Lusieta

 

この場所から ~ふたたびの陽射し Ⅱ章 3~

 

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「僕、しばらく日本を離れることになりました。」

「えっ?」

「ほんとは来年の2月に行く予定だったんです。
それが急きょ早まって・・・・
携帯の電源入れたらすぐにかかって来ちゃって。」

「どこ行くの?」

「長くても1ヶ月、クリスマスまでには帰ってきます。」

「だから、どこ行くの?」

「・・・・・・それが・・・・」


     ・・・・なんで言いよどむの?
         帰ってくるんでしょ?・・・
         ・・・・なに?


テヤンはまだ政情不安が続く途上国の名を挙げた。
長引く内戦、自爆テロ、
大使館への攻撃・・・・今でも時々ニュースにのぼる国。

私は言葉がない。
「・・・・」

「来週出発です。ボスの仕事のサポートなんです。
今、政情が安定してるんで、
今のうちにすぐにでもっていうことになったようで。」

「だって、あそこ・・・まだ内戦が・・」

「一応停戦中です。
僕たちが行くのはより安全な場所だし、
ガードが何人もつきます」

「なんで?」

「・・・えっ?」

「なんでテヤンが行くの?!
なんでテヤンじゃなきゃいけないの?」

「アヤノさん?」

「いやだ。」

「・・・?!」

いすがガタンと大きな音をたてた。

立ち上がった私を、驚いてテヤンが見上げてる。

私、何してるんだろう。
そのまま店を飛び出していた。


       ・・・・・息が苦しい。
           いやだ、
           なんでそうなるの?
           なんでそんなとこ行くの?
         
        

「アヤノさん!!」

「・・・・・・」

「アヤノさん、待って!」

夜更けの歩道で、テヤンが腕をつかむ。

「やめて!」

「・・・アヤノさん・・・」

つかまれる腕が痛い。


「お願い。ちゃんと話をさせて。
僕の話を聞いて。」

「いやだ・・・・いやだいやだいやだ!

どこにも行かないって言ったじゃない!
これから何度も会って、その度に猛烈にアプローチして、
私が君を好きになるまで待つって言ったじゃない!

テヤン、ダメだよ、そんなとこ行っちゃあ。

テヤンが・・・テヤンが・・・・・

・・・・テヤンが死んじゃうじゃない!!」


へなへなと崩れ落ちて、歩道に座り込んでしまった。


「・・・・アヤノさん・・・」




「テヤンなんかきらいだ。
そうだ、私はテヤンがきらいなんだ。
全然好きなんかじゃなかった。」

私は起きあがってすたすた歩き出した。

「待って、アヤノさん!
お願い。ちゃんと話そう。

僕は絶対帰ってくる。
アヤノさんのところに帰ってくる。
その国の中で、安全な地域があるんだ。
そこに行くんだ。
なんで安全なのか、だからもう少し説明させて。」


「お願い。もう私をほっといて。
もうこのままでいさせて。
テヤンに会う前の私に戻るの。

平和で、元気で、普通なのがいい。」



テヤンが私の両肩をがっちりつかんでる。


「アヤノさん、ダメだ。
そんなふうにまたフタをしちゃダメだ。

絶対にダメだ。僕から逃げないで。
僕たちは出会う運命だったんじゃないか!」

「そんなこと、誰が決めたの?!」

「僕だ!」


テヤンに今度こそがっちりつかまれて

「僕の部屋に来てください。」




     ・・・・・・・・・




私はもう感情を閉じてしまった人形のようになっているかも。
振りほどいて逃げることもしない。
つかまれて、歩かされるまま進んでる。

もっともっと心を閉じてしまいたい。
何も感じないように、

今から、何を聞いても
私に安心なんてない。納得なんてない。




何も得なければ、何も失わなかったのに・・・・

もう何もいらなかったのに。


     ・・・・・テヤン、私はたった数日で
        君をなくしたくないと思うようになってしまったんだね。

        君をなくすと思うと、
        やっぱり私は狂ってしまうんだね。

        やっぱりそうなんだ。

        もうこんなにも君を求めるようになってしまった。


        嫌いだ、テヤン。
        あんなにあたしを好きって言った。
        出会う運命だって言った。

          どこにも行かないって言った。

        なのに・・・私を置いていく。


        やっと会えたのに
        悲しいね、テヤン。

        嫌いだ、テヤン。

        行っちゃう人を好きになったりしない。 

        もう疲れたから、かまわないで。

          


      

テヤンの部屋は、食事した店からほんとに近かった。
歩いてる間、二人に全く会話はなく、
ただお互いの息づかいから伝わる切実さが、つらかった。


部屋に着くまで、ずっと抱えられてた。
テヤンは私をソファに座らせ、逃げ出さないのを確かめるように、
じっと目を見つめて言った。

「コーヒーを入れます。
ちゃんと話すから、ここに座って待ってて下さい。」



リビングの壁はすべて作りつけの棚で覆われていた。
一方のガラス棚には、カメラとその付属機器が几帳面に並べられ
手入れが行き届いていた。
望遠レンズだけでいくつあるのだろう・・・

向かいの壁には、画集、写真集、日本文学関係の全集
やたら重くて大きくて・・・・
床が抜けそうだ。



コーヒーを準備する後ろ姿
あんな話を聞いていなかったら、
ただドキドキして、
気恥ずかしいような嬉しいような思いでみつめていただろう。


これからテヤンがどんな話をしても、
私にはもう関係のないこと・・・・

そう思えればどんなにいいだろう。

だけど、ダメだ。

さっきまであんなにがっちり抱えられてた腕が解かれて
テヤンが後ろ姿を見せただけで
わたしは見捨てられたように心細くなって
体が震えだす。
両腕を抱えても、止まらない。




これまでだって、
いっしょに仕事をしたカメラマンを、
政情不安な国へ送り出したことはあった。

大切な仕事仲間だったし、なくしたくない友人だと感じていた。
だけど、彼の出発をすぐに死と結びつけて考えたり、
行かないでほしいと願ったりはしなかった。

そして、ちゃんと元気に帰ってきた。



テヤンのことになると、
こんなにも冷静さをなくしてしまう私。
いま離れてしまったら、永遠に会えないような気がして、怖い。

怖くて怖くて・・・・・怖くて・・・・
頭を抱えてうずくまったまま動けなくなりそう。




テヤンがコーヒーを持ってきた。

受け取ろうとしたら・・・・
手が震えていて・・・あまりにも震えていて、受け取れない。

テヤンが悲痛な声で
「アヤノさん!」と言った。

カップをテーブルに置いて私を抱きしめた。


「ごめん、ごめん、アヤノさん・・・・僕が悪いね。
僕が悪い・・・・ごめん・・・・ごめん・・・」


      ・・・・・・テヤン・・・
         そんなに強く抱きしめると
         息が苦しいよ。

         テヤン、君はひどいね。
         あの日から私を泣かせてばかり。
      
         あの1日で、私をこんなに無防備な弱い人間にしておいて、
         たった数日で手の届かないところに行っちゃうなんて

         もう、拒むことも、強がることもできなくなった私を、
         こんなにもいじめるんだね。
      
         テヤン、君の罪は計り知れないよ。

         紅葉のマフラーくらいじゃダメだね。

         いいえ・・・どんなプレゼントをくれたって
    
         もう許してあげない。




「僕は、アヤノさんがこんなに僕を心配してくれるなんて、
思ってなくて・・・

日本を離れる話をして、
簡単に、『あ、そう』って言われたらショックだな、なんて思ってたんです。
少しは心配してほしいなって。

僕はバカですね。」


「ほんと、バカだね。」

「ごめん。」

「・・・・・」



         やっぱりテヤンにこうして抱きしめられると、

         それだけで心が静かになっていくんだね。

         こないだといっしょだ。

         このまま話なんかしないでずっとこうしてられたらいいのに。




テヤンは私の震えが止まるのを待って話し始める。

「さっきの話の続き、していいですか?」

「いやだけど、いい。このままで話して。」


テヤンは両足の間に私を入れて抱きなおした。
私はこないだみたいにテヤンにすっぽり包まれて、顔を彼の胸に埋めてる。

「17年前にボスは、国境の難民キャンプで1人の少女に出会ったんです。
その時の少女の写真は「○○○」の表紙になって世界に衝撃を与えました。

でも、その後の消息は全く知ることができなかった。
その後の情勢も厳しく、
生きていくのに過酷な状況だったので、生死もわかりませんでした。

ところが最近になって
彼女らしい人が生き延びて母になっているという情報が入りました。
それで急きょ彼女に会うためにその場所に向かうことになったんです。」


「うっすらとだけど、その表紙と中の記事、覚えてる。
私、高校生だったと思うの。

確か・・・・“緑色の目の少女”って言われてた?
内戦で両親が亡くなって、兄妹で難民キャンプに逃げてきて・・・

ほんとに目が緑色で、
自分がその目に射すくめられるみたいで怖かったような気がする。
今ここにいる自分が甘ったれてるのを
見透かされてるような気がして・・・・」

「そうですか! 
僕がその記事を見たのは中学生の時だった。
自分と同じくらいの年の少女の、運命の過酷さがショックでした。

この地球にはいろいろな国があって、
いろいろな暮らしがあることを知りました。
あの写真は、強烈に目に焼き付いてる。

アヤノさん、僕たち、韓国と日本で、同じ記事を見てたんですね。」


「うふっ・・・テヤン、また“運命”とか“縁”とか言おうとしてる?」


「アハハーー!! 先に言われちゃった。」 


         テヤンが、いつもみたいに笑った!
 
         それを見ただけで泣けちゃいそう。

         でも我慢する。
     

「それにしても、そんなにスゴイ人がテヤンのボスだったの?」

「そうです。スゴイ人です。
彼のように、確かな視点を持って世界中の今の姿を伝えていきたい。」

「世界中の・・・・・」

「アヤノさん。
僕はどこに行ってもちゃんとあなたの所に帰ってくる。」


        そんなに強い目、初めて見るかもしれない。

        ほら、思わずうなずいちゃったじゃない。


「そうだ、今回の場所がどんなに安全かってことでしたよね。」


     ・・・・・・・・・


テヤンは地図や企画書や旅程表を見せて、私が安心できるように、
事細かに説明してくれた。

私はいつのまにか一編集者としての興味も湧いてきて、
彼の話に引き込まれて聞き入った。

内戦は、今は停戦状態で
偶発的な事件の可能性は他の国と変わらないように感じた。

企画自体がしっかりしていたし、綿密な安全対策がとられていて、
これがちゃんと実行される限り大丈夫と思えた。

もっとも、テヤンがかなり楽観的に脚色したかもしれないけど。


「これで、少しは安心してもらえましたか?」

「全然。」

「えっ?」

「いくら聞いても安心なんてできないし、納得なんてしない。
だから、安心しないで、納得しないで、行ってらっしゃいって言う。

それでいい?

私、こんなになっちゃってごめん。
やっぱり、まだまだダメだね。」


「アヤノさん。」

テヤンが、またぎゅっと抱きしめた。




そして、テヤンの胸に顔を埋めたまま、私はモゾモゾと告白した。

「自分がこんなになっちゃうなんて思わなかった。

これって、テヤンのせいだよね。
ホントはきっと私もテヤンに一目惚れだったんだね。」


「・・・・・」


「電車で行っちゃうテヤンを見送ったあと、またすぐにテヤンに会いたくなった。
今日会えるってわかってても、たった3日が長かった。

編集部で君を見た時、ほんとにドキドキしちゃって、
自分が高校生みたいだなって思って・・・・

やっぱりこわいな。
君が行っちゃったら、私は変になっちゃって、
ちょっと連絡が途絶えただけで、心配で狂いそうになったりするのかな。

仕事が手につかなくて、ぼーっとして
編集長に叱られたりするのかな・・・・・・」


不意にテヤンの大きな手が私の頬を包んだ。

テヤンの目が潤んでる。
テヤン?

かすれた声で、君が言った。

「キスしていい?」

「・・・・・・」

返事しようとした言葉は、テヤンの唇でふさがれた。

       ・・・・・・テヤン
          私、いいって言ってないよ。

          テヤン、キス・・・じょうずだね。
          
          テヤン、ほんとは・・・
  
          行かないで・・・・




キスをして、唇を離して、私の顔を両手で包んでみつめて、
またキスをして、みつめて・・・

抱きしめて、キスして、みつめて・・・・・
テヤンは愛しげに私を見て、何度も何度もキスをする。



        ・・・テヤン
     
          わかってる?

          私がこんなことするの、11年前のあの日以来だって。

          テヤン、それって不思議だね。 

          なんか、それってスゴイね。

          やっぱりこういうのって、運命って言うのかな。



テヤンの熱く切ない目は、それだけで、
どうしたいのかを語ってる。





「アヤノさん、あなたが欲しい。」

「うん。」






抱き上げられて、ベッドに運ばれる。

「私、重くなった?」

「うん、重くなった。
重くなって、やわらかくなって、
ほんとによかった。」

「ふふっ・・・・」
 
    



      ・・・・・・・・・・・





二人の息づかいと衣擦れの音だけが聞こえる。


ひとつひとつ体をなぞってゆくテヤンの指が、
長い間の眠りから、私を目覚めさせていく。


大切に大切に、そっと触れて確かめて、
私にその温かさと切なさを思い出させてくれる。


その指と唇で、私の全身に跡をつけて、
遠い日の記憶を、くっきりとテヤンの色に塗り変えていく。


胸の奥のかすかな疼きが私を逡巡させる。


しかし、それもやがてテヤンが送り込む情熱の波に流されてしまった。



「テヤン・・・あぁ・・・」


そっと分け入ってきたテヤン。
彼を全身で感じながら流す涙を
ていねいに唇ですくい取ってくれる。



ただそっと、ひとつになったままで流れる時間・・・・


ひとつになったまま、みつめ合って、キスをして・・・・


「アヤノさん、愛してる。
愛しすぎて、狂いそうなのは、僕のほうだ。」


「アヤノでいい・・・アヤノって呼んで・・・」


その一言で静寂が破られた。
テヤンがこらえきれずに小さく呻いて、動きはじめた。


「・・アヤノ・・あぁ・・
・・・アヤノ・・・アヤノ・・・愛してる・・・」
 
「テヤン・・・私も・・・ 
愛してる・・・・あぁ・・・」


初めて見るテヤンの激しい姿
その激しさに翻弄され、またその激しさに応えている自分の姿も、
初めて見るもののようだった。

これが私? 
激しく突き上げるテヤンの背中にしがみつきながら
私は私の声を、初めてのように聞いていた。


二人いっしょにその時を迎えて、
世界は白い光で満たされた。



     ・・・・・・テヤン
          好きな人と一つになって
          いっしょに揺れてる幸せ

          こんなだったんだね。
          忘れてた。

          あんまり幸せで、
          体が溶けてなくなっちゃうんじゃないかと思った。

          テヤン
          君といっしょにいると、幸せすぎて・・・・悲しい。

          あと何日いっしょにいられる?

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