Lusieta

 

ジムノペディーⅠ 第2章

 

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『ポトフ』の、いつものビーフシチューの味。

一口めで、フワァ~ッとまどかさんが浮かんできて、

涙が出そうになった。



ちょこっと名の知れたエッセイストのまどかさんは、

雑誌で何度かこの店を紹介し、

そのたびに、どっと一見さんのお客が押し寄せた。


お店にとって、嬉しいことなのか困ったことなのか。

紹介するたびにしばらく毎日満員で、

常連の自分が食べに行けなくなってイライラしてたっけ。



家から通える大学にしたのも、

遠くに行って一人暮らしをすると、

まどかさんが寂しくなっちゃうと思ったからだった。



でも、違ったみたいだ。

友だちもでき、バイトも始めて

私の大学生活が順調に動いてるのを見届けて

まどかさんは行ってしまった。

とてもあっさりと。



“それじゃあアズミちゃん、私はお嫁に行くわね。”

定年を迎えた、雑誌の元編集長なる人と、

南の島に移住した。



「そりゃそうだよな」と思った。

まどかさん、まだ若い。

ヘタすると10才くらい若く見えてしまう。

今日まで私が縛り付けてたんだ。

もともと子育てや家族だけを生き甲斐にして暮らす人ではなかったのに。



ハタチで娘を産んで、早くに夫に先立たれ、

その娘はこれまたハタチで、未婚のまま孫娘を産んだ。

まどかさんは、バリバリ働きながら40才でばあちゃんになり、

孫娘をかわいがりながら相変わらずバリバリ働いてたら、

49才の時に29才の娘が死んじゃった。

9才の孫娘を残して。



“私はね、20年ごとに大切な人を授かるのよ。”

とまどかさんは言った。


“20才であなたのママ、その20年後はあなたで、その次は彼よ。

60才の出会いも、それはそれはステキよ!”


“おじいちゃんは?”


“あの人はね、うふふ・・・・

生まれた時からよ。つまり0才から。

うちが隣同士だったの。誕生日は3日違い。

ね!これが20年ごとのはじまりよ!”



“なるほど・・・”




まどかさんはバリに行ってから、

この話を雑誌のエッセイで披露した。





“アズミちゃん、私の孫でママの娘だから、

あなたもハタチでステキな出会いがあるかもね。”





     まどかさん、ハタチになったその日に、出会いがあったよ。

     でも、とんでもなくわけわかんない出会いだよ。








「まどかさんに会ったよ。」


「!!・・・」



     ぼーっとまどかさんのこと考えていたから、

     すごくびっくりした。




「えっ? バリで?」


「あぁ。

お元気そうだった。宮田さんも。」


「そうですか。」




     まどかさん、幸せならよかった。




「あの・・・

お仕事か何かでいかれたんですか?」




つい型どおりの質問をしている自分がちょっと可笑しい。

こんなふうに向かい合って、

大人の男の人と何か話すのは、ただでさえとてもむずかしいのに、

こんなにむちゃくちゃに混乱したシチュエーションで

これからどんなふうに話したらいいんだろう。

訊きたいことは山盛りなのに、

頭の中で洗濯機がグルグル回ってるみたいだ。

いや・・・パン焼き器の「こねる」のボタンかも。     




「アズに会うことを許してもらうために行ったんだ。」


「え?・・・・

私に会うこと?」


「あぁ。」


「まどかさんの許可が必要なんですか?」


「あぁ。」


「なんで?」


「僕は今日まで、アズに会うことをまどかさんからとめられていたから。

自分でも、会うつもりはなかったけど。」


「・・・・なんで?」


「・・・・・・」


「言ってください。なんで?」


「う~ん、そうだな。

ごめん、いきなりだったね。

時間の順番をちゃんとたどっていこう。

その話は一番最後のことなんだ。」



「そんなこと言われたって・・・・

あなたから切り出したんじゃないですか。

それが核心の部分なら、早く知りたい。」



「アズ・・・・」



「全部知ってるんだったら、

今日、今から全部話してください。

もったいぶらないで!

私は、ママが病院のベッドで寝てるところまでは知っているのに、

死んじゃった事実の記憶がありません。、

お葬式のことも、確かにそこにいたのに、全然知らないんです。

その後の半年ほどの記憶も、抜け落ちています。

だから、未だにママが死んだ実感がないの。

ある日突然いなくて・・・・

いきなり家の中に祭壇があって、

ママは写真の中だけの人になって・・・」


「・・・・・・」




     また勝手に涙が出る。

     いつもはこんな話、なんでもないのに。

     まどかさんといっぱいしてきて平気なはずなのに。




「そのことなんでしょ!

私が今日まで思い出さないままの・・・・

その時のことなんでしょ!

教えてください。

なんで私は覚えてないの?

全部・・・

あなたが知ってること、全部教えて!」



「・・・・」


   

今にもテーブルをバンッと叩きそうに硬直した私の両手が

向かい合うその人の大きな手に包まれた。



「ごめん・・・」



すっごく苦しそうに、その人が謝った。

でも、私から目をそらさなかった。

メガネの奥の目が悲しそうに光って、

でも、それ以上なにも言わずに、

ただ私を見ていた。




私の声はいきなりかすれた。
   

「なんであなたがそんなふうに私に謝るのか、

それを・・・・・知りたいです。」
     


その人の手は温かだった。

ぬくもりが手を通して流れ込んでくるようで

その思いがけない心地よさに脱力してしまいそうだった。

私の胸に急に湧き上がる強い衝動。

それは・・・

目の前のその人に、すべてを預けて今すぐ眠りたい・・・

なんなんだろう、この気持ちは。

やっとのことで手を引いて、自分のひざに戻した。   




「あ・・・ごめん。」



あわててその人も手を引っ込めた。

とまどったような困ったような顔。

強気なのか弱気なのか、

よくわからないのはお互いさまか。






言葉がみつからないまま

ほんとはおいしいはずのシェフ自慢の“お任せコース”を

ふたり、ただ黙々と口に運んだ。
     




コーヒーがサービスされて、

固形のブラウンシュガーをぽとんと落とす。

その人は当然のようにブラックだった。





「なんで、うちの大学に?」


「それは偶然だ。1月からの緊急の募集に、普通に応募した。」


「1月から?」


「あぁ。」


「そのときから私を見てたの。」


「あぁ。」


「・・・・・」


「ストーカーみたいだって言いたい?」


「はい。」



彼の口元が、またフッとゆるんで白い歯がこぼれた。


「アズは正直だ。

ほんとにそうだよな。悪かった。

君の誕生日まで、名乗ることを我慢してたんだ。

誕生日が1月だったらよかったのにって思ったよ。」



「そんなに誕生日が重要?」


「アズが、僕の話を受け入れられるようになってからと思ったが、

何を区切りにしたらいいかわからなかったから。」


「・・・・・」



     

     会話は一問一答のようになり、

     なんども沈黙が訪れる。





「あなたのほんとの名前をおしえてください。

私はちゃんと名乗ったのに、あなたの名前を知りません。」



「あ・・・そうだったな。

ホ・ジュオンです。日本で生まれて育った在日3世なんだ。

日本の大学を出た後、韓国の大学に留学していた。

そのままその大学に残っていた。」


「私が“ちゅうにいちゃん”と呼んでいたのはなぜ?」


「それは・・・

君が生まれた時から、僕らはいっしょに過ごしていたから。

赤ちゃんの時から君は・・・

僕の妹のようだったから。

初めて僕を呼んでくれた時は“ちゅ”だった。

いつからか“ちゅうにいちゃん”になった。」


その人の頬がほわっとゆるむのを見た。


「私が、赤ちゃん?」


「僕はアズのおむつも替えた。」


「?!!!・・・・・」




     なんでこうなるんだ・・・・


          なんでこうなるんだ・・・・





顔が上げられない。

きっと真っ赤になってる。

こんな展開、最悪だ。



とにかくとにかく、

私はなにも覚えていない・・・・

     




     まどかさん、まどかさん、

     20才の出会いかと思った人は、

     0才でもう出会っていたんだね。

     でも・・・・

     あなたの言うような“ステキ”なものとは

     かなり違う気がします。

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