Lusieta

 

ジムノペディーⅠ 第9章

 

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いよいよ“僕らの話”が始まる。

「今日、ぜんぶですか?」


「いや、無理はしないで行こう。

アズのペースで。

アズが苦しくないことが、

一番大事なんだ。

今日はあんなことがあったしな。

でも、どうしても全部知りたいってアズが言うなら・・・

うーん・・・」



     トッテモイケナイコト・・・・



「私、多分まだ無理だと思います。」


「・・・そうか・・・」



     結論より先に、もっと・・・



     
「最後に何があったかより、

私が思い出しかけてることが何なのか、

教えてほしいです。

あなたと私がどんなふうにここで暮らしてたのか。」



「何か思い出しかけてるのか?」


「はい。」



「・・・・話せるか?・・・」


「はい。」




     お互いの目を見合っていた。

     そうしてお互いに心の準備をしていた。


     緊張が高まる。




「春の大三角を教えてくれたのは、あなたですか?」     


「あぁ、そうだ。」


「ここで?」


「あぁ。」




完全に冷えてしまったマグを、

さらに強く握りしめていた。




「スピカのもうひとつの名前は?」


「真珠星。」




「じゃあ、それをあなたが教えてくれたとき、

私は・・・」


「アズは、“ママのネックレスのあれ”って訊いた。」




「・・・・・・」


「・・・・・・」




「このベランダで?」


「あぁ。」




その人は今きっと、ずっと昔のことを思い出してる。

9才の私、いや、もっとちいさな私?




「私と連弾したことがありますか?」


「あぁ。」




「それは何の曲?」


「いろいろあるけど、アズはメヌエットが一番すきだった。」




「・・・・・・」


「思い出したのか。」



黙って頷いた。




「私はいつもどっちの手?」


「右手。」




「よく交代交代って、私が言ってた?」


「あぁ、僕がいたずらしてわざと先に右手を弾くから。」




「・・・ふふ・・・」




私が笑うと、その人の頬がふわっとゆるんだ。

はぁーと息を吐いて、白い歯が見えた。


お互いにじっと見つめあったまま

こんなに緊張して言葉を交わしてたって、

あらためて気づく。




「もう冷めちゃったな。」




そう言って、指が白くなるほど握っていた私のマグを

そっと手からはずして、テーブルに置いた。




「寒くなった、もう中に入ろう。」


「寒くない。」


「ん?・・・」


「もう少しここにいたい。」





     もう少し・・・

     このジャケットに包まれていたい





「そうか。」



その人が、部屋から小振りな毛布を取ってきて、

私の胸元から足までをくるむようにかけた。



イスを引き寄せて私のそばに座り、もう一度訊いた。


「寒くないか。」


「はい。」


私の顔をのぞき込み、

その人がまた頬をゆるませてふっと笑った。



「なんですか?」


「あの頃のアズになったり、ハタチのアズになったりする。」


「え?・・・」


「敬語じゃなくなると、僕は嬉しい。」


「・・・・・」


私の目をしっかり見て言った。


「でも、無理しなくていいからな。」


「はい。」





「ジムノペディーを、ママそっくりに弾けるのはなんで?」

     
「途中から、僕が替わりに弾いていた。」



「なんで?」


「君のお母さんは・・・

病気で弾けなくなった。」



「・・・・」


「・・・・」




「ママは何の病気だったの?」



その人が、静かに長い病名を言った。




まどかさんは教えてくれなかった。


「ママはね、みんなよりちょっと早くに

人間の世界のお勉強が終わったの。

だから次の所へ行くことになったの。

パパもそうよ。

今頃あっちでラブラブよー。」



まどかさんがあんまりうれしそうに言うから、

それ以上訊いてはいけないんだと思っていた。

そう信じることにした。

そしてそのまま今日まできてしまっていた。



ほんとのことを知ると、

こんなにあっけないものなんだな。







「あなたのジムノペディーで、私は眠った?」


「あぁ。」




「すぐに?」


「あぁ。」




「私って、単純ですね。」


「・・・え?・・」




「いや、上手なんですね。

私ってば簡単に騙された?」


「・・・・・」



その人が、心配そうに私を見つめる。




「ママは、病院のベッドで・・・

何か叫んでた?」



「アズ?・・・」




「大きな声で・・・・」


「・・・・」



急になにか、ぐるぐるとよくわからない映像が

頭のなかにうずまいた。




「そして、あなたにしがみついて・・・」




急にノドが詰まって声がかすれた。

ジャケットの襟を握りしめて・・・


さっきから息を吸ってばかりの気がした。

肩のあたりがガチガチになってるかも。


口を開けたまま、うまく閉まらないような気がして、

全身がガタガタ震えてきた。




その人が私の前に膝をつき、両肩をギュッと抱いた。



「アズ、今日はもうやめよう。

中に入ろう。なっ・・・」



「よくわかんない。

わかんないよ・・・・

なんでママはそんなふうにしてたの?

ママは・・・とっても痛かったの?

痛くて痛くて・・・・

泣いて、ちゅうにいちゃんに・・・・

あ・・・う・・・・」




「アズ、今日はもういい。

続きは今度だ。」




私はガタガタ震えたまま抱きかかえられて、

その人のベッドに座らされた。

彼が窓を閉め、急いで私を毛布でくるみ、

そのまま抱きしめた。



「アズ、ごめん。

無理させたな。」



     違う・・・

     私が自分で・・・




「あ・・・あ・・」


     
     声が出ない・・・



「ごめん・・・アズ・・」





     苦しいね。

     苦しいね、ちゅうにいちゃん。


     思い出すって・・・

     苦しいね・・・





ぎゅっと私を抱きしめたまま、

その人の頬に涙が伝うのを見た。
     

震える手で、その涙を拭いた。


「アズ・・・・」


そのまま私の頭を胸に抱え込んだ。

その人の頬が私の髪に押し当てられて

私はその人の匂いを深く吸い込む。




そっと髪をなでられて、





     “よしよし・・・

      アズ・・・

      だいじょうぶ、だいじょうぶだよ・・・

      ママはきっとよくなる。

      アズのところに帰ってくるよ。

      だいじょうぶ・・・

      だいじょうぶ・・・

      だいじょうぶ・・・”
     









    ーーーーーーーー









目が覚めると、薄暗がりの中に、

見慣れない景色があった。


頭をぐるぐると回転させて・・・

事態を把握しなきゃ。

これはどういうことだっけ?



     あ!・・・




私はベッドの上にいて、

すぐ下の床に、その人が丸まって眠っている。



     そうだった。



私は彼に髪をなでられたまま眠ってしまったんだ。



その人は、私が借りていたジャケットをかぶって、

寒そうに小さくなってる。



そっとそっと、起こさないように

私が借りていた毛布をかける。




     私は・・・

     どうしたらいい?・・・




床に降りて、彼のそばに座った。

今ひとりになったら、

またあの記憶の断片が

ゆがんだ映像になって

バラバラと降って来そうで怖い。



     ここにいたい。



寝顔をまじまじと見る。

こんなにじっと見たことなかった。



     まつ毛、長いね。

     鼻が高くて、ちょっと気取ってる?


     眠る顔も・・・

     優しいんだね。



目の前で眠る人に、ほんとは目を覚ましてほしい。

でも、だめだ。



     長い一日だったよね。

     疲れてるよね。

     








     “ちゅうにいちゃん・・・”


     “おぉ・・・アズ・・・

      どした?”


     “眠れないよ”

  
     “また眠れないのか”


     “ここで寝ていい?”


     “おぉ、枕持ってきたか?”


     “うん”






     私はきっと、

     この人の胸に潜り込んだ途端に

     安心して眠ったんだろうな。


     この人の胸は広くて温かくて、

     3年連続“前から2番目”のちいさな私は、

     その胸にすっぽり包まれて気持ちよく眠ったんだろうな。

     そんなにすてきなことを忘れちゃうなんてな。

     ちゃんと覚えていたかったな。   
 

     その頃のちいさな私が、

     いま心からうらやましいよ。



     ハタチになってしまった私は、

     もうこの胸に潜り込めないね。

    

     だめ・・・だよね、やっぱり。






そっと立ち上がり、

部屋を出ていった。




リビングはひんやりと寒くて、

いつもよりよそよそしく見える。




思い出すことがこんなに苦しくて怖いことだって、

今日知ってしまった。



今は眠ることも、起きていることも・・・

どちらも怖くてしかたがない。



その人のところへ戻れたら、

あの胸に潜り込めたら。

どんな夢を見ても怖くないような気がする。




     でもだめだ。

     そんなこと・・・



さっきからぐるぐると堂々巡り。




疲れた・・・・

今すぐ眠りたいのに・・・

怖い夢を見ないで、今すぐ・・・

でも、絶対にあの映像たちが降ってくる。

そう思っただけで、からだが震える。








     あ・・・そうだ・・・


     あれがあるじゃない。




     夢を見ないですぐに眠れる。






引き出しを開けて薬を取り出した。





     “テレビを消して、部屋を暗くしても大丈夫。

      薬も、きっといらなくなる

      なっ、アズ・・・”



    
     ごめん。

     今日だけです。







冷蔵庫からミネラルウォーターを出してグラスに注ぐ。

プチッとシールを壊して錠剤を出す。


口に含もうとした瞬間だった。





「飲むな!!!」





グラスがすとんと手から落ちて

コロコロと床を転がった。

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