ボニボニ

 

My hotelier side story - セクレタリー -

 




ソウルホテルのビジネスセンターに セクレタリーが座っている。



見ればそれなりの美人なのに 彼女は 少し地味に見える。
「秘書」と言う名が醸しだす 眼を引くような華やぎがない。
・・・いや、 ないと言うよりも 彼女の場合、 
意図的に 艶を 敬遠している風情があった。




近年ソウルホテルでは ビジネス・エグゼクティブの利用が増えた。


主にエレクトロニクスやIT関連に従事するビジネスマンは
ソウルを基点に地方を廻り 時には 中国にまで足を伸ばす。
長期滞在する彼らの為に ソウルホテルはセクレタリー・サーヴィスを充実させた。 




「お帰りなさいませ、Mr.ジョーンズ。ご注文の資料が整っております。」

馴染み客の来訪を セクレタリーはにこやかに迎える。
呼びかけられた客の方は いささかバツの悪い顔を見せた。 
「あぁありがとう。 ええと・・・それから さ。」
「はい?」


その・・。 昨日 君が取り寄せましょうかと 聞いてくれたやつ。
「『生産工程に関わる用語解説集』のことでしょうか?」
「あぁそれ。 あの・・・やっぱり手配してもらえるかな。」

あれから現場に行ってみたら 符丁だのローカルな専門用語ばっかりで
何を言っているんだかもう・・全然仕事にならないんだ。
「昨日 素直に君の助言を聞いておきゃ良かったんだけど・・。」



セクレタリーの控えめな申し出を 男は昨日 邪険に断った。
こっちは熟練のプロなんだぜと 言わないでもの嫌味を添えて。


「承知いたしました。取り寄せておきます。 他にご用はございませんか?」

セクレタリーは客の言葉へ 簡潔に にこやかな受け答えをする。
こだわりのない彼女の口調に ビジネスマンは気を楽にした。



―まぁ・・な。 ホテルのビジネス・セクレタリーなのだから。
 いちいち客の言ったことなんか 気にしちゃいないんだろう。
 
胸をそらした常連客は 鷹揚に 伝票へサインする。
「なあ その本どれくらいで手に入るかな。・・・結構すぐに要るんだけど。」 
「在庫の確認だけはしてございます。 うまくいけば今夜中に。」
「本当か?」

入ったら教えてくれよ。客は 上機嫌でセンターを去った。




「フン、やっぱり先輩の言った通りだったじゃない?あんな偉そうに断って。」
 
並んで座る年若いセクレタリーが 客の後姿に 頬を膨らませた
先輩。ちょっと言ってやれば良かったのに・・・。
「馬鹿なことを言うんじゃないの。 私たちは プロの秘書でしょ?」


“ボス”が 仕事に集中できるように サポートするのが役目なの。
「セクレタリーが“ボス”の方に 気を使わせてどうするの?」
そう言うと彼女はキャビネットを開け 『用語解説集』を取り出した。

「え?! 注文していたんですか?」
「あのお客様の行く地方は 言葉が大変だって ・・前に聞いていたから。」
「じゃあ・・さっき渡してあげれば良かったのに。」
「それじゃ ちょっとでしゃばりすぎだわね。」
「は・・ぁ・・・。」



セクレタリーに必要なのは 容姿や愛想なんかじゃない。
“ボス”の仕事を 見通して 行く手を気持ちよく整える。
研ぎ澄まされた神経と ホスピタリティーが要る仕事なの。
「なかなか・・・。 そう思っては もらえないけどね。」

自負を持ってやっていたのに 
永く勤めた前の会社で あの人事担当は言ったもんだわ。

“若い女性が秘書カウンターにいるのは やっぱり好イメージなんだよ”



その日 緊張の糸が途切れた。


-----



ビジネスセンターのガラスの向こうに 
背の高い男がやってきた。
長身にタキシードを見事に着こなして 戸惑うようにドアを開ける。


「失礼。ビジネスルームのセクレタリーと言うのは ・・・君?」

ゆっくりと ひとつまばたきして顔を上げる
セクレタリーの眉が 少しだけ動いた。
「はい理事。 何かご用でしょうか?」



レオの奴が 君に頼めというものだから・・・。

「資料検索をお願いできるかな?」
うちの事務所 さっき サーバがダウンしたらしい。
「このリストに載ってる全会社の TOKYO証券取引所の値動き。
 至急レポートしてくれないか。 僕は これからレセプションに出る。」
「承りました。何時までにご入用ですか?」
「・・・・・出来れば・・・・・2時間程度で。」



ジニョンに怒られるかもしれないな。
“まったく何よドンヒョクssi!”
うちのビジネスセンターは「ハンター仕様」じゃありません!!


僕の指示は きついからな。
レオでなければ 務まらない。
だけど・・そのレオがこの事態に 迷わず彼女を使えと言った。


レセプションの会場で ドンヒョクは少し迷っていた。
N.Y.市場が開くまでにゲームのシナリオを作っておきたい。
彼女が この時間にどれくらいまとめられるものか。・・・いや。

“自分で見よう。これから家に戻れば作業が出来る。”



レセプション会場を抜け出して タキシードの男がフロアを行く。
飛ぶように歩くハンターを 
聞きなれた 愛しい声がつかまえた。
「あ! いたいた!ドンヒョクssi!」

鈴をはったような大きな瞳。 ハンターの顔がほころんだ。
 
「レセプションは? 私もこれからヘルプに入るのよ。」


ああ・・ジニョン。
今 君に会うのは避けたかったな。 張り詰めていた気持ちが切れる。
「うん。ちょっと仕事が気になって・・。」


「やっぱり・・よっぽど急ぎの仕事なのねえ。」
「?」
セクレタリーから伝言よ。レポートのご用意は済んでおりますって。
「え・・・?」



信じられない。 わずか1時間だったはずだ。
ドンヒョクは呆然と書類を見下ろす。
セクレタリーはカウンターから もう一束のレジュメを出した。

「出すぎた事かと存じましたが Bloombergに関連記事も出ておりましたので。」
「・・・・・。」


端整な 理事の眼差しが文字を追う。
セクレタリーは 静かに控える。
やがて シルバーフレームが揺れ ゆっくりレイダースが眼を上げた。

「君の・・サラリーは どれくらいかな?」
「はい?」
「倍額を用意しよう。職場を移る気はないだろうか?」



ふわり・・・。

セクレタリーが柔らかく笑い 突然華やかな美貌が光る。
あぁ・・きれいな女性なのだ。今更ながら 理事は気付いた。

「光栄なお申し越しですが・・・。」

セクレタリーは小首を傾げ どうでしょうかと理事へ問う。
「前の会社から私をヘッドハンティングしたのは ソ支配人です。」
「!!」




どんな局面にも揺るがない ハンターの眼が宙を泳いだ。


「・・・・・1つ。 頼みがあるのだけれど。」
「はい。」

美しい理事の頬が 少し染まる。
こんな表情をなさるのね。 セクレタリーは眼をみはった。
「今言った件は その 出来るなら・・。」
「もちろん。 ソ支配人には申し上げません。」

こちらが作業伝票です。受領のサインをお願いいたします。




「もったいなかったんじゃないですか~? サラリーが倍って。」

キョロキョロ顔の後輩が 理事の後姿を惚れ惚れと見送る。。
「・・・聞いていたの?」
「理事の近くで働くチャンスなのに アタシだったら行っちゃうな。」
ソ支配人に言ってはだめよ。セクレタリーは釘を刺す。

私の「仕事」を 見てくれた人。


“ソウルホテルで働いてみない? 貴女の仕事振りが気に入ったわ。”

物陰の涙を見ないふりで ジニョンさんはウィンクをした。


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サファイア・ハウスの24時。

ジニョンは ベッドを振りかえる。
アッパーシーツを持ち上げる誘いに しなやかな身体が滑り込んだ。


「今夜はもう お仕事しないの?」
「するよ。ジニョンと大事なミーティング。」
「もぉ・・。」
資料がきれいに出来ていてね。 仕事が 随分楽に進んだ。
「うふふ。 有能でしょう彼女? ソウルホテルの財産よ。」


「う・・・。 そうだ・・ね。」

後ろ暗いハンターは そそくさと妻を抱き寄せる。
うなじを唇で撫でるうちに 小さな疑問を思い出した。
・・・あ・・・・・
「ねえ ジニョン?」
「・・ん?」


ビジネスセンターの彼女。君がヘッドハントしたんだって?
「・・・そう・・。」
ホテルと家を往復生活の君が 一体どうやって見つけたの?
くすくす・・。

愛しい妻が 背中を向ける。教えてあげない。
慌ててドンヒョクが追いかける。ねえ・・ジニョン?

「ドンヒョクssiって 仕事の時は 全然周りを見ないのね?」
「?」
「彼女。あなたのオフィスがあるビルで働いていたのよ。」
「え?」

そこの専務がお客様で ソウルホテルにもよく来ていたし。
「本当に・・?」
「あんまり優秀だから 口説き落としたの。」

「は・・・。」


それじゃあ 僕にはあのセクレタリーをヘッドハントする資格はない。
残念だけど ・・・まあ いいか。
どのみちソウルホテルなら 全部 僕の手の中だ。


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深夜のビジネスセンターで 夜勤のホテリアーがデスクに向かう。

素早いタイプの音が止まり
セクレタリーは また 思い出し笑いをした。



やっとあの眼が見てくれた。私の「仕事」を確認して。


同じフロアで 何度会っても 一瞬たりとも視線が合わなかった。
いつもまっすぐビジネスだけを 凝視し続けている人。
あんなボスと仕事が出来たら・・。
それは 苦しいほどの願いだったわ。


“今言った件は その 出来るなら・・・”

うふふ・・と セクレタリーは笑う。
あんな表情もなさるのね。
ソウルホテルで見る彼は オフィスと違った顔をしている。
ホテリアー達の信望を集めて 王の様に歩く人。

「私・・。 ここへ 転職して良かった。」



ソウルホテルの午前2時。 セクレタリーがつぶやいた。

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