん遅くなっていた。
なんだか、彼女の時間を全部独占したがっているみたいだ。


昨夜のうちに、彼女はひとりで完璧な計画の筋書きを組んでおり、
そのせいか自分でもすっかり楽しくなっていた。

フランクは不審そうに眉を上げ、彼女に訊いてきた。


「なんでそんなに楽しそうなの?もうすぐ家に帰るから?」



                ・・・僕と別れることなんか、君にとってはまるっきり、
                ほんの少しも悲しいことじゃないんだね?・・・



家政婦のステラからジニョンの足の状態については詳しく話を聞いており、
それに拠れば、彼女が当初予定していた日に出発できるのは確かだと思われた。


                ・・・ああ、それを考えただけで、途端に憂鬱になってしま
                う。君が行ってしまったら、すぐに
                君を失った苦しみに苛まれることはわかりきっている。

                なのに・・・この薄情なチビ娘ときたら、
                まるっきり悲しそうな素振りすら見せてくれない。
                それどころか、なんだか一晩中ニコニコとうれしそうだ。
                君が、うれしそうなニコニコ顔をどうしても抑えられない様
                子なのを見ていると、
                僕はますます落ちこんで、惨めな気分になるよ・・・






前の夜、彼はソファに座って両手をきつく結んだまま、じっと彼女の背中を見ていた。


「君は韓国に帰ったら、僕を恋しく思ってくれるかな?」


                 ・・・僕の天使!・・・僕は片時も君を想わずにはいられ
                 ないだろう。
                 君がいなくなった後、どうやったら生きていけるのか、
                 想像することさえできないんだ・・・



ジニョンは彼のすぐ前のラグの上に座っていた。
彼女は手にしたジグソーパズルのピースの一片をはめ込むと、彼の方を笑顔でふりむいた。


「あなたはどうなの?わたしがいなくなったら寂しい?」


   ・・・フランク!
   わたしは、皆がわたしから隠そうとしてきた過去を確かめるわ。
   あなた・・・あなたもまた、わたしの失われた過去の中にいたの?・・・



彼は結んでいた手をほどいて、こめかみの辺りをもみ始めた。
なんだか頭痛がしてきたようで、目のあたりにも苦痛がよぎる。


「一秒たりとも、君のことを考えずにはいられないよ」


                ・・・君はまた僕から離れようとしている。
                君を引き止めるすべは、もう僕には残されていないのか。

                君は知っている?知っているのかな?
                たとえ君がどこにいようと、僕はいつだって君を探さずにい
                られない。
                君がどこにいようと、僕は君の声だけが聞きたい。
                いつどんな時でも、君が今何をしているのか、
                考えずにはいられないだろう・・・・



彼女は体を彼の方に向け直したが、
相変わらず下を向いたままで彼の方を見なかった。
彼女の指は、ラグの上におかれたジグソー・パズルの面を軽く撫でながら、
小さくつぶやいた。


「あら、ほんとう・・・」


   ・・・わたしのニューヨークの恋人!
   きっとあなたが恋しくなるわ。
   あなたに力強く、温かく抱きしめてもらうのが恋しくてたまらなくなるわ。
   それにあなたの熱いキスも!・・・・



彼は頭を少し下げて、両手で頭を支えた。
そして指のすきまから彼女を、自分の愛する女性をじっと見つめた。
彼が口をひらいて、少しかすれた声で言った。


「僕に連絡をくれる?」


                ・・・どうして僕に訊いてくれない?
                どうして僕を信じてくれないんだ?
                君はいつも僕に対して残酷だ・・・



彼女の大きな澄んだ瞳にいたずらっぽい光がよぎった。
だが、彼女は相変わらず下を向いたまま、
ぼんやりとジグソーパズルの輪郭をたどりつづけた。


「いやよ!あなたのことは全部忘れるわ・・・
 だってこの間、わたしにとってもひどい仕打ちをしたんですもん!」


   ・・・いえ、そんなことウソよ。
   わたしがどこにいようと、
   あなたのことを心の中から消してしまうことなんてできないわ。
   何をしていようときっとあなたのことを考える、フランク!・・・



                ・・・君の言葉を聞いて、心が凍りつきそうだ。
                胸が震えてくるのを止められない・・・



彼は苦痛にゆがんだ顔を彼女に見られたくなくて、顔を両手の中に埋めてしまった。


「僕・・・僕は・・・」


                ・・・僕が何を言えるだろう?
                最初からわかっていたんだ・・・
                君の中では、僕なんかあっさり忘れてしまえるような存在だ
                ったんだね。
                僕は君にとって、ニューヨークでのお遊びの相手でしかな
                い。
                どうして、僕にそんな仕打ちをするの?・・・・



しまいには、ジニョンも彼の妙な行動に目を留めた。
急に心配になってきた。
立ち上がって、彼のそばまで歩いて行き、


「フランク!」


   ・・・ああ、ダメ!たぶん冗談が利きすぎたのね!わたし・・・

   わたしが本当に言いたいのは、
   わたしの失くしたものを見つける時間が必要だってことなの。
   あなたもまた、わたしが失くしたものの一部なのかを知りたいの。
   何もかもがわたしの過剰な想像に過ぎないのかどうかってことを、
   知る必要があるのよ・・・・



彼女は彼のそばに寄り添うと、自分の手を彼の黒い豊かな髪の中にすべらせた。
そうっと彼の耳のそばに唇を近づけて、やさしくささやいた。


「あなたがいなくて恋しくなるわ。ちょっとからかっただけなの」


   ・・・あなたの腕の中に優しく包まれた時、
   どんな気持ちだったか忘れたりしない。
   あなたが抱きしめてくれる度に、
   すごく喜びと幸せを感じたのよ・・・・



彼は自分のそばにある、この柔らかな体をありったけの力で抱きしめた。


                ・・・君に、お仕置きをしてやらなくちゃ!・・・


彼は、二人の体をどこにもすき間のないくらいにぴったりと密着させると、
彼女を抱きしめる腕に強く力を込めていった。


「君は!」


                ・・・どうしてこんなに残酷なトリックを、毎回僕に試せる
                んだ!
                こんな風に僕をいじめて、君は楽しいの?・・・



彼女の顔が赤く火照って来た・・・
呼吸が自由にできない。
息が荒くなり、瞳孔が開いてきた・・・
声もかすれて

「わ・・・わたし・・・息ができな・・・」


   ・・・息ができないわ!
   さっきのこと、本気で言ったんじゃないのよ。
   あなたをちょっと試しただけだったのに・・・



彼はふっと腕の力をゆるめ、渾身の力を出していた代わりに、
今度は逆に、限りなく優しく穏やかになった。
彼女を優しく抱きしめると、大きな手で愛しい背中をそっと撫でていった。
白く細い首筋に顔をすりつけて、その甘い香りの中に溺れるままにする。
彼女のかすかな香りが、音楽の調べのように彼を包む・・・

彼のささやきは、絶望した魂の声のように響いた。


「こんな・・・むごい冗談が・・・言えたんだね?・・・」



                ・・・本当に?
                本当に単なる冗談なのか?
                君はなんてひどいイタズラ娘だ!

                君・・・君は僕を失えないの?
                永遠に僕のそばにいられるの?
                僕の涙を感じてくれているの?・・・・



彼女は自分の肩の方をそっと盗み見た、


   ・・・なんだか湿り気が・・・あなた・・・?


途端にすっかり動揺してしまった、


「ごめんなさい!本当にごめんなさいね!」


   ・・・ごめんなさい、あなたを泣かせたりして。

   フランク、でもわたし・・・・わたし、
   彼女のようにはならないわ。
   わたしは彼女とはちがうわ。
   あんなに無情にあなたのことを置いていったりしないわ・・・



彼の低い声がまた耳に響いてきた。
腕の中の彼女が本物かどうか確かめようとでもするかのように、
彼の顔は、今はぴったりと彼女の頬に押しつけられていた。

そのまま、彼女の髪を優しく撫でていたが、
口からでてきた言葉は、まるで誓いのようだった。


「君は、僕から隠れられないよ・・・」



                 ・・・君がどこに行こうと、きっと探し出してみせる。
                 どんな手を使ってもかならず見つける。
                 君がたとえどこにいようとも、僕は絶対にあきらめるもの
                 か!・・・






ようやく渋々ながらも、フランクが仕事に出かけた。

ジニョンの目は、玄関を出て遠ざかっていく彼の広い背中を追い、
車が小道を出て走り去る音を、耳で聞いて確かめた。


     ・・・さあ、行動の時間よ!・・・



ジニョンはこめかみの辺りをもみながら、家政婦のステラのところまで歩いて行き、
頭痛が起きているような振りをした。


「ステラ、頭が痛いの。
 ちょっと休んだ方がいいみたいだから、起こさないでおいてくれるかしら。
 ホントに起こさないでね、いい?
 お腹が空いたら、降りてくるからね」


ステラは不安になった。
ジニョンの具合が悪いと、フランクが非常に心配するのを知っていたからだ。


「ええ、すぐにお休みになって下さいな。
 後で、お水をお持ちしましょうね」


「ううん、いいの。今、自分でお水を持って行くから・・・」


ジニョンはステラの顔に浮かんだ表情を見た。


     ・・・やったわ!
     ここまでで、半分来たわね・・・


あのホテル立ち寄り事件以来、ステラがフランクのスパイだったのがわかった。
ステラが家でのジニョンの様子を逐一フランクに報告しているところを、
一度、盗み聞きしてしまったのだ。
彼女は、こんな形で自分が見張られているのを知ってショックだった。


     ・・・だからまず、ステラを片づけなくちゃならない。
     ステラに頭痛がすると言っておけば、彼女は2階に上がって来ない。
     わたしを起こそうともしないはずだわ・・・



ステラの注意深い目から逃れると、キッチンにある棚の引き出しから、
彼の部屋の鍵をこっそり取り出した。
その鍵をぎゅっと握りしめて、キッチンから出て行く。
最初の一段を一息で上がると、残りの階段をゆっくり上って2階に行った。

2階に着くと、そのまま廊下に沿って彼の部屋まで一気に歩いて行った。




そこは廊下の一番奥だ。
彼の部屋の白いドア。
どうぞ中にお入り下さい、と手招きしているように今日は見える。
ドアに近づくにつれ、ドアの白さが彼女を誘ってまぶしく輝いているようだ。


     ・・・この白いドアの向こう側にはどんな世界があるのかしら?
  
     閉ざされたドアの後ろでわたしを迎えてくれるものは、
     一体何だろう・・・


と、期待に胸をふくらませると、思わず微笑みが浮かんだ。


ジニョンは銀の鍵穴にきっちりと鍵をさし込む。


     ・・・ぴったりだわ!・・・


鍵を回す、かちり!ロックがはずれた!
把手を回し、ドアを押して開く。
そっと中に入った。




部屋の中は薄暗く、ややムッとする感じだった。
昼の光の中から、闇の中にいきなり入り込んだようなものだ。
厚手のカーテンがきっちりと閉めてあり、一筋の光も漏れ入っていなかった。


     ・・・まあ、あの人って暗いところにいるのが好きなのね!・・・


部屋の中の空気はやや重くたゆたっており、すべてがしいんと静まりかえっていた。
この部屋は長いこと、人が入ったことがないような感じがした。


     ・・でもそれって変よね!
     フランクはこの部屋のあるじでしょ?
     彼は毎晩ここで眠っていないのかしら?・・・



彼女はあちこち照明のスイッチを探しまわり、やっと見つけてスイッチを入れた。
部屋の中が急に明るくなった。

だが、部屋の中が明るくなっても、相変わらず空気は暗く重い感じを秘めていた。
彼女は微笑んで、あたりを見回した。



ここはやや大きな部屋で、壁は明るいグレーだ。
部屋にはどことなく、あるじの孤独がにじみでているようだった。

部屋のまん中にある大きなベッドに目を留めると、
思わず彼女は、顔を崩して笑い声を立ててしまった。

ベッドリネンは、若い女の子の好みそうなフリフリ付きのパステルピンク。
背景にある厚手で落ち着いた色のカーテンと、
甘いパステルピンクは鮮やかな対照を成していた。

ベッドの傍には丈の低いサイドテーブルがあり、
その隣にやや大きめの飾り棚があった。

飾り棚の上には、大小さまざまな大きさのパペット*が並べてあった。
パペットたちはどれも、びっくりして口をぽかんと開けたまま、彼女の方を見返してきた。
それから、レースのドレスに身を包んだ美しい人形があり、
こちらは満面の笑みを浮かべて、ジニョンを見つめ返した。



「ずいぶん、お久しぶりじゃない!」


彼らは皆、異口同音にそう言っているように見えた。

ジニョンは、実際は自分が部屋に入った瞬間から
注目の的になっていたことには、気づいていなかった。
ただ、フランクの妙な趣味に引いてしまっていた。
絶対に自分をこの部屋に入れようとしなかったのも無理はない。
今や、彼への見方を変えなくてはならないのは、確実なようだった。


     ・・・変わった趣味ね・・・
     男性一人の部屋がパペットや人形でいっぱいだなんて・・・!


壁際に沿って並んだ家具の上全部に、様々な大きさや形の写真立てが置いてあった。
壁にも、ずらっと写真が架けられている。
その写真立ての金属や木製のフレームの輝きが、なぜか彼女の目をくらませ、
まぶしくて、しばらく目を閉じていなければならなかった。
それから、そっとまた目を開けて、光に目を馴らそうとしてみた。


部屋の中には、本当におびただしい数の写真が無数の写真入れに収められていた。


     ・・・これって一体誰の写真なの?
     なんだって、こんなにたくさんあるの?
     どんな瞬間をとらえようとした写真なの?

     この写真は、ある瞬間を永久に閉じ込めようと、
     永遠を捉えようとでもしたものなのかしら・・・



ジニョンは好奇心に押されて一歩前に出ると、
彼の部屋に潜む謎のひだを、
もっと徹底的に見きわめてやろうという気持ちが湧いてきた。

ついに、彼女は部屋のまん中にまで進み、
彼の、彼だけの空間の中に取り巻かれた。


ゆっくりと辺りを見回す。


この時、写真立てから発する輝きがいっそうまぶしくなったように思われた。
不思議なことに、それぞれのフレームからくる光やきらめきが十字形になり、
半ば、重なり合い始めた。

突然、その交錯した光の中から、音が・・・
誰かと誰かがお互いにささやきあっている声のような音が、聞こえてきた。


部屋の中はもう静寂に満ちてはいなかった。
写真の中から彼女を呼んでいるような、
彼女に何か話しかけようとしているような、
低いつぶやきが聞こえてくる。

彼女もやっと自分を取り巻いている空気の異常さに気づいた。
ささやき声はますます大きくなって、彼女の耳に、頭に響いてくる。
ささやくような音はあたりの空気をふるわせ、
低いつぶやきは突然、ため息や、すすり泣きや、泣き声に変わる。

彼女の耳にはこんな風に言う声が、幾層にも重なって聞こえてきたように思った。


「あなた、ついに戻ってきたのね?」


部屋の中の空気の温度が少し下がったようで、彼女は何だかぞっと寒気を感じた。


彼女は足を踏み出そうとした。
が、床から根が生えたように動かなくなっている、自分の足の感覚が確かめられただけだった。

寄せ木細工の床から、何かの植物のツルが忍びやかに這い上がってくるようで、
さらにそのツルが優しく、誘惑するように、彼女の足に絡まり付いてくる。
ツルの存在に気づく前に、彼女の足はもうすっかり絡め取られて重くなり、
つま先さえ持ち上げられないほどになっていた。


壁までが動き始めた。
彼女は信じられない思いで、部屋の中の変化を見つめていた。
頭の中をあらゆる思考が荒々しくかけめぐる・・・・


氷のように冷たくなった空気は、彼女の血を凍らせたが、
彼女の心臓は・・・・
心臓のほうは速く、どんどん速く、鼓動を打っている。

自分の呼吸も聞こえる。速くて、浅い呼吸・・・


今や、ジニョンが見つめている写真立ての中の女性がそれぞれ動きだし、
ダンスを踊りだした。
写真の女性がすべて、命を得たかのようだ・・・


何枚かはかすかに微笑みを浮かべている。
何枚かは微笑みながら、自分の手で口元をおおっている。
そして何枚かは、輝くような明るい笑顔を向けている。
どれも違った動き、違ったポーズ、違った表情を見せていた。

そして、あちら側の小さな写真立てが、お互いにぶつかり合い、
くるくると回ったり、逆立ちしたりし始めた。
こちら側の小さな写真立てが彼女の目を引いて、
ジニョンはついにそれを見た。


彼女は見てしまった。


一人で写っているものもあれば、二人でいるところを写したものもあった。
そして、気づいた・・・
ここに写っている女性は全てある一人の女性を写したもの・・・・
そう、ここにある写真の女性は、すべて同じ女性だったのだ。


突然、写真が全部、写真立ての枠を飛び出し、壁から、戸棚の上から、
彼女めがけて飛んできた。

彼女は自分の方に飛んできた写真を見た。
するとまた、写真は彼女の体にぶつかって跳ね返り、
ブーメランのように空中を戻って、また彼女の方に向かって飛んでくる。


あらゆる写真の中の女性、パペットや人形たち・・・・
それらはみんな彼女に向かって叫んでいた、懇願していた・・・
その声がこのとらわれの部屋の中で重なり合って聞こえてくる。
あるものは遠くから、あるものは近くから、
あるものは早口で、あるものはゆっくりと語りかけてくる。

それらのものたちは皆同じことを叫んでいた。


「あなた、見える?
 見たんでしょう?わたしたちをよく見て!
 あなたの知りたがっていたことの答えは全部ここにある、ここにあるのよ!

 わたしたちは、ここを出たことはないわ!
 あなたは幻覚を見ているんじゃないのよ!
 自分自身に嘘をつくのは止めて!
 あなた、見えるんでしょう?」



彼女は次々とこちらへ飛んでくる写真を見つめながら、
今まで見たことがなかった自分の姿を写真の中に見た。
彼女は今まで一度も見たことのなかったフランクの姿を写真の中に見た。
彼女は信じられない思いで叫んだ


「そうよ、 わたしは見たわ!」


その一瞬、全てがぴたっと動きを止めたようだった。

かと思うと、しばらくして、また時がその歩みを刻み始めた。
血液が再び体の中をめぐり出し、
体に温もりが戻って来るのが感じられた。


写真の攻撃は止んでいた。

彼女があたりを見回すと、それぞれの写真が元の枠に収まり、
じっと動かなくなっていた。
あんなにもまぶしかった、写真立てのフレームからの反射も、
今はもうどれも普通に戻っていた。

部屋全体がすっかり静かになり、部屋の中のあらゆる物たちが、
彼女の反応を、じっと強い視線で見つめているように思えた。


ジニョンは打ちのめされて、へなへなと腰を折った。
座り込んだ目の前に、本棚の模様ガラスのドアが見えた。
模様ガラスに映った自分の顔が、ガラスの模様状に細かく切りきざまれて見える。

それから、彼女は声を上げて泣いた。
その声が枯れて、しゃがれて、全くのかすれ声になるまで泣き続けた。



     ・・・そう・・・そうなんだわ・・・わたしは想像さえしていなかった。
     わたしの考えや、推測は結局ぜんぶ本当だったのだ。
     すべてが真実だった。

     そう・・・そうだわ・・・わたしの失われていた過去は、全てここにある。
     わたしはあなたたちを忘れていた、ここにある全部を忘れていた!
     わたし・・・わたしはフランクのことも忘れていた!
     わたしは彼を忘れた・・・!

     彼がどんな存在だったのかもわからず、
     彼を見ても誰だかわからないまま、まるで思い出せなかった。
     わたし・・・わたしがかつて、彼をこんなにも愛していたこともわからなかった。

     わたしの過去から逃げることも、過去を否定することももうできない。
     わたしに定められた運命から逃れることなどできないわ・・・



今や、彼女の頭は本当に激しく痛んできた。
彼女はふり向いて立ち上がると、ドアの方に歩いて行き、
自分の過去に背を向けた。

照明のスイッチを切ると、部屋の中はまた闇の中に抱きすくめられたようになった。
空気は再びよどんで、いつものように静かな暗さを取り戻した。
彼女がドアを閉めて鍵をかけると、
背中に触れた真っ白なドアの向こうに、ぴたりと静寂がよみがえった。


ゆっくりと自分の部屋へ歩いて行く・・・
手の中には、忘れてしまった過去の秘密につながる鍵を握りしめたまま・・・
体の中から、エネルギーや力がすっかり抜け落ちてしまったようだ。

ジニョンは弱々しく倒れこんだ。
頭痛がいまや酷く彼女を責め苛んでおり、頭が粉々になってしまいそうだった。

耐え難い痛みに泣きながら、
あの部屋で聞いたあらゆる音が、遠く耳の奥でまた鳴っているのが聞こえた。










* パペット・・・・指人形、糸を使った操り人形、中に手を入れて動かすハンドパペット等の、人が動かす人形の総称。
(セサミストリートに出てくるタイプのものを思い出して下さい。)
ここでドンヒョクの部屋に溢れていたのは、ハンドパペットの類だと思われます。
口がぱかっと開き、幼い心のジニョンでも遊べたでしょうから。
(jakejamieさんより情報を頂きました。有り難うございました。)



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出典
Original in Chinese by Jenny Lin
Translated into English by happiebb
Translated into Japanese by AnnaMaria

2004/7/15 ~ 2004/7/29, 2005/10/25 dreamyj
2004/8/5 ~ 2004/9/8 BYJ Quilt (by happiebb)
2004/8/8 ~ 2004/9/8 2005/11/30 hotelier 2002(by happiebb)

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