ボニボニ

 

ハルモニ  7

 




全部の車を見送ったら 何だか ズゥンと脱力した。


これは 大失敗 ってことなのかな。
だけど 今日の会が成功するということは ・・・多分 なかったと思う。

アタシは とぼとぼと広間へ戻る。 

ハルモニさんはさっきと同じ場所に 同じ姿勢で座っていた。
ジュニはハルモニさんの前にいて 片肘ついてあぐらをかく。
広い座敷にぽつん・・と座る2人の姿。 アタシは ジュニの言葉を思い出した。

“僕たちは一族の中で 離れ小島に住んでいるような存在なんです。” 



「皆 帰ったのかい?」
「はい。」
見送りなんぞ家の者がするのに お前は 使用人じゃないのだから。

「はい。 でも皆さんは ジュニとアタシの為に集まってくれたお客様だし。」
―パパが お前の礼をつくせと あの時教えてくれたから・・


ハルモニさんの怜悧な眼が じっと アタシを見据えていた。
「今日はチョルをしなかったね? 何故だい?」
「はい。 ・・・あの。」

自分の中にないお作法で 礼をするのが嫌だったんです。 
「韓国のこと ・・・アタシは 何も知らないから。」
自分が心をこめられる礼をしたかったのですが いけなかったでしょうか?

やっぱり「マンナッソパンガプスムニダ」って 相手の言葉で言うべきだったかな。
アタシ 失敗したのかもしれない。
「・・・・・・」


ホッホッホ・・・

ハルモニさんが 愉快そうに笑った。

「小娘の考えることなんて いつの時代もそんなものだ。」
トホホ・・ ごめんよ小娘で。 ハルモニさんってば 容赦がないなあ。

耐え切れないように首を振って ジュニが すうっと立ち上がった。
大きな腕で 痛いほどに アタシの身体を抱きしめる。
「茜さんは 立派でした。」

僕は あなたが誇らしかった。 とても美しいお辞儀でした。
ジュニの優しい声に撫でられて アタシは ・・ちびっとウルウルした。



“あの時。 私も そうだった。” 

「自分の知っている“最高の礼”をしたのさ。」
「?」
「日帝が居並ぶ前でね。 見た事もないチョルに 奴らキョトンとしていた。」
「・・ハルモニさん。」
「本気の礼はきっと伝わる。 ・・・お前は そう思ったのだろう?」
「!」


ぽろぽろぽろ と 涙がこぼれた。

ジュニの腕越しに見たハルモニさんは 優しげで 温かな笑顔だった。
「初めて会った時も お前は 日式の礼をした。」
可笑しかったねえ。 70年前の自分が そこにいるのかと思ったよ。
「ハ・・ルモニ・・さん・・」


「もっとも 若い頃の私は お前よりかなり美人だったけどねえ。」
げ・・・・
「ハルモニ! 茜さんは 可愛いです!」
「あー煩い、そうそう可愛いよ チビといいお前の好きなものは皆 ファニーフェイス。」
「ヤ!ハルモニ!!」


くすっ・・・

アタシは思わず 吹き出した。 
怒りマークを飛ばしてたジュニも 眉を上げて 肩をすくめた。
ふふ・・・ くす・・・・ ふっ・・・ふふふ・・・

がらんとした大広間。 しばらく3人で笑いあう。
アタシは 今日から“イ家の離れ小島”に 新メンバーとして加わった。


「あのおじさん “こんな女 絶対認めない”だって。 ・・ばっかやろう。」
「あ、・・茜さん。」
アタシの言葉に ハルモニさんがにっこりする。
嫣然と笑むハルモニさんは 大輪の芍薬よりもずっと豪華だった。

「よく言った 茜。 女は 性格が悪くてナンボだからね。」

-----


「あいつらは ・・・納得なんか しやしないよ。」

ぷーっと 煙草の煙を吹いて ハルモニさんは 氷の声で言った。
「いいさ。こっちの言う事は言った。生きてるうちに宣告できて良かったよ。」

ハルモニは妖怪だから100歳だって生きるくせに。 
ジュニが憎まれ口をきく。 ジロリ とハルモニの眉が上がった。
「ふん おあいにく様だね。 200歳までは生きるつもりさね。」


30近い卓膳が並ぶ 大広間の片隅で アタシたちは話をしていた。
ジュニはもうすっかりいつもの調子で 脚の間にアタシを抱いている。
ハルモニさんは 片膝立てて 運ばせた煙草盆を横に置いていた。 


ぷーっ・・・

「茜。 韓国の古い家というのはね 男系相続なんだよ。」
「え?」
「女は 家督を継承しないのさ。」

つまりアボジが死んだ時点で 本当なら家督が 分家の男に移るはずだった。
だけど ・・・・家督移譲の前に 日帝の奴らが難題言って来たんだよ。
「その時 分家の長が言った。 “本家のお前が 当主だ”って。」
「・・・・・」
「さっき 茜を認めないと大口叩いた男の 親父さ。」


私が 日帝に焼いて喰われようが 分家の奴らには関係なかったんだ。
「イ家」の汚点を 小娘一人に引き受けさせて 切り捨てるつもりだったんだろう。
だけど私は殺されず 社会的に抹殺もされず “本家の当主”として生き残った。


「都合が悪かっただろうねえ。・・・自分たちで 私を女当主にしちまったんだ。」
「・・・・・」
「イ家には家伝録がある。 記録されたことは 容易に変えられないのさ。」



ちょ・・ちょっとぉ ジュニってば!

アタシを抱きしめているうちに ジュニの奴は キスをしたくなったらしい。
ハルモニさんが大事な話をしている最中じゃん。
じたばたするアタシを捕まえて・・。 もぉ 顎をつかまないで!

ハルモニさんの前だよ ジュニ。
「ジュニ・・お前は子供のままだねえ。 まあ べったりくっつくものだ。」

ぷーっ・・・


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アタシがしつこく拒否ってるのを見て 置屋の女将みたいにハルモニさんが言った。

“キスくらい させておやりよ。” 
ジュニも 恋しい妻から引き離されて 辛いんだろ。

「ほらね。 ハルモニは 茜さんより話がわかります。」 
子どもみたいな得意顔のジュニが ん~♪っと 嬉しげにキスをする。
ハルモニさんってば 孫に甘いよ。



あのぅ ハルモニさん?

アタシは ムキムキ腕の輪の中から顔だけ出して 気になっていたことを聞いてみた。
「このお料理・・ 食べないんですか?」
「え?」
「せっかく沢山作って 美味しそうなのに ・・・もったいないですよ。」 


心尽くしのお料理だから いただかないと ばちがあたりそう。
「・・・・・・」
「・・・・・・」

ハルモニさんとジュニは ぱっちり眼を開けて 互いを見つめ合っている。
しかし きれいな人たちだよ。 ・・ところで アタシ何か 変なことを言った?
「・・・・ジュニや。」
「はい。」
「お前 本当にでかしたねえ。 大した小娘だよ ククク。」

ふふふ・・・ はい。


アタシを宝物のように抱きしめて 嬉しそうにジュニが笑う。
「茜さんはいつだって 鮮やかに 僕の予想を裏切ってくれます。」
「え?」
何が? と聞こうとしたけれど くしゃくしゃと頭を撫でられる。

はあっ!   明るい息を吐いて ジュニが陽気な声を出した。
「そうだハルモニ。 漢江へ 行きましょうか?!」
「クク・・ そうだね。 久し振りに川風もいいね。」

え?え? ・・・え? 漢江?   ・・・・ご馳走 は?

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3人を乗せたジンベイザメベンツは 走り出して程もなく 大きな河原に止まった。

草の斜面がなだらかに続いて 広々と開けた夕空へ 盛夏の風が吹き渡る。
漢江はちょうど夕暮れ時で 川面が 金色に照っていた。

「わ・・あ・・・ きれい。」

見はるかす眺めの河原に立って 東京の 多摩川土手を思い出す。
アタシもジュニもそれぞれの原風景に 大きな河原を持っているんだな。

漢江を眺めるアタシの肩を ふわり とジュニの腕が抱いた。
こっちですよ・・。 振りかえると 草の上に網代の敷物が広げられて 
お供に日傘を差しかけさせたハルモニさんが 気持ち良さそうに座っていた。


しっかし・・・思いっきりアウトドアな景色の中で 
ハルモニさんってば 宮殿にいるみたいだな。

「わぁ ハルモニさん。 煙草盆まで持ってきたんですか?」
「あ? あぁ・・・食後に一服するからねえ・・」


だけど ジュニ? いきなり なんで河原に・・・・

言いかけた言葉が 宙に 消えた。 それは信じられない光景だった。
昨日の夜みたいに 男の人3人が
ぎっしり金の器が乗った板を運んで 土手をやって来るのが見えた。
「うそ・・・・」



「うふふ・・ これはね。 僕とハルモニの 特別な“宴会”なんです。」
「?」
小学校5年の時だったかな。 僕は「プチ家出」をしたことがあります。
「運動会のかけっこで 1位を取ったんですよ。」 

だけどアボジは外国で。 他の家の子みたいに オンマはいなくて。
僕 悲しかったのかな まだまだ子どもだったから。
「どんどん走って ここまで来て。 1人で夕暮れまで座っていたら・・。」


夢のような 光景でしたよ。

きれいなチマチョゴリのハルモニが のんびり土手を やってきたんです。
「後に あの祝宴床を従えてね。 それで・・ハルモニ なんて言ったと思います?」
「・・・?」
“ジュニ ご飯だよ”って。

「・・そりゃあ。 ジウォンに 飯だけは食わせておくと約束したからねえ・・。」


だからって 食卓ごと 河原へ持って来たんですよ?
「ハルモニは どうかしています。」
「煩いねえ・・ 型にはまらない考え方をするとお言い。」
「・・・・・」

川風がとても涼やかだった。

お供の人たちは床を整え 少し離れて 腰を降ろす。
ハルモニさんは チロリみたいな小さなやかんを取り上げて 
ジュニの器へ マッコリを注いだ。


陽が沈んで暗くなると ランタンに灯がともされた。

アタシはお腹が割れない程度に だけど 盛大にご馳走を食べる。
ハルモニさんは どうやらアタシの旺盛な食欲が 気に入ったようだ。
「気持ちいいほどの健啖だねえ。 どれが美味しい?」
モグモグ・・  「ゴボウのチャプチェ・・。甘さが上品で 美味しいです。」
 

嫣然と笑うハルモニさんは のんびりお酒を飲んでいる。
ジュニは 時々ハルモニさんへ お酒を注いであげている。
2人の静かな仕草を見ながら アタシは 温かな気持ちになった。


この2人は それぞれ 少しずつ寂しさを持っている。

母のない子と 運命を背負わされた名家のお姫様。
彼らは互いの寂しさを持ち寄って こうして 支えあってきた。

この 不思議な宴会は そんな2人の 宝物のような時間だ。




「・・・ねえぇ 茜? お前もお飲みでないかい?」

「また! ハルモニ。 茜さんは未成年ですって 言っているでしょう。」
「少しだったらわかりゃしないよ。 車の運転をするわけじゃなし。」
「だめです!」

ハルモニさんとジュニのヤローは またぞろ2人で揉めはじめた。
こいつらってばまるで じゃれて噛み合う虎みたい。

―仲が良いよね・・ うふふ。

「あ・・ 茜?」
「ふぁい!?」
「・・・・鼻から モヤシが出ているよ。」
「げ!!」
「まっ正直だねえ。 それじゃあジュニには勝てないよ。ククク・・」


・・・・まったく 何て性格の悪い女だ。 

アタシはアタフタ慌てた後で 笑い転げるハルモニさんを思い切りにらんだ。

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