ボニボニ

 

スジニへ 9

 



チチ・・と 雀が 空を飛んだ。



降り立つ小鳥が 地面をついばむ。

平穏な朝の光景の 周囲はしかし 壮絶な様相だった。



宮に敷かれた白い玉砂利が 一面 どす黒い血に染まっていた。
侵入した敵兵は そこここに 屍となって転がっていた。



「これだけの人数に奇襲されて よく防いだな・・・」

死体を運び出しながら 一人の兵が 感心して言った。
激しい戦いだったにもかかわらず 高句麗側の損失は 驚くほどに少なかった。


「スジニ殿は 指揮達者だからなぁ」

侵入者が 身軽な装備で押し入ったのに対し 
後宮の兵は パソンの真新しい甲冑で 完全に武装を固めていた。


「何でも 王様が 奇襲に備えろと言い置いたらしい」
「それでか。 ・・・で 太子様は まだ見つからないのか?」
「あぁ 白将軍が探し回っている」


あのわずかな時間で王妃は 太子様を いったいどこへ隠したのだ? 

兵達は互いの顔を見合わせて 首をひねった。

-----



“スジニ”




“スジニ、 ここだ 戻って来い。”


王様が どこかで呼んでいる。

霧の中をさまよいながら スジニは 道を探していた。
ふと見ると先のもやの中に 淡い人影が立っていた。
「・・・王・様・・?」

その人を包む霧が溶けて スジニは 息を呑みこんだ。

「・・オン・・ニ・・・」
キハは 柔らかな瞳を向けて じっとこちらを見つめていた。



・・あ・・あの・・・アタシ・・・

王様と 今 呼びかけてしまったことに スジニはひどく狼狽した。
「ご・・ごめんなさい。 ・・あの アタシ・・・」

言葉の出ない妹に キハは ふわと微笑んだ。
しなやかな指がすぅと伸びて あそこへと 霧の彼方を指す。
「あっち へ 行くの・・・?」


キハは ゆっくりまばたきをした。 もやが その頬にかかり始めた。

訳の判らないまま妹は 姉の指差した道を行った。





「・・・・・」

緩やかに視界が焦点を合わせて 天井飾りが 眼に映った。
コポコポという湯音が いきなり現実のものになって スジニの耳へ届いた。

・・・ここは どこだったかな。

夜具の中でぎこちなく首をめぐらすと タムドクの 赤くにじむ眼が見えた。



・・・ぁ・・・・・

「馬鹿者・・、呼ばれたら早く戻らぬか」

甲冑を外しただけの戦装束で 王は じっと見つめていた。
スジニは何とか起きようとしたが 身体が痺れて 動かなかった。
すみません と言ったつもりが 唇が震えて 言葉が揺れる。


タムドクの手が静かに伸びて スジニの頬をつかまえた。

・・・ぉ・・・ぅ・・・
「刃先から毒が回ったのだ。 大人しくしておれ」

・・ど・・く・・・?


「・・王様は・・い・つ・・・・?」
「戻ったと聞くか?」

お前は 昨夜のあの戦いを 憶えておらぬのか。

切なげに笑ったタムドクは 隣室の侍医へ声をかけた。
医者は 怪我人の脈を診ると 安堵の顔でゆっくりうなずく。
王と王妃を交互に見やり 「薬を煎じてまいりましょう」と言った。



王と侍医のやりとりの間に スジニは 記憶を呼び戻していた。

ブルン鳥。 急襲の報せ。 武装して、兵を配した。 
アジクを逃がして・・ 
「!! ・・・アジガー!・・」


今はもう 晴れやかな眉を上げて タムドクが 妃を振り返った。
 
「あぁ・・それだ。 お前は一体 アジクをどこへ隠した?」
チュムチたちが やっきになって宮中を探しても 

「“太子様”が 見つからぬぞ」

楽しいことでも尋ねるような王の眼差しに スジニの口元が ほころびた。
私がアジクを守りぬくことを 王様は 少しも疑わないでいてくれた。



・・木は 森に隠し ・・・石は 河原に・・・

スジニの口から出る声が わずかずつ 力を取り戻してくる。
胸いっぱいの想いと共に 王は その声に耳を傾けた。

「しからば子どもは子どもの中にか? だが 宮の何処に子ども・・など・・」
突然 王の眼がきらめいて まじまじとスジニを覗きこんだ。

「あ・・そこ・なら・・ きっと・・オンニが・・守・・・」


ははは・・!
タムドクが陽気な声を上げた。 
寝間の扉を開け放ち 大きな声で チュムチを呼ばわる。

「天地神堂の神殿だ!チュムチ! 見習い神官を集めよ!」

なんと呆れた王妃なことか。 わが太子を 女にしおった。




“四神を歌う舞いを 習っていたんだよ”

無邪気に父王を見上げたアジクは ひらひらと覚えた踊りを舞ってみせた。
少女の姿をしていると 子どもには わずかにキハの面影があった。 

遥かな時を遡り タムドクは もろい笑顔になる。

・・・良いな? キハ・・・
息子の頭を撫でながら 男は 過去の想いに区切りをつけた。



「父上・・。 イモは おけがをしたの?」

「うむ、だが大丈夫だ。 イモは強いからな」
のぅ アジク・・
「イモを お前のオモニにするぞ」
「?・・しっているよ。  イモは 父上の「おきさきさま」なのでしょう?」


“あぁ。 これからはな”

-----



扉を閉めてスジニの傍へ戻った王は 悠々とした笑みを浮かべていた。

一夜を越えて タムドクは 既に心を決めていた。
スジニにその想いがあるのならば  これ以上 私はためらうまい。


「さあ 言ってみよ」

・・・ぇ?・・・

「王様、王様と。 お前は 一晩中 私を呼んでいたではないか?」
「!」
声も出せずにすくみ上がるスジニを タムドクは 愉快そうに追いつめる。
寝台に腰を下ろし 夜具の上から妃を押さえて 愛おしげな手で髪を撫でた。



「侍医が 聞き辛そうだったぞ」

人前で あんなに甘えた声を出すものではない。

・・・・そ・・んな・・こと・・ ・・ぅ、うそです・・


「宮を護った手柄に叶えてやろう。 何が望みだ?」
「・・・ぇ・・」
夜通し 王を呼びつけておいて 「用はない」とでも 言うつもりか?
タムドクの長い指が 梳いた髪を耳にかけ 頬をそっと撫でさする。

「・・・王・様・・・」

からかうようなタムドクの笑みが 潮のように 引いていった。
今はもう想いを隠さない 揺れない 強いまなざしが 
真っすぐ放たれた矢のように スジニの戸惑いを 貫いた。


「!」
大きな身体がかぶさってきて スジニは力強い腕に抱かれた。 
頬に頬を重ねて囁くタムドクの言葉に 万感の想いが 満ちていた。

「よく・・生き残った」

思いがけない抱擁に スジニは恐れ 震えていた。
喉元へ飛び上がる自分の鼓動が タムドクにまで聞こえそうだった。



王の 甘い叱責が飛んだ。  
「おい」
「・・ぇ・・・?」

何をぼんやりしておる。 こうして 抱きしめてやっているというのに。
「お前も 腕をまわさぬか」
「・・で・・も・・・」
「こら」

ぴしゃり と王に叱られて おずおずとした手が背中へ這う。
鍛え上げた胸から香り立つ男らしい匂いに スジニは思わずため息をついた。
「・・・王様は・・ 汗と・・革の匂いがします」


は・・・  

「やれやれ お前は 言いたい放題だな」

お前の為に 千里の道を 死ぬ気で駆け戻ってやったのに
罰当たりめ。  「汗臭いと 文句を言うつもりか」
「!!・・ぃいえ ・・そんな・・・」


「私の背中は良い匂いがすると 昔 言っていたではないか」

“胸の中は・・ もっと 良い匂いです・・・”

言えない言葉に赤くなって スジニは 火照る顔をそむけた。
王は その頬へ髭をこすりつけ 失なわずにすんだ愛に 眼を潤ませた。



肘を支えに上体を起こして タムドクが スジニの顔を覗きこむ。

ただ祈ることしか 出来なかった昨夜。 
絹布の中で青白く凍っていた頬が 今は 生き生きと血を上らせて 
愛らしく朱に染まっていた。


王の手がスジニの腕をさすり 腿へ下がって 包帯の上から刀傷に触れた。
「・・・っぅ・・・」
「痛むか?」

ありがたい。 わが妃は 確かに生きているらしい。

面白がるような王の声音に スジニは少しむっとした。



スジニ・・

「・・・はい」
「暗夜の道を駆けながら 私が 何を思ったかわかるか?」
「いえ・・」
お前を抱いてやるのだったと 悔いていた。
「!」



人の命は 弱いものだ。 

刀でわずかに薙がれただけで 息絶えてしまうほどにもろいものだ。 
呆れるばかりに はかない命を 我らは懸命に生きておる。


スジニよ・・

宮を奇襲されたと知った時 心の底から 恐怖が湧いた。
「また 愛する女を独りで逝かせるのかと 千切れるような思いだった」
「・・・・・」

「さあ」

両手で頬をすくい上げ タムドクは 恋しい女へ口づけをする。
すべての想いを 愛と 優しさを その唇へ封じ込める。

「抱いてやろう」

お前と 私の人生に まだその時間があるうちに。


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静かに夜具へ押しつけられて タムドクの唇がうなじへ滑った。

王がしようとしていることに気づいて スジニは
心臓の止まる心地がした。
「・・・王・・様!・・・だめです・・」


怪我人の弱い抵抗を 王は 易々と抑えつける。
お前も 私も もう思い切ることだ。 
タムドクの気持ちは固かった。


「昨夜 お前の甲冑は 私が解いてやったのだぞ」

こんなことなら あの時に 全部脱がせておれば良かったな。

おろおろと拒むスジニの腕を うるさそうにタムドクが払う。
その時 声と共に扉が開けられて 盆に薬を捧げた侍医が入ってきた。
「!!」



侍医は 王が夜具にもぐり込み 妃にのしかかっているのを見て固まった。
「陛・・下・・・」
「ならぬか?」

・・ぁ・・いえ、その・・・


「え。 ・・まぁ少し ・・柔々と・・で、ござりますれば・・」
「あい判った。 薬はそこへ置いてゆけ」
「・・・は・・」
よろよろと 侍医は斜めになったまま 王妃の寝間を退去した。


「だそうだ」

苛烈な戦さをくぐり抜けて 戻ったばかりの髭面が 照れもせずに言ってのけた。


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