Lusieta

 

この場所から ~ふたたびの陽射し Ⅳ章 メグ 2~

 

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   『心から愛してる人・・・』


もういいんだ。
これできっぱり終わりにできる。

こんな写真見せられたらもう完全な敗北だ。
敗北? 戦おうとしてた?

行き場のない想い。



    

あの出会いから、何年たったんだろう。
望遠レンズの中に彼の顔の"どアップ"を見つけたあの朝から・・・

苦しそうにゆがんでも、その顔立ちの美しさは消せなかった。

不思議な出会いだった。


すぐにとんで行って助けなきゃという気持ちと、
このままずっとファインダーの中の彼を見ていたい気持ちとが葛藤していた。
明け方の、まだ誰も気づいていない時間。
私だけが、フェンスに足をとられてもがき苦しんでいる彼を知っていた。

急に彼の顔から表情が消えた。
体全体に脱力が感じられて慌てた。
『あの人、死んじゃう!!』

突然ものすごく動転してレスキューを呼んでしまった。
『あなたが助けに行ってあげられるのでは?』と言われたが、
とっさに
『あっ、気を失ったみたい!逆さづりになりました。足は血だらけです!』と叫んで芝居した。
自分でも信じられない。

『現場付近に立っていて誘導してください。』と言われた。


どうしよう。
私はもうこの数ヶ月、家の外に出ていない。
学校にも行っていないし近所の人とも会っていない・・・・
リビングにだって足を踏み入れていないのに、
家の外に出るなんて・・・・

ありえないこと言わないで・・・・

またぽろっとウソがこぼれた。
『私、車イスなので動けないんです。』

思った以上に早く到着したレスキューに助けられる彼の一部始終を
また望遠レンズを通して見ていた。
彼をみつけた瞬間から夢中でシャッターを押し続けて・・・・
いったい何枚撮ったのか。
フィルムを交換する時間がもどかしかった。

そして血だらけの足を守られて、彼は担架で行ってしまった。

あっけない終わりだった。
もう会えないと思うと、とても寂しくて・・・

"外に出るのが怖くてうそなんかついたから、彼に会えなかったじゃないか・・・"

呆然としながら、そんなふうに自分を責めてる自分に、驚いてもいた。



なのに・・・・また会えた。



彼があらためて礼を言いに来た時には、うまく言葉がみつからなくて思わす泣きそうになった。
あまりの驚きと、戸惑いと、うれしさ・・・・
はじめての感情だった。

車イスじゃないことが後ろめたかった。
あらためて、うそを後悔した。

彼はそのことにはなにもふれずに、
「ありがとうございました」と深々と頭を下げた。


立派なパネルに入れた写真を、すこし照れた笑顔で差し出して、

『命の恩人へのお礼です。あの時撮っていた写真、よかったらもらってください。』と言った。



あのパネルを目にしたときの衝撃を忘れない。


『春はあけぼの・・・』

私が生きてるこの場所に、こんなに美しい風景が存在してたなんて知らなかった。


朝靄が、濃い紫から一枚ずつ衣を脱いでゆくように、
明るい桃へと色を変えていく。
からみつく闇の名残を振り払って、街が目覚めようとするその刹那。

この風景を捕らえられるのは、きっとほんの一瞬だ。

一旦目覚めてしまうと、また街はいつものように動き出す。

そこに闇があったことなど忘れてしまったように、
そこに陰など存在しないかのように、

あっけらかんと、人々の日常をのせて、街はぐるぐる回っていくんだ。

毎日毎日、こんなにも厳粛な儀式を経て、
世界は、深い闇から甦ってくるというのに・・・・


朝日に浮かぶ橋。そこに少し猫背のシルエット。
出勤のサラリーマン? 
後に知るが、このシリーズには、必ずそこに暮らす人の息遣いが存在していた。



私はこの日、手渡されたその写真とあの笑顔に、丸ごと心を持っていかれたんだ。


彼は私の部屋に入り、そこからあの「宙吊り現場」を見た。
そして私が撮った夥しい現場写真も。

『これ・・・・僕?! すごい! すごい! 
 わーー恥ずかしいな。
 でも・・・なんだかドキュメンタリーだね。 

 写真、うまいね。こんなに望遠なのに、ぶれてない。
 三脚なしでしょ、すごいよ。
 自分で言うのも変だけど、モデルの一瞬のいい表情が撮れてるよ。ふふ・・・』

『やっぱり恥ずかしい!』と言って笑った。

『僕も写真学校の学生で、まだ全然アマチュアだけど、
 君がすごいもの持ってるってことだけはわかるよ。
 本格的に勉強しようって思ってるの?』


思わず『はい。』って答えた。


将来のことなんて、なにも考えていなかった。
部屋から出てこなくなって、ご飯も自分の部屋で食べて、
家族とほとんど言葉を交わさなくなった私が、ふと漏らした言葉
『写真撮ってみたいな。一眼レフのカメラで・・・』

その言葉にすがるように、両親はすぐに新型のニコンを買い与えた。
カメラ店の店員に言われるままに、思いつくすべてのオプションをつけて。

なんでもいい。
この6畳の自室だけが自分の宇宙のような
そんな毎日から抜け出してほしい・・・・

両親の切実な思いが痛いほど伝わってきた。
そしてそれが苦しかった。

何気なく言ったひとことから、こんな高価な一式を買い与えられてしまう私。
父と母の必死さを感じれば感じるほど、
彼らをそんなふうに追い詰めている今の自分の状況に絶望していた。

いっぺんに気が滅入って、写真への興味がしぼんでいきそうだった。

そんな膠着した日々の中の出来事だった。
昼夜逆転した毎日で、眠れず過ごした明け方に、
突然その出会いの時はおとずれたのだ。



彼が『また会おうね。』と言って、アドレスを残して帰ったあと、
私はこの小さな宇宙の窓を思いっきり開けて風を入れた。

カーテンもシーツも、クッションも洗い、制服を陽に干した。


数ヶ月ぶりにリビングで家族と夕食を食べ、
翌日、これまた数ヶ月ぶりに学校へ行った。

もとに戻ってみると、なんてことはないような気がした。
学校でのみんなの好奇の目にも、すこしの孤独にも耐えられた。
なにより私には「どうしてもしたいこと」「どうしても目指したいもの」ができたのだ。


17才の春だった。


そう、あの日からずっと追いかけてきた背中だった。






彼単独の撮影には、よく無理やりついていった。

まだまだ初心者の私に、
それはそれは根気よく、惜しみなく、自分の持ってるものはなんでも教えてくれた。

一瞬のシャッターチャンスのために何時間待っても、
彼と一緒ならちっとも苦にならなかった。

一瞬を捉えるための彼の真剣なまなざし。
そのまなざしをじっとみつめてしまうから・・・

あんなにていねいに教えてもらいながら、
私は自分のシャッターチャンスを逃してばかりいた。


長い待ち時間、ひとつの毛布にくるまっても何も起きなかったけれど、
気持ちは満ち足りていた。
なによりまだ、私は幼かった。

がんばって作ってきたお弁当を、ほんとにおいしそうに食べて
『おいしい! おいしいよ、メグ! 料理うまいねー。』と言って喜んでくれた。




彼の気配に、何度か特定の女性の存在を感じることがあったけれど・・・

でも、相変わらず私が望めば撮影にも食事にも連れて行ってくれて
今思えば、彼はまるで私の位置が特定の彼女よりも上であるように振舞っていた気がする。
そんな彼に甘えて、私はかなりわがままで、やたらといつもくっついていたのだ。


とてもきれいなおねえさんとのデートに偶然遭遇したことがあった。

私は遠慮して帰ろうとするのに、『僕の大事な妹なんだ。』って紹介して
無理やり3人で食事したっけ。

そのおねえさんがどんどん不機嫌になっていくのがわかった。
いたたまれなくて、やっぱり帰ろうと思ったのと同時に、
彼女のほうがいきなり『帰るわ!』と言って、大げさに席をたった。

『そう。送れないけどごめんね。じゃあね。』
って、彼はそれだけだった。

『あんなふうに帰しちゃってよかったの?』って聞くと、
『うん。』って笑って、
『ここの店、肩がこるよね。どっか違うところ行こう。』

そう言って、居酒屋へ移動した。
『もしかして、私をうまく使ったのぉ?!』って怒りながらも
いつもの他愛ない時間が戻ってきて、
"二人になってほっとした" そんな気持ちの共有を実感したのも確かだった。

きっとあのおねえさんとはそれっきりだっただろう。

そのころはまだ、彼にとってやっぱり自分が一番なのかもと、単純に思ってうれしかった。




誰か女性の気配がするたびに、
『なんでだよ? 
 私がいるのにぃ、なんでほかの女とつきあうんだよーー!』
なんて、無邪気にくってかかった。


彼、ニコニコ笑うだけで、
『いつもメグが一番大事だよ。なんてったって命の恩人で、大事な妹だ!』って言った。

『うそつけー、コノヤローー!』って、丸めた雑誌でポコポコ叩いたっけ。

『痛いよ、メグー! 許してくださ~~い!』、彼が背中を丸めた。


そう・・・・・
あれからずっと私は彼の妹で、一度も男と女じゃなかった。

どんなときにも、彼にとって私は、

一度も・・・・
女じゃなかった。



でも・・・
私はいつまでも無邪気な17才ではなかった。

そのことに、彼は気づかなかったけれど・・・・

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