ボニボニ

 

愛しのプロフェッサー 9

 




土曜の朝。  私は 「駅」へ買物に行く。


大学から3マイルほど南へ下った プリンストン・ジャンクションの駅前広場で
6月から11月の土曜日午前に ファーマーズ・マーケットが開かれる。

農家が直売するこの朝市は 野菜が多彩で新鮮なので プリンストンっ子に人気が高い。



私は この市場に出かけて行き 1週間分の買物をする。

“料理? 他人の為になど作る気もしません!”


マクドネル事務長 ごめんなさい。
決して 故意ではないけれど エントリー時の私の回答は 
虚偽のそしりを免れない。

私は 自分よりプロフェッサーが 喜びそうなものを買いに行く。

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「あ・れ・・Ms.ユナ? ・・・お出かけですか?」

ドキ・・ン。

“半分寝ている”プロフェッサーが よろける様に部屋から出てきた。
眠さのあまり うっとりと 夢見るような表情をしている。

プロフェッサー・・ 

朝からそんなに魅力的な顔を 見せつけられるのは 困るんですけど。



「はい。 あの、プリンストン・ジャンクションへ食料品を買いに」

「・・ファーマーズ・マーケット?」
「ええ。 あそこはオーガニック食材が豊富ですし」

アジアンフードの品揃えも良くて 韓国カブも手に入るから・・。
私は顔をそむけ加減で ドギマギと教授に返事をする。

だって ラフなTシャツの胸元に 輝くばかりの筋肉が見えて
視線が吸い込まれそうだから。
「・・・ファーマーズ・マーケット」


じゃあ 僕も 行きます。

イイコトを思いついたと言わんばかりの顔をして プロフェッサーが宣言した。
「教授も・・ですか?」
「はい。 食事を作ってもらうのですから 買物くらいお手伝いをします」

「いえ そんな」


「うふふ。 僕の好物があったら 料理してもらえますよね?」
「え? ええ それはもちろん」

ナッツとチーズも買おうかな。 じゃあ すぐに着替えてきます。

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きれいに晴れた土曜日の ファーマーズ・マーケットは賑わっていた。

朝の弱いプロフェッサーも 今朝は 睡魔に打ち勝てたらしく 
すこぶる元気な足取りで ワゴンの間を歩いてゆく。


2人で食料品を買うのなんて カップルみたいで恥ずかしいけれど
教授は一向気にならないらしく あれこれ野菜を選んでは
「どう?」 と了解を求めるように 私へ 小首をかしげてみせる。

プロフェッサー、あなたのその仕草は。 ・・・かなり 反則だと思います。



うつむいて果物を選んでいたら プロフェッサーの頬が 横へ並んだ。
「!!!」
「こっちの方が 良さそうです」

これ・・と 私の身体をかすめるように たくましい腕がワゴンへ伸びて
オレンジを1つ取り上げる。
私は 情けないことに もう少しで膝から崩れるところだった。



買ったものを車に積み込み 保冷の要るものはクーラーボックスに入れた。
ワオ・・、
「これだけあれば 家で遭難しても平気ですね」

遭難って・・プロフェッサー。

あぁでも このパン美味しそうだな。 「お昼には これを食べましょうか?」

「わかりました。 他は 何がよろしいですか?」
「そうだな ハムと・・。 あ!Ms.ユナ 今日は予定がありますか?」
「いいえ?」


突然 嬉しげなジウォン教授は リアのトランクボックスから
大判のトートバッグを引っ張り出すと 食材をバッグへ詰めはじめた。


「・・あの? 何を なさっているのですか?」
「ピクニックをしましょう♪」
「・・・・・は?」

Ms.ユナは プリンストンに来てから どこかパークへ行きましたか?
「いいえ・・」
「そうでしょう? それは もったいないです」
大学以外何もない街ですけれど ここは 外でご飯を食べるにはうってつけですよ。 

「すぐそこですから ご案内します」

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教授が「すぐそこ」と言ったとおり 1マイルも行かない所に公園があった。

グローヴァーズ・ミル・ポンドと案内板に書かれた きれいな池の湖畔沿い。
『ヴァン・ネスト・パーク』と言うのが その公園の名前らしかった。

アメリカサイズの公園としては 広大なものではなかったけれど
湖畔の風にあたりながら歩く デッキウォークは気持ち良くて 
私は くつろいだ気分になれた。



プロフェッサーは 先を歩き 適当な芝生へ荷物を下ろすと
トートバッグのポケットから シートを出して場所を作った。

「・・・ご用意が いいんですね」

生活能力皆無を誇る(?) ジウォン教授らしからぬ手際の良さに
私は いささか面食らう。
「プリンストンに住むとね。 誰でも ピクニックとBBQは得意になります」

プロフェッサーはそう言うと わざと自慢げに眉を上げた。




教授と私は 買ったばかりのパンやソーセージでお昼を食べた。

「このトートバックは息子がいた頃 よく使った物なんです」
ナイフとシートとカトラリーを いつもポケットに入れておいてね。
マーケットで買物をした後は こんなアウトドアランチをしたものです。

「・・・だけど 僕もピクニックをするのは かなり久しぶりだな」


ジウォン教授はナイフを握って 意外と器用にリンゴをむいた。

刃の上に乗せた一切れを 「はい」と 私へ差し出してくれる。
その男っぽいラフな仕草に もじもじリンゴをつまみ取ると 
リンゴの向こうでプロフェッサーが はじけるような笑顔を見せた。



・・・これが他の男だったら 私は 迷わずに信じただろう。

彼は きっと私が好きで より親密な仲になりたい下心を持っているのだと。

だけど 愛しのプロフェッサーは 何の邪気を持つこともなく
もう一切れを自分の口へ運ぶと 「美味しいですね」と幸せそうに笑った。
美味しいですね Ms.ユナ? 「きっと 一緒に食べるからです」




食事の後は公園の中を 何だか 無口に散歩した。

風が 湖水にさざなみを作り 湖畔の梢から葉を散らす。
明るいセルリアン・ブルーの空には 筆で刷いたような雲があった。


教授は時折 取ってつけたように プリンストンのガイドをした。

例えば他にどんな公園があるとか そんな つまらないこと。
そして 私は ただ彼から 「もう帰ろう」と言われたくないばかりに
およそ弾まない会話には不釣合いな笑顔で 相槌を打った。

ああ・・まったく。

生き馬の眼を抜くウォール街で アナリストをしていたソン・ユナが
これじゃ ティーンエイジャーじゃないの。




「あ・・Ms.ユナ? これ 何だか知っていますか?」
「え?」

「これ」と 教授が指差したのは 
低い植え込みの間に置かれた レリーフのついたモニュメントだった。
『MARTHIAN LANDING SITE』と書かれた碑に彫られた UFOとラジオ番組の収録風景。


「こ・・れ。 もしかして オーソン・ウェルズの」
「うふふ、ご存知でしたか。 そう『宇宙戦争』です」
名優が 迫真の演技で宇宙人来襲を告げ 聴取者がパニックになったと言う あの伝説。 

「ここはね。 宇宙人が着陸したと想定された場所なのだそうです」

こんなモニュメントを残すなんて アメリカ人は楽しいですね。
だけど このレリーフの男性は 「オーソン・ウェルズには見えないなぁ」
「・・・・・」


・・・ああ 神様。

信じられないような想いで 私は そのモニュメントを見おろした。
プリンストンにやってきた日の 投げやりで荒んでいた気持ち。

“「こちらへ」来た理由? ・・ふん。
具体的な理由をあえて言うなら 「この街が火星人に襲われたから」よ!!”



「・・・・・」

「・・・Ms.ユナ?」

私は 教授がいぶかしむほど 宇宙戦争の碑を見つめていた。
そういえば私は もう何週も 「あいつ」を 思い出しもしなかった。
「・・どうしました?」

「・・・・」
そうですね。 一体私は どうしたのでしょう。

口惜しくて 憤って 幾つもの夜を 眠れない程だったのに。 
プロフェッサー・・・
「Ms.ユナ?」

「・・・・・」


“あなたが 好きです”

決して言えないひと言を 心の中で告げてみる。
愛しさが急に胸に詰まり 危うく 涙がこぼれそうになる。



プロフェッサー。 

私という者の中に これほどのピュアな恋がありました。

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