Lusieta

 

ジムノペディーⅠ 第8章

 

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数時間前、うつむいて涙をこらえながら通った並木道。


“うそつきをやめました。”


桜たちに報告しながら家へと急ぐ。






まどかさんが行っちゃってから、

出かけていて夜になってしまうと、家に帰るのがイヤだった。

角を曲がると、真っ暗でやたら大きな家が目の前に現れる。

建物全部が闇のなかに沈んで、

私はそのもっと深い闇の世界に潜り込んでいく

そんな気持ちになる。



帰りが遅くなるとわかっている日は、

朝から家じゅうの照明をつけたまま出かける。

家から灯りが漏れてるだけで、

角を曲がったときにとてもホッとするのだ。


誰もいないってわかってても。




そして今日、

角を曲がったとたんに・・・・



私以外の手によってともされた灯りが

家じゅうから溢れてるのが見えた。




     あの人、
     
     わざとぜんぶつけたんだ。




胸がいっぱいになった。

両腕を抱いたまま、動けなくなった。



今その家に、自分を迎えてくれる人がいる。

とても不思議な気持ち。



もう少し見ていたい。

人のぬくもりそのもののような、この灯りを。





     ・・・・?

     何分たった?






灯りをたっぷり味わった後は

どんな顔をして帰っていけばいいんだろう。

なんて言って家に入ればいいんだろう。



10メートルちょっとの距離をためらって、

近所で怪しい人になってしまいそうだ。





レースのカーテンだけひいた窓に、

動く影が見えた。


その人・・・

ピアノを弾いてる?

いや、弾いていない。

ただ座ってるだけ。



ピアノに向かったまま、

ただじっと前を向いてる横顔が見える。



何を考えてるんだろう。

ぼんやりとして表情が見えない。




     私を・・・待ってる?




ただ座って、彫像のようにじっとしているその人。

こんなふうに輪郭がぼやけていても、

シルエットがきれいだなんて、また考えてる私。




あ、立ち上がった。

窓際に立って、レースのカーテンを開けた。

とっさに隣家の塀に身を隠した私はますます怪しい。




窓の外をじっと見ているその人。

表情がよく見えない。

ただじっと立っているシルエット。




     ほんとに、私を待ってる?


     そう?




この夜の暗闇の中に、何をみつめてるんだろう。

ただ、じっと・・・・

その人は立っている。






暗闇に目を凝らして動かないその人を

私もみつめていた。

目をそらすことができなかった。




彼の深い物思いの時間に

寄り添っているような気がしていた。


この時間を共有してることを、私だけが知ってる。


“ねぇ”と、呼びかけてみたい。



     今、あなたは

     たくさんの屈託を抱えてそこにいるの?



     トッテモイケナイコト・・・


     ツミホロボシ

     ジョキョウジュ

     タダノジョシュ




     私の存在は、

     あなたの人生に

     どんな影を落としていますか?

     あなたのゆく道に、

     どんな足かせをしていますか?


     これから私と過ごすことは、、

     あなたにとって、

     ほんとはどうなのですか?



     ほんとは・・・

     辛いことなんじゃない?

     



知りたいけど、知りたくない・・・・

そんな思いが、私をここから動けなくしている。

深いため息とともに

無意識に髪をかきあげた。


そのとき

彼が、すっと窓辺から遠ざかって見えなくなった。



     あ、消えちゃった。




玄関の扉が開いて、

その人が飛び出して来た。



     もしかして

     みつかっちゃった?




あっという間にそばに来て、


「アズ・・・・」


そのまま私を抱きしめた。



「いつからここにいた。」


「・・・さっ・・き・・・」


「さっさと入って来いよ。」


「・・・はい・・・」


「なんでメールの返事をくれない。」


「ごめん・・・なさい・・・」




     責められてるのに、

     その静かで深い声に安堵していく。
    



「心配したんだ。」


「・・・・・ごめん・・」





「おかえり」


「・・・ただいま・・」



思わず背中に腕をまわしてしがみついた。

大きくて温かい胸。




「・・・・・」


「・・・・・」




「今日は、ごめんな。」


「・・・・ううん・・・」




「寒くなかったか。」


「ん・・・」





胸にもたれたまま

子どものように返事をしていた。





トッテモイケナイコトも・・・

ツミホロボシも・・・

彼の人生に影を落としているかもしれない自分の存在も、

一瞬、もうなにもわからないままでいいような、

そんな気持ちになる。



なにも知らないままでいいから、

ただこの大きな胸に、

自分の全部を委ねて脱力してしまいたくなる。




なんでだか、この人に包まれるといつもそうなんだ。



このぬくもりの中で、

全部忘れて眠りたい・・・

そう思ってしまう。




「アズ、うちに入ろう。」


「ん・・・」



また子どものように答えていた。










   ーーーーーー










窓を開けてベランダに出る。

その人の部屋は角部屋で、小さなベランダがついていた。

そこに天体望遠鏡を出して準備をする。




「ココア作ってくるから、その間にアズが準備な。」




当たり前のようにその人が言った。

9才の私との間で、いつもそんな会話がされたんだろうか。


セッティングを任されてしまい、とまどっているのに自然に手が動く。

気づくと、ファインダーを覗きながら、微動ネジを弄っていた。



細かくネジを調節しながら天体を視野の中にいれる。



     私、知ってたんだ・・・




そうだった。

テキパキ動いて準備できる自分が不思議だけど、

それは同時に、自分の中に大きな記憶の欠落があることを

リアルに感じさせることでもあった。




ブルッと身震いをした。

空が晴れているからよけいに

今夜はどんどん冷えてくるはずだった。




「寒くなるからな、風呂上がりはちゃんと髪乾かせよ。

外に出るんだから、厚着だぞ。」



ほんと、父親みたいなんだ。

父親がどんなだかよく知らないんだけど・・・・


すごくさりげなくて、

普通にああいうこと言っちゃう。




だんだん感じてきている。

さっき私を抱きしめたのだって、

おととい会ったばかりのハタチの女の子には

普通、しないよ。



きっと彼にとっての私は、今も9才なんだ。

心配のしかたも、声のかけ方も。


見た目がハタチでも、

彼のフィルターを通すと私は今も、9才なんだ。




そんなことをぼーっと考えながらもう一度身震いしたら

「コラッ!」って後ろで聞こえてまたビクッとした。



その人がココアのトレイを小さなテーブルに置き、

慌てて自分のジャケットを取ってきた。


「今夜は寒くなるって言ったろ。」


そう言いながら大きなジャケットで私を包み込む。


「ほら、ちゃんと袖通して。」


言われるままに応じてる私も、やっぱりほんとに9才だ。



あぁ~、この匂い・・・・

無意識に、息を深く吸い込んでしまって慌てた。

気づかれなかっただろうか。


このジャケットを着ていられるなら、

夜も安心して眠れるかもしれない。

そう思えるほど、

その匂いにつつまれることはシアワセだった。





「調整、終わったのか?」


「はい。」


「・・・・・」



ふっと息をもらしながら、

その人が薄くわらった。



「アズ」


「はい。」


「・・・いや・・なんでもない。」


「え?なんですか?」


「いや、うまく言えないからやめる。」


「そんな・・・・

言ってください。」


「・・・・」


「なんですか?」


「ふふ・・・・アズはこういう時いつも敬語だなと思って。」


「え?・・・・」


「それだけだ。

ココアが冷める。」



大きな手で差し出されたマグカップを受け取りながら、

どうリアクションすればいいかわからない。


「すみません。」


「はは・・・なんで謝る。」


「・・・・・」


「僕はアズのペースに合わせるから。」


「・・・はい・・・」


「・・・・・」



二人、夜のベランダでココアをすする。



「もう冷めてきちゃったな。」


「いえ、温かいです・・・」


「アズ。」


「はい。」


「今日はほんとに悪かった。」


「いえ。」


「サナは、父の友達の娘で、

僕が韓国に行った時、ちょうど彼女もあっちに留学したところだった。

それで母がなにかと面倒を見たんだ。

うちには女の子がいないから、母はとても可愛いがって、

二人は今も仲がいいんだ。

サナは今、通訳としてあっちで働いてる。」


「・・・・・」



私と入れ違いに出会ったってことだね。

あんなにきれいな人、やっぱりお似合いだと思う。

なんだろう、胸が苦しい。





「親同士が、サナと僕を一緒にしようと勝手に話していて。

僕は、その気がないことはずっと伝えていたんだ。

でも、サナはそうじゃなかったみたいで・・・」


「・・・はい・・・」


「アズ・・・」


「はい。」


「サナが、いろいろひどいこと言って悪かった。

激しいところはあるが、もとは、優しい子なんだ。」


「私は別に・・・・」


「ちゃんと話をしたから。

もうここには来ない。」


「・・でも・・・」


「ん?・・・」


「好きなんでしょ。あなたのことを。」


「・・・・あぁ。

でも、サナの気持ちには応えられない。」


「・・・なんで?・・・」


「なんでって・・・

彼女を女性として意識したことはないからだ。」


「・・・・・」



私は正直すぎる。

今、安堵して顔が一瞬ゆるんでしまったのを見られただろうか。

慌ててうつむいた。


ぎゅっと握りしめたままのマグ。

ココアがどんどん冷めてしまう。







「アズ。」


「はい。」


「この話はこれで終わりにしていいか。」


「え?」


「これからは僕らの話をしよう。」


「・・・・・」


「僕らの話、していいか。」


「・・・はい・・・」



     
     僕らの話・・・

     私たちの話・・・

     今からはじまるんだ。


     トッテモイケナイコトも

     ツミホロボシも
            
     
     ここで、私は今から知るんだ。

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