ボニボニ

 

My hotelier 157. - 難攻不落 - 

 




その日 ジニョンにとって最大の不運は 

シン・ドンヒョクの座った場所が
彼女の立っていた位置からは 完全な死角になっていたことだった。



「・・ぁ、おい! ジニョン!」

社長秘書のカウンターへ 報告書類を持ってきたソ支配人は
聞きなれた声に呼びかけられて 返す途中のヒールを止めた。

折しも 社長室のドアを開けて オ総支配人を送り出したテジュンが
人の良さそうな笑顔を見せて 中へ・・と顎をしゃくっている。



食品産業会のバンケット。 お前ンとこの営業がアプローチしてるんだろ?

「幹事会社のキム部長は 俺の後輩なんだ。 口添えしてやろうか?」
「オモオモ! 本当テジュンssi? 素敵!」

あはは・・、今頃 惚れ直しても遅いぞ。

いそいそと走り寄るソ支配人に テジュンは軽い口をきいた。 
それにな・・知ってるか? 
どうやら食品産業会は 来春チーブスをソウルへ持ってくるつもりらしい。

「チーブスって・・イタリアの食品見本市?!」
「まだ 会場は未定」
「ぃや~ん、テジュンssi。 本当に 惚れ直しそう!」
「・・・おいおい」

 

突然 テジュンの笑顔がこわばり たしなめるような目配せになった。

「・・・?」
なあに? と テジュンの目配せする先を見て 
ジニョンは ひっ・・と小さく口の中で恐怖の悲鳴を上げていた。

「ドン・・ヒョクssi」



マリッジリングの光る指が ポートフォリオを音もなく閉じた。

静まり返った横顔に メタルフレームが鈍く光る。
表情ひとつ変えない彼には 妻の言葉が 聞こえなかったのかもしれない。

流れるように優雅な仕草で 卓上の書類をまとめ
すらりと ソファから立ち上がったドンヒョクは
眼鏡の鼻梁を押し上げて 言った。


「それでは 今日はこの辺で」

「あの、理事」
「・・・・」
ハンターの眼がゆっくりと閉じて 何か?と 氷の視線になる。

その眼前に ホテルの社長と支配人は 引きつる頬を並べていた。

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どうするのよ! どうするのよ! どうするのよ! 


「ねぇ! ドンヒョクssi、怒っちゃったんじゃない!」
「お前が 俺に“惚れ直しそう”なんて 馬鹿な冗談を言うからだろっ!」
「オモ! 社長が 先に“惚れ直すな”って言ったんでしょ?!」

「うるさいっ!! じゃあ何か? 俺から お前のダーリンに謝ればいいのかっ?!」


アレは ホンの冗談です。 ジニョンは 貴方一筋です。
・・・・ぅ・・・
そんなことしたら 火に油だわ。

こめかみを強く指で押して ジニョンは 頭痛をこらえていた。
彼女の 「極めて愛情深い」夫は ひとたび地雷を踏んでしまうと
虎にも喩えられる程に 苛烈な性格で知られているのだ。



「なぁ。 悪いけどな。 今回はさっさと仲直りしてくれよ」

来週 漢江グループの株主総会があるじゃないか。
「あ!」
「キム会長。理事が挨拶に出て来ないと まだ根に持っているのかとヘソ曲げるぜ」
「・・あぁ・・もう 最低」


平気だよ。 なんだかんだ言っても シン・ドンヒョクって奴は 
お前にぞっこん惚れているんだから。
「あいつの“お膝”にでも乗って 甘い声でサービスしてやりゃいい」

「テジュンssi!!」
「社長と呼べ」 
頼んだぞ! じゃそういう事で 後はまかせる。

俺はホテルの舵取りだけで 悪いがもう精一杯だ。
シッシッ と邪険に手を振って テジュンは部下を追い払った。
 



そういう事で・・じゃないわよ もう。

退社時間のロッカールームで ジニョンはボウタイをのろのろと解いた。

ドンヒョクssi どれくらい怒ったかしら。
あれは仕事の 話の流れで ふざけて言った軽口だもの。 
そんなに ・・・気にする状況じゃないわよね?

「・・・・・」

だけど 問題は 彼の表情。
怒った風もなかったし 心外そうな色も見せなかった。
「ドンヒョクssiは 静かな時が・・一番怖いの」

ホントに膝に乗ってみようかしら。 ジニョンは 小さく息を吐いた。

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完全防備。

大きな瞳がキョロリと動いて ソファに座る彼をチェックした。
表情を読ませないハンターは 湖水のように静まっている。

・・・本当に 彼の機嫌が悪い。 思った以上に怒っているかしら。

「ねぇ ドンヒョクssi?」
「・・・・」


ええぃ! この際 手段を選んではいられない。
思い切って彼の膝に座り 腕を 首に巻きつける。
ジニョンは ミニーマウスも顔負けの 思わせぶりなまばたきをした。

「怒っているの?」
「何を?」
「社長に言った軽口のこと。 ・・冗談よ」
「もちろん そうだろうね」

「!」

ジニョンが膝で身をくねらせても 今夜のドンヒョクは びくともしない。
占領された膝を静かに見おろして “もういいかな?”と首を傾げた。

当たりさわりなく 口元に 儀礼的な笑みまで浮かべた彼は
ジニョンの背筋を凍らせるのに 充分な冷ややかさを見せつけている。

“な・・な・・によぅ・・ドンヒョクssiったら”

そんなに怒るほどの こと・・じゃない・・でしょ?

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ドンヒョクは メールで送られて来た報告を ことさらゆっくり読んでいる。

隣の部屋では愛しいジニョンが シーツの中に埋まっている。


モニターに眼を走らせて 切り上げる頃合を測りながら 
不機嫌なはずのハンターは
口の端に 笑みを浮かべていた。


My hotelier、君は 待っているかな。

どうやって僕を 懐柔するつもりだろう。
君の素敵な和解のお誘いに 乗りたい気分はもちろんある。
だけど 8月ともなれば、 僕にも要求事項があってね。

“夏期休暇”
その条件を飲ませるまでは 
「甘やかしてあげることは出来ないんだ。ダーリン」



なかなかベッドへ来ない彼を 眠気をこらえて待っていたジニョンは
横へ滑り込んだたくましい背中に 鼻先をつけて甘え声を出した。
「・・ドン・・ヒョクssi・・♪」
「・・・・・」

大きな背中が寝返りを打って ひた とジニョンを真っ向から見据える。
「何?」
「な・・なにって。 ・・その・・」

いくらご機嫌斜めでも いつもは こんなじゃないはずなのに。
常と違ってドンヒョクが 難攻不落の構えを見せる。

・・そんなに 機嫌を損ねたの?
不安な顔で黙り込んだ獲物は ハンターの眼が笑ったのを知らなかった。



さぁ では奥さん。 そろそろ ネゴシエイトと行こうか。
「ジニョン?」

「ぇ・・? ええ、ええ! なあに?」
「バカンスシーズンだから 2人で“仲良く” 旅行にでも行きたいね」
え・・?  そ・・・そうよね・・・2人で・・仲良く・・・


「夏休みは取れそう?」
「え? あ・・うん・・・」
まぁ でも君には “僕より大事な”ホテルの仕事があるのだろうし。
「!!」


仕方ないね。 ハンターは 物わかり良く妻へ笑いかける。
愛しさと 諦めの混じった淋しい微笑。 ジニョンの目元が困惑に揺れた。

「・・ドンヒョク・・・ssi?」
「うん」
「少しなら・・休めるかも」
「1週間?」
「そんな・・今の時期じゃ どんなに頑張っても5日が限度よ」


ゲームセット。

「OK ソ支配人。 では頑張ってもらおう、休暇は5日」
・・・ぁ・・・・?



哀感を漂わせていたドンヒョクの声が 突然 暴君の威厳を放つ。
夏の予定は手品の様に決まり ハンターは 成果に納得した。

「・・・・」
ぱくぱくと 声にならない口を開けて ジニョンは涼しい顔の勝者を見つめる
「ドンヒョク・・・ssi・・?」
「うん」


“・・あなたその・・・ひょっとして。 その為に わざと不機嫌にしていた?”

つんと怜悧なドンヒョクの視線が 恋しいジニョンを静かに見据える。
「言いがかりだな」
そしてジニョンは 半身の眼が こらえきれずに緩むのを見た。

「僕は 始めから不機嫌などではない」


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さて では尻軽な奥さんの 言い訳を聞いてあげようかな。

今や笑顔のドンヒョクが いそいそとジニョンを抱き寄せる。
「ソ支配人は 誰に惚れているって?」
「ド・・ドンヒョクssi・・に決まっているでしょ」

「光栄ですね。 では お言葉に甘えまして」

大きな胸が半身を組み敷き 柔らかな身体を滑りあがる。
たくましい背が脚の間で 大きく泳いで 恋人を挿す。
ジニョンが甘いため息をついて ドンヒョクは 幸せな意地悪を言った。

「愛しているよ “僕は”ね。 ・・君は?」
「もぉ・・・」



・・・あ・・ぁ・・あ・・・・・

「ふふ。 さぁ ジニョン」
もっと聞かせてもらおうかな 僕の大好きな 君の音楽。
あの時 胸に突き刺さった 君の“冗談”を忘れるくらいに。


My hotelier,
僕が君を手に入れてから 今では かなりの時が経つから
本当はそんなささいな事で 妬いたりする気は起きないんだよ。

だけど あいにく僕と言う男は 君の浮気な軽口を
冗談にでも見逃すような 愛し方はしていない。
おぼえて。 君は忘れっぽいから ちゃんと念を押しておこう。

・・・ぁ・・や・・
マリッジリングの指が逃げて 切なげにシーツにしがみつく。
その手に 同じリングをした手が よりそうように重なって来る。


サファイア・ハウスの24時。

シーツを握る恋人は 華奢な肢体を火照らせている。

愛しい指を丁寧に でも 断固として引き剥がしながら 
柔らかく笑んだドンヒョクは 夏の行き先を考えていた。

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