Lusieta

 

この場所から ~ふたたびの陽射し Ⅱ章 1~

 

konobasyo1_title.jpg




   ・・・・・テヤン
  君に会って、私が固く固くフタをして封印していたものが
  全部外に飛び出て、ばらまかれてしまった。

  そして、それを二人で拾い集めて、
  腕の中で温めなおして、
  こんどはフタのない胸ポケットに、そっとしまったんだ。




     ・・・・・・・・・・・・




ちいさな彼女の両親は、それぞれに帰宅し、それぞれに驚き、
お互いのスケジュールの勘違いと、読みの甘さと、他力本願を
責めたり反省したりした。

彼女を1人残して出かけたママは、
当初の予定通り、15分後にはパパが帰ってくると思ってたらしい。
パパはパパで、約束の帰宅時間よりちょっと遅れても
ママが彼女を残して出かけちゃうなんて思ってもいなかった。



そうか、携帯電話が使えないからな、と思った。
きっとテヤンも同じこと、思ったと思う。
なんせ私たち、“テレパシー”だから。



私たちは連絡忘れを詫びた。
本来なら2時間眠り続けるはずだった彼女は、
私たちの「ごめんくださーい」のために30分で目覚めてしまったのだから。

とんでもないと、二人に散々感謝され、
両親以外で泣きやませた人はあなたが初めてだと言われた。
テヤンと顔を見合わせて笑った。


ちょうどおっぱいの時間。
ママは、恥ずかしげもなくみんなの前で彼女に乳を含ませる。

授乳の姿はまぶしかった。こんなに神々しいものだったんだね。
彼女をみつめて「ゆいちゃん、ごめんね。」とママが言った。


      ・・・・そうか、ゆいちゃんっていうんだ・・・・

テヤンが、気遣うまなざしでちらちら私を見てるのがわかる。


      ・・・・大丈夫だよ。テヤン・・・・



「ゆいちゃんっていうんですか。ステキな名前ね。」

「ありがとう。唯一の唯です。」

「ステキ」



今日の客は私たちだけで、オーナー夫婦ものんびりしていた。
インタビューのはずが、話はあちこちに飛び、
しかもその話がいちいちとてもおもしろくて、4人で盛り上がった。


こんなふうに話が盛り上がった時は、後で記事にまとめるのは楽しい作業になる。
相手に好意を感じて、この場所を気に入って、
読者に知ってほしいと素直に思える、
そんな取材対象に出逢えた興奮があった。


テヤンは話に加わりながらも、自由に写真を撮っていた。
つい何度も唯ちゃんにカメラを向けてしまうのがおかしかった。


話は尽きないけど、夕食の準備がある。
その間、私たちは夕暮れの景色を求めて外に出ることにした。


「今日みたいな日は夕焼けがきれいだよ。運がよかったね。」

オーナーの声に送り出され、一番いい撮影スポットを探して棚田を下りていく。

棚田の段差、テヤンが先に下りて、手を取って下ろしてくれる。


今日、何度も何度も握った手。
何度も私の涙を拭ってくれた手。
ついさっきまで私を抱きしめていてくれた手。


第三者が登場して一旦お仕事モードになると、
また二人きりになったとき、なんとも気恥ずかしいような
ぎこちない空気が流れるもんだね。


     ・・・・・テヤン、さっきの授乳を見て、
             まだ私のこと気遣ってるでしょ・・・・


「唯ちゃんって、いい名前だよね」

「えっ?」

「いい名前だね」
振り返って笑顔で言った。

テヤンも笑って応えた。
「ホントですね。唯ちゃん、いい名前だ。」


「テヤン、夕暮れの美しさはほんの一瞬。がんばろう。」

「はい! じゃあ・・・アヤノさん、そこのあぜ道を歩いてください。」

「えーーっ!」

「これが最後のステージです。がんばろう。」

「はい・・・・」




                 秋は、夕暮れ
                 夕日のさして、山の端いと近うなりたるに、
                 烏の、寝どころへ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど、
                 飛び急ぐさへ、あはれなり。
   
                                「枕草子 第一段」より





     ・・・・・・・・・・・・・・・





翌日、朝食のあと、早めに宿を出た。
最後に唯ちゃんを抱っこさせてもらった。

テヤンがのぞき込んで、
「唯ちゃん、またね!」って言うと、
彼女が笑った。
ぽわんと、花のように笑った。

私の頬にまたぽろんと一滴落ちて、
テヤンがまたそっとすくい取った。




      ・・・・・・・・・・・・・・




帰りの電車は、途中の乗換え駅でテヤンと別れることになってる。
私はもう一件、取材の打ち合わせに向かうために別の電車に乗るから。

今、電車の中で、お互いなんとなくぎこちなく過ごしてることが
心残りで寂しい。

昨日、あまりにもドラマチックな時間を共有し、
それに、何よりも大きな事実を二人で確かめ合ってしまった。

テヤン、君と私が、遠い日に肌を合わせたという事実。
そして、その時のことを二人がリアルに思い出せてしまうってこと。

でも、それは今のものじゃない。

昨日あんなふうに抱きしめて寄り添い、見つめ合い、
心を通わせたという実感が、確かにあったけど、

でも、それは男と女のものじゃない。
たぶん。
もっと違う何か。



私がテヤンに感じたものはなんだろう。
感謝 信頼 共感 ・・・・

男と女の間に芽生えるものはまだ、ないと思う。

“まだ”・・・そんなふうに言っていいのかな。






帰りも、やっぱりテヤンはコーヒーを買ってくれようとした。

ここで・・・・正直に言ってしまおう。
「実はねテヤン、私の好みはクリーム&砂糖たっぷりです!」

「えっ?」

「ちょっとかっこつけちゃて・・・えへへ・・」

「えっそうなんですか? 昨日は・・・・気取ってたの?」

「まあね?」

「アハハーーー!」と笑いながら歩いて行っちゃって、

ちゃんと砂糖&ミルク入りを買ってきて、ハイッて手渡してくれる。


           ・・・・・テヤン
              君が私を見て微笑むだけで、
              私は泣きたくなるんだよ。なんでだろ。

              隣に座ってコーヒーの缶を触る手を見るだけで、
              私に触れて欲しいって思っちゃうんだよ。
 


私の顔の横に大きな肩があって・・・
もたれたい。
そして昨日のように肩を抱かれていたい。

そういう思いをもてあまして、苦しい。
窓の外に目をやる。


昨日あんなふうにテヤンに封印を解かれて、
たぶん、私の中のがんばろうモードもいっしょに解かれちゃったんだと思う。

寄りかかりたいとか、包まれたいとか、優しくされたいとか・・・
そんな気持ちもいっしょに封印してたんだね。


だから、テヤンへの気持ちを男女の思いと混同しちゃだめだ。
テヤンを好きなのか、それともその優しさに甘えたいのか・・・・

今はたぶん、あとのほうだから。
そうだよ、きっと。




「アヤノさん」

「ん?」

「僕たち、また会えますよね。」

「うん」

「仕事でじゃなくて。」

「・・・・・」

「会えますよね。」


テヤン、コーヒー缶を握って、
大きな親指で缶の表面をなぞりながら
低い声でぼそぼそと。

すこし自信なさげにうつむく横顔も、
私、すごく好きだと思ってしまう。



「そうね。」

「なんだか、乗り気じゃないですね。」

「そんなことないよ。」



「僕は会いたいです。今日だってまだ離れたくない。」

「・・・・・・」



「アヤノさん、聞こえてますか?」

「聞こえてるよ」

  
「僕は今勇気をふりしぼって言いました。
できれば、なにか言ってほしいです。」

「テヤン・・・・・」

      ・・・・なんて言えばいいの・・・・



沈黙がいやなの? またすぐテヤンが話し出す。


「ゆうべずっと考えてたんです。

僕たちは昨日会ったばかりだし、まだお互いの今について、ほとんど知らない。

でも、僕にとっては、こうしてアヤノさんにもう一度出逢えて、
いっしょに時を過ごせたことは
きっと僕の運命なんだと思いたい。

ひとりの人に二度一目惚れしたんです。

今度こそ、このまま離れたりしたくない。」


「・・・・テヤン」


          ・・・・・テヤン、私に一目惚れ? 
           
              うれしい。
     
              君はいつだってストレートだね
              だから私も
              君には何も隠せないね・・・
              隠したくない。



「テヤン、ありがとう。
そんなふうに言ってくれて、すごくうれしい。
泣きそうなくらい。」


「・・・・・」

     ・・・・テヤン、緊張した?
              ちょっと肩が上がった・・・・



「テヤン、私もね、君にずっとくっついていたいよ。
ふふっ。ほんとは今だって手をつないだり、肩にもたれたりしていたい。」


テヤンがびっくりしてこっちを見る。


「でもね、それはテヤンを男の人として好きなのか、
ただ誰かによりかかって甘えたくなっちゃったのか、
今はよくわかんない。

私は、今日までの11年、誰も好きにならなかったし
誰とも触れ合わなかった。
誰かに寄りかかったり甘えたりすることもなかった。

それはね、強かったのでも、ひとりでがんばれたのでもないの。
カイに義理立てしたのでもない。

誰かを好きになったり、大切に思ったりしたら、また失うのが怖い。
だから、誰も好きにならないようにしてた。

誰かと寄り添って幸せを感じてしまったら、
また1人になるのが怖くて怖くて・・・・
どうなっちゃうのか、自分でもよくわかんない。
今度こそ、ホントに狂ってしまうかも。

だから、テヤンを好きになるのが怖い。」


「アヤノさん・・・」


       ・・・・テヤン、そんな目で見ないで・・・・


「なのに、テヤンが私の心のフタを開けちゃったから、
いろんな気持ちが弾けちゃって、

今の私はおかしいの。普通じゃない。
だから、テヤンにもたれたいけど・・・・ダメなんだ。

今はダメなの・・・・・

ふふっ、残念だわー・・・」

     
結局おどけた言い回しにしてしまう。
つくづく私、こんなふうにしか話せないんだね。


「・・・・・・」テヤンが笑わない。


       ・・・・・すぐ隣にいるテヤン。
           君の肩は広くて大きいから、
           なんにもしなくても、今だって彼の腕と私の肩はくっつきそう。

           私が話し終わっても、なんにも言わずに前を向いたまま。
       
           言葉を探してる?

           テヤン・・・何か言って・・・・


やっとこっちをむいて、ちょっとだけ微笑んだテヤンが
そっと私の手を取って、両手で包んだ。


「ほんとは、今すぐ『僕はどこにも行かない!』って言って
あなたを抱きしめたい。」

「・・・・・・」


「でも、それじゃ性急すぎて、あなたに嫌われてしまいそうだから。

ゆうべも、あなたが眠れないで、
いろんなことを思って泣いてるんじゃないかと思うと
1人にしたくなかった。

いや、やっぱり、ただあなたに会いたかっただけかな。
あなたの部屋に行きたかったけど、我慢しました。

フタが開けられちゃって、歯止めが利かなくなってるのは僕のほうです。

・・・・・

あーー!どうしよう。」


         ・・・・・テヤン、
             まじめモードで告白しつつ、最後におどけてみせる。
             照れ隠ししないと話せないみたいに。
             私たち、会話のパターンがおんなじだね。



「あなたが、僕を男として求めてくれるまで、待ちます。

あなたが街に戻って、いつもの日常が始まって
いつものように元気に仕事して
その仕事で僕に何度も会って・・・・

その度に僕が猛烈にアプローチして、
そして、あらためて僕を好きになってくれる・・・・

それならいいでしょ。」


「・・・・テヤン。」


テヤンの大きな両手に包まれた私の左手。
ここから、彼の熱さが伝わってくるようで、
胸の鼓動が早くなる。




     ・・・・・・・・・・・・



 
乗り換え駅に着いた。

「着いちゃったね。」

「着いちゃいました」


テヤンの電車は既に同じホームで待っていて、
私が彼を見送る。

「お疲れさん。いろいろありがとう。
じゃあ編集部でね。気をつけて帰ってね。」

「はい・・・・」

テヤンがじっと私を見て、ホームでハグをしようとするけど・・・・
リュックが邪魔だ。

電車のドアのすぐ脇に立ってるテヤン、
発車直前に飛び降りたりしないでね。

じっと見つめる目が苦しい。
目をそらしたほうが負けなの?


ドアが閉まったと同時に、テヤンがすごく慌てた顔をして
あーーっという表情で、頭を抱えながら私になにか叫んでる。

なに? なに? なにーー?


はーー、テヤンってば、このあと電車の中で恥ずかしいだろうな。
見た目あんなにカッコイイのにさ、
ちょっと今のは、
うーん・・・かなりみっともないかも。

必死だったのね。
なにがどうしたんだよ、テヤン。

ほんとに、無防備で、正直で、あまりにストレートで、
いいヤツ丸出しで、



テヤン・・・・

もう会いたいよ。

どうしよう。




    ・・・・・・・・・



次ぎの電車に乗り、手帳を出そうとバッグを開けて
さっきのテヤンの慌てぶりの意味が分かった。    

二人して、携帯の電源を切ったままだった。

もちろんアドレスも番号も交換してない。
これで決定。
編集部で会うまで、内緒で連絡ってできないね。



はぁー、たった一日なのに・・・・

いや、一日たつと携帯の存在を忘れられるんだね。

これが『携帯に追いかけられない旅』か。

・・・・・・悪くないかも。


     


     ・・・・・・・・・・・・・・




テヤンを乗せた電車とは逆に、この電車はがら空きだった。

動き出して手帳を開くと、
カバーにきっちり挟み込んであったはずの小さなカード用封筒が
ずれて落ちそうになっている。


若いテヤンと出会った数週間後に実家に戻り、
そこで1年を経てから、遠い街で一人暮らしを始めた。

その時からずっと、手帳のカバーに入れているもの。

毎年手帳を新しくするたびに小さな封筒も移動させて
今日までお守りのように持ち続けてきた。

カイとミオと私、3人の写真。

・・・・見てみようかな・・・・


一人暮らしをするにあたって、持ってきた写真はこの1枚だけ。
しかも今日まで一度も見たことがなかった。

法事などの機会に、両親らがアルバムを広げて見ていても、
私は絶対に近づかなかった。
正視することなどできなかった。


アルバムを見ては、涙ながらに思い出話をする彼ら。
そんなこと、私にはできない。
うらやましい気がした。


あの二人が確かにこの世界にいた証。
生々しくそこにいる姿など、
どうして正視することができるのか。

父と兄が一日かけて掘り出したアルバムやビデオ、
私は今日まで全く見ていないのだ。


だから、二人の顔は、
頭の中でだんだん輪郭が曖昧になっている気がする。


そして・・・
今日初めて封筒を開けて写真を見ようとしてる私。

これも封印が解かれたせい?

そっと写真を取り出す。


あ・・・・
3人が笑ってる。こんなに笑ってる。


思い出した。
お正月に父が撮ってくれた。

カイがミオを抱っこして、ミオがキャッキャ笑ってたんだ。
カイも私も笑ってる。

カイ、ポロシャツの襟なんか立てて、カッコつけすぎだよ。
ミオ、なんてかわいいの! プクプクだ。
私、若いね。ポニーテールなんてしてる。

3人で、こんな笑顔してたんだね。

写真を胸に抱いて、また泣いてしまう。



         ごめんね。

         こんなに長い間二人の顔を見ようともしなかったなんて。
         こんなに笑顔でいてくれたのに。

         ごめんね。

         ごめん。

         普通、写真飾るよね。
         チェストの上とかに。

         ほんとにダメだったんだよ、今日まで。
         許して・・・

         今日から飾るよ。チェストの上に。

         これからは、3人でちょこちょこ話しようね。
        
  

 ←読んだらクリックしてください。
このページのトップへ