ボニボニ

 

My hotelier 142. - つがい - 

 




カッカッカッカッ・・・


きれいな脚がフロアを蹴って 迷いなく 先を急いでいた。



“会議室でお待ちだそうです。大至急 お願いします。”

お客様から 突然の呼び出し。
会議室? ・・・何か 手落ちがあったかしら? 
歩を進めながら ソ支配人は あれこれと呼ばれる理由を考えていた。


「お客様?」

軽いノックでドアを開けてみたが 中には 誰もいなかった。
ヒールを鳴らして奥へ進む。 確かに会議室と 言われたはずだけれど?
「はい、OK! どうもありがとう。」
「?!」

いきなり背後で聞こえた声に ジニョンは驚き 胸に手を当てた。
「オモ?! お客様 あの・・・何か?」
ドアの陰に潜んだ男は 大仰なヘッドフォンを外しながら 手元の機械を止める。


「あははっ すみません!  驚かせましたね。」


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僕の仕事ですか?  そうだな。 ハンターかな・・・
「まぁ 狩人 みたいなものです。」

傘のような集音マイクを畳みながら 客はいたずらそうに笑った。



「オモオモ・・ じゃあ お客様もM&Aがご専門なんですか?」
「M&A? いえ 僕がハンティングするのは音ですよ。サウンド。」
「サウン・・ド?」


『会議室へ入ってくる、有能なキャリアウーマンの足音。』

今日はそれが欲しかったのだと 客は にこやかに説明した。
音響制作の技術者だというその人は ここ数日間 ホテルに滞在を続けていた。


「・・ソ支配人というのでしょう? 貴女の足音が あまりにも理想的だったから。」
「は?」
よどみのない足取りと 自信に満ちた「有能そうなヒール音」。

こういうものは 出逢えた時に録っておかないと 後で 後悔しますからね。



プロが使う機材なのだろう。 ものものしいICレコーダーを操作する男は
今録音したばかりの音をモニターしながら 終始 上機嫌だった。
「あぁ やっぱり完璧な靴音だ。 どうもすみません。貴女の仕事の邪魔をしました。」
「・・え いいえ。」

お客様の用事が クレームではないらしいと知って 
ジニョンは 緊張を解いていた。
珍しそうに機材をのぞくホテリアーに サウンド・ハンターは日焼けした笑顔を見せた。




いきなり呼びつけて 申し訳なかったですね。

「本当なら きちんと申し込んでから録るべきだけど それでは作った音になるから。」
「はあ・・。」
後付けになりますが 取材申込の企画書を 広報あてに出しましょうか?


ふいに男は真顔になって そんな 礼儀正しいことを言う。
ジニョンは 客の仕事慣れした物言いに 好感を持って微笑んだ。

「いいえ。 ホテルの許可がいる話ではないと思います・・。」

「ありがとう。 ・・・あっ! ではお礼に 良いものを差し上げましょう。」


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・・・・?・・・



川のせせらぎが聞こえた気がして ドンヒョクは PCから顔をあげた。


カッコウ♪

「?」
この夜更けに ・・・郭公の鳴き声? 

―TVは ・・・ついていないな。
けげんそうな眼が周囲を見回し ソファに座る華奢な背中が 音の出所と察しをつける。
「ジニョン?」

肩越しに覗きこむと 白い指が 携帯電話を撫でて
絶え間なく流れる涼やかな水音に 恋人は 薄く笑っていた。
「何を ・・・聞いているの?」


ふふっ これ? 出演料。

「出演料?」
「そ♪ これね ニホンの 四万十川の清流音なんですって。」
眼を閉じると 山間の川原に座っているみたい。 なんだか気持ちが良くなるわ。
「うふ・・素敵。」


ひどく嬉しげなジニョンの言葉に ドンヒョクの眼が 白く光る。

―・・・素・敵?

「君はヒーリングサウンドが好きだったかな? それなら 明日CDを買ってこよう。」
「え? いいわそんな。」

―・・・いいわ そんな?


これはね お客様が「自分で録った音」をもらったの。 サウンド・ハンターだそうよ。
昨日はカササギの鳴き声を 録りに行ったとおっしゃってたわ。 
「ほら! 宋廟なら 確実にカササギに逢えるじゃない?」
「ふぅん・・。」



― どうやら僕の浮気な妻は どこぞの馬の骨に貰ったプレゼントが気に入ったようだ。

ハンターの眉が冷たく上がる。 ・・・ジニョン? 気に入らないな。



「そうそう! 声には 婚姻色というものが あるんですって!」
鳥も 恋のシーズンになると 普段と違う声で鳴くそうよ。
種類によっては 踊りを踊ったり・・・

突然 ジニョンのおしゃべりが止まった。
片眉をあげた怜悧な眼。 視線を合わせない男が しんと静まり返っていた。
「・・・・?」


“お客様と 私的な時間を過ごすことは 規則で禁じられております”

ジニョン? 後にも先にも その規則の例外は 僕だけしかいないはずだ。



― な・・に・・かしら?  彼 怒って・・いるみたい?

「あのぉ・・・ ドン・・ヒョク・・ssi・・?」
「うん。」
「どうか・・した?」
「何?」
「あ? いえ・・別に!」
何かしら何かしら何かしら? でも私 別に 変なこと言っていないわよね?



「ジニョン。」
「ひ!!  ・・・な・・に・・?」

すい・・と大きな手が伸びて ジニョンの顎をつかみとる。
笑わないままの唇が いささか乱暴にやってきた。
・・ん・ん・・・・

「もう 休もうか。」
ぽいっ。 取り上げた携帯をソファへ投げて ハンターが獲物を抱き上げる。
「でもあの・・ドンヒョクssiは ・・・お仕事じゃなかったの?」


― 妻が よそみをしそうな時に 仕事なんかしていられるか!

「仕事はない。」
「?」
「でも さっきあなた “今夜は 先にお休み”って 言わなかった?」
「株式市況は 刻々と変化する。」
「?」

まったく状況の見えないジニョンは それでも 彼へ腕をまわす。
首にからむ愛しい肌の感触に ハンターは 少しだけ機嫌を直した。

抱き上げた恋人に微笑んで ドンヒョクは悠然と歩き出す。

寝室の前で立ち止まると 腕の中のジニョンが 手を伸ばしてドアを開けた。
「愛しているよ 奥さん。 お付き合いいただけますか?」
「うふ・・」



・・・ぁ・・・ド・・ヒョク・・・ssi・・・・

うっとりと眼を閉じたまま 獲物は なめらかに身をよじる。

ジニョンの好きな ここと ここ。
知り尽くした快楽のポイントを ハンターは逃さずに 追い詰める。
・・や・・・・  ・・ねぇ・・・・ドンヒョクssi・・・

「ジニョン ・・愛している。」
決して 彼女が忘れないように 耳元へ呪文をささやき入れる。
背中を反らして上りつめる恋人が 愛される恍惚に ゆっくりと笑んだ。




― 変化の予兆を読めない奴が ディールに負けるんだよ My hotelier。

僕は生涯 “このディール”だけは どんなことがあっても勝ち続ける。
ジニョンという公式が無くなってしまったら 僕は 幸福という答えに辿りつけない。


・・・ふ・・・ぅん・・

たくましい胸に頬をつけて 余韻の中でジニョンはまどろむ。
片手でその背を撫でながら ドンヒョクは 宙を見つめている。

「ジニョン?」 
そっと寝顔を覗き込む。 どうやら眠り姫は もう眼を開けたくないらしい。
このまま寝かせてと言いたげに 頬をすりつけて甘えている。


「・・・・眠った?」
その 無防備な妻の姿は 臆病なディーラーを安心させる。

腕枕を 少しだけかき寄せて ドンヒョクは おやすみのキスをした。


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シャオシャオシャオシャオシャオ・・・


ソウルホテルの 午前6時。  早くも蝉が 声を張りあげる。
ひと夏の音へ耳を澄ますように 集音マイクが差し出されていた。
「・・・・・・・、うん。」

カチ・・・。
満足そうにリプレイする茂みの中の「ハンター」を 老ガーデナーが呆れ見ている。
今日の庭師は 風変わりなお客のために 自分の居場所を明け渡していた。


・・・・録れましたか? 蝉の声。

「ええありがとう ガーデナーさん。 ここはいい庭ですね。 音の響きが深山のようだ。」
「まぁ 山に沿って建物を配してますから。」

それにしても いい植栽だな。
「手の抜き方が すごくいい。」
「ほ・・」
「ホテルの庭というと どうしても作りすぎるんだよな。ここは 自然だ。」


若ぇの 解っているじゃねえか・・。

丹精の庭を誉められて 老いた職人はほくそえむ。
なかなか 作庭の「コンセプト」っつうヤツを 理解する野郎がいないんだ。



「あ・・・ 支配人さんだ!」

嬉しげに弾んだ声に ガーデナーが眼を上げる。
バラ園の先の門を開けて ジニョンが 庭へ姿を見せた。
「相変わらずきれいだなあ・・。 あの先は VIP用のアネックスですか?」
「いんや。 あそこぁ・・。」
「ねぇ! ガーデナー? ソ支配人はその ・・・彼とか いるかな?」
「あ?!  ・・・ああ、ねぇ、その、なんだ。」



ジニョン!

まだ清冽な空気を裂いて 陽気な声が庭に響く。
歩き始めたソ支配人が 朝日を受けて 振り返った。

「・・・あれは?」
「おぉ 理事さんは かけっこか。」


ジニョン! ジニョン! ジニョン! 
驚くほどのスピードで 長身の男が走り寄る。 「ジニョン!」 
「!」
いきなり ヘッドフォンを取り サウンド・ハンターは音を録り始めた。



「ジニョン 早いな。 ・・もう行くの?」
今日は遅出のはずだろう。 僕と一緒に 朝食を食べる約束は?

「うん・・。 ごめんなさい ドンヒョクssi。」
体調を崩しているお客様がいたから どうしたかなって ちょっと心配で・・
「・・・・・・。」


ごめんなさい ねぇ 怒らないで! 
「愛しているわ ドンヒョクssi。」
「“お客様”の次に。」

あぁ! 僕はもう一度チェックインしよう。そうすれば 君も少しは大事にしてくれる。
「もぉ・・・ ドンヒョクssi。」
「ふん。」

ねぇ ジニョン? そのお客様の具合だけ チェックしたらいいだろう。

「帰っておいで。」
「でも」
「・・・待っているから。」
「ドンヒョク・・ssi・・」
「ね?」

帰っておいで。 ふわりと長い腕が伸びて ソ支配人がトレーニングウェアに埋まる。

茂みの中に潜む 盗み聞き男たちは じっと 息をこらしている。
やがて大きな身体の向こうから ジニョンの白い手が這い出して
切ない抱擁に応えるように そっと 背中をつかまえた。



カチ・・・・

うつむくサウンド・ハンターは 黙って ヘッドフォンを首へ落とした。
「あんのぉ お客さん。 ・・・あれがその。」
「・・・・つがい?」
「へ? あ、ああ!そう! ありゃ“つがい”なんで。 判りますか?」


この音には つがいの雄が雌を呼ぶ 婚姻色が出ています。

「へ、へへへ・・。 なんせ あの雄ぁ かたわれにベタ惚れでして。」


・・・すまねえこってすな お客さん。
自分の事でもなかろうに 老ガーデナーはそんな言い方をした。
祝福される2人・・か。 淡い想いが折れた男は 薄く笑って ため息をついた。

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イ・スンジョンは ハンカチをくわえて TV画面に見とれている。


“帰って おいで”
“待っているから”

雑踏の中で振りかえる男に MCとジングルがかぶさる。

“ここが ・・・あなたの帰る場所。 ハンナン・ペアシティ♪”


「いやーん! このCMいいわア・・ はぁ。」
「ちょっとぉ 仕事中にTVをのぞき見しないでよ イ先輩!」
「何よう。少しくらいいいじゃない?」

なんと言っても このCM  俳優の声が最高よね!

「うーん・・・ そうねぇ。」
「“帰っておいで。” きゃー!しびれる。」
「まあ・・ね。 実は 私もこのCMが流れると つい振り向いちゃうの。」
「ま! 理事に言ってやろう。」
「やっ! イ・スンジョン!」




ソウルホテルの 支配人オフィスで ジニョンが仲間と笑いあう。

笑顔の彼女はCMのセリフが ハンターに持ち去られた 半身の声とは思いもしなかった。

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