ボニボニ

 

My hotelier 145. - 足りないもの - 

 




海は滑らかに静かだった。 天空に 煌々と 月が出ていた。



淡いブルーの月明かりが 地上のすべてを照らしていた。




月光に浮かぶ庭の景色は どこか 現実味が失われて見えて
芝生を踏んで歩く男は  夢の中にいるような 錯覚をおぼえる。

「・・・」

歩を進めていたハンターが 立ち止まって 視線を落とした。
足元は 数歩先から水面へ続く。 

ドンヒョクは ガーデンプールの縁に来ていた。
 


―あの時も  ・・・こうして 水際に立っていた。

ロス・アンゼルスのリゾートハウスで 僕をとらえた 見知らぬ感情。
理性がどれほど黙殺しても 抑えようもなく ジニョンへ 気持ちが揺れた。



気になるはずもない つまらない仕事のオファーが 
どうしても 心から離れなかった。
たかがホテルの従業員を 何故か いつまでも気にしていた。


・・・本能 だったのかもしれないな。

植物が太陽を求めるように 僕の最深部で眠っていた種子が 
あの時 硬い殻を割って 光を求めて芽を伸ばし始めたのかもしれない。




夜の空へ 眼を上げる。 

中空から建物のすぐ上まで 降るように 星が 撒かれている。

僕は おそらくあの時に 水際から幸せへ向かって泳ぎ始めたのだろう。



「ドンヒョク・・・ssi・・・?」

「?」

愛しい声が背中に聞こえて 男の眉が高くなった。 ・・起きて来たの?
ベッドの中へ置いてきた お腹いっぱいの 僕の半身。

「ドンヒョクssi いないんだもの。 どこへ行ったのかと思ったわ。」



「・・・寂しかった?」

心配はいらないよ My hotelier。 僕は 愛妻家だからね。

「ロブスターに妻を寝盗られたからと言って よそでガールハントなんかしない。」
「もぉ・・」



おいで。  ハンターはにこやかに手を伸べて ジニョンの身体を引き寄せる。
「ドンヒョクssi。 何を していたの?」
「うん? 君の関心を 海老から僕へ向ける手だてを 考えていた。」



チッ・・ ジニョンが笑ってふくれてみせる。 ハンターの眼が優しくなった。
「だって すごく美味しかったんだもの。」
「この上まだ奴を褒め称えるのか? アイツは年寄りだぜ。腰が曲がっている。」



くすくす笑う恋人達は もつれるように歩き出す。
南の島も 今夜は蒸さず 夜風が気持ちよく流れていた。

片手でジニョンを抱きながら ドンヒョクは ゆっくり眼をつぶる。
―・・・幸せだな。 
 確かに幸せなんだけど  ・・でも・・・



「ジニョン。」
「え?」
腰へまわした手を解いて ドンヒョクは ジニョンの頭をかき寄せる。



邪魔者のいないリゾートに 僕とジニョンと2人きり。
こめかみにキスを落とすと うっとりと ジニョンが眼をつぶった。

最高だ。 間違いなく最高なのに ・・・何かが 足りない気持ちがする?

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ウホン!  オホン、 オ・・ッホン!!


「オモ。 ドンヒョクssi。」

・・・・・・・・・ハァ・・
どこにでも出てくる奴らだな。 多忙を極めているVIPのくせに。



ジニョンの頬を柔らかく撫でて 咳払いの聞こえた方を 見ないようにする。
月明かりの庭に置かれた寝椅子の上では 丸い影が2つ くつろいでいた。

「ねえドンヒョクssi、 そこにMr.ジェ・・ 」
「見なくていい。」

背中で2人の視線をさえぎり ハンターは 獲物にキスをする。
かまうもんか。 僕らは夫婦だ 仲のいいところを見せつけてやろう。
「ちょっと! ・・ド・・ ・・んん・・・」


大きな背中の向こう側で ジタバタとジニョンが慌てている。

呆れ顔を見合わせながら 大物2人は 笑っていた。

「まったく・・チンピラめ。」 
「傍若無人だな。これだからレイダースなんて手合いは・・」

ジニョンも大変なギャングにさらわれたものだ。 おお 嘆かわしい。 
これ見よがしの芝居がかった会話に フン・・とドンヒョクが鼻を鳴らした。





「お2人は いつまでご滞在ですか?」



強引な抱擁から逃げ出したジニョンが 照れくさそうに 2人へたずねる。
仕方なしにドンヒョクは 隣合った寝椅子へ腰を下ろした。



「ほっほ。 ジニョ~ン? ここでも“いつまでご滞在ですか?”と聞くのかい?」

「え? あら いやだ。ウフフ・・」
ジニョンにもっと遊んでもらおうと思ったけど ヤボ用ばかりが多くてなあ。
「明日には発つよ。 楽しい会議が待っている。」



しかし ここはいい所だな。 政治家が気持ちよさそうに言う。

夜のプールの向こうには カウンターバーが 明かりをつけていた。



「今度はハニーと来ようかな。」
「奥様は ご一緒じゃなかったんですか?」
「家内は女友達と旅行でな。 ・・僕が家にいないほうが 彼女も安心して遊べるだろう?」



根は愛妻家のトドの言葉に ちらりとドンヒョクが視線を流した。
女房に遊んでもらえないものだから 僕らにすり寄ってきたってわけか。



グラスが空きましたね。 
「お代わりを 注文してきましょうか。 ・・ドンヒョクssiは?」

手早く皆の注文をまとめて ジニョンがバーへ歩いてゆく。
背筋の伸びた後姿を ドンヒョクは柔らかな眼で眺めていた。

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静かな夜の庭に オーダーをするジニョンの声が 聞こえてきた。

“ボウモアの水割りをね。 きっちり1:1にして 氷は入れないで。“
“ラフロイグはロック。 あぁクラッシュアイスじゃだめよ。ピックでその塊を削って。”

くっくっく・・

トドが思わず笑い出した。
「そうか。 今ひとつ 水割りが旨くないと思っていたんだ。」
「貴君もか? やっぱり “ソウルホテルに頼まないと” 旨い酒は飲めないな。」



ドンヒョクの眉が 少し上がった。

ソウル・ホテル・・・?



ジニョンはカウンターの前に立って シェイカーの動きを見つめている。
バーテンダーの腕前に納得できないのだろう。
軽く首を振ってから ドンヒョクの為のオーダーをした。

“マティーニはステアーで作ってください。ドライ・ベルモットはほんの少し。”

にわかに毅然としたその声は 懐かしいソ支配人のものだ。

“ソウル・ホテル”  
呆然としたドンヒョクは 恋人の背中をみつめていた。 





ジニョンが水辺をやってくる。

想いが胸にこみあげて ドンヒョクは恋人へ手を伸ばす。
切なげな瞳に驚いたジニョンが 半身の腕の中へ滑り込んだ。

「ドンヒョクssi? どうしたの?」
「・・・うん・・」
「?」



まいった な。 
出張でソウルを離れるたびの 強烈なホームシックは
ジニョンに会いたいばかりのことだと 僕は今まで 思い込んでいた。

「・・・ジニョン?」
「ええ。」
「ロブスターもいいけれど ノ料理長のおすすめが食べたいね。」
「え?」



ジェニーがいて ハン・テジュン。 オ支配人やスンジョンさんがいる。
ミスター・ソウルホテルに迎えられて ヒョンチョル君のお辞儀を受けて
行きかうギャルソンヌの陽気な挨拶と 中庭で振り返るガーデナー


そして 行きつくフロントデスクに 脚のきれいなソ支配人。

・・・・僕には どうやら ジニョン以外にも
大事なものが 出来ていたらしい。





「ノ料理長のディナーかぁ・・ そういえば 彼のユッケが喰いたいな。」
ドンヒョクの言葉に Mr.ジェフィーが同調した。
「キムチも喰ったくせに もう里心か? 天国みたいな南の島にいるんだぞ!」



貴君も年だな。 
せっかく旅に出て 帰ると「家が一番」なんて言うんだろう?

馬鹿にしたような頭取の言葉は 政治家へ向けられたものだったが
ジニョンを片手で抱き寄せた男は こっそり 1人で赤面した。




「ジニョン? ・・・コテージへ戻ろうか。」


もう部屋へ引き上げか? まったくお前ときたら ハネムーンに来た若造だよ。

悔し紛れの政治家が 立ち上がる男へ悪態をつく。
ケンカ相手の野次を背中に 負けん気の強いハンターは冷たい眉を上げた。


“Mr.ジェフィー・・・”

すらり と美しい長身が 月光の中で振り返る。
たじろぐ相手をねじふせるように ドンヒョクは氷の笑みを浮かべた。



「おかげさまで僕たちは 楽園の蜜月を たっぷり楽しんでいましてね。」
キャッ!!
ジニョンが軽い悲鳴を上げて ふわり とハンターに抱き上げられる。
オモオモと慌てる恋人を ドンヒョクはしっかり抱えていた。



「そちらの奥様はたしかご旅行でしたね? お寂しいことだ。 ・・では 失礼。」




地団太を踏むトドを尻目に ガキ大将が歩き出す。
「ドンヒョクssiったら またそんな・・・。 恥ずかしいから下ろしてよ。」
「うるさい。 文句を言うとプールへ投げるぞ。」
「オモ・・・」



水に放られては大変。 いきなり弱気な金づちが 媚びるように首へ腕をまわす。
・・・ねえドンヒョクssi プールへ なんて
そんなの 本気じゃないわよね?


獲物を抱えたハンターは いそいそと部屋へ引き上げて行く。
月の光が長く伸びて 静まる海を白く照らす。



たっぷりジニョンを愛したら そろそろ 「家」へ帰ろうかな。


里心のついたドンヒョクは 頭の隅で考えていた。

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