ボニボニ

 

スジニへ 8

 



倭の軍勢は 疲れていた。

戦場の疲労と 空腹は 10万の敵ほどにも兵を痛めた。



タムドクの作戦は周到だった。

進軍水路を読み切って 途上の集落へ報せを放つ。

高句麗国内を縦横に走る 王が拓いた交易路は 
物の行きかう道であると同時に 情報の 行きかう網でもあった。

倭軍の動向は 瞬く間に タムドクの机上へ集まったのである。



王は 敵が遡上する道へ 巧妙な罠をしかけていった。

軍勢が集落を襲っても 住民は山へ逃げ込んで 
もぬけの殻の 村々が続いた。 
残された食料には薬草が混ぜられ 敵兵は 体調を崩していった。




“戦さとは 敵と向き合うまでに どれほどの準備をするかが 重要なのだ。”

兵たちを合戦の場に送ることは 死地へ行けと 言うに等しい。

自軍の兵の命を守るため 事前に 持てる限りの知恵をしぼり
あらゆる手段を 講じた将だけが 
合戦の場にのぞんで 「戦え」と 進軍の号令をかける資格を持つ。


蛇のような用心深さで タムドクは準備を続けていた。

高句麗軍が倭軍の陣と向き合った時 勝敗は すでに決していた。

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「かーっ! こんなに家を離れると 赤子が俺を忘れっちまう!」

マサカリの血糊を洗いながら チュムチは焦れた顔をしていた。
軽口をきいて殴られた部下は 触らぬ神とばかりに 遠巻きだった。


帯方界へ侵入した倭軍は 為すすべもなく蹴散らされた。

片手に剣を携えて馬を駆る 高句麗王軍の中央に
タムドクの黒い甲冑を見る時 敵軍の兵は 震え上がった。

後世に『倭寇潰敗し斬殺無数なり』と伝えられた その攻撃は苛烈を極めた。



瞬く間に倭を撃退したタムドクの陣営では 兵士の意気も高かった。

あぁでも そろそろ国内城の 赤い灯 青い灯が 見たいよな。
戦さに倦んだ男たちは 粗野に笑い合っていた。



「兵たちも そろそろ国内城が恋しいようですな」

ヒョンゴが周りを見やりつつ 王の天幕へやってきた。
地図を見ていたタムドクは 泰然と笑い 振り向いた。
「そうだな。 早いところ帰らないと チュムチに首を折られそうだ」



は! あの親バカ将軍ですか?

「馬鹿でかい寝言でタルビを呼ばわりおって。やかましくて部下が困っているとか」


その場の将がどっと笑った。 タムドクも笑みを浮かべていた。
アジクは 健やかでいるだろうか。
スジニの柔らかな子守歌を 王は 思い出していた。




「そうそう。何でも今 国内城には寧安の方から隊商が来て賑やかだそうです」

「うむ?」
「ウヒョンからブルン鳥が来ました。 あ!それはもう なんとも豪勢な隊商だとか」

それじゃあ タレの店も大繁盛だ。
都の恋しい男たちが 野卑な笑いを交し合う中
すぅ と笑みを引いたタムドクが 虎のように眼を細めた。

「それは・・奇妙ではないか」

「は?」
「寧安からの隊商が この季節に来たことがあるか?」
「あ・・?  あ! そう言えばそうですな。」
「豪勢な隊商だと? ・・・“大きな荷”を 連ねておるのだな?」

「!!」


ガタンッ! ガタン!!

寛いでいた将軍たちが いきなり そこここで立ち上がった。
血の気立つ男達が拳を握る間に 王は 既に天幕を出ていた。

「撤収だっ! 国内城へ取って返すぞ!!」

突然 鋭く角笛が吹かれて 陣は 蜂の巣を突く騒ぎとなった。
お付きの者も間に合わぬ間に 王は 馬上の人となった。



― 奇襲だ。

考慮しないわけではなかったが 今回 その危険は無いと踏んで 兵を薄くした。
タムドクは 違えてしまった自分の読みに 折れんばかりに歯噛みした。
“スジニ!!”

鬼神の如き形相で タムドクは馬に鞭をくれる。
飛ぶように駆ける王を目指して 1騎、2騎と 騎馬が追った。

風のような走りはチョロだった。 タムドクの右へ馬を並べる。
後ろから迫る怒涛の蹄と 獣じみた咆哮は どうやらチュムチのようだった。

「うおおぉ~~!!」






タムドクのその疾走は 永く人の話題となった。

昼夜をかまわず駆ける馬が 血の泡を吹く程の速さだった。
ブルン鳥が天駆けて 王の行く先々へ触れを出す。
王たちは 用意された駿馬を乗り継いで 狂ったように駆け続けた。


死ぬな スジニ!

タムドクの心が吼えていた。 不思議と アジクの無事は疑わなかった。
スジニは 例え自分が死のうと 太子だけは安全な所に逃がすだろう。
だが あれは・・?  

タムドクの全身が総毛立った。 私は あれに「盗られるな」と命じた。
もしも 敵に捕らえられたら スジニは ためらいもなく死を選ぶ。


眼の中にごうごうと焔を立てて 
鬼と見まごうタムドクが 先陣を切って駆け抜ける。
屈強の100騎ばかりが王を追い その後に 津波の如き大隊が続く。

高句麗軍の通った村は 数日 土煙がおさまらなかった。

あの軍勢が届いた時には 魔王なりとも 蹴散らすだろう。
街道沿いの集落で 人々はそう囁き合った。

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後宮を守る兵たちには 何が起きたのか判らなかった。

ある夜 突然目の前に 一個小隊が現れたのだ。


敵は城楼に矢を射掛け 鈎手を塀にかけて侵入した。
思わぬ多勢に守りが崩れ 西の城門が破られた。 男たちの怒声が沸く。
「狙いは王妃だ! 引きずり出せ!」
 
だが 押し入って来た敵兵たちは 正面の光景に目を疑った。




冴え冴えとした夜半の月が スジニの姿を照らしていた。

鍛え上げた兵を従えて 王妃の武装は万全だった。
「朱雀・・美人・・」
スジニの漆黒の甲冑は 夜の中で 魔にも似た輝きを放っている。

「・・・ここを 何処だと思っているの?」


高句麗王の宮を襲って 生きて 帰れるつもりなの。
許さない この宮殿への侵入は。

「ここは タムドク様の宮よ」

ぎりりと弓が引き絞られた瞬間 敵の先頭にいた雑兵が 矢を受けて飛んだ。
後宮警備の近衛兵が 一斉に 敵へ切り込んで行った。


わああぁぁ・・・


影になった兵達が いたるところで斬り合っていた。

雌鹿の如く城楼を駆けるスジニは 眼にも止まらぬ速さで弓を射る。

寝込みを襲うはずだった侵入兵は 待ち伏せられて陣形を崩し
後宮の完璧な武装の前に 血飛沫を上げて 倒れてゆく。
夜の中の戦いは 迎え撃つ側の 優勢だった。

壮絶な斬り合いが続くさ中に その轟きが 聞こえてきた。

「!」「!?」
「な、何だっ!」



それは 千の足を持つ怪物が 駆けて来るほどの轟音だった。

どうぅ・・と地面がうねりを上げて 来る者の怒りを先に 伝える。

王軍だ! 誰かが戦いの中で悲鳴を上げた。 爆裂する音が瞬く間に 宮へ迫った。
「奴らは まだ帯方のはずじゃないのか?!」
敵軍の将が退却を告げた。 侵入兵たちが 踵を返す。

だが 敵が門へ辿りつく前に タムドクたちが城門を越えた。



王の馬は 火を吐くばかりに駆けてきた。

剣を抜いた軍神が 敵を薙ぎ倒しながら 駆け抜ける。

王の後からは 次々と 地獄の如く騎馬が来て
今や 逃げ惑う侵入者達を 蹄の下に踏みつけて行った。

「スジニ!!」


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戦いの音が止んだ時  宮殿内には 累々と死体の海が広がっていた。

宮へ押し入った兵の中で 息のある者はいなかった。

馬を降りたタムドクが 後宮の中へ走り入る。
「いずこにある! スジニ!!」
狂ったようにタムドクが 屍の山を越えて行く。

血走り 猛り狂った王の眼に 捜し求めた女が映った。


「・・・」

「・・・・スジニ」
勇猛で知られたジョルノの鎧が 返り血を浴びて濡れていた。

片手に弓を下げたまま スジニは肩で息をして 王を見つめていた。


タムドクは心臓を締め上げていた恐怖が いきなり溶けて消えるのを感じる。 

「・・・王様・・」
しばらく息をしていないことを 王は やっと自覚した。
は・・と吐いた息は 安堵に揺れて よろけるような笑いになった。

「・・・・無事か?」


トン、トン。

スジニは拳で胸を叩き 親指を上げて 笑ってみせた。

「アジクには 指一本も 触らせていません」
タムドクは ものも言わずに歩み寄った。 理性は とうの昔に切れていた。
「スジニ」「!」

甲冑の胸に抱きしめられて スジニは 大きく眼を開く。
「王・・様・・・」
「よく守った」

無事で良かったと言った時 腕の中から スジニが滑り落ちた。

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腿に 刀傷を負っていた。

傷は浅く 危ない位置ではなかったが 刃先に毒が塗られていた。


「神経毒の一種です。 おそらくは解毒出来ると思いますが・・」
「“おそらく”だと?!」
慎重を期した侍医の言葉に タムドクの怒りがぶつけられた。

周りの将が慌てて止める程に 王は 冷静を失っていた。




「・・・・どうした?」

執務室に控えていたチュムチが 入ってきた男へ声をかけた。

― こんな時でも カンミ城主殿は  トカゲの如く落ち着いていやがる。
長いまつげを静かに伏せて 歩いて来るチョロの姿を見て
チュムチは 心の中で舌打ちをした。

「侍医の話では 今夜が峠らしい。 王様は 彼女の床につききりだ」
「それじゃあ あいつの体力次第か」 
「・・・・・」


はあっ・・

ようやく宮へたどり着いたヒョンゴが 腕を上げて息を吐いた。
「スジニは・・昔から丈夫な娘なんだ。 どんな怪我だって 見る間に癒える子だった」

だから大丈夫だ。 きっと 助かる。

自分に言い聞かせるような師匠の言葉に 男たちは沈黙した。
今はそれしか頼るものがない事を その場の誰もが 知っていた。



寝間の隅には湯が沸かされて 温かな湯気を上げていた。

侍医は 時折 寝台を覗きこむだけで 黙って傍らに控えていた。
スジニは夜具の中へ沈み あえかな息を吐いている。
タムドクは まばたきも忘れた顔で じっとスジニを見つめていた。


・・・ン・・ニム・・・


「?」
王様・・・と か細い声が呼んでいた。
・・ン・・・ム・・・・
「!」

切れ切れに だが絶えることなく スジニが王を呼んでいた。
生死の淵に迷いながら スジニは 王を呼んでいた。


「スジニ殿! 陛下はここにおられますぞ! お気を確かに・・」

常には動じない侍医さえもが 思わず声をゆるませた。
はかない息の下からもれる声には 一途な想いが にじんでいた。

お呼びください。 大切に想う方のお声だけが 意識なき者の耳に届きます。
医者の悲痛な懇願を 王は 信じられない気持ちで聞いた。



・・・ン・・グ・・ニム・・

タムドクの瞳が 愛しさにゆるむ。
お前は ずっとそこにいたのだ。 自分の想いを 隠したままで。


「・・・ここだ」
王は夜具をかき分けて 妃の手を探り当てる。
両手でスジニの手を握り 祈るように額へ当てた。

「ここだ。 ・・・戻って来い」



コポコポと 水盤の湯は沸いて 穏やかな音を立てていた。


王の目線が侍医へ流れた。
 
その眼の色を認めた医者は 心得て そっと部屋から出て行った。
夜はもう 明けようとしていた。




タムドクは 握りしめた手に頬をつけて ただひたすらに祈っていた。

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