Lusieta

 

この場所から ~ふたたびの陽射し Ⅰ章 2~

 

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ものすごく後悔してる。
この話、ふるんじゃなかった。

自分がこんなにも“まだ”だったなんて知らなかった。

こんなにも過去にフタをして暮らしてたんだ。

いつも、ほんの一瞬、
気合いを入れて「うっしゃー!!」と心の中で叫んだら
やり過ごすことができていた。
ここ何年もそうしてきたのに。

フタを開けてしまった。

そして・・・・この話、終わらせたいのに・・・終わらないでほしい・・・・

彼がうれしそうに話し続ける。
やっと仕事以外の話題がみつかって
がんばって話そうとしてるのかな。
私はなにも応えず、ただうなずきながら彼の話を聞いていた。


「同好会サークルでしたが、国立競技場で試合したことあるんですよ。
 嬉しかったです。
 いや、同好会サークルだったからたまたま決勝戦まで行けて、 あそこで試合できたんですが。」

    ・・・・ん?・・どこのサークル?・・・・

「ぼくたちの試合のあと、大学のほんとの体育会のチームの決勝戦が始まるんです。
 あたりまえだけど、全然僕たちとレベルが違います。有名だし、テレビの中継も入ります。

 だから、僕たちの試合が終わる頃からどんどんお客さんが入ってくるんですね。
 僕たちは前座のような感じでした。」

    ・・・・そう、そうだった。前座って、ピッタリな言葉。よくそんな言葉知ってるね。・・・

「あっ、こんなこと、もしかしてぜんぶ知ってますか?」

    ・・・・うん、ぜんぶ知ってる・・・・

彼はもう私の異変に気づいてるみたい。
話を続けようか止めようか・・・迷ってるでしょ。
ごめんね。顔を上げて応えられないのに、
もっと話してほしい、続けてほしいって、私の奥の、もっと奥の私が言ってる。

「関西の花園競技場にも行きました。行ったことありますか?」

    ・・・・もちろんあるよ。・・・・

「花園に行ったときには帰りにコリアンタウンに寄って
 韓国料理をお腹いっぱい食べました。」

     ・・・・そうそう、おいしいんだよね・・・・

「このリュックは菅平で買ったんです。合宿のあいだに。
 アヤノさんは菅平、行ったこと・・・・

 あの・・・大丈夫ですか?・・・・
 アヤノさん! どうしたんですか?」

     ・・・・はっきり気づかれちゃった・・・はなし、終わっちゃう・・・・


私、いつのまにかすごく泣いてた。
自分の両腕をしっかり抱いて
ただうつむいたまま、涙がほろほろとこぼれてシャツの袖に落ちた。

悲しいんじゃなかった。
ただ、懐かしくて・・・
恋しかった。   恋しかった・・・。
  ・・・・・恋しかった。

あの頃の全部が恋しかった。

   グラウンドから見る夕日
   汗くさいサークルのボックス  泥だらけのユニホーム
   菅平の星空

   キャンパスの緑   食堂の喧噪 

  飲み会  大騒ぎ  徹夜
  おんぼろなカイの下宿 
   
            ・・・・・・カイ・・・



突然目の前が暗くなり
やわらかなハンカチが、目に押しあてられた。

同時にそっと私の後頭部に手が添えられた。

「ありがと・・・」

そう言いながら自分の手でそのハンカチを抑えようとして
一瞬、彼の手と重なった。

彼は両方の手を引っ込めた。

「僕の話、いけなかったですか? ほんとにすみません」

 ・・・違う、違うよ
『うぉっしゃー』とお腹に力を込めて笑顔を作る・・・


「ちがうの、ちがうんです・・・全然いけなくないよ。
私がいろいろ思い出しちゃって、懐かしくて、つい・・

私の青春の思い出がね、ドバーッとよみがえっちゃったもんだから。
えへへ・・・ごめんね。すみません、ほんとに。

ほんとはもっと聞きたいくらいなのよ、ほんとよ・・・
そしたらきっともっと盛大に泣くと思うけどね、ふふっ・・」


あせってタメ口と敬語がごちゃ混ぜ状態だ。


ちゃんと彼の顔を見て笑ってみせる。
彼は少し安心した様子だけど、まだ心配顔。

そりゃそうだ。へんな女だと思っただろうな。
急に警戒したかなぁ。
『ヤバイな』って。


トイレに立つ。

手洗いコーナーで鏡を見ると、ホントにぐちゃぐちゃな顔。
こんなひどい顔で、至近距離でむりやり作った笑顔見せられたら
彼、やっぱり引いただろうなぁ。
へこむわ。

豪快に鼻をかんでから、ざっとメイクを直す。
依然としてひどい顔だけど

鏡に向かって両手の拳を揚げて、また『うぉっしゃー』と言ってしまう。
こんな事態は初めてなので、これ以上自分が崩れないように
今日は細心の注意を払って過ごさなければ。


胸の中に突然わき起こったものたち・・・
夕日も、ユニホームも、星空も、
おんぼろ下宿も・・・・カイも・・・

全部また元の場所に閉じこめて、ちゃんとフタをしよう。
鍵をかけよう。

客車に戻る手前でまた小さく『うぉっしゃー』・・・・・


     * * * * * * * * 


手洗いコーナーで気合いを入れ直したけど

席に戻ったときのテヤンの笑顔や
「はい!どうぞ」と手渡してくれるチョコや
写真の専門学校(大学の話は避けたのね)の時のおもしろ話いっぱいで・・・

私の中の“頑張ろうモード”が溶かされて、すこしずつ楽な気持ちになっていくのがわかった。
自分のドジ話を一生懸命してくれて・・・
気をつかってるんだろうな。
テヤン、いいヤツ丸出しだよ、ほんと。


それにしても彼ってば、かなりのドジだ。
一番すごかったのは、「春はあけぼの・・・・」の話


大学で日本文学専攻だったテヤン
清少納言に入れ込んだ。
そこで、写真学校では1年間かけて完成させる課題に取り組んだ時、
好きな枕草子のイメージを
人の息づかいを感じる街の中の写真で表現していこうと考えたらしい。

「いきなり『春はあけぼの』でやっちゃったんです」

「何を?」

「すごいこと」

「だから何を?」

「レスキューが来ちゃったんです」

「・・・?」

「あけぼのを撮ろうと思って、日の出が見える高台の
住宅街の空き地に入りました。フェンス乗り越えて」

「すっごくいいのが撮れたんです。
ほんと、最高だったんです。
あの時の朝焼けの美しさは忘れません。」

「うん、それで、なんでレスキュー?」

「フェンスの高さは2メートル以上あったんですが、
また乗り越えて帰ろうとしたら、のぼってる途中で・・・・
ほとんど一番上だったんですが・・・・」

「ん? なに?」

「急に恥ずかしくなってきました」

「え?」

「すみません。ちょっと心の準備を・・・・
この話、人に話すの初めてなんです・・・フ――――・・・」

「えーっ! そんなにすごいこと?」

「いえ、すごいんじゃなくて、恥ずかしいことなんです。
あまりにもぶざまで・・・」

そう言ってテヤンは手で顔を覆って上を向いて
アハハッ・・・って笑う。

「あー恥ずかしい。ちょっと待って下さいね。
ほんとに心の準備しますから。」

    ・・・・・顔が赤くなってる。こんな純な人、テレビドラマ以外で初めて見ちゃった。
                                   ほんとに芝居じゃないよね・・・・


「フェンスの上の方に、ちょっと穴が開いてたんです
そこにスポッと片足が入っちゃったんです。
足首までなんだけど。
それでそのままぬけなくなって・・・・」

「・・・・・」


「初めはなんとか抜こうとしたんです。
でもね、抜こうとするとフェンスのほどけたワイヤーが
足に食い込んで血が出てきて・・・」

「痛そー!その間、逆さづり状態?」

「うーん、はじめはしがみつき状態、途中から中途半端な逆さづり
あ―――・・・」

しばしの沈黙が訪れる。


「アヤノさん、今想像したでしょ。想像しましたね!」

二人そろって「ブ――――ッ」と吹き出してしまう。

「だれか通りがからなかったの?」

「あけぼのですから」
わざと困ったように目をしょぼくれさせて口をとがらせる。

「写真の中には人が登場してるんですが。遠景で、ものすごく遠くにシルエットで」
「何の役にも立たないよ」
「はい」

私は両手を口にあて、
「かわいそうに、寂しかったでしょー」
「はい、とっても・・・」
それでまた二人でクスクス笑った。


なんだか、そこにちょうど通りがかって助けてあげたかったって
ほんとに思ってしまった。


「そこからどうやってレスキュー?」

「通りがからないでずーっと見てた人がいたんです。
近所の高校生です。
高校生と言っても、その時は学校をずっと休んでて
生活が昼夜逆転で・・・・ 

一部始終をハラハラしながら見ていたんだけど
いよいよアイツやばいぞって思ってくれたみたいです」


「ほんとにヤバくなってたの?」

「はい、もう体勢を維持するエネルギーがなくなってきてて
中途半端な逆さづりで・・・頭に血が昇ってくるし・・・
足首はワイヤーが刺さって痛いし・・・
叫びたくなってましたから」


「なんて?」

「そりゃ決まってるでしょ」

電車の中で二人同時に
「助けてくれ―――!!」と言ってしまう。
一斉に視線が集まる。

もうおかしくておかしくて・・・笑いがとまらない。
ツボにはまると、ほんと止まらない。


「その高校生がレスキューを?」

「はい、初めは『君が行って助けてあげられるのでは?』
と言われたそうなんです。

だから『あっ!気を失ったみたい。逆さ吊りになりました。
足は血だらけです!!』って」

結局サイレン鳴らしてレスキューと救急車が来ちゃって・・・・
その後の大騒ぎの顛末を聞いてお腹がよじれるほど笑った。


「その高校生とはなんか話したの?」

「ええ、あとでお礼を言いにお宅に行きました。
部屋にも上がらせてもらって『ここから見てた』って。

それでね、おどろいたことに、一眼レフの望遠で
僕を撮ってたんです。しかもすごく上手いんです。
記念にもらいました。

僕もお礼にと思って“あけぼの写真”引き伸ばして
パネルにして持って行ってたから話がはずんで・・・・・」

「そのあとその子は学校とかどうしたの?」

「もともとカメラの道に進みたい気持ちがあったみたいで
目的ができて、学校にも行って、今は僕の行ってた写真学校の後輩です。」

「ワォー!いい話じゃないの!
それじゃお互いに、恩人同士ってわけだね」

「おぉー、そうですね。
僕は前から“命の恩人”って呼んでますけどね。
向こうからは言われたことない!」

と、ちょっと口をとがらせてみせる。

「ふふっ!」


心地よかった。

大泣きしたあと笑って笑って・・・・テヤンに思い切り笑わされて・・・


テヤン、不思議な人。
私のために、わざわざこんな話をしてくれた。
あんなに恥ずかしそうに、赤くなって。

人の気持ちを和ませずにはおかないそのキャラクターは
いったいどうやって作られたの?

とぼけたイントネーション、
でも的確な言葉選びをして人をこんなに笑わせて。
日本語のレベルの高さを感じる。
きっとすっごくたくさん勉強したんだろうなぁ。

この二日間が、ちょっと楽しみになってきた。

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