ボニボニ

 

My hotelier 105. - チェック・アウト - 

 




「チェック・アウト?」


PCのモニター越しに シン・ドンヒョクが眼をあげる。

「だって 新居に移るのなら ソウルホテルは チェック・アウトでしょう?」
出勤支度を整えながら 背中のままに ジニョンが言った。



―それは そうだな。

サファイア・ヴィラに「住む」彼は  タリフ(室料)を払っていない。
ハン・テジュンとの契約で ホテルのコンサルタントフィーと相殺にしている。
ただ 滞在に関わるサービス。
ハウスキープからランドリー その他 ホテルでの飲食に関わる全ては 
週ごとに精算をして 口座から引き落とさせていた。


サファイア・ヴィラを出て 新居に移るこれからは 
そういう訳には いかなくなる。

―とはいえ 伝票にサインをする代わりに カードで 支払うだけのことだ。
 ふむ・・と 納得したハンターは PC画面に視線を戻した。  

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「理事が チェック・アウトするの?」
「新居が大体出来たから そっちに移るんだって
「ああ そうか・・・・。」

その日 
ソウルホテルの あちらこちらで 同じ会話が囁かれる。
理事の チェック・アウト。
新居はホテルの地続きで ドンヒョクが 何処へ行くわけでもない。


明日からも 彼はホテルの敷地内を走り ロビーに座り 
カサブランカでマティーニを飲む生活をする。
それでも・・


「あーあ、 もう 理事のハウスキーパーは 終わりか。」

「仕方ないじゃない。新居は 主婦がいる家になるんだから・・。」
何だか 気が抜けちゃうわよね。 そうそう ランドリー主任も言ってたわ。
「あの 気難しい人のシャツを ジニョンなんかが洗えるのかって。」
手際よく室内をまとめながら ハウスキーパーがため息をついた。

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イ主任が びくびくと シェフの横顔を伺っている。

今日は朝から ノ料理長が 何とはなしに不機嫌だ。
彼の眉根が寄る訳を 厨房中が 知っていた。
サファイア・ヴィラからの ルームサービスコールが 今日で なくなる。


「食事を お願いしたい。」

特別の指示がない時 それは 料理長のおすすめをもらうことを意味する。
料理長はこのチャンスに よく 企画中の新メニューを出してみる。

“ルームサービス・マッチ” 

スタッフが 密かに呼ぶ 厨房と理事の1本勝負。
ドンヒョクが満足すれば 料理長の勝ちで めでたくメニューは正式なものになる。


「どうした? さっさと 下ごしらえを済ませてしまえ!」
周囲の 心配そうな視線に気づき 料理長が大声でどなる。
居並ぶコックは あたふたと それぞれの持ち場に 散って行った。

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ソウルホテルの チェック・アウトタイム。

あらかたの客は潮のように去り ジニョンが ほぅ・・と 安堵する。
その時 長身のスーツの男が うつむきがちにやってきた。
「あ・・ ドンヒョクssi。」
ソ支配人は澄まして背筋をのばし 近寄ってくる人に 微笑みかける。


トン・・
カウンターに 皮の伝票ホルダーが置かれる。
「チェック・アウトでございますね・・。」
「・・・・うん。」


チェック・アウト。

ドンヒョクの目元が 僅かに 揺れる。
「永らくのご利用 ありがとうございます。」
伸ばしかけたジニョンの手をかすめて ドンヒョクが つとホルダーを持ち上げた。

「?」
「・・・やめた。」
「え?」
「ハン・テジュンに 言ってくる。」
「え?」


ドンヒョクssi!? 思わず大きく呼ぶ声を背中で聞き流して 理事が去っていく。
「・・・いったい どうしたの?」

訳のわからないソ支配人は 大きな瞳を しばたいた。


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ジニョンの退勤時間を待って 2人は 新居の前に立った。


新しい住処となる洋館は  石と木のバランスが絶妙で
ファサードに明るいインド砂岩を使い 南面には 大きな窓がある。
入り口の扉は イングリッシュオークで 洒落たドアノッカーが付いていた。


「オモ ・・私なんかが住むには 立派過ぎるわ。」

居心地の悪そうなジニョンの言葉に ドンヒョクが ふ・・と薄く笑う。
君ときたら いつまでたってもそうなんだな。
「返して来いとは 言わないでくれよ?  注文住宅だ。」

「ええ。」
もじもじとドアに向かう愛しい人を そっと ハンターが制止する。
「・・・?・・。」
「奥さん? ここは僕たちの新居だ。 中に入る時は こうしなくては。」

ふわり・・。  

大きな腕が ジニョンの身体を持ち上げる。
「ドンヒョクssi・・。」
アプローチを歩き ドアを足で蹴り開けて ハンターが 妻と新居に入る。
ジニョン。 ここがエントランス ここがリビング ここがキッチン・・バスルーム。
「ねえ 下してよ。」

だめ。 そしてここが 僕たちの寝室。
「やっと、ゴール。」
ぼふん!と ジニョンが投げ出される。 ああ 重かった。



「気に入った?」

こくん こくん。 嬉しげなジニョンのうなずきに ドンヒョクの口元が柔くほどける。
「それでは 奥様 入居記念に・・。」
乱れた髪をそっとすいて ハンターが妻に にじりよる。
やっとお城が出来たから お妃さまと 愛し合おうかな。


「ちょ・・! ちょっと ねえ 待って。」

「待って? どうして? 他に何か することがある?」
だって 買い物とか ・・ほら 夕飯の用意もあるし。
気の早い唇に 首筋を吸われながら ジニョンがどぎまぎ逃げようとする。

ぱたぱた騒ぐ足からヒールを投げて 陽気なハンターは止まらない。
「夕飯? そんなものは あとでルームサービスでも取ればいい。」
「な・・・?」


「やめた」って 言っただろう?  チェック・アウト。

今までどおり ホテルのサービスを使えるように ハン社長に頼んできた。
クレジットカード決済より 現金週払いの方が ホテルとしては割がいいから
かまわないぞって 言っていた。

「ねえ ジニョン? 家事をしたくなかったら ハウスキーパーも来てくれるそうだ。」 
「もぉ・・ドンヒョクssi。」
だって 僕は ソウルホテルを手放せない。
君を手放せないのと 同じようにね。 


待って待って待って・・。 あたふたと ジニョンが後ずさる。
愛しい人をつかまえようと 伸ばしたドンヒョクの手が 空を つかんだ。


「・・・。」
「・・まずいな。 いささかベッドが 大きかった。」

眉をひそめたハンターが わざと 困った顔をしてみせる。
寝相のいい君のために選んだ大きなベッドは 逃げるスペースが 多いみたいだ。

それでも 君は 逃げ切れない。 もうそろそろ 諦めたほうがいいな。
「知っているだろ? 僕は・・・ レイダースだ。」
「きゃ・・!」
今度こそ 華奢な足首をつかまえて ドンヒョクが 獲物を引き寄せる。


おいで ジニョン 愛しているよ。
上機嫌なドンヒョクが 組み伏せた獲物の耳元に 宣誓をする。
くすぐったそうに身体をすくめて ジニョンがやっと 降伏した。

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「シェフ! ルームサービス・オーダーです。」

イ主任がにこにこと ベルスタッフからの指示を読む。


「ウィ。 注文は どこからだ?」
「サファイア・ヴィラ・・  いえ サファイア“ハウス”の方です。」
「!」
「ムニュ・デギュスタシォン ドゥ! (シェフのおすすめを2つ)」


料理長が グリルの前で 振りかえる。

いつのまにやらハン・テジュンが いたずら顔で 厨房の入り口から覗いていた。
 
「チェック・アウトすると シェフの料理をルームサービスで取れないから嫌だと 
 ・・・わがままをいう奴がいましてね。 負けました。」
「ふん。 料理下手のソ・ジニョンなんかを 嫁にもらうからだ。」
「まったくですね。」


あははは・・と 厨房がいっせいに笑い  料理長が 糸の眼で微笑んだ。

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