Lusieta

 

ジムノペディーⅠ 第15章

 

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件名 : ホ・ジュオン様へ


送信 : 高梨アズミ





ついにこの日が来てしまいました。あっという間でした。

この一週間のこと、謝ります。

あんなにえらそうなこと言っておきながら、

私、やっぱり変でしたね。

一日一日が大事だったのに、

いつも通りにしていられなくてすみません。

がんばろうとしましたが、きっとバレバレでしたね。


情けないです。


会いたくなかったのではありません。。

ほんとは一緒にいたかったし、もっと話もしたかったです。

でも、やっぱりあんなふうになんとなく避けてしまいました。

ごめんなさい。


はい、正直に言います。

頑張れたのは最初の夜だけです。

ちゅうにいちゃんが行っちゃうことが悲しくて、

泣いてしまいそうで、一緒にいられませんでした。

また9才のアズに戻ってしまったようです。


なので、今日はお見送りできません。



でも、明日からはしっかりします。

こないだ話したみたいに、ちゃんと食べてちゃんと寝て、

頑張って暮らします。


こんなにダメなのは今日までです。

ほんとです。

だから心配しないでください。


それでは行ってらっしゃい!!

研究、頑張ってくださいヽ(〃∇〃)ノ

私は、草むしりがんばりますから(^^;)


元気でね!


今日までの1年間の・・・

いえ、私が生まれてから今日までずっとですね。

ずっと私を大事に思ってくれていたこと

たくさんの優しさで包んでくれたこと、忘れません。


21年間の感謝をこめて、


ちゅうにいちゃん、ありがとう。
 
         
           高梨アズミより








     ーーーーーーーーーーーーーー










あの夜・・・


「あぁ、そうなんだ。」

って答えた。



びっくりしなかった。



彼があらたまった話をするとしたら、

もうそれしかないよねって感じだったから。



その時、私は落ち着いていた。


うちの大学を正式に辞めると言われても・・・

一週間後に出発だと聞いてさえ・・・


落ち着いていたんだ。

その時は。




でも、「キスして。」なんて言ってしまった自己嫌悪のこと

すっかり頭から飛んじゃったってことは・・・・


やっぱり動揺してたんだと思う。










     ・・・・・・









「ほんとに、急で、すまん。」



     久しぶりだな。
    
     真正面からこんなふうにじっと見るの、


     相変わらず、きれいな人だね、あなたって。

     その深いまなざしの中に、私が映ってる?

     こんな人と一つ屋根の下で1年暮らしたんだ。

     なんだかひとごとみたいに感心してしまうよ。




「怒ったか・・・」



     
     でもさ・・・・

     なんて言ったらいいのかな。

     昨日からのあなたの、変な感じの原因はこれ?


     シュウくんの告白じゃなくて?

     
     ちょっと期待したんだけど・・・・

   


「アズ・・・・」



     やっぱり私のボーイフレンド出現くらいで、

     動揺なんかしないか・・・


     しないよな。


     まあいいけど。




「アズ・・・・

なにか言ってくれ。」



     あなたの顔、今の顔・・・・

     1年前の『ポトフ』の時を思い出す。

     苦しそうにじっと私を見た、あの時・・・

     苦しそうだったけど、絶対に目をそらさなかった。

     今日もだね。


     そんなにじっと見ないで。

     苦しくなるよ。



     大丈夫だよ。

     私はもうあの時のアズじゃない。

  
     だから、今日までの感謝をこめて、

     ちゃんと送り出さなきゃだ・・・・




 
「アズ・・・・」



「ぴったし1年だったね。」
     


「・・あ・・・あぁ。」



「よかったね。おめでとう。

あっちにやりかけの研究があるんでしょ。

助教授のいすも待ってるしね。」



「アズ、ちゃんと話すよ。」



「いいよ。もうちゃんと聞いたよ。

いくら詳しく聞いても、

あっちへ行っちゃう事実は変わらないもん。」



「・・・・・」



「ダイジョブだよ、私。

もう1年たったんだよ。

去年のままじゃないから、心配しないで。

私だってちょっとは成長したんだよ。

ひとりになっても、ちゃんと食べて、

ちゃんと自分の部屋のベッドで寝ます。」



     
     ねぇ・・・・

     今の私の、

     これが精一杯の笑顔だと思うんだけど、

     
     どう?

     イケテル?




「アズ・・・・

こんなに急ですまん。

誕生日も、帰ってこれないかもしれない。」



「なに言ってんの?

帰んなくていいよ、もちろん。

新学期始まるじゃん。

もうずっと無理でしょ。」




うっかりすると涙がにじむ。

絶対ここで泣いたりしない。

1年前の弱っちい私じゃないんだ。


膝に置いたバスタオルの下で、

ギュッと両手を握りしめる。




「そうだなぁ~。

じゃあ先にポトフのマスターにお金払っといてくれる?

ディナーコース+バースデーケーキ+シャンパンってことで。

ノッコと一緒に食べまくるから。」



「あぁ。わかった。」





     あ・・・・

     ほんとに帰ってこないつもりなんだ・・・





「ほんとに忘れないでよね。

私、財布持っていかないからね。

払えって言われたら、走って逃げるから。」



「あぁ。」




     ちょっとだけ笑ったね。


こんな苦しそうな笑顔も1年ぶりってことは、


     あれからずっと、楽しいことばかりだったってこと。






「一週間で引き継ぎとか片づけとかするの大変だね。」



「1年分だからな。大した荷物もない。」



「1年、たったね。」



「あぁ。」



「アズのためだけに帰ってきてくれたんでしょ。」



「いや、そうじゃない。」



「そうだよ。」



「アズ、ほんとに・・・・」



すぐに遮った。



「ありがとね。

とってもとっても感謝してる。

私、いろんなこと、思い出せてよかったって、ほんとに思ってる。

ちゅうにいちゃんのことも、ママのことも、

その時の寂しさとか悲しさとか、そういうのもちゃんと思い出せて

すっごくよかったと思ってる。

ちゅうにいちゃんのおかげです。」



その人が唐突に立ち上がり、ピアノの方へ行ってしまった。



私に背を向けて、ピアノの蓋に両手を置いて、

立ったまま動かない。




「ずるいな、ちゅうにいちゃん。

アズはちゃんと泣かずに話したのに。」



「・・・・・・」



「私、思い出した。

ちゅうにいちゃんって、すごく泣き虫だったよね。

ドラマとか見てもすぐ泣くし、

私に本読んでくれててもさ、

クライマックスになると、自分が泣いちゃって読めないんだよね。

私がかわりに読んであげたでしょ。」



「・・・・・・」



うんうんって頷いた。

あっちをむいたまま。



「しょうがないな~。うふふ・・・・

カッコワル~イ!」





そう言いながら、私も立ち上がり、


後ろからそっと、


くっついてみた。
     
     



その人が大きく息を吸って吐いた。

それに合わせて背中が揺れた。



右腕がぐ~っと回ってきて頭を抱えられ、

振り返った大きな胸に埋められた。



こんなふうにギュッと抱きしめられる感覚も、

とても久しぶりだ。




     あぁ・・・

     この匂い・・・
     

     勝手に涙が出ちゃうけど、許してよね。

     悲しいとか寂しいだけじゃない涙だって知らせたい。

     
     でも、もうしゃべれないな。




     あは・・・


     あなたもだね。

     もうしゃべれない・・・







どれほどの時間そうしてたんだろう。


彼はピアノにもたれ、私は彼の胸にもたれていた。



私の頭を抱え込んで、そっと髪をなでるその感覚・・・

1年前に、そうやって私を眠らせてくれた。


懐かしさと苦しさが入り交じって、

「やっぱり行かないで!」って叫びそうになる。


この温もりを失うって、どういうことだろう。

この家からこの人の姿が消えてしまうって・・・・




とてつもない喪失の予感に、

しがみついた腕に力をこめた。



物わかりのいいアズを演じ始めてしまった私は

これからどうやってこの1週間を過ごすのだろう。







私を胸に抱いたまま。

唐突にその人が言った。



「草むしり、よろしくな。」



     首筋にあなたの息がかかる。

     

「ふふ・・・、わかってるよ。まかしといて。」



     胸に顔を埋めたまま、

     うらはらな言葉を吐く。





「う~ん、不安だ。」



「なんで?」



「この1年、いつも僕が誘って、アズはしぶしぶってふうだった。

自分から積極的にするとは思えない。」



「だって雑草さんもがんばって生きてるし・・・」    



「そう言うと思った。アズは多分やらないな。」



「じゃあ草むしりしに帰ってきて。」



「・・・あぁ。

それはいいな。そうしよう。」



「・・・・・」



「・・・・・」











     ・・・・・・・・・






    




次の日、まどかさんから電話があった。


彼は教授との食事で遅かった。





“アズミちゃんは大丈夫?”



「なにが?」



“なにがって・・・”



「ひとりになることなら、全然大丈夫。

私、もう1年前と違うんだから。」



“そう?”



「もう・・・。

前にも言ったでしょ。平気だよ。」



“あのね、来月少しだけ帰るわ。”



「え? なんで?」



“お友達が入院してね、お見舞いに。”



「お友達って誰?」



“あ・・・えっと・・・

アズミちゃんの知らない人なんだけどね。

お世話になった方なの。

あ・・・、新しい企画の打ち合わせもあるの。”



「なんて本?」


“え? なんだっけ・・・婦人○論だったかな?”



「ふふ。ウソでしょ。

私の様子が心配で帰ってくるんでしょ。

ちゅうにいちゃんは、まどかさんに何て言ったの?」



“えっ? そんなんじゃないわよ。

ジュオンは何も言ってないし。

あっちの大学に戻ることになったって、それだけよ。”



「ふ~ん、そうなんだ。

ふふ・・・、でもいいや。

まどかさん、ありがとう。心配かけてごめんね。

ほんとに大丈夫だから、帰ってこなくていいからね。

うん、帰ってこないで。」




“アズミちゃん、ほんとなのよ。

ジュオンはなんにも言ってないわ。

それにね、あなたは私のかわいい孫よ。

普通に孫が心配で、顔を見たくて帰るだけよ。

いいでしょ。”



「・・・・ダメなの・・・・」



     少し口調が荒くなってしまった。




“どうして?”



「・・・泣いちゃうもん・・・」



“え?・・・”



「・・・泣いちゃうから、帰ってこないで・・・」



“アズミちゃん・・・”




     いきなり涙がこぼれ落ちたと思うと、

     止まらなくなってしまった。


     頑張ろうって決めて、

     泣かないで今日の昼間をすごしたのに。



     まどかさんのせいだ・・・





“アズミちゃん・・・”



「私ね、強くなりたい。

まどかさん、

私、もうすぐ21だよ・・・

ママもまどかさんも、もうお母さんになってた年だよ。

なんで私だけいつまでもこんななんだろうね・・・」




     掌で乱暴に涙をぬぐいながら言った。




“あなたは充分強いわ。

がんばってるわ。

そんなに頑張らなくてもいいって思うくらいよ。”



「ダメだよ。

弱すぎる!」



“あらあら・・・”




     涙がとまらない。 




「まどかさん、

ちゅうにいちゃんが行っちゃうよ・・・、

どうしよう・・・なんちゃって~~」




     ちゃかしてみるけど・・・

     100%本音だ。




“そうよね、アズミちゃん。

また行っちゃうなんてね。


ほんとにあなたたちはこの1年、

二人で大切に日々を過ごしてきたものね。


過去への旅も、二人だけでちゃんとクリアしたわ。

私の出る幕は全然なかったわね。

これでも、その気満々で待機してたのよ。”



「あ・・・そうだったね。

ふふ・・・ごめんね。出番がなくて。」




     鼻をすすりながら笑った。




“あなたがジュオンのこと「ちゅうにいちゃん」って呼んで

二人が笑い合っているのを見て、

私がどんなにうれしかったか、

どんな言葉を使っても表現できないわ。”



「物書きのくせに?」



“そうね、物書き失格。”



「ふふ・・・・」



“アズミちゃん”



「ん?・・・」



“ごめんね、今、そばにいなくて。”







     どうしたんだろう。

     まどかさんまで泣いてる。


     こういうとき、ちょっと冷たいよと思うくらい

     前向きなことしか言わない人なのに。



     年とっちゃったのかな・・・


     こういう展開・・・

     困るなぁ・・・





「まどかさん、

もっとキツイこといってくれなきゃダメだよ。

なんだよ、いきなり普通のおばあちゃんみたいなこと言っちゃって。

いつもと違うよ。」



“え?・・・”




     また鼻をすすって咳払いして、

     一気に勢いをつけて言ってみた。





「あらぁ~韓国なんてすぐそこよ~!あっという間に行けちゃうわ!

ここは泣く場面じゃないわね。

やったぁ~って喜ぶ場面ね。

家族が外国にいるってことは遊びに行けるってことよね~。

わぁ、楽しいじゃないの。

わくわくするわね、アズミちゃん!!

・・・って、

そう言ってよ。」




“あら・・・・うふふ。

そうね。そうよね・・・

アズミちゃん、私のまね、上手だわ。”





     そう言いながら泣いてる。





「なんでまどかさんが泣くの?

ふふ・・・まいっちゃうな。

これじゃあ、ただのおばあちゃんだってば。」




“だからね、アズミちゃん。

私はただのおばあちゃんよ。

孫が可愛くて心配で、いてもたってもいられない

ただのおばあちゃんなのよ。”




     まどかさん・・・





「う・・・うぇ・・・えっ・・・

切るね・・・・またかける・・・

ありがとう・・・電話・・・くれて・・・

また・・・かけるから・・・・」





     一方的に切っちゃった。

     
     まいったな。


     人生最大の大泣きだ・・・


いや違う、人生二番目の大泣き?


     泣きながら


     でも、がんばるぞ!って思ってもいるんだけど・・・








クッションを抱えてソファにまるまっていた。


しつこくこぼれる涙をクッションでぬぐいながら。







タクシーが停まる音がした。




帰ってきたんだ。



こんなに早く・・・



     
     どうする? この顔・・・






大あわてで部屋へ急ぐ。

こんなに無様で、情けないアズ。

昨日の決意なんて、脆いものだ。


   


階段を上り切るかどうかのところで、玄関ドアが開く気配がした。

間に合っただろうか。



「ただいま」という声を聞きながら、

音をさせないようにそっと部屋のドアを開けて・・・



閉めた。

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