ボニボニ

 

My hotelier 122. - 教師 - 

 




上質のビジネススーツと キャリアブランドが行きかう街で
その人の姿は 少しだけ 質素に見えた。



それでも彼は背筋を伸ばし まっすぐに 正面から入ってきた。
「シン・ドンヒョクのオフィスへ来たのだが。」

ぴく と 受付嬢の頬が揺れた。 ドンヒョクは アポイントのない人間に会わない。
「ミスター・シンの ・・・アポイントは お取りですか?」
「うん?」

男は 困惑したように立ちすくむ。
人の良さそうな 誠実そうな壮年の男性を 受付嬢は 気の毒そうに見ていた。
「彼に会うのにアポイントが必要なのか。 それは 聞いておけば良かったな・・・。
 誠に申し訳ないが 一応 問い合わせてみてもらえないだろうか?」


私は ソ・ジョンミンという者だが 
シン・ドンヒョクに聞いてくれ。 アポなしで会えまいか と。

“はぁ・・。”

受付嬢はこっそりと 見つからない程のため息をついた。
“氷の”ミスター・シンにアポなしで? ・・・私が 怒られちゃうんじゃないかしら?

仕方なく受話器を取った彼女は 上階のオフィスに問い合わせをする。 
しばらくのやり取りの後で 受付嬢は 信じられない声を聞いた。


「ハロー?」
「!!!!!!!」
柔らかく 低い ベルベットヴォイス。 シン・ドンヒョクが直接 電話に出てきた。

「本当にそこに・・ ソ・ジョンミンssiが来ているのか?」
「あ・・。 は・・はい!」
「すまない。 彼に “今すぐドンヒョクがお迎えに上がります”と伝えてくれ。」
「は?!」

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「申し訳ないな ドンヒョク。 お前に会うのにアポイントがいるとは知らなかった。」


嫌味でもなく 本気で感心したように言って ジョンミンはソファに座った。
「いえ・・その・・。 アポイントが要るのは ビジネスの場合ですから。」

お見えとわかっていれば 駅までお迎えに上がりましたのに すみません。
突然 オフィスに現れたジニョンの父に 義理の息子はいささかうろたえる。
飲み物を持って来たスタッフは ボスの動揺を見て眼を丸くした。


「いやぁ 今日は 頼みごとがあって来たんだ。 ・・なあ? ところで。」

そこの飾り物。  ジニョンに よく似ているなあ。
机の隅に置かれた彫像を 舅が まじまじと見つめている。
「!!」

―うっかりした。 今日は来客もないデスクワークだから 飾っていたんだ。


「それ ジニョンに似ているから 買ったのだろう?」
「え? あ・・はぁ・・・。」
「あははは。 相変わらず 女房に鼻の下を伸ばしているんだな。」
まあでも ジニョンの奴はそんなに立派な身体じゃないがと 父親が軽口を言う。

義父の言葉に女婿はうつむき 口の端を少しだけ上げた。
貴方の覚えているジニョンは きっとまだ 少女のままなのでしょう。
・・・お義父さん。これは 貴方の知らない僕のジニョンです。


しかし よく似ているな。 ちょっと見せてくれ。
立ち上がりかけたジョンミンに 慌ててドンヒョクが話題を変える。
「頼みたいこと・・と言うのは何でしょうか?」
「ん? ああ そのことだった。」

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ソウル郊外の 精密基盤プリント工場。

そこそこの業績は上げているが 経営に少し悩みが見える。
その間隙を縫うように 外資系企業による株の取得が進んでいた。

「・・・ドンヒョク・・。」
「はい。」
「お前は M&Aの専門家だな?
 その・・ 決算報告書類から ある程度会社の状態は判るだろうか?」
「ええ。 それはまあ。 これは お知り合いの会社ですか?」
「経営者が ・・教え子なんだ。」


成程ね。
ハンターは ビジネスマンの顔になり 数字の並ぶ書類を見る。

「営業実績は 悪くありませんね。 事業内容のいい会社なのでしょう。・・ただし
 少々コストプッシュです。 20%程度人員のリストラをすれば 健全経営になる。」
「人員削減はしたくない。」
「え?」
「私の 引き受け手の無い教え子達を ・・・・受け入れてくれている会社なんだ。」


は・・・・。

シン・ドンヒョクは 呆然とした顔を見せないように 書類に目を落とす。

教え子の会社が買収されそうで 心配?
その会社は 出来の悪い彼の教え子達を 受け入れている?
それは 貴方が世話をしたということだ。


―教師というのは こんな 職業だったかな?
「・・・泣きつかれたんですか?」


“馬鹿を言うな!!”

オフィスを揺るがすジョンミンの怒声。 壁の向こうでスタッフが顔を上げる。

「私は! そんな教育はしておらん!!」
あいつらは 決して私を心配させまいと 何も言わないんだ。
「歯を食いしばってでも 自分の力でやれ。 ・・私がそう教えた。」 

事務に入っている教え子が そっと教えてくれたんだ。
「だからこそ・・・少しでも力になれるものなら なってやりたいんだよ ドンヒョク。」
「・・・・。」


おそらくは 一銭にもならないことに
僕の義父は 奔走しているのだろう。
娘を溺愛する父が 娘を奪った男に 「アポなしでいいか?」と 聞きながら。

不覚なことにドンヒョクは 鼻の奥が熱くなる。
慌てて窓に向かって立ち  自分の「失態」を 見せまいとした。 


“ちょっと お聞きしたいのですが・・”
“何でしょう?”
“hotelierというのは 皆 ああしたものなのでしょうか?
 それともジニョンさんが 特別に ホテルを愛しているのでしょうか?”

ねえ ジニョン。
君は間違いなく この人の娘だな。
そして僕は情けない事に  君たちの“地中海式”愛に 弱いらしい・・・。



しばしの 沈黙。
振り向いたハンターは いささか形勢不利な このゲームをする覚悟を決める。
「お義父さん。」
「おぉ?」

作業時間として 一両日いただきましょう。 この件は 僕が引き受けます。
「いや しかし・・それは。」 
「義理の息子では 頼りになりませんか?」
「とんでもない!  ・・・・頼んでも かまわないのか?」
「It’s my pleasure.」

熱血先生 ソ・ジョンミン。  自分でも 知らなかったよ。
僕は 男女の別もなく こういうタイプに弱かったんだ。


「それでは 僕なりに少々リサーチもしたいので 数日はうちにお泊まりください。」
「いや 私は家に帰るよ。 新婚家庭を邪魔するのは 気が引ける。」
それに娘・・いや ジニョンは・・・ 幸せなんだろう?
「幸せなら・・・ その 私はいいんだ。」


ああ・・ お義父さん。
ジニョンを渡したくないばっかりに 僕と会うのを 拒んだくせに。
バージンロードの向こう岸で 娘を離せずに 固まったくせに。
「お会いになって行って下さい。 ジニョンも喜びます。」


「今夜 彼女はあいにく遅番ですが 僕たちは妹と同居していましてね。
 お義父様がいらっしゃると言えば 喜んで 美味いものを作ります。」
妹はソウルホテルのコックですから 腕は かなりのものですよ。


ぼんやり 女婿を見つめる舅は 震えるように聞いてくる。
「ジェニーさん・・か?  お前と たった2つで離れ離れになった  あの 妹さんか?」
それでは 今 君たちはようやく 一緒に住んでいると言うのか?

舅の眼に早くも盛り上がる涙に 少々戸惑い 照れながら 
それでも ドンヒョクは 正直に答える。
「ジニョンが 同居を言い出しました。 僕たちには 『兄妹の時間』がなかったから と。」


―この義父に この言いかたは まずかったな・・。

ぼろぼろぽろと 呆れるほど盛大に ソ・ジョンミンが泣いている。
両頬を伝わる涙は 顎の下で合流し ポタポタ ソファに染みを作る。
「ドンヒョク!!良かったな! 嬉しかろう?! ・・妹さんを大事にしてやれ。」
ガラス・ウォールの向こうでは 困惑気味のスタッフが 
こちらを見ないように 努力している。


―この人は そんな人目を 気にもしない・・。

世間体より 何よりも 愛や努力を尊ぶ人。
僕はこうしてジニョンと・・ それに付随する人々に 翻弄されるのかもしれない。
“だけど それは 不幸だろうか?”
・・いや多分  これは 幸せの一部なんだろうな。

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サファイア・ハウスの23時。
遅番を終えたソ支配人が ふくれっ面で 夫に問う。


「何で?  何で 家に帰ってきたらパパがいるの?! 私 聞いていないわよ。」
「君の我儘があんまり酷いので 僕が パパにSOSを出したんだ。」
「・・・・ホント?」
「嘘。」

もう からかわないで! シン・ドンヒョク!!
ジニョンは口をとがらせて ぱたぱたと 夫の胸に拳をぶつける。
気が済むほどに叩かせておいて ハンターは冷静に 手首をつかんだ。

「痛い。 ・・お義父様の居る夜に 夫婦喧嘩を披露したい?」
「ぅ・・・。」
「先生は僕に ビジネス上の 相談があって来たそうだよ。」
「え? そう なの?」


しおしおしぼんだ可愛い妻に 夫は薄く ほくそえむ。
手首を つかまれたままのジニョンの方は 上目使いに 聞いてみる。

「パパは・・。 あの・・ドンヒョクssiに。  そのぉ 何か 迷惑をかけた?」
「うん? それはこの後の 君の対応次第だな。」
「?」
「パパと同じ屋根の下で僕に抱かれるのは嫌と君が言うなら 彼の来訪は大変な迷惑だ。」
「オモ。」


どたばたしていた寝室が 何とか合意にたどり着いて
やがて ジニョンの口からは 甘やかな声がこぼれ出る。

・・ぁ・・ぁ・・・・

ジニョン? 
そんなに小さな声で泣くなよ。 僕が 下手くそみたいだろう? 
この部屋は 防音レベルを最大限にしてあるのだから
ドアにへばりつきでもしない限り 中の声は 聞こえない。

「それにパパは 疲れたと言っておやすみだよ。 夕食にワインをたくさん勧めたんだ。」
「ま・・・盛ったわね。」
「さすがに僕も 先生の監視下で ジニョンに声を上げさせることは照れますから。」


シーツに深く 愛しい人を沈めて 大きな手が頬を撫でる。
「・・・・ぁ・・。 ドンヒ・・ョク・・ssi・・。」
「ふふ ジニョン。 もっと。」


大丈夫。 僕たち夫婦なんだから パパに見つかっても叱られやしないよ。
うっとりしなる きれいなうなじへ
ハンターは 魔法のような免罪の言葉を 塗りこめる。


「ええ・・ そうね・・。」
私たち 結婚したんだもの。 ・・いいわよね?
「仲のいい夫婦。」
「そうね・・。 ふふ。」


ああ やっぱり結婚して良かったな。 シン・ドンヒョクはひとりごちる。
『婚前交渉』じゃ こうはいかない。
もう不埒とは言わせない。 今の僕は「愛情深い夫」だ。

「している事は一緒でも。」

            *         *         *         *

 ●ジニョンパパが初めての方へ  こちらに出てまいります。

   My hotelier 84. - 奪ってゆく男 -
   My hotelier 85. - 不埒 -
   My hotelier 86. - つとめて -

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