ボニボニ

 

My hotelier 151. - 蒸しパン - 

 




はぁぁぁ・・・・・


また出た。 これみよがしの 特大ため息。



コンパクトミラーの鏡ごしに ジニョンはうんざりした眼を向ける。

身体中から千手観音みたいに「聞いてよ」オーラを放射しながら
イ・スンジョンは憂い顔で 悲劇のヒロインになっていた。

はぁぁぁぁぁぁ・・・・・




こっちの方がため息だわよ イ先輩。

どうせ またぞろ犬も喰わない夫婦喧嘩か 子育てのグチでしょ?
半眼でにらむソ・ジニョンは それでもあきらめてコンパクトを閉じる。
今日はドンヒョクssiの帰宅が遅いって さっき 聞かれて言っちゃったしな・・

ま、たまには女同士 屋台で一杯と行きますか。
思い切りよく息を吐いて ジニョンがデスクから立ち上がった。



「イ先輩。・・・何か 悩みでもあるの?」

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子育てのグチ&喧嘩の二本立てか。

ジニョンは焼酎を舐めながら オデンの串を取り上げた。
イ・スンジョンはぶつぶつと 育児に非協力的な夫をぼやいていた。

あんまり文句を言うものだから オ・ヒョンマンが悪いと同調してやれば
でも優しい所もあるのって ・・・・他人に責められるのは嫌なわけね。

はーもう、結局 こうやってたまに息抜きしたいだけじゃない。

ジニョンは頬杖をつきながら それもいいかと笑っていた。
悩みとも言えない ちっぽけな悩み。
こんな事が問題になるなんて “なべて世は事もなし” 平和と言うことよね?




PPPPP・・・

「?」
マナーモードにし忘れていた 携帯が着信を伝えた。
見咎めるような周囲の視線に慌てて肩をすくめながら ジニョンは電話を取り出した。

・・・あら・・ドンヒョク・・ssi?・・・

「・・ヨボセヨ?」
「ジニョン。 今日は早番じゃなかったかな?」

え? ええそう・・あの イ先輩とちょっと屋台に・・
「そう。 それならいい」
「あの・・ドンヒョクssiはどうしたの? 家に・・いるの?」

思いがけなく仕事のきりがついて 早めに帰宅したのだと 彼は言った。
たまには君もスンジョンさんと 羽を伸ばしたいだろう?
「楽しんでおいで」
「ええと あの・・ドンヒョクssi。 食事は?」
「うん? 気にしなくていい。何かその辺の・・」

ふ・・と小さく笑う声。 「君の 蒸しパンでも食べようかな」


「え?」

「気をつけてお帰り。では切るよ」
律儀に切ると断ってから 恋人の声が消えていった。
携帯電話を握ったままで ジニョンはあんぐりと口を開けた。

蒸しパンぅ??

ああ 確かに昨日買ったわ。 レーズンの入った菓子パンを2つ。
ドンヒョクssi・・あれを 夕飯にするつもり?

眉をひそめて考えるジニョンに ほろ酔いのスンジョンがからみついた。
「なあに~? バラ300本。帰って来いってぇ?」
「え? ううん・・楽しんでおいでって」
「んまぁ♪ さすが理事。 それに較べてうちのハイエナ旦那ときたら・・」


こっちが育児に疲れていても 食事はどうしたって まあウルサイんだから。
「“君の作ったご飯じゃないと 明日の活力が湧かないんだ”って」
イ・スンジョンの尽きない愚痴は 半分ノロケで 自慢がましい。

適当に相槌を打ちながら ジニョンはぼんやりと考えていた。



サファイア・ハウスのリビングを すらりと長い影が動く。

ひょっとして またドンヒョクssi ジャケットをソファの背へ投げているかもしれない。
グレーのシャツのカフを外して きれいな指でネクタイをゆるめる。
それから しんとしたキッチンのテーブルに歩いて 
・・・蒸しパン

「そんなの だめ!」
「きゃあ!! ・・・な、なに?」
「イ先輩。私 帰る」

スンジョンはちょうど鶏足の醤油煮を かじりかけたところだった。
だってバラ300本は 楽しんでおいでっていったんでしょ?
「だって・・蒸しパンなんか だめだもの」

「・・・え?」

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ソウルホテルの中庭に ジニョンのヒールが高く鳴る。

走りづらい程大きな紙袋の中には ハムやビーツ、パン、ソーセージ・・
My hunter, 蒸しパンなんか食べないで。

作ってあげるわよ ダグウッド・サンドウィッチ!



シン・ドンヒョクはうっとりと ベランダの手すりにもたれていた。

柔らかくなった夜の風が ウィスキーの酔いに気持ちよかった。
ジニョンは 飲みすぎていないかな。
酔っ払って戻るかもしれない バスに お湯を入れておこうか・・


ガタガタガタガタ!!

「?」

やたらと派手な物音に ハンターは けげんそうな眉をあげた。
こんなに賑やかなのは君だろうけど 「・・ずいぶん早いな?」

振り向いたドンヒョクは 室内の光景を見て
すんでのところで 吹き出すのをこらえた。
景気よくクシャクシャになった髪。 ずりおちたバッグに 盛大な息切れ。

「ジニョン?」
「ドンヒョクssi。 ・・ご・・飯・・・どうした?」
「食事?」

ホテルへ行くのも面倒になって ちょっと一杯 飲っていたんだ。
「じゃあ 蒸し・・パンは?」
「蒸しパン? 食べていないけど」



・・・そんなに 食べられたくなかったの? 

くすくす笑いのハンターが 妻へ歩み寄ってキスをする。
「良かったよ。 君の大事な蒸しパンを うっかり食べてしまわなくて」
「そ、そういう事じゃないのよっ」
「?」

んもお・・・

貴方が独りで蒸しパンなんか食べると思ったら 放っておけないじゃない。
うまく言えない愛しさを ジニョンは口の中に噛む。
「・・野菜も 食べなくちゃ・・・だめだから・・・」

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ドンヒョクが 袖を2つ折る。  僕がダグウッド・サンドウィッチを作ってあげるよ。

「ドンヒョクssi お料理なんかするの?」
「ジニョン? 正式なダグウッド・サンドはね。 “料理の出来ない奴が作るものなんだ”」
「オモ・・」





“お腹が空いたんだろう、フランク? ダグウッド・サンドウィッチを作ってやろう”

それは養子に行ったアメリカで 僕が 幸せだった頃。

マリアが 教会バザーの為に出かけてしまった昼下がり。
空腹に腹が音を立ててしまい 取り繕えなかった食べ盛りの少年に
養父のトムはウインクをして 僕を キッチンへ連れて行った。



“いいか?フランク。 ダグウッド・サンドはな こうして山ほど重ねるのだ”

ビーツにハムにソーセージ、チェダーチーズをトリプルで
冷蔵庫の中を強盗の如く漁って 積み上げてゆく馬鹿馬鹿しい食べ物。

“これが アメリカの男の子がママの留守に作るご馳走だ”
“でも・・トム? そんなに使ったら マリア母さんが怒らないかな?”
“もちろん怒る。 よく聞け フランク?”

このサンドウィッチは 最後にママに怒られるのが決まりの食べ物なんだ。
“さあ食べよう。 早くしないと 食べ終わらないうちに怒られる”



ふ・・・

「なあに?思い出し笑い。 あ!わかった!イイヒトに作ってもらったんでしょう?」
「そうだね。 とてもいい人だった」
「え・・・?」

トマトを切って 重ねてゆく。
ドンヒョクの鼻歌と口元の笑みに ジニョンが疑惑の眼を向ける。
ねえ My hunter、 何だか貴方 幸せそうね?

「できた。 でも どうやって食べようか?これ」
「う・・・わ・・」
何? この馬鹿みたいなサンドウィッチ。 顎関節が外れるわ。
「ともかく急いで食べよう。 “早くしないと 食べ終わらないうちに怒られる”」
「?」

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サファイア・ハウスの22時。

ジニョンは大きな口をあけて 留守番男のサンドウィッチを食べる。


「ムグムグ・・・こんなの どうやって全部食べるの?」
「育ち盛りのガキなんて 食い物を丸呑みして胃で噛むくらいの芸当はするからね」

ドンヒョクは ジニョンのパンの反対側へ押し出されて来たボロニアハムを
指先で抜き取って口に入れ ウィスキーの肴にしている。
「ところで あんなに慌てて帰ってきたのに 蒸しパンは食べなくてもいいの?」

・・ムグ・・・・

私は 蒸しパンを盗られたくなくて 帰ってきたわけじゃないわよ。
このサンドウィッチを食べながらじゃ ふくれっ面をしても目立たない。
ジニョンは横目で半身をにらむ。 ドンヒョクは 不思議そうに首を傾げていた。


寂しそうで 独りぼっちで 見ていられないと思った人。
ねえドンヒョクssi? いつのまにか 貴方は 随分幸せな顔になった。

「!!」

悪戯そうな顔が寄って ジニョンの頬を舐めた。
・・・ムグ・・
「このマヨネーズ旨いな。 ソウルホテルのデリカ?」




そんなところにわざと付けて 僕に食べてもらおうとするなんて。
仕方ない、愛する君のお誘いを無視したりしないよ。 「僕は 紳士だ」




「ゆっくり食べていい。ちゃんと誘いには乗ってあげよう」

そ・・そんなこと言わないという反論を ハンターは 当然聞き流す。

夜更けのダイニングテーブルで 恋人達はもめていた。

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