Lusieta

 

この場所から ~ふたたびの陽射し Ⅲ章 4~

 

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「じゃあ、あの時いらっしゃったの?」

「ううん、もういなかった。
 あの人も、1月17日に・・・逝ったんだ。」

「えっ?!」

テヤンの腕を抱え込む。

息ができない。




テヤンを見た。
心配そうに私を見てる。

「アヤノ、この話をするのは、きっと僕よりあなたにダメージがある。
 やっぱりもう止めようか。」

    
        テヤン・・・・
        今、私はどんな顔してる?
        泣きそう? ううん、もう泣いてるね。
        
        両手で口を覆って
        呆然とテヤンを見てる私。
  
        この胸に唯ちゃんがいないだけで
        あの日と同じ状況になっちゃった。

        そして今日は、私じゃなくて、
        君のその日のことを聞くんだね。

        大丈夫・・・大丈夫・・・大丈夫・・・
 



「聞かせて、テヤン。私なら大丈夫。

 ちゃんと聞きたい。テヤンのお母さんのこと。
 テヤンの今日までのこと。」


「でも・・・アヤノ、震えてる。」


「武者震いだよ。」


「泣いてる。」


      どうしても反射的に出てしまう涙。

      でも大丈夫、

      テヤン・・・・
      私は決めたんだから

      どんな話にもひるまないで、ちゃんと聞くって

      そして君を抱きしめる。私の全部で抱きしめてあげる。 



「大丈夫だよ。

 テヤンは、今日ちゃんと話すって決めたでしょ。
 私もちゃんと聞くって決めたんだから。

 二人とも、今日じゃなきゃだめなの。」


「アヤノ・・・」


「テヤン、私の様子を気遣って途中で止めずに、
 最後まで話して。

 途中で私が泣いても、震えても、
 最後まで話して。 ねっ!」


いつの間にか二人は正面を向き合っていた。

         
「わかった。」


正面で、せっぱ詰まった顔で見詰め合ってしまったことが急におかしくなって
同時に吹き出した

       

        こんなふうに笑いあえるようになったね。

        すごい進歩だよね、私。

        だから・・・大丈夫。



テヤンがまた抱き寄せて、私はコトンとその胸にはまり込んだ。

さっきみたいな性急さはなくなって

テヤンがゆっくり静かに語り始めた・・・・・・



「僕が大学の1年生のとき、母だと思っていた祖母が倒れた。
 その日までなんの疑いもなく母だと思っていた人。

 その日、兄たちの会話を聞いてしまったんだ。
 病気が深刻な状態だとわかって、
 僕に本当のことを言ったほうがいいんじゃないかと話し合ってたんだ。

 兄たちは年が離れていて、もうそれぞれに家庭を持っていた。
 ほんとは叔父たちだからね。

 父は・・・ほんとは祖父だけど・・・僕が中学生のときに亡くなっていて、
 母が万一死んでしまったら、僕はあの家にひとりっきりになってしまう。
 兄たちは、僕がほんとの母とちゃんとつながりを持ったほうがいいんじゃないかって。

 彼らは日本の連絡先も知ってたんだ。

 僕はものすごく驚いて、思わずそこに駆け込んで
 兄につかみかかってた。

 『うそだ!何いってんだ!うそだろーー!!』って、

 どこまでも食い下がって、一晩かかってずべてを聞き出した。




   ・・・・・・・・




 ほんとの母は19歳で僕を生んだ。
 相手はソウル大学に留学していた日本人で、
 大きな会社の後継者として育ったということしか僕には今もわからない。

 母も大学生だった。アルバイト先で出会って恋に落ちて、
 僕を妊娠した。

 相手に打ち明けたら、結婚しようといわれたそうで
 喜んで準備をしていたらしい。

 だけど、日本の両親にちゃんと話してくるって一時帰国したまま
 その人は戻ってこなかった。

 母は信じて待ち続けるうちに臨月を迎えた。
 そして僕が生まれても、彼は戻ってこなかった。

 聞いていた日本の連絡先も、そのときは相手の消息につながらなかった。

 でもそれは、彼が不実だったのではなくて、
 日本でも韓国でも、違う力で阻まれていたんだ。

 こどもたちのために良かれと思う親心や、家や世間体を思う打算、

 そして・・・・
 二つの国の間の過去の不幸な出来事によって、母の両親が負った深い傷と・・・

 いろいろなことが絡み合って、二人の運命はゆがめられてしまった。




 母はまだ若かった。
 愛する人に裏切られたと誤解した悲しみは、
 生まれたわが子への愛情よりも大きかったみたい。

 僕をかわいいと思えなかったらしい。
 僕が泣いていても、ぼーっと見てて、ただ涙を流してたって。

 母は僕を抱くことができなくなっていた。
 母乳も止まってしまって、衰弱していったらしい。


 アヤノ・・・・・
 こんな話、あなたには残酷すぎるね。」


テヤンがまた覗き込む。


「テヤン、お願い、私が顔を手で覆っても、
 泣き声が漏れても、

 話すことをやめないで。
 最後まで。」


「アヤノ・・・」


テヤンを見つめる目に、私の決意がちゃんと現れてるかな?


「お願い。こんどこそ中断しないでね。」


「わかった。
 最後までいくから。」




     ・・・・・




「母は入院したんだ。
 僕らは生まれて3ヶ月で離れ離れになった。」


         私がミオと離れた時と一緒だね。

         ちいさなちいさなテヤン、

         君も、そんなにちいさくて・・・・・

         お母さんと・・・・・



「そして僕は祖父母の末っ子として育てられた。
 祖父母は二人ともまだ若かったんだ。
 だから僕は何の疑いもなく両親だって思ってた。

 年の離れた兄たちも、僕をかわいがってくれた。
 なんだか今思うと、必要以上にやさしくされて守られてたような気もする。
 不憫だと思ったのかな。

 とにかくあったかい家庭だったんだ。」



      テヤン・・・・
      君を見てたらわかるよ。
 
      どんなに愛されていたか。
      どんなに大切に温かく育てられたか。
      
      

「でも不思義だね。
 物心ついて、ほかの3人の兄たちのことはみんな兄弟だと思ったのに

 たまに会う母に対しては、最初から「おばさん」って呼んだらしい。
 “アジュンマ”って。

 だから、僕が最初にそう呼んだから「おばさん」になった。
 もし「姉さん」って、“ヌナ”って呼んでたら、母は僕の姉だった。

 簡単だよね。
 母でさえなければなんでもよかったのかって・・・・」



         テヤンが、ちょっとなげやりで皮肉な言い方をする。

         君がこんな言い方するのははじめて。どきどきする。




「母は長期療養で入院していた病院から、時々帰ってきて何日か過ごして
 また病院に戻っていった。


 僕は母が帰るといつも、とてもうれしそうにしてたんだって。
 よく覚えてないんだけど・・・

 でも・・・・
 いっしょに遊んでいて、母は急に大声で泣き出したり、
 いきなり僕を抱きしめて、僕が苦しくて泣いたりしたらしい。


 それでもだんだん回復して、退院した。

 母が入院したときには、
 祖父母は僕のことを、もう彼らの子どもとして育てて、
 母には新しい人生を歩かせようと
 そう決めていたらしいんだけど、

 精神的なダメージを乗り越えると、
 母のもともとの母性の豊かさが戻ってきたんだと思う。


 僕たちはずっと一緒にいて・・・・
 僕は母になついて、はじめからずっと親子で暮らしてきたみたいに
 くっついて甘えて・・・・
 離れようとしなかったんだって。



 実は母のその回復には別の大きなきっかけがあったんだ。

 病院内の教会で奉仕活動をしていた母は、
 その教会に赴任していた日本人の牧師の親身な心のケアで
 本来の自分自身を取り戻すことができた。

 そして後に、彼にプロポーズされた。

 不思議でしょ。また日本人と出会ってしまった。

 母の両親は、今度は日本人というこだわりを捨てるしかなかった。
 母の幸せのために。

 母はその時ほんとに元気になって、
 元の“明るくてきれいでやさしいヌナ”に戻ったんだって
 兄たちが言った。

 僕は何度も教会に遊びに行って、
 その牧師さんにもしっかりなついてしまった。

 そのうち教会にも泊まるようになって・・・

 誰が見ても仲むつまじい普通の3人家族みたいに見えたって・・・

 母はうれしかっただろうな。

 元気になれて、

 また誰かを愛せるようになったこと、ほんとにうれしかったと思う。

 そして・・・

 自分の子どもを・・・・・

 かわいいと思えるように・・・・

 きっと・・・・

 なったんだと思う。」



        テヤン・・・・

        自信なさそうに言うんだね。

        かわいいに決まってるよ!

        君のこと愛しくてたまらなかったに決まってるじゃない!



「僕がもうすぐ4歳っていう頃、その牧師さんが日本に帰ることになったんだ。

 そのときはもう当然僕も一緒にって家族の誰もが思うほど
 僕たち3人は自然に一緒にいたらしい。

 月の半分くらいはその教会で暮らしていた。
 母が迎えに来るとすごくうれしそうに行ったって・・・

 なのに・・・・

 最後の最後に、僕は母を拒んだんだ。」


「えっ?」


だまって聞いていようと思ったのに、つい声が出てしまった。

テヤンの腕に力がこもる。

そのまま前を向いて、淡々と話そうとする君。


      
        テヤン・・・・

        自分では気づいてないよね。

        息が苦しそうになってきた。
  
        はじめは私を気遣いながらわざと元気に話してたよね。

        どんどん声が小さくなって、つぶやくように話してる。

        背中に腕を回して・・・・

        君を抱きしめてるつもりだけど

        なにも役に立たない気がする。




「ぼんやり覚えてるんだ。

 母は僕を抱きしめて・・・・・
 多分泣いてた。

 『テヤン、テヤン・・・お願い・・・』って、何度も言って。

 抱きしめられた苦しさのようなもの、覚えてる。

 僕がすごく暴れて泣いたことも。




 日本に僕を連れて行く日、

 僕はたくさんの僕のものが荷造りされているのを見て、
 気配を感じたみたい。

 どこか遠くに連れて行かれるって。

 そうしたら、この家にいられなくなることが、みんなの想像以上に僕を怯えさせた。


 僕は泣いてイヤだって言って・・・・
 ものすごく拒んだんだって。

 泣き喚いて暴れて抵抗して・・・・
 物を投げたり、隣の家に逃げ込んだり・・・


 『行かない!行かない!』って・・・・

 母に『あっち行けーーー!』って、言った。

 そして『オンマーー!オンマーーー!』って、祖母にしがみついた。

 母の目の前で・・・・


 そして・・・・・・」



        テヤン・・・・



「もう家族の誰とも話さずに、
 僕の寝顔を見ながら、母は一晩中考えた。

 僕と韓国に残るか、僕を残して彼と日本に渡るか・・・・


 そして・・・・


 彼との日本を選んだんだ。」



テヤン・・・・



「それから祖母の葬儀の日まで、一度も帰ってこなかった。」



     
ハァーーーと、大きく息を吐いて、
私の顔を覗き込む。



「第1部 終了です。休憩しよう。」


「・・・・・・・」



テヤンの背中に腕を回したまま動けないでいる。


       テヤン・・・・

       ごめん。もう少しこのまま・・・




テヤンは黙ってそのまま私を抱いてる。
私の髪を梳くようになでながら・・・


君の鼓動以外には何も聞こえないこの部屋。

ただじっと、二人そのままでいた。

どのくらい時間がたったのだろう。



        テヤン・・・・どうしよう・・・

       この空気から、君を連れ出して逃げてしまいたくなる

       でも、ダメだね。

       しっかりしよう!

       しっかりしなきゃ・・・・  



テヤンが口を開いた。

「アヤノ、聞いてくれてありがとう。

 こんな話、誰かに打ち明ける日が来るなんて、思ってなかった。

 アヤノの魔法だね。」



       えっ?

       魔法使いはテヤンだよ。


       ごめん・・・・

       なにか言おうとすると泣きそうで・・・


   
「でもね、このあとは・・・・

 うまく話せるのか、自信がない。

 聞いた話じゃないから。

 ちゃんと覚えてる話・・・・

 リアルに思い出しながら・・・・

 僕は話せるのかな。」



「・・・・怖い?」



「・・・・うん。」




ぼーっと、宙をながめてるテヤン。


「ねぇ、今日はもうここで止めておこうか。

 次の話はまた今度に・・・・」


「ダメだ!」


「えっ?」


      ねぇ、テヤン・・・・

      さっきから、どちらかが「止めようか」って言うと
  
      どちらかが「ダメ!」って言って・・・・

      なんだか

      じゅんばんこ・・・だね・・・・・

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