ボニボニ

 

愛しのプロフェッサー 8

 




そして 私は とうとう気づく。


たぶん前からそこにあって 依怙地に 認めようとしなかった気持ち。

私の頬からこぼれ落ちた 呆れる位にたくさんの涙は
私が 自分に嘘をついていたことを 完膚なきまでに教えてくれた。


プロフェッサー・・ 

私は あなたが 好きです。
あなたが どうしようもなく好きです。




「・・どうしました? Ms.ユナ」

私の頬を伝う涙を 困惑の指でぬぐいながら プロフェッサーは悲しげだった。
限りなく優しいこの人にとって 他人の涙を見ることは 心から辛いことなのだろう。
そんな人間がいるなんて 少し前までは信じなかった。

イ・ジウォンという奇跡の人が この世に存在すると知るまでは。 




「なぜ 泣いていたのですか?」
「プロフェッサー・・」


適当な 当たり障りない言い逃れを 私は口にすることが出来なかった。


自分の答えがどれほど愚直であるか 痛いくらいに解っていたけれど
こんなに真摯な瞳の前で 賢く装うことが 嫌だった。
「心配・・しました。 教授が毒に倒れたんじゃないかと思って」
「!」


・・・Ms.ユナ。

「それで 泣いてくれたのですか?」
「・・・」
「どうもありがとう」
僕は 大丈夫です。 「ご心配をかけてすみません」



憂いに翳っていた表情が 安堵にとけて ふわりと笑った。
発光するような教授の笑みに 胸が痛むほど見とれてしまう。


あぁ・・こんなにもきれいな人を 私は 今まで見たことがない。

認めてしまった自分の想いが 苦しいほど胸を締めつける。
私は 見た目の良い男になんか 魅力を感じたことはなかったの。
だけど プロフェッサーの美しさにだけは 

心が・・ 眼をそらすことを許さなかった。

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事務局から借りてきた植木バサミは 長い柄の やたら大きな代物だった。

ゴム手袋にビニールゴーグルと 大仰な私のいでたちを見て
プロフェッサーは明らかに 吹き出すのをこらえていた。
「Ms.ユナ? 僕がやりましょう」
「いいえ」


いいえ プロフェッサー。 これは私の仕事です。

教授に害を為す存在を 除くのは「秘書」の仕事です。


少女の指ほどの太さになった「幹」を ハサミを開いて挟み込んだ。
思い切って柄を閉じる。
ぱちん・・と あっけない音がして ケルベラの木が床に落ちた。

「愛らしい奴でしたね。 う・・ん ちょっと残念です」
とはいえ 大学の居室の中に 木を生やす訳にもいきませんか。
「これで 良かったのでしょうね」
「はい。プロフェッサー」

はい・・・ プロフェッサー・・これで良かったのです。



インコレクト ―incorrect―。 

間違った 正しくないこと。 
プロフェッサー・オフィスの床から芽を伸ばした とぼけた顔のケルベラは
その身に毒を潜ませた「インコレクト」な存在だった。


それは  そして 私も同じ。

“・・あの方は 秘書らしい秘書が欲しいのです。ビジネスライクな”
“貴女は 当大学的に大変コレクトな(正しい)セクレタリーです”

プロフェッサーが求めているのは ビジネスライクな セクレタリー。
教授を 男として好きだと言う「女」は 
このセクレタリーデスクに座る権利がない。


ケイト・オコナーは言っていた。
 
プロフェッサー・ジウォンは亡くなった奥様を 今でもまだ想っていて
愛を告げる幾多の女性に 応えることはないのだと。


私は 伸び始めたケルベラの木を 自分の想いごと切り取った。
床に開いた節穴には カットしたコルクを埋めて蓋した。
もう これ以上茎が伸びないように。 想いがしっかり隠せるように。

どうか神様。
私の嘘に 見ないふりをしてください。

それでも私はプロフェッサーの傍で 彼を 見ていたいのです。

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「グレッグは近頃 アルゴリズムに興味が行っちゃっているのかなあ?」

「・・・・・」
「議論していても どうしても話がアルゴリズムになるんだ」
「・・・・・」
「計算方法を考えるのは構わないけれど じゃあ何故 専門外の僕と議論をしたいんだろう」
「・・・・・」
「ねぇねぇ Ms.ユナ。 コーヒーいれてくれませんか?」
「・・・・・はい」



プロフェッサー・・・。

お願いだから 考えごとと独り言をいう為に 
私の真正面にある その椅子に座るのは止めてくれませんか?

自分の気持ちに気づいてしまい それを秘す決心をした私にとって 
日々を過ごす上での最大の難題は 
この・・・。  大きな子どものように 私になつくプロフェッサーだった。


私がここに座っているのは “私が”、“教授を”、見つめていたいからなの。

だけど教授はすり寄ってきて 私の仕事姿を見つめては
考えごとをまとめたり 気分転換をしようとする。
おかげで私は一心不乱に パソコンのモニターを凝視し続け

・・・・彼の視線がそれた隙に そっと盗み見る羽目に陥っている。 



「お! ジウォン教授。 またMs.ユナを口説いているのか?」
「!!」「?・・・あぁ グレッグ」

口説くだなんて・・・。 「コーヒーを貰っていただけです」

Ms.ユナは優秀なセクレタリーなのですから 軽薄な物言いは失礼です。
ジウォン教授は 私の為に 少し不機嫌に反論する。
生真面目なジウォン教授の言葉に 相手は 大袈裟に肩をすくめてみせた。



グレッグ。 グレゴリー・スティーブンス教授は 
プロフェッサー・ジウォンの同僚で 
「議論」と呼ばれる意見交換を 頻繁にしにやってくる。

そんな「議論」の場から生まれた 2人で著した何冊かの本もあり 
それは高い評判を取っていると マクドネル事務長が教えてくれた。


いかにも豪放磊落そうな がっしりとした大柄な体躯。
顎ヒゲをたくわえた彼は とても 善良そうに見える。


・・・だけど私は こいつが嫌い。
プロフェッサーに言われるままに 「議論」を 度々口述筆記していて
私はいつか2人の間の あることに気づいてしまったから。

スティーブンス教授はジウォン教授と 決して「議論」はしていない。
何故なら いつもアイデアや答えを出すのは 
“マイ・プロフェッサー”の方だけだ。


客観的に見るところ スティーブンス教授の立場と言うのは
せいぜい 作家にきっかけを作る編集者 と言うあたりだろう。

そして2人の「議論」と呼ばれるものは ・・私に言わせればインタビューだ。

スティーブンス教授が 専門家として ありきたりな質問をする。
それに答えるジウォン教授は みるみる自分の世界に入り
次々と 文字を書き連ねては 見事な数式を書き上げる。

そして最後にスティーブンス教授は 紅潮した頬で数式を読み
プロフェッサーの手を握ると 念を押すようにこういうのだ。
“今日は 素晴らしい議論ができたね”

・・・だから 私はこいつが嫌い。




「しかし ジウォンはずるいよなあ。セクレタリーが Ms.ユナみたいな美人で」

スティーブンス教授は 私が 礼儀ギリギリの冷ややかさで出したコーヒーを
嬉しげに飲んで ニヤリと笑った。
セクレタリーと見れば 能力よりも ペットにすることを考えるような奴。

だけど 無邪気なジウォン教授と来たら 
まったく素直に 自分の秘書を褒められたものと思ったようだ。


「ええ Ms.ユナは有能で美人です。 おまけに料・・」
「プ、プロフェッサー! コーヒーのお代わりはいかがですかっ!?」
「・・・え? あ うん・・いただきます」
お願いしますプロフェッサー。 料理の腕には 言及しないでください。

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「・・・Ms.ユナは グレッグが苦手なのですか?」


夕食の調理をしていると いきなり教授が問いかけてきた。
プロフェッサーは 逆にした椅子に馬のようにまたがって
キッチンの私を見物している。

「どうして そう思うのですか?」
「うーん。 だってグレッグが来ると Ms.ユナは とても不機嫌です」
・・え・・・?


自慢じゃないけれど 私は ポーカーフェイスを得意としている。
アナリストという職業は 冷静でなければ勤まらない。
「Ms.ソンの表情は読めない」と 前の会社でも有名だった。

なのに この 無邪気の塊。 
無頓着なるプロフェッサー・ジウォンが 私の気持ちを読んだと言うの?


「僕ね。 この頃 何だかね。 Ms.ユナをよく見ているのです」

・・・それは 痛いほど存じております。
「そうするとね。 段々 Ms.ユナの気持ちが 読めるようになってくるのです」
「!!」

にっこりと プロフェッサー・ジウォンは笑いかける。
「貴女はやっぱりコウサカに似ています。 例えば 感情の出し方なんか」
「!!!」

そ・・れでは 私の中の秘密も 教授は読めてしまったのでしょうか?
オリーブオイルに浸るパスタを 力の抜ける腕で揺らしながら
私は 彼の次の言葉を 審判の様に待っていた。


Ms.ユナは いつも僕を叱るけれど 「本当は 僕が好きなのでしょう?」
「!!!!」
・・・・あぁ 神様・・・

「うふふ 僕もです。 だからきっと僕とMs.ユナは 素敵なチングになれますね?!」
「?!」



神様・・・。 少し悲しいけれど お慈悲に感謝いたします。

プロフェッサーの愛する「コウサカ」は 確かに彼を愛していたけれど
幸い 彼は男性で その好意にセクシャルな意味合いのあるはずもなく。

だから 「コウサカと同じように 僕を愛するMs.ユナ」は
プロフェッサー・ジウォンの認識の中で
究極の 信頼対象になったようだ。


・・・・プロフェッサー?・・・

「はい♪ Ms.ユナ」
「私 プロフェッサーをお慕いしています」
「ええ! 僕もMs.ユナが大好きです!」



・・・・神様の バカヤロウ~ッ!!!

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