Lusieta

 

この場所から ~ふたたびの陽射し Ⅲ章 3~

 

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こんな夜は・・・・


駅の改札を出たら、ずっと先の真正面の位置にテヤンがいる。

ロータリーの柵にもたれてる。
両手をデニムのポケットに突っ込んで。

テヤン、君はまったく気づいてないけど、
通りがかる人が振り向いてる。

少し離れて同じように誰かを待ってる人の視線が、
君に注がれてる。

いつものことだけど、
こういう状況のなかで君に近づいていくのは勇気がいる。

近づいて、さりげなく目で合図して一緒に歩き出す・・・
そんなふうなのがいいのに・・・

テヤンってば、いつも大きく手を上げて
うれしそうに笑顔全開でまっすぐ私の元に来る。

ほら、あの人もその人も、テヤンのこと目で追ってる。
そしてそのあと私を見るんだよ。

まあね、いつものことだからもう慣れたけど。

「お帰り! 疲れた?」

テヤン、顔を覗き込んでしっかり目を見てこう言われると
さっきまでヘトヘトだった体にエネルギーが吹き込まれるよう。



          「疲れた?」って訊いて疲れをとっちゃう、
          テヤンの魔法。

          ただし、魔法の対象は、私限定。



テヤンと歩くこの夜の道が好き。
つないだ手を、彼のジャケットのポケットに入れて・・・

テヤンのマンションは、駅から続く上り坂の途中。

とりとめのない話をしながら・・・

ときに体をぶつけてじゃれあいながら・・・

坂道を登っていく。

あと少しというところでエネルギーが切れる私。甘えてる?
それを「ほらほら・・・」って言いながらひっぱって坂道を登っていくテヤン。

つないだ手からその力強さが伝わってくる。
うれしくて、思わず目を閉じる。



車が通ると、すごく自然に私をかばうしぐさ、いつも少しドキドキする。

テヤン、きょろきょろ周りを見回したと思うと
いきなりキス。

「夜はいいね、暗くて。」

「当たり前でしょ」

「何回でもキスできる。」

「・・・・・・」

「ねぇ、アヤノ。」

「ん?・・・・」

「キスしよう・・・」

「・・・・・」

返事をするひまなんてない。

重なる影の一瞬を、ヘッドライトが切り取っていく。





・・・・だけど・・・・

そんないつもの光景のすべてが、

今夜は少しずつちがってるね。





テヤン、改札を出た私に気づかなかった。
いつもなら目を凝らしてじっと改札口を見つめて私を探してるのに。

今夜はそのまなざしが宙をさまよっていた。

きっと昨日からずっと考えてるんだね、テヤン。

いつものロータリーの柵にもたれて、そんなふうに考え込んでる姿も
絵になりすぎていて怖いくらい。

たくさんの人の視線の前に、そんな姿をさらさないで。

抱きしめて覆い隠してしまいたい。

どこを見てるのか、定まらない焦点の中に強引に入り込んで
「ただいま!!」と言ってみた。

テヤン、びっくりしすぎだよ。
柵からおっこちそうになって慌ててる。

「お帰り、アヤノ。疲れた?」

今日の君の「疲れた?」には
やっぱり魔法の効力がない。



       テヤン・・・

       この魔法はね、その言葉を発する心に憂いがあると
       力をなくすんだよ。

       テヤン、苦しいの? 思い出すのがつらい?
       私はやっぱり、ひどいことしたのかな。

       でもね、私はテヤンに出会ってふたを開けられてしまったこと
       今もいろいろ苦しいけど、ほんとによかったと思ってる。

       だからテヤンも、思い切ってふたを開けて
       その中身をちゃんとみつめてクリアしていってほしい。

       私がずっとそばにいるから




今日の帰り道は、初めからハーフコートのなかに私を入れて
肩をぎゅっと抱き寄せてるテヤン。

私は彼の腰に手を回して、しがみつくように歩く。
テヤンが日本を離れる前日に教会で祈ったあとの帰り道、
あの時も、こんなふうにくっついて歩いた。


あの日のことは、思い出すだけで胸が苦しくなる。    

そして、今こうして一緒にいられるそのことが奇跡のようで、
心の中で、神様になんども感謝する。

でも幸せすぎて・・・・いつも少し怖い。
 


いつものようにとりとめのない話をしてるけど

でも・・・・・

いつもとちがう今夜だね。




      ・・・・・・・・・・・・・・・・・




テヤンの部屋は暖かかった。
明かりもエアコンもつけっぱなしでむかえにきてくれてた。
いつもどおり。


「コーヒー入れるね。」

「うん、ありがと。」

私はバスルームで手を洗う。
ハンドソープをつけて念入りにあらう。

鏡のなかの私に無言で問いかける。



        今日の私、どう?
 
        やさしく笑ってる?

        落ち着いてる?
 
        動揺しないでテヤンを抱きしめてあげられる?
 


水でジャバジャバ顔を洗う。

まだメイクを落としてないのに・・・ 
いや、こんなメイク、もうとっくに落ちてるも同然だけど・・・   

久しぶりに気合を入れる。小声で『うぉっしゃーー!!』

ふふ・・笑える。
テヤンに初めて会った日のことが浮かんできて・・・・

電車の中で大泣きしてしまって、あの時も顔をジャバジャバ洗って
『うぉっしゃーー!!』だった・・・・

テヤン、困ってたよな。


コンコン・・・・
ドアがノックされた。


「アヤノ、大丈夫? 気分悪いの?」

 
       えっ?! そんなに長くいたの?


あわてて飛び出すと目の前にテヤンの胸があった。

「ごめん! ちょっと・・・」

テヤン、にこにこしながら

「無事みたいだね。コーヒー入ったよ。」





    ・・・・・・・・・・・・・・・・




ソファに二人並んで座る。

私のカップには、ちゃんと好みどおりのたっぷりクリーム&お砂糖を入れてくれる。

おいしい。


「あーー至れり尽くせり・・・・。なんか私、女王さまみたい。」


「ふふ・・・女王さま、お次は何をいたしましょうか?」


「・・・・・・・」


「ん?・・・・」


急に胸が高鳴った。


        このタイミングなのかな?

        そうなのかな?



「テヤンよ。そなたの話をきかせておくれ。」


「・・・・・・・・」


        テヤン・・・・

        固まってしまった
       
        いきなりすぎた? 。

        そんなにびっくりした?

        どうしよう・・・・



「テヤン・・・・」


「女王さま、しばし準備のいとまをお与えください。」


テヤンが、笑顔のまま私の顔を覗き込んで言った。


「は・・はい。」


立ち上がって、棚からアルバムを取り出してきた。

そして・・・・
急にアハハと笑い出した。


「アヤノ、僕は大丈夫。
 あなたのほうがものすごく緊張してるでしょ。

 昨日からずっと僕のこと心配してる。

 そして、さっきからずっとこの時のためにガチガチだ。」


「・・・・・・・・」


          図星だよ・・・・・


「アヤノ?・・・・」


「気合が入ってるだけだよ。私、変だった?」


「ううん、かわいい。」


テヤンがそっと肩を抱く。


「ありがとう。僕のために気合入れてくれて。」


「うん。」        
   
     
テヤンが小さく息を吐いて私を抱き寄せ。こめかみに唇を当てる。


「おっ・・・コーヒーこぼれちゃうよ・・・」

「テーブルに置いて・・・」

「ん?」

「準備するから」

「はい・・・」


言われたとおりにする。

コーヒーを置いたとたんにぎゅっと抱きしめられた。


「うーーん、ちがうな。
 アヤノ、ラグに降りて。」


ソファから、ラグに降りて座る
テヤンも降りて
いつものように彼の足の間に収まって
テヤンは私を胸に抱く。


「はぁー。やっと決まった。ふふ・・

 このシチュエーションなら話せる気がする。
 っていうか、これじゃないと話せないな。」

        
結局いつもの二人のポーズ。
私もこれがいちばんいい。



       テヤン・・・

       君もとても緊張してるね。 

       胸の鼓動が私の全身に響くようだよ。




「アヤノ、そのアルバム、開けてみて。」

2冊のアルバムは見た目が対照的だった。

1冊はベルベットで装丁されたシックなアルバム。
年代を感じさせる重いもの。
もう1冊は軽くて薄くて機能的なもの。

テヤンがはじめに指差したのは、重いほうのアルバムだった。

1ページ目には、若く美しい女性が微笑んでいた。

清楚だけど、華やかさを感じさせる
モデル写真かと思うほど、美しい1枚だった。


「母なんだ。」

「きれい・・・・」

「でも、母だったって知ったのは日本に来る1年前だった。」

「えっ?」

「そして、日本に来ていっしょに暮らして2ヶ月で、
 この人はいっちゃったんだ。」


「いっちゃったって?」


「死んだ」


「・・・・・・・・」


「オモニって呼んであげられなかった。
 オモニって、最後まで言えなかった。

 死んじゃうなんて思わなくて・・・

 ほんの一瞬、ためらったんだ。
 いや、意地を張ったんだ。

 ・・・・まにあわなくなるなんて・・・・」


「テヤン・・・」


高ぶる感情をもてあますように話し始めたテヤン
口を尖らせて「ふーーーっ」と息を吐く。

「だめだね。大丈夫じゃなかったね。

 冷静に順を追って話そうと思ってたのに。

 アーー難しいな。

 アヤノ、ちょっと休憩」


そういいながら私を抱きしめて、うなじに顔をうずめてる。

「いい匂い・・・・」


        これが休憩?


私はそのままの姿勢で手の届くところ・・・テヤンの二の腕をそっと抱く。


「あの教会、叔母がいる教会って言ったでしょ。
 ずっと叔母だと思ってたその人が、母だったんだ。

 アヤノに言うとき、とっさに“叔母の”って言った。

 自分でも“今、叔母って言ったな”って、あの時思ったんだ。」



       テヤン、もう冷静になってるね。

       いつもの静かな声。




「じゃあ、あの時、教会にいらっしゃったの?」

「ううん、もういなかった。

 あの人も・・・・
 1月17日に、逝ったんだ。」


「えっ?!」


テヤンの腕を抱え込む。

息ができない・・・・

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