ボニボニ

 

スジニへ 13

 



女の身体を 絹へ放して タムドクは隣へ身を落とした。



満ちてはいたが まだ少し 惜しむような気持ちだった。


スジニは静かに寝返りを打つと 背中を向けて丸くなる。
無骨な掌が 白い背中を 確かめるようにゆっくりと撫でた。




「・・・・」

むこうを向いたままの肩に苛立ちを覚えて 王の眼が細くなった。
長い指が肩越しに伸びて スジニの頬をくぃとつねる。
「痛っ! な・・?」

「こちらを向け」

慌てた女が振り返ると 王は とがめる眼をしていた。
「・・王・様・・・?・」
「主に 尻を向ける奴がいるか」


不機嫌そうに言い捨てて タムドクはごろりと仰向けになる。

「師匠に甘やかされた故か まったくお前は行儀がなっておらぬ」
「そんな・・・」

うろたえたスジニは もじもじと王の脇へ添い直した。
ぎこちなく 肩先へかしこまると
たくましい腕が腰を抱き寄せて 手荒く尻たぶをわしづかみにした。


「私・・王様がお休みになるのに邪魔かと思って 端へよけたのです・・」

困惑顔で言い訳をしたスジニは 王を見上げて あ然とした。
怒っていたはずのタムドクが 横顔に 笑みを浮かべていた。
「・・王・さ・・・」



言ったであろう? 私を追え。

タムドクは女の頭を捕らえて 自分の胸へ押し付ける。
「お前の場所はここだ。 離れるな」 
手荒く顎で額をこすると スジニが 髭に悲鳴をあげた。

「・・・・たぃ・・」

「痛いか?」

これはいい仕置きを見つけたな。 
王は 機嫌よく言い放った。
はねっかえりのわが妃を 躾し直す時はこうしてやろう。 



タムドクの腕に抱かれながら スジニは少しむくれていた。

誰にも嵩高な物言いをしない王様なのに 私にばかり・・   
女の不平を それと察して 王は忍び笑いをした。

― 私はどうにもこの妃が 可愛くて仕方ないらしい。




「言うことを聞けぬ奴は 戦に 連れて行かぬぞ」

「?!」

さりげなさを装って 王は 思いがけない事を言った。
隆々とした胸へ埋まりながら スジニは丸く眼を開いた。
「あ・・の? 私も戦さに連れて行ってもらえるんですか?」
「ああ」


燕攻めとなれば 否が応でも総力戦になる。
情けないことだが 我が高句麗軍に お前ほどの射手はいないからな。
「でも・・宮は?」



「先日宮を襲った奴らは 一個隊が全滅した」

国内城の難攻不落が轟き渡った今 あえて 宮を突く愚を冒す者はいまい。
それでも ここには近衛を二隊残して行こう。

「あんな疾走を再びやるのでは 心臓がいくつあっても足りぬ」


ちらりと腕の中をのぞくと 女の頬が 朱に染まっていた。

将としての随行を望まれて スジニは有頂天だった。
連れて行ってもらえると知り 無邪気に喜ぶ女を見て
タムドクは 淡く苦笑する。

どこまでも王に付いて来たがる スジニの健気さが 愛しかった。




「だがな スジニ。 これだけは聞け」

戦場では 私に命じられるまで 決して傍を離れるな。
王命を振り切って駆けてゆく将など要らぬ。 肝に銘じて、心得よ。
「よいな?」

「はぃ・・」
存外に素直な返事を聞いて タムドクは 口元をほころばせた。
そうだスジニ。 お前が奪われたら またこの王が助けに行かねばならぬ。

「もう1つ」

今度だけだ、お前を 戦場へ連れてゆくのは。
「今度・・だけ」
「お前には 他の仕事があろう?」
・・ぇ・・・?・・


王の眼が 甘く笑んだ。
尻たぶから腿裏を撫で下りた手が スジニの太腿を抱え寄せた。

女の片脚を持ち上げて 自分の腰へ巻きつける。
真紅く染まって戸惑う頬へ タムドクはそっと言い聞かせた。
「子を成せ」


スジニの瞳が 困惑に揺れた。 

「王様・・・」

お前は側室も置かせぬ寵妃なれば 責任は 重大ぞ。
赤子のことで いつまでも チュムチに威張らせておくわけにいくまい。

抱きしめていた女の身体が 凍ったように動かなくなった。
顔が見えるくらいに身体を離して タムドクが覗き込むと 
スジニは じっと眼を伏せていた。

「どうした?」
「・・・私 子は産みたくありません」
「何故?」



高句麗の王太子は アジク1人で充分です。
「宮に ・・2人の太子は要りません」

スジニは 王様とホゲの争いを もう二度と見たくなかった。
実の子と思い慈んで育てたアジクに 憂いを作りたくはなかった。


そんなことか。

タムドクが鼻で笑ったので スジニは ぽかんと口を開けた。

「そんな・・こと?」
「お前がそれを気遣うなら 産まれた男の子は 他所へやれば良い」


太子と言うものは 決して楽な生き方ではないからな。
私に付き従ってきたお前なら それが判るであろう?
「子はチュムチにでもやるか。ああ、ジョルノだって要るだろう」

「何を 乱暴な!」

スジニの驚く様を見て タムドクが 白い歯を見せた。
「安心しろ。 子はお前がここで育てれば良い。皆 我らの子だ」
「・・・え?」

王太子を1人きりにしたければ 他は 祐筆に書かせねば良い。

「でも そんな事・・・」
「あいにく私は 常識に拘らぬほうでな」
もとよりお前と私とは “形だけ”が得意だったではないか?
「!!」



王は 包み込む眼差しで 愛しい妃に微笑んだ。
双の掌で スジニの頬をはさみ
まだためらいに揺れる瞳を まっすぐ 見つめて語りかけた。


欲しいのは ただ お前と睦み合うた証だ。

「・・王様・・」
「タムドクとスジニが懸命に生きて 互いを愛しんだ その証だ」



私がもしも戦場に消えたら お前が その子へ言うてやれ。
「父母がこうして相睦みて 生まれた子どもなのだと」
「・・王・・さま・・」

絹も宝石も欲しがらぬお前に 私がただ一つ やれるものだ。



「・・・・・」
「王のくせに やれるものが想いだけでは 情けないか?」


ふる、 ふるふる・・・

眼にいっぱいの涙を浮かべて スジニが そっとかぶりを振る。
お前は この頃泣き虫になったぞ。 

堪えきれずにこぼれた涙を タムドクの指が 静かに拭った。

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国内城を 発つ日が来た。

強大な隣国へ遠征に向かう 高句麗軍の意気は高かった。
どの兵の眼にも 迷いはなく 
ただ 1人の号令を待っていた。
 


出陣前の執務室に 王は ぽつりと座っていた。

幾千回も推敲を重ねた考えを それでも もう一度確かめていた。


タムドクが攻めると決めた燕では 国の政治が膿んでいた。

先帝は 苛烈な性格で 臣に峻厳な刑罰を与え 
官僚が保身に汲々とした結果 腐った王政は兵変で倒された。

後に即位した現王は 奢侈を好み 膨大な財を浪費し
糧を求めて 無策にも 他国の領土を窺っていた。



攻めるのは 今だ。

悪政に喘ぐ民ならば 統べる者への忠義は薄い。
退廃の宮は知恵ある策を生まず 我らを 防ぐ術はない。

万全の備えをなぞりながら それでも 王は推敲した。
民の命を賭ける戦に 毛ほどの瑕疵もあってはならなかった。



近衛隊長が 戸口に立った。

眼を閉じた王は静まり返り 眠るが如く 穏やかに見えた。
呼びかけようとした隊長は しかし迂闊に動けなかった。
沈思黙考する王の全身から 焔の如く 気が立っていた。


「・・・言え・・」

ゆっくりと タムドクが意志の眼を開ける。
歴戦の兵である近衛隊長が ぶる・・と思わず武者震いした。

今 自分の目の前にいるのは 紛れもなく生きた軍神だった。


「出陣の用意が 整いました」

「あい判った」

タムドクが 静かに席を立った。
近衛隊長の身の丈は 王より わずかに大きいはずだったが
目の前に立ち上がったタムドクは 雲をつくばかりに圧倒的だった。

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宮城前の広場は 甲冑の兵で埋まっていた。

ダン、ダンと鳴る靴音が 宮を 破風まで揺らしていた。
前触れを聞いた男達が 軍靴を踏んで王を 待っていた。
皆の眼に待ちわびた姿が映った時 一瞬で 広場から音が消えた。


「・・・・・」


玉砂利を踏む かそけき音と 優駿の荒い息だけが 
数万の兵が作った静寂を縫って 広場の空気を揺らしていた。

王は すらりと騎乗して 四方の将を見渡した。

チョロがいた。
まばゆい瑠璃おどしの甲冑が 群兵の中で鮮やかだった。
並び立つチュムチの豪壮と青将軍の深遠は タムドクの双手の宝だった。

後方参謀の馬車隊からは ヒョンゴ達が地図を携えて見つめていた。
将達の向こうには万兵が並び 高句麗の旗幟が 視界の果てまではためく。

「・・・・」

タムドクの眼が辺りを巡る。  兵達の胸が 熱く たぎった。

見間違うはずもなかった。 誰もが 強く確信していた。
自分達の先頭を行くのは 地上で最も輝かしい太王だ。
ついて来いと呼ばれた兵が ためらいもなく 命を預けるに足る将だった。


タムドクが 馬を 正面に向けた。

スジニの騎馬が 後ろへ並ぶ。
太子は後宮の兵達と 見送っているに違いなかった。
王は 耳だけで後方を確かめ 振り返らずに顎を上げた。

「スジニ」

・・・はい・・・
「行こう」


甲冑の胸を隆と張り 太王が 優駿の脇を蹴った。
油のごとく黒光りする駿馬が 制止を解かれて歩を進め出す。

私に 続け。

号令1つを発しなくとも 王の背中が万兵に告げた。
全ての者が この瞬間に 高句麗の覇歌を身中に聞いた。



“開門!”

堂々とそびえる宮の正門が 唸りを上げて 開かれていった。



【了】


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